水巻 仁

出勤

 いつか、白馬の王子様が現れるように。いつか、子どもが大人に成長するように。

 俺はいつか、幸せになれると思っていた。



 俺が”ここ”で働くようになった理由は至って簡潔だ。お金のため、それだけだ。俺だけではない。ここにいる全員がそうだろう。

 出勤するのは勤務時間の十五分前。「ロマックス」というマンションの305号室、ワンルームの部屋が待機室となっていて、仕事の連絡が来るまでは各々が自由に過ごす。携帯で動画を見る人も居れば、パソコンで作業している人も居る。俺はいつも携帯を触るか、勉強をして過ごしている。出来るだけ、他の人と関わりたくない。こんな所にいる人間と、弾む会話なんか出来るはずがない。

 「お疲れ様です。

  ご予約が入りましたので、確認をお願いします。

  本日、20時から個室120分コース

  バックプレイ:両方希望

  S様

  確認が出来ましたら連絡をお願いします。     長野」

 スマホゲームをしていた画面に仕事が入ったことを知らせるメッセージが表示される。今やメールの代わりとなって国民的に普及したメッセージアプリを使って、店とは連絡を取り合っている。

「確認しました。」

基本的に返信はこれだけ。俺が不愛想なのではなく、入店当時に、そうするように教わったのだ。それなら既読を付けるだけでいいのでは、と思ったりもしたが、何か理由があるのかもしれないし、入ったばかりの俺に口出し出来るはずもなく、素直に従っている。

 予約の15分前には諸々の準備を済ませ、待機室から店へ移動する。地獄の120分が始まる。 

 

 ―いつもと何ら変わらない仕事を済ませ、出勤時より重たく感じる足を持ち上げてサドルに跨り、俺は帰路につく。入店してから3カ月が経つが、いつまで経っても仕事には慣れない。お金のためにやっているはずなのに、仕事が入ると憂鬱になるし、予約の無い日はホッとする。先輩たちは皆優しいし、仕事に対しても真摯で、弱音や愚痴を聞いたことがない。素直に尊敬する。それでも自分が仕事を受けた日は、なぜこんなことをしているんだろうと、負の感情を抱えてペダルを踏む。

 小学生の頃、勉強はよくできた。運動もそれなりにこなして、周囲からは、天才だと、もてはやされることもあり、自分でもエリート街道を突き進むのだと思っていた。しかし、中学生になった途端自分が凡人、いや、それ以下であることを思い知った。それでも高校は名の知れた進学校に進み、勉強に部活にと充実した生活を送ったが、それも1年で幕を閉じた。精神的な問題を抱え、通信制の学校へと転校したのだ。その後、就職し、1年間お金を貯め、その貯金で専門学校に入学し、現在に至る。

 古いアパートに着き、自転車を停めると、アパートの前にある自動販売機で炭酸ジュースを買う。予約が入った日は自分へのささやかなご褒美にしているのだ。階段を上りながら百円の甘さが体にしみたところで、自分は何をやっているのかと涙が出て反射的に上を向く。そもそも、いざとなったら体を売ればいいと本気で考えて体一つで地元を飛び出したはずなのに、実際にその時が来たらヒロイン気取りで被害者ぶる自分が嫌になる。実家に金があれば、自分がもっと優秀だったら、あのとき学校を替えなければ。もう二十歳も過ぎたのにいつまでたっても責任転嫁しようとする癖が直らない。なにもかもが嫌になる。綻んだ感情を解くことができないまま荒々しくドアを開け、そのままベッドに横たわるとすぐに眠った。

 

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