より道

「別れるって、なんだろうね? 高村君」


 雨の日の学校の玄関はむし暑くて閑散としていて、何の気なしにつぶやいた私の言葉はやけにさみしく響きわたった。


「先輩、別れたんスか!? っつーか彼氏なんかいた……っ!?」


 ぽふん。

 言いおわりもしないうちに投げつけたチョコパンのつつみが、サッカー部エース高村信也の子犬系ジャニーズ顔を直撃する。


「アンタ、デリカシーなさすぎ」

「……ナ、ナイスピッチング里奈先輩……」


 高村は顔面にチョコパンをはりつけたままわざとらしくうしろによろけ、下駄箱のカドに頭をぶっつけて「イテッ」と叫び、すぐ後に落ちかけたチョコパンをわたわたとお手玉しながら空中でキャッチする。その一連の動きがどうしようもなく、ばかっぽい。


 そんなおばかな後輩を横目にため息をついて、私はさっさと下足にはきかえはじめた。


「せんぱ~い、まだ雨ふってるっスよー。雨やどりしてたんじゃないんスか?」

「もういい。濡れて帰る」


 あまえた呼び声にはふり向きもせず、そっけなくそう答える。


「いやいやいやいや、駄目でしょカゼ引くでしょ先輩、大会前に一人しかいないマネージャーがカゼとかシャレんなんないですって。モチベ下がりまくりっスから。自重してくださいよ、自重」


 さっさと歩きだそうとしたのに、ベストのえり首をつかんで引きとめられた。


「引っぱらないでよ、もう……」


 それにしてもよく自重なんてむつかしい言葉知ってたな。えらいね高村。国語でだけは赤点とったことないってのはマジな話だったんだね。

 後ろにずれてしまったベストを直しながら考えていたら、高村の表情がなさけなくしょげた。


「……先輩。なんか今超失敬なこと考えてたでしょ」

「なんでわかった」

「うわひでー、それひでーっスよ先輩!」

「二回も言わなくてよろしい」


 チョコパンをふりまわしながらぎゃーぎゃーわめく後輩の頭にチョップをひとつ。髪のさらさら具合がきもちいい。というかうらやましい。


「そんなことより先輩、一緒に帰りましょうよー。俺、傘持ってるし」


 まったくこりてない後輩がチョップをかました手のむこうから訴えかけてくる。


「高村少年は相合い傘にあこがれるお年頃ですか」

「そっス!」


 手を引っ込めて半眼で見上げれば、高村は敬礼つきで気合いの入った返事。


「カワユイ後輩のササヤカなあこがれを叶えてくださいよ!」


 身長170センチ後半高校二年生男子の何がカワユイものか。てめーふざけんなよ。

 思いを込めてじーっと見つめ続けていると、そんな私の心意気が通じたのか、高村は大きな背中を小さく丸めて上目づかいで私を見た。


「……すんません。カワユイは撤回するんで、俺のササヤカな願いを叶えてください」

「……いいけど。ふたりとも入れるくらい傘おっきいの?」

「オヤジ用なんで大丈夫です」


 オヤジ用ってなんだ、オヤジ用って。

 つっこみたいが、どうでもいいからさっさと帰りたい気持ちもある。だって暑いし、むしむしする。せっかくセットした髪がひろがり放題だし、肌だってべたべただ。はやく帰ってお風呂入りたい。


「そうだ! せっかくだからどっかより道して帰りません!?」


 ……さっさと帰りたいのに、170センチ後半の高二男子が子犬のように瞳を輝かせてこちらを見るので、私は思わずうなずいてしまった。


「やりーっ! 放課後デートっスね先輩! あこがれてたんスよ、これも!」


 高村が文字通りとびあがって満面の笑みを浮かべるから、やっぱり今のナシって言いだせなくなる。ほんとうに、うれしくってたまらないって感じで笑うから。

 放課後デートとか何恥ずいこと言ってんのとチョップをかますべき場面とみた。

 ……なのに、私の体は動いてくれない。

 やばい。どきどきしすぎ。引退するまではいい先輩でいようって決めてるのに。


「……で? どこによってくの?」


 せいいっぱいの冷静さをかきあつめて高村を見上げる。


「え? えーと、えーと、あっ、姉貴が最近駅前においしいケーキ屋ができたってハリキってました! 先輩ミルクレープが好きなんスよね? おいてあるかわかんないスけど、行ってみません?」


