五日目

 大きな音が響いたかと思うと、背に鈍い痛みが走った。怒鳴り声も聞こえてくる。耳を澄ませば、その中に呻くような声が隠れていた。

 ただ事ではないなにかが起こっている。痛む背を起こそうとすると、背中から重たいものが落ちた。フードをかぶる頭からパラパラとなにかが零れる。手のひらに走った鋭い激痛。見ると散らばっているのは木の欠片と、ぽたぽた零れる血の雫であった。

 木? もしかして……壊されたのか?

 木片が手に刺さらないよう、注意し身を起こす。破壊されたのは扉近くの窓た。カーテン代わりのボロ布は裂けており、その隙間からは斧がちらついていた。

 再び聞こえた呻き声に、はっとして振り返る。そこにはヒュウガの姿があった。


「おい、大丈夫か!?」

「なんなんだ、これは……!」


 体についた木くずを振り払いながら、ヒュウガはぼやく。俺もぼやきたかったが、そうはいかないようだ。

 ばきりと嫌な音。振り返ると扉に斧が突き刺さっている。

 半壊寸前の小屋に、ふつふつと怒りが沸き起こってきた。どうせアイツらのせいであるには間違いない。なぜ俺だけでなく関係ないヒュウガをも巻き込むのか。飛び散り、襲い掛かる木片に、俺は二刀の剣を構えた。そして破られた窓から外へ飛び出す。

 きっと横を睨むと、奇声を発しながら斧を振り上げる男の姿だ。斧を交わし、懐へもぐり、その顎を手のひらで殴る。倒れこんだソイツに跨り、頭を鷲掴む。


「いったいなんのつもりなんだよ! あぁ!?」


 真っ向から手を受け止めたクセに、化け物並みの生命力で男は暴れた。足で相手の動きを押さえ、斧に伸ばす手を殴る。それでも、まるで虫のように暴れている。その目には怯えと、恐怖と、なぜか怒りが滲んでいた。

 コイツは――おかしい。

 気を失わない程度に頬を叩き、問いただす。すると男は野獣がごとく牙を剥き、涙を浮かべて吠えた。


「お前のせいだ……お前のせいだ! やっぱりお前は悪魔だ……呼ぶなぁ……悪魔が、うわぁぁぁあああああああああ!!」


 大の大人以上の力で暴れる。マズイ。思ったよりも反射的に飛び退くと同時に、男は掴んだ斧を振り上げた。それはいつのまにか俺の背後をとっていた鉈を持った女の頭を割った。鈍い音とつんざく悲鳴が響く。鉈が宙を舞い、女の持っていたランプが割れ、炎が消えた。その一瞬に、女の長い髪に絡みつくように血が滴っているのを見てしまった。目も当てられない光景に、男はさらに斧を振り上げた。……女が絶命しているのは明らかだった。男が異常者であるのは明らかだった。


「やったぁ……終わりだぁ……悪魔を殺したぁぁああ!!」


 トチ狂ったように笑う男に、俺の目は釘付けだった。

 男はなにを言っているんだ……? 悪魔って、この女はお前と同じ小麦農家じゃないか……。

 なにが起こっているのかわからず、ただ呆然と男の狂気っぷりを見つめていた。

 刹那、なにかが男の足元で割れたかと思うと、男は炎に包まれていた。


「いやだぁ! 悪魔め、やめろぉぉおおおお!!」


 叫び声を上げて斧を振り回し、男は悶え、逃げるように体をくねらせながら森へ駆けて行く。その体が突如吹き飛んだ。死角から別の男が飛び出し、鋤でその腹を突いたのだ。


「神よ……私は屈しません……悪魔なんぞに、負けはしない!」


 へっぴり腰で宣言した男は、吹き飛んだ炎の塊に飛びかかり、なんのためらいもなく刺し貫いた。

 火だるまの男を、同職の男を、悪魔と叫びながら。


「なにが起こってるんだ……?」


 二人の男と、女。互いを悪魔と呼びながら、仲間であった互いを討つ。酷く怯えたその顔、狂ったその様。


「人間じゃねぇ……!」


 炎がはじける音を耳元で聞いた。視線を戻すと、さっきの火炎瓶によるものだろうか、地面と女の死体が燃えていた。下手すれば家に燃え移るかもしれない。その家の中には、まだヒュウガがいる。


「……ヒュウガ!」


 動くより早く、扉が蹴破られた。驚愕と恐怖を浮かべながら炎を見回すヒュウガが死体に目を止める前に、俺はその手を掴み街へと駆けた。


「リューク!? こ、これはなにが……」

「心配すんな! どうせいつもの暴動だ、あんな家なんて――」


 叫んだ時だった。小屋の建つ農道沿い、ナイフを持ったなにかが横から飛び出してきたのだ。

 肩にぶつかられた俺は傾く視界の中、ナイフを振り回る髪の長い男を見た。血のにじむ布を片目に巻いた男、それはあの仕立て屋の女ったらし、ローガンだった。

 倒れこんだ俺は樽のように転がる。ギリギリかわし切ることができず、装束のマントが裂けた。仰向けに見るローガンの顔は、詩人のように憂えた瞳は、いまや野獣のように爛々と光り、憎悪の念で俺を見ている。

 殺しにきている。その考えに辿り着いたとき、全身が恐れに震えた。

 一体、なにが起こっているんだ……呆然とした俺の耳に入ってきたのは、ヒュウガの悲鳴だった。


「いっ……つ!」


 見ると頬を抑えるヒュウガの姿。その指の隙間から零れるのは、真っ赤な液体……。

 俺はローガンの頬を思い切り殴っていた。倒れたローガンの喉元に剣を添えると、彼は諦めたように動かなくなった。ただ、ぎらぎらと光る片目だけが、刃のように鋭く俺を睨みつけていた。


「なんでいきなり攻撃してきたんだ!」


 問いただすと、彼はすべての憎しみを吐き出すように言った。


「なに言ってんだ……お前のせいで俺のローラが狂っちまったんだろうが……!」

「はぁ? なんで俺が――」


 さっきの農夫たちと同じく、何でもかんでも、すぐ俺を疑う。

 苛立った俺の言葉を遮ったのは、悲鳴と奇声と破壊音。


「リューク、逃げたほうがいい」


 ヒュウガは震えを押し殺すような声で言った。

 沸き起こる怒りをぶつけたいのはやまやまだが、ここにいて安全であるわけがない。それに、ヒュウガの方ももたないだろう。

 家屋の向こうからひどく怯えたような悲鳴が聞こえる。


「そうだな。行くぞ」


 剣をしまい、ローガンを立たせる。こんなヤツでも、革命の主要メンバーなのだ。彼はひどく嫌悪感をあらわにしたが、おとなしく俺たちの後に続いた。

 空はどんよりと黒く濁った雲で覆いつくされていた。まばらに雲の隙間から差す細い日の光だけが、アルマトレバを照らしだしていた。

 安全圏など検討もつかず、俺たちはとにかく走り続けた。

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