時宮時子の探偵事務所 ~孤島という隔絶空間にて行われた遊戯を彼らはどう攻略したのか~
詩野
Prologue
登場人物紹介
時宮時子(ときのみや・ときこ)――――――――探偵
羽都荘司(わと・そうじ)――――――――助手
望月暁(もちづき・あきら)―――――――依頼主
望月逢(もちづき・あい)――――――――主催者
明月(あかつき)くるみ―――――――メイド
亞傘大吾(あがさ・だいご)―――――――コック
皇真紀(すめらぎ・まき)――――――――元警官
佐藤悠(さとう・ゆう)―――――――――獣医
夏葵円(なつき・まどか)――――――――大学生
御伽静稀(おとぎ・しずき)―――――――賭博師
U.N.known (???)――???
―Prologue―
「やあ、いらっしゃい。我が時宮探偵事務所にどんなご依頼かな? ああ、まずは紅茶でも飲んで落ち着くといい。今日は本場のダージリンティーでね」
事務所の扉を開けると、赤いフレームの眼鏡にスーツの凛とした女性がティーカップ片手に出迎えてくれた。
「……所長、僕です」
「ごほんっ……分かっていたさ。君を試しただけだよ、
咳払いを一つして、眼鏡のズレた位置を直し、時宮探偵事務所所長、
「それとこの事務所の紅茶は一年前から徳用のティーパックです」
「それも知っているさ。だが本場と言われると何だかそんな気がしてくる――それが人間というものなんだよ」
「それはプラシーボ効果と単に所長の舌が音痴なだけです」
主に原因は後者だろうが。そして所長は「むう」と顔をしかめて、紅茶を一気に飲み干す。
「で、荘司君。調査は進んでいるかい?」
「はい。今飼い主に届けて来たところです」
ショルダーバックを降ろして、僕は所長用の椅子に腰掛ける所長と向き合ってソファーに腰掛ける。
「……もう届けて来たのか?」
「ええ。可愛がっていた猫が逃げ出して、あの老夫婦は大変気落ちしていたようでしたから。もしかして所長も触りたかったんですか?」
「い、いや。ただ万が一にも間違いがないように私がこの目で確認をしておくべきかと思ってね」
「首輪に名前が書いてありましたし、飼い主にも確認しました。間違いないとのことです。報酬もしっかりと。しかも色までつけていただいてきました――どうぞ」
依頼料の入った封筒とタッパーをソファー前のテーブルに置く。
「これは?」
所長は椅子のキャスターを滑らせようとしたが、それを思いとどまり、凛とした様子で立ち上がり、僕の隣に腰を降ろしてタッパーを手に取る。
そしてタッパーの蓋を開けるとすっぱい匂いが事務所に広がった。
「おー! おじいちゃんとおばあちゃんの手作り梅干しだ!」
キラキラと目を輝かせて、タッパーの中の梅干しを覗き込む。そんな所長を僕は横から見守る。
「所長」
「ん、ごほんっ! ……せっかくのご厚意だ。ありがたくいただくとしよう」
「はい」
また所長は咳払いをして眼鏡を直す。
「さて、荘司君。今月ももうすぐ終わりだが……」
「だが?」
「今月に入って君はどの程度働いたと思う?」
またか、と思いつつも今月の僕の仕事を正確に所長に伝える。
「
「ふむ。君はそれを聞いてどう思う?」
「依頼主はどなたもこの事務所から徒歩二十分圏内に住んでおり、さらに依頼主同士も全員近所に住んでいる。そしてその全てがペットを飼っており、依頼もそのペット、ないしは動物に関係しています。これらを総合して考えるとこの事務所一帯は動物の生息率が異様に高いと思われます」
「結論として?」
「毎度のことながら大した仕事が来ていません。どう見積もっても、このままでは所長と僕が次の一ヶ月を過ごすことは出来そうにありませんね」
一息で言い切った後、溜め息と共に残酷な結論を所長に告げる。
「その通りだ、うん……荘司君」
「ええ。構いませんよ。どうせ依頼人はいらっしゃいませんし」
