太鼓判を押してくれたから

「じゃあ早速だけど今から囮になってちょうだい」


 ――は? いきなり何を言い出すんだこの女。


 俺が呆気に取られる間もなく、彼女は矢継ぎ早にこう言ってきた。


「あーもうじれったいわね、今から特大魔法ぶっぱなすから守んなさいって言ってんの」


 最初からそう言えばいいのに。


「でも、どうやって?」


「その足で敵の注意を引きつける以外の取り柄があるなら言ってみなさいよこのノータリン」


 ――走るのをやめたのに、なんで異世界に来てまでそれを求められるんだ。


 赤竜の怒りの咆哮に思わず耳を塞いだ。地面が振動し、洞窟の天井から落ちてきた小石に頭を小突かれる。

 

 ――とはいえ、戦況は逼迫しているようだし、このまま何もしないって訳には……まぁ遠くからテキトーに走って気を引くだけなら何とかなるか。


「じゃ、じゃあ取り敢えず、そのへんランニングするつもりでやってみるよ」


「できれば前線に行って攪乱してもらいたいんだけど、この呪文、詠唱に時間かかるのよねぇ、万が一ってこともあるし……あれ? あ、ちょっと待ちなさい!」


 行きかけたところで立ち止まり、振り返る。彼女の表情が先ほどまでとは打って変わり、青ざめていることに気がついた。


「どうしたの?」


MP魔法力が枯渇しちゃったわ……」


「……ええっ!?」


「し、仕方ないじゃない! アンタ喚び出すのにどんだけMP使ったと思ってんのよ!」


「だから俺のせいじゃ……」


「まーいいわ、あそこのホビット分かる?」


 彼女が突き出した指の先を辿ってみると、ここからおよそ100メートルくらいの距離にそいつがいた。ひとり敵の攻撃に怯えながら縮こまっている。


「私が詠唱してる間に、あの隅っこでガタガタと震えるしか能のない茶坊主取っ捕まえてエリクサー魔法力回復薬もらってきてちょうだい」


 いたって簡単な用事だ。その中間地点に赤竜さえいなければの話だが。


 消極的思考を読まれたのか、彼女が俺の額に杖を押し付け、


「さっきはああ言ったけど、アンタひとりを五回消し炭にするくらいの魔力はまだ残ってんだからね」


 危険を察して身を離した瞬間、杖の先端部分に電流が迸る。本気で殺す気だったようだ。


 もう一度現場を確認してみる。


 よく見れば、竜が吐いた炎の残火がそこかしこに散らばっていて、ちいさいながらも勢い衰えずに燃え盛っている。今更ながら熱気を覚え、汗が耳の裏筋を通って流れ落ちる。不意に何かが焼け焦げる臭いが鼻をついた。


「行く前に何か防御魔法みたいなの唱えてくれるとありがた……」


「わかったらさっさと取ってきなさああい!」


 彼女の全身が放電しはじめたのと同時に目的地へと向かって走る。が、どういうことか、逆に例のホビットがぐんぐんとこちらに向かってきた。ぶつかる直前におもいっきり踏ん張って急停止する。


 途轍もない速さ故の錯覚だった。走った感覚すら覚えない。


 ――これが、ダッシュの力。


「あの……あなたは?」


 例のホビットが泣きそうな声でそう訊ねてきた。ずんぐりむっくりとした小さな体に不釣り合いなバックパックを背負っている。


「あ、リコルに頼まれてきたんですけど、エリクサーを貰いに来ました」


 ホビットがバックパックを肩から下ろし、中身を漁りはじめだしたその時、


「リコルそっちに行くぞッ!」


 その声に振り向いた瞬間、赤竜の口から火球が放たれる。


 反射的に地を蹴った。


 周りが止まって見えるほどのスピードが瞬間的に生みだされ、あっという間に火球を追い越した。ところが、急に足が痛みだし、速度がガクンと落ちてしまう。


 火球が俺の頭上をゆっくりと追い越していく。ダメだ、このままで間に合わない。


 ――なんでこんな時に!


 いつもこうだ。本番になるとなぜか急に足が痛みだす。もういい加減うんざりだ。金輪際走ることなんて辞めてやる!


 と諦めかけたその時、彼女が言ってくれた言葉を思いだした。


 ――ステータスは嘘をつかない。アンタは心身ともに健康体よ。私を信じなさい。


 どこからともなく力が漲りはじめ、次のコンマ一秒に達するまでの速度がグンと跳ねあがる。


 痛みが消えた。そうか、あの痛みは俺の思い込みだったんだ。先生がずっと俺の起用に拘ったのは、そのことに気づいていたからだ。それなのに俺は、俺は――、


「うおおおおおおッ!」


 最後に見た彼女の姿は火球に塞がれて見えなかった。

 そこからはもうがむしゃらで意識はぶっ飛んでいた。


 果たして――、


「いたた……ちょっとなんなのよ急に! いくら私が魅力的だからって押し倒、――ッ!」


 彼女は上半身を起こしながら状況を理解したようだ。俺の下半身に纏わりついている炎を何かしらの魔法で打ち消したあと有り様を確認して絶句する。衣類は焼き焦がされてズタボロになっていた。意識が朦朧としてほとんど痛みを感じなくなっている。とにかく彼女を守る事ができて、良かったと思う。ランナーとしての面目躍如といったところか。


