喫茶店には、私しか客はいないようだった。

 音楽はなく、通りを歩く人の声や足音が扉越しに微かに聞こえる程度の静寂。

 まだ熱いコーヒーを少しずつ啜っていると、ドアベルが鳴る。

「トーコさん、待った?」

 かなえさんは若干息を切らして私の前に座った。

「そんなに。十五分くらいです」

「ごめんね、バスが遅れてて」

 彼は息付く間もなく鞄を開け、その中から小さな箱を取り出した。

 鉤形の金具がついた、ファンタジーゲームに出てくる宝箱のような形をしている。

「直ったよ」

 そう言って鼎さんが開けた箱の中にはアンティークの腕時計が鎮座していた。

 端が丸くカーブしている風防ガラス。

 先端が輪形にデザインされた、焼いたような真鍮のブレゲ針。

 文字盤を彩る数字のインデックスも同じく真鍮でできている。

 その下方にまた小さな文字盤があり、これが秒針の役割を果たしている。

 スモールセコンドと言うらしい。

「巻いていい?」

「どうぞ。ゆっくり巻いてあげて」

 箱から小さな時計を出し、側面の竜頭を動かしてやると連続的な動きで秒針が進んでいく。

 時計をテーブルに置くと機構の音が微かに聞こえた。

 ここまで音が響くのは珍しいらしい。

「見る?」

 脈絡なく、ぽん、と問われる。

 私がぼうっとしていると、鼎さんは腕時計を手に取った。

 金属の爪のような工具を縁の隙間に差し込み、てこの原理で押し上げると軽い音と共に裏蓋が外れる。

「あぁ」

 思わず感嘆が洩れた。綺麗に磨かれた動作機構ムーブメント

 テンプが規則正しく動き、歯車を動かしていく。

「ここに嵌ってるのが軸受け」

 鼎さんは指で赤い石をいくつか指していく。

「ルビーでしたっけ」

「そう。金属の部品だと摩耗が激しいから、って話はしたっけ」

「今はほとんど人工のものが使われているところまでは聞きました」

 うんうん、と頷き、鼎さんはまたムーブメントに目を戻す。

「あー、ええなぁ」

「綺麗ですね」

 目の前の機械、店内、扉の外の音が幾重にも層になって、もはや世界はここに凝集されたような錯覚に陥った。時が穏やかに、確実に流れていく。

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