「そうか」とクールに所長は頷き、眼鏡を外した。
「あーっ! いつものことだがこれはマズい! ひっじょーにマズいよ荘司くん!」
「はい」
「せめてもの救いは依頼してくれた人が報酬に色をつけてくれることだ! けれどそれだけじゃ来月は乗り切れない!」
「はい」
手足をジタバタと振りながら所長が嘆く。
時宮探偵事務所の月末はいつもこんな感じだ。
◆
所長、時宮時子さんがこの探偵事務所を開いたのは去年の春だったという。
二十代前半(と僕は見積もっている)の彼女は以前は普通のOLで、仕事ぶりは優秀、職務態度も良好だった、と以前事務所にイグアナ探しを依頼しに来た元同僚の方が話してくれた。
そんな彼女が何故? という僕の疑問には尋ねるまでもなく、本人が話してくれた。
「私の昔からの夢でね。諦めきれなかったのさ」
と語る彼女のクールな言葉とは裏腹に、その瞳は輝いていた。きっと誰かに話したくて仕方なかったのだろう。
そうして事務所を開き、一年後。僕、羽都荘司がこの事務所にやって来た。
大学中退の僕なんかを置いてくれていることには感謝しているし、こんな御時世でも夢を諦めない姿勢は尊敬に値するとは思う。
だが、彼女はこの仕事に向いていない。
生まれも育ちも探偵などとは無縁であるし、経営者としても無知である。フィクションの探偵たちのような類い希な頭脳も特別なスキルも持ち合わせてはおらず、性格も冷静沈着、他者を寄せ付けない孤高の麗人、を装ってはいるが実際は温厚篤実、根っからの善人。悪人など世界に居ないと信じて疑わない、と説明されたら信じてしまいそうだ。しかもそれを隠すことも欺くことも出来ない程に嘘が下手。
よって、彼女はこの仕事に致命的なまでに向いていない。
――なのに。事件はそんな彼女を目指して悪意と共にやって来る。
◆
「『推理ゲーム』?」
翌日、それも早朝から時宮探偵事務所に来訪者があった。ちなみに事務所は所長の自宅も兼ねているのだが、来訪者に気付かず寝こけていたので僕が出勤するまで来訪者――
そんな彼女を僕が事務所に迎え入れ(事務所の鍵は所長から預かっている)、徳用の紅茶を出して、先程起こした所長が身支度を終えてやって来るのを待つ傍ら、話を伺っていた。
「はい。我が主が是非時宮様にアドバイザーをお願いしたいと」
会った時から笑みを一瞬たりとも絶やさぬ明月さんに対して、僕の表情は曇っていた。尤もポーカーフェイスであることを常に義務付けている僕なので、傍から見ると無表情だろうが。
「はあ。つまり所長を名指ししての御依頼ということでよろしいんですね?」
「はい。そうなります」
「我が主、とおっしゃっていましたが、ご依頼なさる方は明月さんではないということでしょうか?」
「はい。本当は主ご本人が直接いらしたかったようですが、都合がつかなかった為に僭越ながら私が代理で参りました」
寝起きの所長にも分かるようにまずここまでの話を整理しておこう。
・依頼の内容は依頼主が参加する『推理ゲーム』への、時子さんによる助言。
・『推理ゲーム』とは依頼主の仲間内で一年に何回か開かれている好事家たちの遊びであり、その内容は当日まで不明。
・ゲームの内容を考えるのは主催者である前回の『推理ゲーム』の勝者である。
・参加者も毎回不明だが、基本的に十人にも満たないらしい。
・『推理ゲーム』の舞台は何か所かあり、基本的にそれを周回していく。今回は依頼主の屋敷で行われる。
「では確認の為に質問をよろしいですか?」
「何なりと」
「依頼の内容はあくまで助言、でよろしいんですね?」
「はい。主に代わりゲームに参加していただくことはありませんし、また、主の勝利を約束しろ、というわけでもございません」
僕の弱気な質問にも明月さんは笑顔で回答する。とりあえずの予防線は張っておきたかったので、ありがたい限りだ。