 両足を失い、二度と走れなくなってしまったが。


「あ、アンタ……なんで……」


 なけなしの力を振り絞って顔をあげた。霞んだ目に、彼女の泣いている姿が映し出される。


「ごめん……エリクサー持ってくるの、忘れた」


「そんなのどうだっていいわよ! なんでこんなマネするのよ!」


「あんたが……太鼓判を、押してくれたから」


 彼女のお陰だ。

 最期にトラウマを克服する事ができただけでも良しとしよう。


 リコルは涙を拭いながら、


「意味わかんないわよ! バカ、ほんとバカよアンタ……あんな炎、私にかかればへっちゃらなのに」


 そこで彼女は何かを思い立ったらしく、俺を仰向けにして両膝に乗せ、呪文を唱えはじめた。ありったけの魔力を消費して、回復に充てるつもりなのだ。しかしやはりと言うべきか、赤竜がこちらに向かって無情とも思える火球攻撃を仕掛けてくる。


「リコル、逃げろ……」


「私の行動は、私が決めるの!」


 彼女がそう言って杖を掴み、天井へと突き上げた次の瞬間――、紫色の障壁が周囲に張られ、目の前に黒い渦のようなものが現れる。その穴の中からひょっこりと出てきたのは、見覚えのある顔だった。ズシンと耳に響いた振動と音が、火球が障壁によって防がれたことを物語っている。


 ゴブリン親父だ。


「あっちゃー、兄ちゃんそれいくら何でも羽伸ばし過ぎやで。死にかけとるやんけ」


「あ、タヌキ親父!」


「お、誰やおもたら嬢ちゃんかいな。どや儲かってまっか?」


「アンタのせいでこっちは、」


「まーまーそんな事よりもワシこの兄ちゃんに用があんねん」


「はあ? 私の使い魔をどうする気よ!」


「アッチの世界に連れて帰るんに決まっとるやろ。嬢ちゃんとはここでお別れや」


「な、なに言ってんのよ! 戦いはまだこれから、」


「ホイ」


 とゴブリン親父が彼女に投げ渡したのは、水色の液体が入ったガラスの小瓶だった。


「兄ちゃん守ろうとしてくれた礼や。あとはそれでどないかし」


 情報量の多過ぎる、瞬く間の出来事だった。俺は助かるのだろうか。


「さ、そろそろバリア消えるさかい帰るで。兄ちゃんワシの肩に掴まれるか? 向こう着いたら治したるさかいちょっとだけ辛抱せいよ。どっこいせっと」


 親父の肩越しに彼女と目が合った。


「リコル、ありがとう……」


「れ、礼を言うのはこっちよ! その……ありがと」


「あの竜、だいぶ怒ってるみたいだけど、大丈夫?」


 彼女はその問いに、意志のこもった眼差しを俺に向け、こう答える。


「フン、私を誰だと思ってんのよ。天才ハイエルフ召喚士リコル様よ!」



 目覚めると異世界屋のベッドの上だった。



「お、気づいたか。ホレ、これ飲んで落ち着き」


 差し出された飲み物を受け取って起き上がる。


「ひょっとして、夢だったの?」


「アレ見ても夢や思うか?」


 個室に立てかけられたハンガーラックに半焼けにされた学生服が掛かっている。足を見るが、元通りになっていた。傷もなく、痛みも感じない。


「どや、異世界おもろかったやろ」


 すべての出来事が思い起こされる。

 巨大な赤竜。他種族の混成部隊。ホビットの少年。そして、獣耳エルフ。


「うわ、きっしょ、なにわろてんねん」


「いや、なんかもう色々とヤバすぎて……アハハ」


「お、最初うた時は自殺するんちゃうかって顔しとったけど、元気出て何よりや。人助けするんもたまにはええモンやの」


 ――ああ、そうか。だからこの人は、わざわざ俺を異世界に……ありがとう、おじさん。


 一頻り笑ったあと、


「ちなみにこの足、どうやって治したんですか?」


「ンなモンあの羽根に決まっとるやろが」


「え、でもあれ100万するんですよね?」


 ゴブリン親父は態度を急変させ、


「そーや、兄ちゃんのお陰で大赤字コイてもたわ、どないしてくれんねん。払えんのやったら親呼んで弁償してもらおか」


「じゃあ俺、変な所に連れられて殺されかけたって警察に言います」


「ちょ、ウソやん兄ちゃん。特別に50万にまけたるさかい、な」


「100円」


「ワシに首吊れ言うとんと同じやんけ!」


 店を後にするとき、また異世界に行くことは出来るのか、と一瞬口に出そうとしたが、やめておいた。これが最初で最後になるということを、どこかで感じていたからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る