 そう言って高村は、デカくて黒くて高そうな渋い傘を広げた。


「しょうがないな。あ、傘のお礼にそのパンあげるから、おごりはなしね」

「……了解っス」


 大事なところはきっちり確認しとかないとね。



「……すんませんっした!」

「いや、まあ、定休日はしょうがないよ、うん」


 私たちの前にあるのはケーキじゃなくて、高村のてりやきバーガーセットと私のポテト。マックの赤が目に痛い。


「それにケーキ屋よりもマックの方が放課後デートっぽいんじゃないの? よくわかんないけど」


 テーブルに両手をついて頭を下げたまんまの高村になぐさめのことばをかける。


「でも甘いものの方がこころがなぐさめられるのかと!」

「……別になぐさめてもらう必要とかないし」


 なぐさめを必要としてるのはむしろアンタの方だろう。ケーキ屋閉まってたくらいでどうしてこんなに落ち込んでるの?


「えっ!? だって先輩、彼氏と別れたんじゃないんスか!?」


 がばっと顔を上げる高村の勢いに思わず身を引いてしまった。なんでこんな必死なんだろう、この子。


「……私、誰ともまだ別れてないんだけど。そもそも彼氏いないし」

「えっじゃあさっきのは!?」

「アンタの勘違い。もうすぐ引退だなーと思って言ったの。三年は今度の大会で負けた時点で引退なんだから。がんばれよ、次期部長サマ」

「うげっ。それ言わないでくださいよ。俺自信ないっス。責任感もないっス」

「自分で言うな。胸を張るな」

「でもやっぱ不安っスよ。里奈先輩なしでやってけんのかなーって」

「あのねえ高村」


 捨てられた子犬のような目でこっちを見るのはやめてよね。子犬あつかいすると拗ねるか調子に乗るかどっちかだから言わないけど。


「甘ったれたこと言わない。学年違うんだからしょうがないでしょ。私留年とかやだし」

「だってー、先輩一人で二人分くらい仕事するじゃないっスか。その穴どーやってうめたらいいんスか!」

「大丈夫だって。今までだってマネいない年くらいあったんだから」

「俺そんな年知らないし。俺入ったときから里奈先輩いたし」

「そりゃそうですけどー。ぜいたく言っててもしょうがないでしょ? 新入部員に期待するしかないんじゃない?」

「……っスよね。……はぁ」


 ポテトを差しだしながら言ってやると、高村はため息まじりに一本引き抜いた。


「それまではドリンク家で作ってくるとか、ビブス週一で持って帰って洗うとか、やってもらうこといっぱいあるけどね」

「うっ……」


 くわえていたポテトをつまらせそうになって、高村は慌ててファンタで流しこむ。


「あと部費や救急箱の管理と大会の参加申し込みと選手登録は部長と副部長で協力して……」

「せ、先輩! ストップ! その話はあとで! 部活ある日に聞きますから!」

 紙コップを裁判官みたいに勢いよくテーブルにたたきつけながらうったえる高村はちょっぴり涙目だ。

「そうね? あとでじっくり、聞いてもらおうかしら?」

「お、お姉さまことばこわいっス……」


 おおげさにおびえる高村に笑いながら窓の外を見た。


「雨、あがったね。それ飲み終わったらそろそろ出る?」

「ちょっと遠回りして帰ってもいいっスか? 俺の中学、あたらしい校舎建ったっていうから、ちょっと見てみたいんス」

「いーよ。つきあったげる」


 クールにうなずいてみせたけど、高村の出身校が見たくなかったと言えばうそになる。ううん、ほんとうは見てみたい。私の知らない中学時代の高村。すごく、興味ある。



 あたらしい校舎を見た高村が、先輩の表情になった。


「あいつらこの校舎で勉強すんのか。うらやましいな」


 あいつら、と言った高村が見ているのは、校庭で子犬みたいに夢中になってボールを追いかけまわしている男の子たち。見つめる目線がやさしくて、すこし大人っぽい。


