転生したけど悪役令嬢がなんか違う
詩野
第1話
「そんなの……そんなのありえないです!」
昼下がり、食堂に震える叫び声が響き渡る。
昼食を終え、雑談に興じていた学徒たちが何事かと声の主を探して視線を彷徨わせ、すぐに食堂の出口にその下手人を捉えた。
尻もちをついた茶髪の生徒と、片膝をつき、手を差し伸べる赤毛の生徒。
二人の女子生徒がどちらかの不注意からか、食堂を去ろうとしてぶつかり、こけてしまったのだと容易に想像できる図。
怪我をした様子も身に着けたマントや中の学生服が汚れた様子もない。それだけならば何をそんなに騒ぐ事があるのだろうかと疑問を抱くだろうが、周囲の学生たちのほとんどは疑問符ではなく、不愉快そうな表情を浮かべていた。
「……申し訳ありません。私の不注意で貴族様にこのような。お怪我はありませんか。御召し物に汚れはありませんか」
膝を着く、黒髪に赤毛の混じった生徒が抑揚のない声で自身の不注意を詫び、茶髪の生徒を気遣いながら手を差し伸べる。
しかし茶髪の生徒はその手を取る事もなく、ただぶつぶつと何事かを呟くばかり。
「だから平民なんて入れるべきじゃなかったんだ」
「入学初日から貴族に粗相を働くなんてな」
「学院の質が下がると父上が嘆いていたがその通りだった」
果たして誰だったのか、一人が口にした言葉を皮切りに周囲の生徒たちが口々に明らかな嫌悪を含んだ言葉を発し始めた。
叫びによって沈黙していた食堂が二人の周囲から騒めき始める。
それでもなお、茶髪の生徒は俯くばかり。その言葉が耳に届いている様子はない。
黒髪の生徒は言葉こそ届いているだろうが、顔色を変える事もなく無表情を貫いていた──が、やがて立ち上がり、俯き続ける生徒の隣へと歩を進めた。
「重なる無礼をお許しください。ですがまずは医務室に」
「……え?」
謝罪の言葉を重ね、黒髪は茶髪の生徒の膝と背を支え、抱き上げた。
小柄で華奢な体格、男子であれば抱え上げるのに苦労はしないだろう。
だが今抱える黒髪もまた、彼女と同様かそれ以上に華奢な細腕をしているにもかかわらず、まるで羽のように軽々と抱き上げていた。
その様子にさらに食堂は騒めきを増すが、黒髪はそれを無視して小走りで食堂を出て行った。
「え、あ、あの……」
食堂を抜け、廊下に出て暫くして、ようやく抱きかかえられた生徒が会話の為に言葉を発する。
「やはりどこか痛みますか」
「い、いえ、全然まったく」
「良かった。けれど念の為このまま医務室までお運びします。私の沙汰はその後で」
「は、はい……」
恐る恐るといった様子で自身を抱え上げる女を見上げ、すぐに顔を背ける。
その後は借りてきた猫のような大人しさで腕に収まった。
やがて二人は廊下の一番端にある医務室へとたどり着き、しっかり掴まっているように伝えると片手を離して扉を開く。
担当の教師はいないようだった。抱えた彼女をベッドに優しく下ろし、念の為にも一度診てもらおうと教師を呼びに踵を返した女の、自身の物と比べれば随分と生地の傷んだマントの端を彼女が掴んだ。
「あ、あのっ、本当に何ともないですから!」
慌てた様子で引き留める彼女に、黒髪は僅かに躊躇い、そうですかと頷いた。
「平民の私に貴族様に働いた無礼を償えるかは分かりませんが、私に出来る事があれば命じてださい」
そして変わらず無表情のまま、ベッドに座る彼女に向き直り、膝を着いて頭を垂れた。
食堂での負の視線と騒めきはそれが原因だった。
頭を垂れる女は平民であり、見下ろす彼女は貴族。
平等を謳う学院であっても身分の差は覆らない。それが今の王国であり、数百年続く身分制であり、貴族社会。決して超えられない壁が貴族と平民には存在していた。
「いやいやいや! 頭を上げてくださいっ! セシル様が私如きにそんな事をされる方が大問題ですからっ!?」
にも関わらず、彼女は慌てた様子で手と首を振った。
平民の名を知っている事に驚きはない。女の名は悪い意味で有名だ。
だが何故、貴族が平民を敬称で呼ぶのか。