「依頼をお受けするかどうかは所長に一存していますが、もしもお受けすることになった場合、助手である僕も同行することになりますが、それは?」
「勿論構いません。探偵に助手が付くのは当然のことですから」
勿論嘘だ。僕は所長の助手ではなく、この事務所に所属する探偵である。
「分かりました。ではそろそろ所長の準備も整う頃ですので、後は所長を交えて、ということで」
所長が現れたのはそれから十分ほど後のことだった。
「すまない。随分と待たせてしまったね」
「時宮様がお気になさることではございません。私の方がきちんと時間を調べてからお伺いするべきでした」
「ふふ、何せ小さな事務所だ。時間どころか此処まで来るのも土地勘がない者には一苦労だっただろう?」
大人の笑みを浮かべながら所長が僕に目配せする。自分にも紅茶を淹れろと言いたいらしい。僕は黙って立ち上がり、若干冷めてしまった湯をカップに注ぐ。
「……やれやれ、怒っているのかい? 温いお湯ではせっかくの葉が台無しじゃないか」
ああ、と顔を覆いたくなったがそれを耐えて再び席に着く。
「さて、そうだな。まずは改めて自己紹介といこうか。私は時宮時子。見ての通りのしがない探偵だ。彼は――」
「僕は既に済ませていますので」
嘘を暴かれるのは好きではないので、紹介を回避。そして改めて明月さんが所長と僕に言う。
「明月くるみ。見ての通りのしがないメイドにございます」
後の所長の言い訳は「メイドはメイド服を着て初めてメイドになれる」だった。
◇
「所長」
「な、なんだい……? もしかして緊張しているのかな? と、遠出するのは久しぶりだからね……」
「いえ、船酔いの薬がありますが、飲みますか?」
「……いただくよ」
すっかり船に酔い、顔を青くする所長に薬と水を渡しながら尋ねる。
「受けてよかったんですか?」
無意味な質問と分かっているが、一応聞いておく。……今更過ぎる質問だと、自分でも分かっているけれど。
「ん、くっ……ふぅ。確かにゲームの助言役なんて探偵がするべきではないのかもしれない。けれど、どんな依頼であれ、誰かに頼られるというのは嬉しい。頼られたからには態度と行動で応えなければね」
……まあ僕としても、毎月のように給料の半分以上が所長個人の口座から引き出されているという事実には心を痛めてしまうので、依頼があれば全身全霊で取り組む所存なのだが。
所長の背中をさすりながら、まだ見えない目的地を探して視線を海に彷徨わせる。明月さんの来訪から三日、僕たちは「推理ゲーム」の舞台である孤島を目指す船旅の最中に居た。
「ああ、薬を飲んだらだいぶ良くなった……」
……いくら効きが早い薬だからといっても、こんなに早く効き目が出るはずはないが。
「しかし孤島が舞台とは、随分と本格的だな」
「そうなんですか? 確かに『推理ゲーム』というとネット対戦のイメージがありますけど」
「え、そうなのかい?」
「え?」
首を傾げる所長と顔を見合わせる。普段は鋭い切れ目も、今は船酔いのせいでそんな余裕がないのか、ぱっちりと開かれている。
「それは……そうだと思います。でなければ普通の人間がそう手軽に出来るものじゃないですし」
実際にプレイしたことがあるわけではないがゲームでわざわざ手軽な謎を推理する、というのは面白くないだろう。ネットなら誰が死のうと殺そうとそれは画面の中の話であるし、今回のように、所長の言うところの本格的な『推理ゲーム』だってこれだけの舞台を用意し、探偵まで雇っているのだ。なら起きる事件もまた、本格的で、非日常的なものであるはずだ。
「明月さんの話を聞く限り、今までの『推理ゲーム』もそうだったみたいですから。脱出ゲームのような時もあれば、他人を殺して生き残るバトルロワイヤル、主催者が起こした事件の犯行方法を暴くものや共犯者を見つけるもの、と随分凝ったゲームみたいです」
