呪縛

うみゆき

呪縛

 他者を呪う際に最も有効的な手段は何だろうか。藁人形のような典型的な物もあれば、血を練り込んだ絵の具で相手の顔を描くといった本格的な物もある。ここでは、僕が体験した呪いを書き記したいと思う。

 僕と彼女はどちらも美術部に所属していた。その中で僕は絵画で活動し、彼女は彫刻で活躍した。僕がある美術展が開催したコンテストで初めで最後の佳作賞を得るまでに、彼女は何十個もの賞を受賞していた。フランスでの彫刻展にも飾られる作品を生み出し、片手で持てない大きさのトロフィーまで美術部に届いた。その時彼女はトロフィーを彫刻刀で削り、金メッキで出来ていたことに不満を漏らしていたのを覚えている。

 僕は国立、彼女は私立の芸大に入学し、交際することになった。僕の告白に食い入るように返事をしてくれた彼女とは、一度足りとも喧嘩をすることなくお互い23の時に結婚さえ決定した。申し訳ないが、ここまでは惚気話である。

 21で同居を初めて、彼女は自室で隠れるように作品を彫り、主としてリビングでは実用品に彫刻刀を当てるようになった。時には机、椅子、皿にまで彼女は彫刻を続けた。一年も経った頃にはリビングで何処を向いても彼女の落書きが数個目に付く程になった。彼女と彼女の作品を心から溺愛していた僕にとってそれは怒るに事足らず、増えていく彼女の芸術を一家の仲間とさえ思っていた。

 ある日彼女は固定電話で珍しく声を荒げていた。「私は絶対に嫌ですから」と言って受話器を置いた彼女は目を丸めている僕に「彫刻の話」と舌を出して笑った。彼女が大好きな彫刻の話で怒っているのは珍しいと思ったが、その時は別段気にしなかったものだ。

 そして彼女の24の誕生日かつ僕らの結納の前日、彼女は事故に遭い命を落とした。

 その連絡を聞きながら、僕は意思と反して淡白に返事をする自分を知った。

 どうやら飛び出してきた子供をバイクで避け、首の骨を折ったらしい。苦しむことなく即死であったそうだ。

 これはそれから聞いたことになるが、彼女は作品の担当者から彼女の作品を集めた展覧会をしようと勧められていたらしい。その誘いに彼女は躍起になって断り続けていたらしいのだ。

「愛する彼氏さんに見られたくなかったんじゃないんですかねえ」

 担当者は受話器越しに乾いた笑いを口にした。

 それから特別頼み込み、彼女の作品を何とか見せて貰った。殆どは海外の美術館に送られたようだったが、日本に3つの作品が残されていた。それらは全て狂気的な物だった。

 首を背に乗せ飛ぶ白鳥、手首で繋がりそれを切り離そうとしている双子、そして女性らしき死骸にナイフとフォークを突き立てる男性。すべて木で彫られているとは思えないほど現実的で、魅惑的だった。

「彼女にしては珍しいですね」

 僕がそう言って微笑すると、「しおりさんの作品は全て狂気的ですよ」と頭を掻いた。

 昔は違った、そう思った。昔は彼女が好きな妖精や乗り物をよく彫っていた。何が彼女を変えたのかは分からない。

 全ての題名は『幸せ』であると担当者は自慢げに語った。


「これは呪いだよ」

 彼女は皿を彫りながら小さく笑う。あどけない笑みは成人済みだとは思えない程子供らしかった。

「呪い?」

 キッチンから顔を覗かせると、彼女はくすりと笑った。「うん、呪いだよ」と続ける。「ほら、出来たよ」と自慢げに見せた作品は可愛らしい猫だった。油汚れが彫刻の隙間に入り込まないように繊細な彫りはしていないはずなのによくもこれほどまで素晴らしい作品を作れるものだ。元同じ美術部として些細な嫉妬を抱いてしまう。

「次郎が、私のことを忘れないようにする呪い」

 「随分と束縛的な呪いだね」と言うと「呪縛だから」と返ってくる。僕は呪縛されているのか。結婚ってそんなものなのかもしれない。お互いから少なくない自由を奪うものであるし。

「ひよりの呪縛なら喜んで受けようかな」

「ばーか」

 罵倒された。抱きつかれた。悪い気分じゃない。彫り出された猫が、怪訝そうに僕らを見てにゃー、と鳴いた。

 こんなにも残酷な呪いだと知らなかった。悪意のない叱責が僕を貶める呪縛であるなど、気付くはずもなかった。


 今でも一人きりで皿を洗う度に、仕事をしようと机に向かう度に、休憩に椅子に座る度に、僕は呪縛を改めて実感する。二度と消えない呪縛は、いつまでも僕を締め付けるのだろう。

 彼女が彫っていたのは実用品ではなく僕の心だったのかもしれない。そうして彼女は爛熟とした愛を、呪縛として僕の空白に埋めていたのかもしれないと今になっては思われる。

 残酷で儚い彫刻は、恐らくいつまでも僕に深い切傷を残しているのだろうから。

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呪縛 うみゆき @umiyuki_novel

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