俯いた顔の下、女の無表情が崩れる。感情を宿していなかった瞳に、困惑が浮かんだ。
「セシル様……セシルリア様がセンティリア公爵令嬢ともあろうお方が男爵令嬢如きに頭を下げるなんて噂にでもなったら私の家が取り潰しに──」
その困惑が警戒に変わるのは一瞬。
女が立ち上がるのもまた、一瞬だった。
「ぐえっ!?」
粛々と斬首を待つ囚人のように頭を垂れていた女はもう眼下にはいない。
見下ろしていたはずの彼女の視界は、いつのまにか女を見上げていた。
ベッドに押し倒されているのだと知るのと、首を腕に押さえられた苦しさに気付くのは同時だった。
揺れる視界にはやけに高い天井と冷たく鋭い瞳をした女の顔が見える。
「あんた、誰だ」
先程までの言葉だけの恭しさは存在しない。
言葉も、声も、表情も、瞳も、冷徹さだけが浮かび、乗せられている。
「セシルリア様ッ、苦しっ……」
「私はただのセシル。どうして公爵家の名前が出てきた」
「何をッ、言って……っ」
首を押さえる力は弱まるどころか、より強く込められていく。
息苦しさから視界が滲む。どうにかそれを止めようにも、彼女の非力な腕ではこの拘束から脱することは不可能。
どうにか止めようと言葉を搾りだそうとしても、そもそも彼女は何故セシルに首を絞められているのかすら分かっていない。
「答えないならこのまま絞め殺す」
冷淡に告げられた言葉に、彼女は自身の生が此処で終わる事を察し、理解出来ないまま、けれどあっさりと諦め、瞳を閉じた。
そもそも今が奇跡、夢のようなもの。であれば覚めるのも唐突で、理不尽なものなのだろう、と。
「……私は知らない。あんたは一体、誰だ……?」
意識が闇に落ちる直前、彼女が見たのは今にも泣き出しそうにも見えるセシルの顔。
遠退いていく意識に届いたのは不安を隠しきれない、そんな声だった。
◇◆◇◆
男爵令嬢、レイラ・モンテグロンドは転生者である。
前世ではゲームとして語られていたこの世界を舞台にした物語を何周も
一年前、幼馴染と共に魔物に襲われた際、前世の記憶が蘇った。
そして自身がゲームの主人公であったレイラ・モンテグロンドその人である事を悟り、原作キャラたちと親交を深めていくことを誓ったのだった!
……いや誓ったわけではないです。
原作には滅茶苦茶ハマったし、私がレイラだったら~、なんて妄想をした事もある。
だけど、だけども! ゲームでレイラを操作するのと実際にレイラをやるのではまるで違うの!
アル×レイ(※原作メインキャラクターであるアルベルトと主人公レイラのカップリング)とかクラ×レイ(※原作メインキャラクターであるクラウドと主人公レイラのカップリング)とか全ルートクリアして楽しみつくしたけど!
一人称のゲームであっても決してプレイヤーとレイラは同一視できるものではなくて、私が操作してた
レイラみたいな人畜無害ででも芯は強く持っていて無垢な心で貴族としての身分は低いけど王族や平民からも好かれて誰からも愛されて──なんて私じゃないでしょ!
仮に原作みたいに誰か特定ルートに入ったとしてもあれはレイラとの絡みだから尊いのであって中身が私じゃ台無しだよ!
……と、嘆いたのも今は昔。
確かに原作主人公であるレイラに転生したとはいえ、原作ゲームをなぞる必要はない。
この世界はいわゆる剣と魔法の世界ではあるけれど、原作は世界を救う物語ではなかった。ルート通りの人生を歩まずとも世界が滅んだりするわけではない。
であれば無理に超絶イケメン原作キャラクターたちと共に歩むルートに進む必要はないのだ。
むしろ下手に原作ルートに進んでバッドエンドになってしまう方が問題だ。世界は滅びなくてもレイラの人生が破滅してしまうような死亡エンドとか鬱エンドには事欠かなかったし、攻略するキャラクターによっては命の危険に晒されるルートも多い。
というか命の危険に晒される事でキャラクターとの親睦を深める展開がほとんどだ。
となるとむしろ原作ルートの事なんて忘れて普通のド田舎男爵令嬢レイラとしての人生を送る方が平和で平穏!
