テレビ放映戦国大名総選挙その10 徳川家康

正直私個人は意外な順位でした。

第6位に登場したのは徳川家康でした。

私個人としてはベスト3かなと思っていましたので。


公式の紹介では健康オタク、医者も驚く医学の知識とあります。

あれ、どこかで聞いたような気がしませんか?

そうです、島津義弘と同じ医学に強い関心がありました。


もっとも島津義弘の場合は戦場での手当、徳川家康は日ごろからの養生と微妙に分野は異なりますが。


徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して天下を取りました。

その関ヶ原の戦いで一矢報いたのが島津義弘です。


そこだけ見ると敵と味方なのですが、実はその直前に起きた庄内の乱という島津と家臣の伊集院家との間の戦いでは、徳川家康は和睦のために汗をかき、自分の家臣を派遣したり、島津の援軍として周りの九州大名に号令を発したりしています。


つまり良好といっても良い関係で、少なくとも徳川家康は島津にそれほどの敵意はなかったように感じます。

長くなるので簡単に書きますが、当時島津長男の義久は秀吉とその勢力が嫌いでした。


それに対して、義弘の方は石田三成を通じ秀吉と付き合っていたため比較的豊臣派という位置でした。

その結果秀吉亡き後に家康と義久が接近したとしても不思議ではなかったようです。


この後、徳川家康は島津の3人の殿様、義久、義弘、忠恒というマジックのような交渉の末、島津の存続というある意味苦渋の選択をすることになります。


さて、徳川家康と島津についてはいったんこれくらいにして、次は徳川家康と大河ドラマについて書いていきたいと思います。


まず、大河ドラマで徳川家康役と言えば「津川雅彦」さんを思い浮かべる方が多いと思います。


前の章で独眼竜政宗の話をしましたがこの時の家康役もこの方でした。

演技はおとなしめで、最近の大河ドラマでの荒々しいアクティブな家康とは違う演技をしていました。


とはいえ、昔の大河ドラマの不文律としてあった同じ役者に同じ役はさせない方針を打ち破るほどに徳川家康役がしっかりあっていたと多くの視聴者に認められた人物でした。


比較的最近に亡くなりましたが、惜しい人物だったと思います。

次はもっと昔の徳川家康の大河ドラマを紹介したいと思います。








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