①
喫茶店には、私しか客はいないようだった。
音楽はなく、通りを歩く人の声や足音が扉越しに微かに聞こえる程度の静寂。
まだ熱いコーヒーを少しずつ啜っていると、ドアベルが鳴る。
「トーコさん、待った?」
「そんなに。十五分くらいです」
「ごめんね、バスが遅れてて」
彼は息付く間もなく鞄を開け、その中から小さな箱を取り出した。
鉤形の金具がついた、ファンタジーゲームに出てくる宝箱のような形をしている。
「直ったよ」
そう言って鼎さんが開けた箱の中にはアンティークの腕時計が鎮座していた。
端が丸くカーブしている風防ガラス。
先端が輪形にデザインされた、焼いたような真鍮のブレゲ針。
文字盤を彩る数字のインデックスも同じく真鍮でできている。
その下方にまた小さな文字盤があり、これが秒針の役割を果たしている。
スモールセコンドと言うらしい。
「巻いていい?」
「どうぞ。ゆっくり巻いてあげて」
箱から小さな時計を出し、側面の竜頭を動かしてやると連続的な動きで秒針が進んでいく。
時計をテーブルに置くと機構の音が微かに聞こえた。
ここまで音が響くのは珍しいらしい。
「見る?」
脈絡なく、ぽん、と問われる。
私がぼうっとしていると、鼎さんは腕時計を手に取った。
金属の爪のような工具を縁の隙間に差し込み、てこの原理で押し上げると軽い音と共に裏蓋が外れる。
「あぁ」
思わず感嘆が洩れた。綺麗に磨かれた
テンプが規則正しく動き、歯車を動かしていく。
「ここに嵌ってるのが軸受け」
鼎さんは指で赤い石をいくつか指していく。
「ルビーでしたっけ」
「そう。金属の部品だと摩耗が激しいから、って話はしたっけ」
「今はほとんど人工のものが使われているところまでは聞きました」
うんうん、と頷き、鼎さんはまたムーブメントに目を戻す。
「あー、ええなぁ」
「綺麗ですね」
目の前の機械、店内、扉の外の音が幾重にも層になって、もはや世界はここに凝集されたような錯覚に陥った。時が穏やかに、確実に流れていく。
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