テレビ放映戦国大名総選挙その25 豊臣秀吉

島津家から見れば豊臣秀吉は憎むべき人物ですが、秀吉から見ればまた別の視点が見えてきます。


九州征伐の時に情けをかけて滅亡から助けた。

なので、朝鮮出兵とその後の明国平定に命がけで戦うのは当然の道理である。


金がない、ならば上方の優秀な徴税法を伝授するから金を工面しろ。

戦争中指示に従わないものは厳罰にしろ。


というわけで、厳しいことを言ってはいますが、何も島津家が憎いことが原因で命令を下しているわけではありません。


あくまで、対外戦争で勝利するために島津という駒を有効に使いたいというだけの話です。


しかも、実現はしませんでしたが、もし秀吉が目指す大陸での領土拡大が成功したら、恐らく島津にも莫大な恩賞を与えていたことでしょう。


この姿勢こそが彼の真の姿であり、恐ろしさだと私は感じます。

ある意味感情が希薄で大大名島津も駒にする。


しかも、扱いは駒なのですが、何か恩着せがましく妙に親切心を見せる所が実に巧妙でこの点では信長や家康よりも人の心をつかんでいます。


事実、秀吉から島津義久よりも御しやすいと重用した島津義弘は兄の義久とは対照的に懸命に秀吉のために働こうと努力していました。


そして島津だけではなく、朝鮮に渡った軍勢の士気は極めて高く、しばらくの間は連戦連勝でした。


以前も話しましたが、秀吉はチンギスハンのような征服を望んでいたわけではありません。


あくまで、戦で優位に進めた後、敵を屈服させ臣下にするのが彼の方法でした。

つまり、明を家康や毛利のようにしたかったわけです。


それも、ヨーロッパに対抗するために団結するという大義名分がありました。

小さな日本の関白が行おうとしたという点では誇大妄想ですが、同じ構想を明の皇帝や朝鮮の王が抱き行動していたらどう評価されたでしょうか。


秀吉を一方的な悪役にしないために、少し変わった見方を紹介しましたがこれはあくまで被告を弁護する弁護士的な見地の意見であり私は別の見方を持っています。


結局のところ、日本軍は秀吉と他の諸大名ほどの力の差を明に対して証明することが出来なかった。


そのため、結果として何も得ることのない、あるいは損害の方がはるかに大きい戦いをしてしまったというのが私の結論です。


さて、次の章では秀吉の晩年について淡々と語りつつ、秀吉によってもたらされた島津家の最後にして最大の悲劇と活躍を紹介したいと思います。


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