「ふむ……」
青いまま思案顔になり、顎に手を当てる所長。けれど今の所長にはどちらかというと頬に指を当てるポーズの方が似合いそうだ。などと横目で所長を見ながら僕も思案する。
この『推理ゲーム』は舞台と登場人物――明月さんからも分かるように、言ってしまえば金持ちの道楽だ。依頼主が直接訪れなかった理由を信じるならば暇を持て余した、というわけではないだろうが、いずれにしても物好きな遊びである。僕個人としては面白くない。大人の遊びに付き合って金を貰うこともだが、所長を指名したことが何より気に入らない。
別に僕が指名されなかったことに憤慨しているわけではない、僕には探偵としてのプライドも矜持も所長と比べるまでもなくちっぽけだ。けれど僕は所長を指名した理由を邪推して苛立っている。こんなゲームを企画して、探偵まで雇う人間があえて所長を指名した理由――
「あう、また酔いが……」
この情けない所長が右往左往する様を眺める為ではないかと僕は邪推してしまう。動物探しも浮気調査もまともに出来ないこの人にはどうしてかそういった悪意が付きまとうのだ。後ろ指を指されながらも必死に探偵であろうとする彼女には。……この人はそんなこと、気付きもしないし気にもしないのだろうけど。
「船酔いかい?」
「ええ、頭脳明晰見目秀麗の所長なんですが、乗り物にだけは弱くて」
僕の不安を余所にうんうんとうなり続ける所長を見て、同乗者が声を掛けてきた。
「はっはっは、欠点があるからこそ、優秀な面が輝くんだよ。ワトソン君」
「……そのあだ名は僕には重すぎるのでやめてもらえますか、
所長と僕、そして明月さんを除けばこの船の唯一の同乗者――即ち『推理ゲーム』の参加者、
「かく言う私もゲームが苦手でね、参加者の中で私と君たちの依頼主さんだけが未だに一勝もしていない。今回で私だけになってしまうのではないかと気が気でないよ。だからこそ不戦勝だけは避ける為にこうして大急ぎでやってきたんだ。ぎりぎり間に合ってよかったよ」
「いえいえ、あくまで僕たちは助言役。ゲームバランスを崩すような存在ではないですよ。ですから徒労ということにはならないでしょう」
皮肉でも何でもない純然たる事実を告げるが、皇さんは「それはありがたい」と笑うばかりで意味は伝わらなかったようだ。
「けど今回はもしかすると今までで最高の難易度かもしれないよ」
どういう意味かと尋ねる前に、所長が皇さんに気付き、目を白黒させた。
「うう……ん、ん?」
「やあ、大丈夫かい? 時子さん」
「あ、ああ。どうも船は苦手でね。見苦しいところを見られてしまったな」
女探偵のメッキを塗りたくり、所長が皇さんに応対する。
「なに、時子さんのような凛々しい女性のレアな一面を会ってすぐに見ることが出来たんだ。どうやら今回の私はついているらしい」
「ふふふ、なら私はあなたの運が尽きないように気を付けなければならないね」
傍から見ればそれは美しい女性たちの談笑か、或いは『推理ゲーム』の前哨戦にしか見えなかっただろう。しかし僕から見れば所長が一方的にからかわれているようにしか見えない。これが本物との差なのだろうか。
「皆様、そろそろ島が見えてまいります。ご支度のほど、よろしくお願いします」
いつの間にか後ろに立っていた明月さんがそう告げる。その言葉通り、島がゆっくりと近づいていた。
「お互い頑張るとしよう」
「お手柔らかに頼むよ。依頼主には勝利をプレゼントしたいからね」
「それは君たちの手で勝ち取るものだろう?」
「ふふ、違いない」
短い会話の中で完璧にメッキを完成させた所長が凛とした眼差しで島を見る。その横顔を眺めながら、僕は何事もなくこの『推理ゲーム』が終わることを願っていた。
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