原作知識と前世知識を使えば王族だの大貴族だのと関わりにならなくとも安定した人生を送る事だってできるはず。
ロマンチックライフよりもスローライフの方が私の性にも合ってるしそうしよう、と割り切るのは案外早かった。
適当な前世知識を利用してモンテグロンド家の財政を潤して、そのまま男爵令嬢として生きるも良し、いっそ平民落ちしてしまうのだって私には何の抵抗もない。
それならまずは手ごろに石鹸とか作って衛生面での改善かな? それとも農耕関係かな? 農業に詳しいわけじゃないけど二毛作とか痩せた土地にはじゃがいもが良いとかぐらいの知識は小説とかゲームとかで持ってるし、などと甘い考えで私は街に繰り出した。
結論。やだ、この世界の文明レベル高すぎ……?
いや決して高いわけではないのかもしれないけれど、私が考えていた剣と魔法の世界と比べると随分と近代的というかなんというか……。
まず農業関係。二毛作や三毛作は当然のように行われているし、世界観に合わないから存在しないとばかり思っていた米も数は少ないものの普通に栽培されていた。後、紅茶を飲んでいるイメージだったのに珈琲豆も流通していた。というか男爵家の領地での主な特産品だった。
それに石鹸もあればシャンプーにリンスもあるし、私に知識がないから無理だなーと思っていた飲み水関連も整備されていた。
田舎ではまだ井戸水や川から水を汲んでいる地域も多いが、王都を中心に上下水道の整備が進められているらしい。
しかも王都の一部では実験として電気工事も進められているとか。
えー……普通こういう世界って魔法のランプとかそういうのじゃないの?
それ以外にも現代っ子から見て不便な所を探してみても驚く程少ない。まあ私が普通の現代っ子かと言うと違うけども。
勿論、スマートフォンとかパソコンとかはないけど、娯楽以外では本当に不便が少ない。
そういえば私の記憶が戻る数年前から一気に文明が発展していたような気がする。
たとえば記憶が戻るずっと前、五歳からレイラがつけていた日記。これが十歳の頃から羊皮紙から繊維紙? というのに変わっていた。
それに合わせて筆記具は羽ペンのままだけど、見た目の変化こそ少ないがインク壺につけるタイプの物からボールペンのようなインク内臓式の物になっている。
貴族社会では消しくずがみっともないという理由で好まれないが平民の間では鉛筆が一般的な筆記具として流通しているそうだ。
……いやまあその辺りは仕組みも作り方も良く知らないから、仮につけペン式のままだったとしても新しく開発なんて出来なかったのだけど。
とにかく、調べれば調べる程、このファンタジーらしからぬ世界観に驚かされた。
う、うーん。原作ではほとんど描写されないか、されていても読み流してしまっていた世界観設定だが、こういう風になっていたなんて。
いかにもファンタジーらしい部分もあるにはあったが、それは貴族制度による差別や異人の奴隷などといった、一介の男爵令嬢ではどうすることも出来ないファンタジー世界の闇の部分。
その辺りはせめて私自身は偏見や差別意識を持たないようにする事しか出来ない。記憶を失う前の原作主人公らしく心優しく偏見を持たない私でさえ、貴族制度や奴隷制度という法や制度そのものには疑問を持っていなかったようだし。
……技術チートとかしてみたかったなあ。いやいや、こうして駆け回れるだけでも十分楽しいんだから高望みしちゃいけない。
ともかく、そういった知識が当てにならない事を知った私。
このまま原作ルートを外れれば何の強みもない私は政略結婚とかありがちな人生を送ることになってしまう。
お見合い結婚はありだと思うけど、やっぱりある程度は相手を選んで自由恋愛をしたい。
というわけで原作知識を生かしていく方向にシフトした。
原作のレイラは共通ルート終盤で必ず発生するイベントで治癒魔法に目覚める。ゲームのキャラクター紹介なんかでも『心優しき癒し手』なんて呼ばれていた。
治癒魔法の使い手というのはこの世界では結構貴重な存在らしく、レイラが原作キャラクターたちに一目置かれる事になる理由の一つでもある。
その目覚めを早めることにしたのだ。
治癒魔法に目覚めるイベントではとあるキャラクターを救えず、それに絶望したレイラを慰めにきてくれたキャラクターとのルートが確定する。
だけど今から治癒魔法を練習すればそのキャラクターを救えるはず。そうすれば原作キャラクターのルートに確定で進むという事はなくなるはず。
本来救えないはずのキャラクターは女の子だから救っても、まさかの百合ルートに進む事がない限りは恋愛には発展しない。
そのキャラに恩を売る事が出来れば自由恋愛をしつつ、それなりの将来が約束されるかもしれない。
なんたって
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