第12話 きみにおもう
どうして、今まで気が付かなかったのだろう。
『竜は眠る』
各地に残された伝承の中にも何度も出てくる事実だ。
竜はその生涯に活動期と休眠期を繰り返し、『活動期』には村や国を襲って伝説に残る。
そんな有害な獣である竜は『休眠期』に襲って退治されるのが常套手段であると聞いた事がある。
私の脳裏に彼女と過ごした約半年間の思い出が過ぎる。
――そもそも、彼女が子作りに興味を持ったのはなぜであったか。
――ここの所、自分との身体的接触に積極的になったのはどうしてなのか。
――竜では無く人間として生きたいと言ったその言葉の意味。
『――早く、欲しいな……』
――彼女の言葉。
――誘惑するような言動の数々。
やたらと構って欲しい様に見えたのは、彼女の想いの現われではなかったのか。
自らの不甲斐なさを呪った。
どうしてもっと早く気が付かなかったのか。
ルチアには時間が無かったのだ。
ここの所続いた、彼女の異変。異常な睡眠欲と食欲。
例えるならまるで冬眠の前触れ。
それらが示す事実。
『彼女はもうすぐ休眠期に入る。そして次に目が覚めるのは百年後』
これは確実だ。
状況が全てを物語っている。
彼女のここのところの行動は、間もなく始まる休眠期へ向けての準備だと考えればすべてに合点が行く。
推定にしてはあまりに全てを説明できていて、何一つ否定する要素が見当たらない。
思わず唸るように声が漏れた。
ルチアの竜としての活動期という機会を逃せば、どんなに恋い焦がれた人間に会おうと思っても会えなくなる。
彼女は自らが『休眠期と活動期を繰り返す』と言う事実をあえて隠していた。
これまで彼女の口から一度たりともその事に触れる事は無かった。
次に目が覚める時は百年後。
どんな人も自分を知らない世界に、冷えきった洞窟の中で彼女は一人目を覚ます。
その時、彼女のそばに目覚めを待ってくれる人は居ない。
おはようと、
孤独と言う言葉では足りない。
その時を想像するだけで胸が痛くなる。
これまで、私との間に子を作る機会は幾らでもあった。それこそ無理矢理暴力的にでもだ。
だが、彼女はそれを避け続けた。
彼女が人間の心の
ルチアは人間らしく振る舞おうと、そして私に自らの事を好きになってもらおうと努力していた。
深い愛情があるが故に、人間としてのやり方に沿った。手順を踏んで、少しずつ気持ちを近づけようとしていた。
しかし――それでも自らに時間が無い事を悟った彼女は何度か大胆な行動に出た。
――控え目で、思慮深く、心優しい彼女が。
彼女は私に心配をかけまいと、自らに訪れる休眠期の事を口にしなかった。
それでいていつも明るく笑っていた。
せめて、好きな人との思い出が明るい物だけになるようにと、口をつぐんだまま。
――百年後。
彼女の目が覚めた時にそばに居られる人間など居ない。
彼女はきっとこれまでも何度も大切な人に見守られて眠りについた。
永い眠りの事を知って、彼女の眠りを見守った人間は一様に悲しい表情を浮かべていたに違いない。
私が彼らと同じ立場なら、ルチアの事を平然と次の百年に見送る事はできない。
ルチアは、大切な人達と悲しい別れ方しかできなかったのだ。
百年後――彼女は目を覚ます。
竜にとっての百年などほんのわずかな時間なのだろう。
楽しい話をして眠りについたその次の日に、誰も居なくなった部屋に一人目覚める。
大好きだった人とはもう二度と会えないのだ。
世界は百年も立てば様変わりしている。
彼女の事を知る人間は居ないだろう。もしかしたら町や国が無くなってしまう事もあるかもしれない。
そんな見も知らぬ世界に一人。
たったひとり。
彼女は、目覚めた時に何を思ったのだろう。
少なくとも、優しい彼女は自身の心を痛めたに違いない。
――そうして迎え続けた幾重もの孤独。
『それ』が彼女に子供を作りたいという思いが芽生えた理由であった。
人の温もりを求めた理由でもあった。
そして――それを解決する手段を提案した私は、彼女の必死さに何一つ気が付かなかった。
彼女の想いに応える事も無く、ただ傍観していた。
いや、それだけではない。
私は、そのような希望を与えて絶望に突き落とした。
決して得られないものを、得られるかもしれないと言っておきながら何一つ与えなかった。
「……」
ルチアはもうすぐ完全に眠るのだろう。
もしかしたらこのまま眠ってしまうのかもしれない。
もう二度と他愛の無い会話はできないのだろうか。
鈴の音を転がした様な、柔らかく優しい声は聞くことはできないのだろうか。
私は奇跡を願うしかない。
せめてもう一度。
――ルチアと、話がしたい。
彼女の目が開いている!
