第2章 生贄の乙女(3)
「ちくしょー!!」
なにがちくしょうなのか、自分でも分からない掛け声と共に、俺は握っていた剣を降ってくるデカい狼に向けて差し出した。このまま刺さってくれれば、こいつは自分の重さにやられる。頼む! 自爆してくれ!
だが、そいつは玉が砕けると同時に体を捻っていたらしく、剣の切っ先を掠って避けやがった。人生は甘くない。
態勢を崩しながら空を飛ぶ狼の銀の毛の中で、きらりと赤い色が光った。まさかお腹にも目がついていたりするのか?!
デカい狼は、上手い具合に着地し、同時に俺めがけてワンアクションで突っ込んできた。
「おわっ!」
ギリギリのところでそれをかわすと、すれ違いざまに持っていた剣をデカい狼の体に沿って突き出した。巨体さゆえに俺との距離の関係で剣の切っ先くらいはざっくりいった。俺の手に何とも表現しがたい感触が伝い、スピードと衝撃に剣を持っていかれそうになるが両手で握って、両足で踏ん張って耐えた。
「グウゥゥ!」
俺の両手に伝わる肉が切れる感触のわりに、そいつは狼の親分らしく大した声を出さなかった。だが、代わりに振り返ったときの俺を見る目が異様なくらい深紅に燃えていた。おい、それが通常だったとしても、めっちゃ怖いって。
「グルルル…」
低い唸り声をあげながら、デカい狼は再び俺に向かってきた。良いのか悪いのか、どうやら透とジェイの二人は狼の目には入っていないらしい。二人ともちょっと下がった壁際で、抱き合うようにしてこっちを見ていた。
センドランドがくれた剣はよく切れた。上等なステーキに入れるときのナイフのように、少しの抵抗もなく奴の体に刃が入っていった。だが、そこそこの傷を負わせたはずなのに、きらきらと月明かりに黒い飛沫を飛ばしながら、巨大狼はスピードを更に速め、そうして俺は、避ける間もなくあっけなく弾き飛ばされた。
「がはっ」
ドガンッ、ガザザザザーッ。
体当たりされた俺は仰向けのまま飛ばされ、固い山道に背中を密着させそのまま少し滑って後頭部やら背中が燃えるように熱くなった。開けた道とはいえ、舗装されたわけじゃない山道は寝転がるには決して快適とは言えない。思いきり倒された衝撃で身体が軋み、頭も背中もガンガンに痛んだ。
「いっつ!」
勢いよくぶつかってきた狼は、痛がっている俺の右肩に容赦なく自分の大きな前足を乗せ、大きな顔をぐいっと俺に近づけた。吹きかける激しい息遣い。生暖かい獣の生臭い匂いがする。夕飯もまだだったから何も吐くものがないはずなのに、盛大に吐きそうだぜ。
「祥くん!!」
「ショウさん!」
姿は見えないが、透とジェイの声が聞こえた。
巨漢の狼らしい重さに右肩辺りを押さえつけられ、右手がびりびりと痺れる。
痛い、痛すぎる。もしかしたら夢かもしれないなあと少しだけ思っていたけど、この痛みがわざわざ現実なんだと教えてくれている。そんな気遣い要らねーんだけど。
どうする? ここでゲームオーバー? これが夢じゃなけりゃ、ここで人生がゲームオーバーってことだよな。それでも……俺はいいといえばいいけど……いいけど、俺がいなくなったら透はどうなる? あの隣の可愛い弟分は元の世界に帰れるのか。
「っはぁ、はぁっ」
荒く息を吐く。視界に入ってきたのは未だにその場から動こうとしない小さい方の奴ら。俺たちを守っていた玉が無くなったのに、こいつらは襲ってこない。弾かれたダメージがまだあるのか、一頭もその場から動かず、ただじっと俺とデカい狼を見ている。俺たちの戦いを見ているようだ。
「うあぁっ!」
俺の体を押さえつけた足に更に強く力が込められ、狼の爪が食い込んだ。
「グァオォォーン!」
俺の叫びに、奴は顔を上にのけ反らせて吠えた。至近距離で聞く肉食獣の声は凄まじく、心がギュッと鷲掴みされる。
痛い、痛い、痛いっ。重いし、痛いし、なんなんだよ!
涙が滲む俺の目に、狼ののけ反った喉の暗い銀の毛の中、またもきらりと赤い色が光るのが見えた。それが見えた瞬間、ほとんど無意識に左手が動いた。
握りしめた剣をその赤い色にめがけて振るう。ガチンと、狼の毛と肉を切るのとは違う、固い手ごたえがした。その瞬間、俺の視界に、きらっと赤い光が剣の軌道に沿って空を飛び、飛びながら急速に光を失っていくのが見えた。
「ギャン!!」
その赤い光が離れた瞬間、夜の山に大きな獣の叫び声が響いた。デカい狼は叫びながら俺から飛びのくと、顔や体を地面に押し付け、苦しそうなうめき声と共にごろごろと右に左に転がり悶えだした。俺が切りつけた傷から流れる血を振りまきながら。
なんだ、どうした、どうなったんだ。
寝転がったままそのさまを見た。そいつは呻き、吠えながら、俺の足元をのたうち回る。どうしたのか分からないけど、今のうちにとりあえず起き上がらなきゃ。
痺れて動かせない右側を庇いながら、剣を杖のように地面につきたて体を引き上げ起き上がった。あぁ、あちこち痛い。
「祥くんっ」
「大丈夫ですか、掴まってください」
二人が悶える狼の横を走り抜け、俺の両端に駆け寄って体を支えてくれた。
「はぁっ、はぁっ」
あぁ、自分の息遣いが激しい……耳がうるさい。しかしこいつら、あんな巨大狼の真横をすり抜けるなんて、いくら何でも危ないだろうが。
「いいから、どいてろ」
大きな呻き声をあげ悶えて転がる巨体の狼。そいつから目を離さず、俺は剣を握りしめ二人を俺の後ろに行くように促した。こんなデカすぎる狼、全然倒せる気がしない。が、まぁ、あれだ。もうやけくそだ。
ひとしきり悶えていた巨体の狼が動きを止めた。まだグルグルといっているのが聞こえる。死んだわけじゃない。当然また襲ってくる。
呼吸を整えるように、俺は深く息を吸った。なぜだか右側の痺れはどんどん遠くなっていった。
ピクリともしなかった巨体の狼が、突如ぶるっと震え、剣を握る俺の前でゆっくりと立ち上がった。ほら、当たりだ。
最初から分かってた。俺のような普通の15歳が握ったこともない剣を振るったくらいで勝てる生き物じゃない。例え握る剣に何か不思議な力があったにしても。これが現実というなら、せめて透だけでも助けたい。
ごちゃごちゃと考えている間に、青い光に照らされた白銀の狼は静かに顔をあげた。土の上を悶えまくったせいか、銀の毛は泥と血で汚れているようで黒い斑があちこちにできていた。伏せていた両の瞳が開く。
「あ……れ」
拍子抜けた透の声が後ろで聞こえた。いや、そう言いたいの俺も分かる。はぁはぁ言い過ぎで喉がからっから、だから声が出なかっただけ。
憎悪の炎を宿したような深紅に燃える瞳、その眼で睨まれると思っていた俺達が見たのは、それはそれは青く澄んだ、例えるなら真夏の空の色、だった。そして猛々しい肉食獣の狩りの気配も消えてなくなっていた。鈍感な俺にでもわかる空気の違いだった。周りに視線をやると、他の狼たちの目の色も同じように青くなっていた。
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