 自信も責任感もないとか言ってたけど、ほんとうはちゃんと立派に中学でもサッカー部の部長をつとめあげてきたんだってこと、私はほかの後輩から聞いて知ってる。


 この中学校の校庭で、私にはあまり見せてくれない大人っぽい表情を浮かべて、後輩たちを指導してきたんだろうな。私に対してはいつもにこやかで人懐っこい感じだから想像つかないけど、たまには声を荒げることもあったりして。


 私の知らない高村を知っている見知らぬ後輩たちがすこしうらやましくなった。どうして私、もう一年遅く生まれてこなかったんだろう?


「よってく?」

「いや……やめとくっス。あいつらも大会近いし。邪魔しちゃ悪いっスから」

「そう?」


 こっちを見てへへっと笑った高村の顔は、もういつもの後輩らしい無邪気な表情にもどっていた。


「先輩、送っていくっス! 帰り道、わかんないでしょ?」

「手なれたナンパ師みたいなんだけど高村」

「ひっでー、先輩、ひっでー」

「だから、二回も言わなくてよろしいってば」

「そんなつもりないのに……」


 しょげてブツブツとぼやく高村とならんで、さっき来た道を逆の方へむかう。


「ちゃんと紳士的に、先輩がわかるとこまでお送りするっスよ」


 車道側に立って、私のいない方にたたんだ傘を持って歩く高村は、もしかしたらほんとうに紳士的なのかもしれない。


 わかるとこってどこまでだろう。高校の近くまで? それとも私が自己申告するまで?


 月9のドラマのこととか、最近ハマってるお笑い芸人のこととか、他愛のない話をしながら考えてるのはそんなこと。


 できるだけ遠いといいな、なんて柄にもなく乙女なことを考える。


 最近ずっと、そんなことばっかり考えてる。

 できるだけ遠いといいな。できるだけ長いといいな。

 この帰り道も。引退するまでの時間も。高校生活も。

 まだより道していたい。まだ引退したくない。

 まだ、高村と一緒にいたい。同じ道を歩いていたい。


「あーあ」


 ため息をついて立ち止まる。夕暮れの金色の空に高層ビルと電柱の黒い影が浮かびあがって影絵みたいに見える。


「どうしたんスか? 先輩?」


 三歩先で高村が肩越しにふり返った。影絵の一部になった高村の表情は、私からはよく見えない。


「なーんでもない。ここから道わかるから。送ってくれてありがとうね」

「……先輩」


 追い越して歩いていこうとした私の腕を、高村が引きとめた。

 しっかりと正面からこちらを向いた高村の表情が夕陽に照らしだされて、それがやけに真剣で、見惚れる。


「え?」

「俺、先輩が引退するまえに言おうと思ってたことが、あるんスけど」

「な、なに?」

「……まだ、告白する勇気出ないんス。だから……まだ引退させるわけにはいかないんスよね」


 何を、言っているんだろう。理解するより先に、かぁっと頬が熱くなった。動悸だけがどんどん、どんどんはやくなっていく。つかまれたままの腕が自分のものじゃないみたいだ。

 自分の体なのについていけない。どうしよう……どうしよう?


「俺、負けませんから。最後までつきあってくださいよ」

「あ……うん。……ってゆーか、あったりまえでしょ?」


 混乱しながらもどうにかいつもの調子で返事をしたら、高村の表情がしょうがないなって言いたそうな感じに緩んだ。


「優勝したら、絶対言うから」

「……うん」


 もう、いつもの調子で答えるなんて無理だった。


「待ってる」


 震える声で答えると、高村は先輩でも後輩でもない、無邪気なのに大人っぽい、男のひとの表情で笑った。

 心臓に爆弾を落とされたみたいだった。


 引退するまではいい先輩でいようって決めてたのに。



 きっと私は今、先輩の表情をできてない。

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