私は反射的に彼女の細い手を取った。
彼女を離さない様に。もし離してしまったら二度と会えなくなる気がした。
だが、掛ける言葉が――見つからない。
赤色の視線が
うっすらと力なく笑ったように見えた。
「起きてたの……メルウェート」
「……」
口を開けば声は震えるだろう。
悟られないように、黙る。
彼女の手を取って強く握る。
「いたいよぅ……」
「……はい」
私の彼女を思う気持ちを押し殺しつつ呻いた返事に、彼女は薄く微笑んで私の手に手を重ねる。
「……明日は何しよっか……?」
彼女の言う明日に私は居ない。
そんな事は判り切っている。それでもルチアは未来に希望を持ちたいのだ。
目覚めた時に自身を温かく迎えてくれる存在がほしかったのだ。
架空でもいい、そんな気持ちに縋りたかったのだ。
「王都にでも出かけましょうか」
「……いいねぇ。メルウェートを追い出した人達にもひとこといわなきゃ……」
「そんな事はどうでもいいです。綿菓子を食べに行きましょう」
「たのしみ。人が一杯いるところはわたしもたのしいよ……人の子供達にも会えるかなぁ?」
ルチアは人が好きだ。
「ええきっと会えますよ。わたしが居た王都は老いも若きも、多くの人で
ルチアは目を瞑って、押し黙った。
何かを考えていたのかしばらくしてから目を開けて、口を開く。
「メルウェート、私が眠ったら……お嫁さん見つけてね」
「なんですか唐突に。どういう、意味でしょう」
「メルウェートの子供の子供……もしかしたらそのまた子供に会えるかもしれないでしょ」
「私は……長生きするつもりですよ」
否定も肯定もしない。
ただ、彼女と一緒の時間を過ごしたい。その気持ちだけは嘘偽りない。
だが今は明言を避けたかった。さもなくば彼女との別れがすぐにでも来てしまうような気がした。
だから私は話題を変える。
「私は貴方に一つ懺悔をしなければなりません」
「……日記のこと?」
「勝手にすみません」
ルチアは頬をほんの少し赤く染めた。
「メルウェートにはぜんぶみられちゃったね……はずかしい」
「今回の事、貴女の事を色々と調べて回避する方法を探したのですが……すみません」
「あやまらないで。でないと、竜になって……おどろかしちゃうんだから」
今の彼女にそんな余力はない事位判っている。
弱々しい彼女の冗談が痛々しかった。
「そんな顔しなくても……わかってるよぅ。今回だけは、この姿のまま、眠るね……メルウェートがそばに居てくれるから」
「ええ」
部屋が
ルチアは静かに涙を零す。
悔しいのだ。人の化身として生きていても竜としての性質に抗えない。
人として生きることができない。
人として歩み、人と添い遂げる事すらできない。
涙を拭う事もせず、しばらくして彼女はやにわに口を開いた。どこか独り言のような、淡々とした口調で語る。
「――いつもが、特別な日になって欲しくなかったの。わたしが眠ってしまうというひみつを言えばわたし達の楽しい日が無くなってしまうかもって思ったから、ひみつにしていたの。メルウェートの悲しい顔を見るのが怖かったの。もうあんな思いをしたくないって」
ルチアの目から玉のような涙が零れ落ちる。
「……黙っていてごめんなさい。どうか、怒らないでね。ほんとうに……ほんとうに……ごめんね」
「……貴女は……」
私は言いかけた言葉を飲み込む。
彼女に慰めの言葉を掛けた所で虚しくなるだけだ。
彼女の涙を指で拭いながら答えた。
「……相変わらず泣き虫さんですね。私がそんな事で怒るわけがないでしょう……笑って下さい。私は貴女の笑顔の方が好きです」
ルチアは泣き笑いのまま言葉を継ぐ。
「……ねぇ、メルウェート、かけをしない?」
出し抜けな彼女の提案に多少面食らう。
「どんな賭けですか」
「……かけに負けたら、勝った方の言う事を何でも聞くんだよぅ……」
「いいでしょう。それで内容は?」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「……わたしが次に目が覚めた時にあなたが幸せだったらあなたの勝ち、あなたが不幸だったら私の勝ち」
「何ですかそれは。勝ち負けは、わからないでは……」
言いかけて彼女の言葉が重ねられた。
「いいの。分かってるよぅ……おまじない……なの」
勝ち負けなどどうでもいいことなのだろう。
こうしたやり取りをしたいだけなのだと気が付く。
「勝ったら何を望むのですか?」
「ひみつ……すごいこと、たのんじゃうの」
「そうですか、ではその時は、何でも聞きましょう……しかし」
私は目を細める。彼女は絶対に負ける事は無い。そんな賭けだ。
――私がルチアのいない生活に幸せで居られるはずがない。
「……私に勝ち目は無いじゃないですか」
「ふふ……たのしみ」
ルチアは悪戯を終えた後の子供の様に清々しい表情を浮かべた。
彼女はとても静かに一つ深い息を吐く。
「……すごくねむい……メルウェート、毛布を掛けてもらえる?」
ルチアは、落ち着いた目を向けていた。
瞳は紅玉のように鮮烈な色で、しかし慈愛に満ちている。
彼女はやおら口を開く。
「……ねぇ、メルウェート」
「何でしょう」
「……わたしがねむるまでそばにいてもらえる?」
「勿論です」
「……よかった」
「ですから、もう泣かないで下さい」
「……そんなにないてないもん」
「泣き虫の竜なんて聞いたことが有りません」
「……なきむしの竜は……きらい?」
「いいえ」
「……わたしは……メルウェートのこと……大好きだよ……」
「……ええ」
彼女の言葉は弱々しい。
「あなたは?……ちゃん……と、いって」
「すみません……今、気の利いた台詞一つ用意しておけばよかったと後悔しているところです」
微笑んだルチアの手をただ握る。
「……私は貴女の事を……」
「……」
一瞬だけ彼女は微笑んだように見えた。
深い息を吸って、それから、言う。
「――愛しています」
彼女は目をつむっている。
胸は静かに上下して、今にも目覚めそうだ。
陽だまりでちょっとうたた寝をしているだけ。
ただ穏やかな表情を浮かべている。
彼女の目の端から一筋の涙が零れて枕を濡らした。
彼女は目覚めない。
「……起きて下さい。作り置きのビスケット、誰が食べるんですか」
「……」
「ルチアさん! 悪ふざけもいい加減にして下さい」
「…………」
「ルチアさん……」
次の涙は零れない。
彼女の言葉も帰って来ない。
ルチアは――眠りについた。
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