第11話 にせんねんのはてに

 最早疑いようは無かった。

 メルウェートはルチアの身に何か異変が起きているという確信を持った。


 メルウェートは眠ったままのルチアの手を取り診察を始める。


 脈拍に乱れは無く、落ち着いている。

 顔色は血色良く問題無い。


 呼吸は穏やかに、見た目にもただ昼寝をしているだけのように見えた。


 メルウェートは彼女が人であれば、この状況にいくらか対処もできたであろうと思った。

 だが、竜である彼女の身体や習性について何も知らなかった。

 連れて来られた当初は初めて目の当たりにする人間の形をした竜に非常に強い興味を持って見ていたが、いつの間にかそんな気も起らなくなってしまった。


 それはルチアがあまりに人間らしく振る舞っていたため、一緒に生活するうちに、気に留めなくなっていたのが大きな理由だ。


 一つだけはっきりと言える事は、彼女はメルウェートの知っている竜とは、あまりにもかけ離れている。という事実だった。

 凶暴さは無く思慮深く、時には甘えたり、臆面もなく泣いたりと、弱気な所を見せるルチア。

 最早、竜としてでは無くか弱い人間の少女として接していた。


 しかし彼女は紛れもなく竜の化身である。


 メルウェートはこれまで、人以外にも、馬や牛の病気を相談されることが有った。家畜であればそれなりに薬の知識や理療方法の経験はある。

 そこで知った事と言えば人間にとっては薬であっても他の動物には猛毒である事や、その分量も大きく異なるいると言う知見。


 人間と生態が似ている動物ですら、一歩間違えれば生命へ及ぼす影響は大きかった。


 だからこそ彼女の異常な状態については見当もつかなかった。


 なぜなら人間の少女の姿をしていても、ルチアは竜だった。

 しかも生き物の頂点に君臨するような、『特別な生物』である。

 彼らに施すべき正しい治療は想像すらできなかった。


 そんな彼女に人間と同じ治療を行なって、間違ったらどうなるか。

 下手に薬を投与すれば状況を悪化させかねない。


 古来から伝わる酒を持って竜を制するという伝説は、竜が薬に弱い暗示ではなかろうかとさえ思ってしまう。

 そういった危惧すら覚える。


 これまで、竜についての知見は口伝がほとんどであった。

 だから竜の生活や習性等はほとんど噂に聞いた程度である。

 人から人へ又聞きによって変質した情報はどこまで真実でどこまでが嘘かは判らない。

 しかも『人間の姿』に変化したルチアはその竜の中でも特殊な例に違いなかった。人間と同じ病気にかかるのかについても全くの未知数だ。


 だからどんな薬を使えばいいのかも、その対処の方法も無知に等しい。


 メルウェートは手の打ちようのない状況に、改めて愕然とする。


 念の為、ルチアに声をかけたり、揺すったりして起こそうとしたが彼女が目を開く事は無かった。


 メルウェートは努めて冷静に情報を集め始める。

 ルチアの蔵書を漁り、そこからつぶさに有用な情報を探す事にしたのだ。


 彼女の本棚から一通り本を取り出し、卓に並べて目を通す。


 彼女の持ち本は、ほぼ全てが料理の本だった。

 いかにも人間への興味が強い彼女らしい。と、メルウェートは苦笑した。

 

 料理本とは言え、それでも何か彼女の眠りの手掛かりになる情報が無いかと、膨大な数の本を読み解いていく。次から次に引っ張り出しては査読して食卓の上に積んでいく。


 端から端まで丹念に文字を追い、しらみつぶしに手掛かりを調べていく。







 そうしている内に、夜が明けた。

 窓からの光が白み始めた頃、彼女の本の全てに目を通し終わった。


 だが、何一つ有益な情報は得られなかった。


 これで、竜に関する――ルチアの治療法を記した書物は存在しない事が明らかになった。


 メルウェートは眼鏡を置いて天井を仰ぎ、しばらく疲れた目を休める。


 彼はルチアが人間の習慣を真似ようと必死になっていた様子を思い浮かべる。


 彼女は人の生き方を真似て楽しんでいた。容姿こそ美しい人間の少女であるが、本来は本能に忠実で獰猛どうもうな赤竜。その習性の差を埋めるのは並大抵の努力では無いはずだった。


 人には人の生き方が、竜には竜の生き方がある。抗えない本能を必死に抑えるためあらゆる努力をしたに違いない。

 しかし彼女はそれでも人間らしく生きようと、貪欲になって人間の事を学ぼうとしていた。人間の真似をして。

 それこそ苦手な数字さえも克服しようと。


 メルウェートはそんな彼女のために、子供向けの勉強をした事を回想する。

 指を折々、数字を数えていたルチア。


 微笑ましい彼女との思い出に浸りかける。

 彼女は覚えが悪いという自らの弱点を補おうとして頑張っていた。


『――えらいでしょ』


 彼女の屈託くったくのない笑顔が思い出されて思わず口元が緩んだ。


 ふと、メルウェートは気が付く。


(……まだ調べていない本が有る)


 彼は弾かれた様に立ち上がると彼女の寝所に向かった。


 ――『それ』は確か彼女の道具箱の中に。


 彼女の眠る寝台の枕元に置いてあった箱の底に手を突っ込むと、指先に硬い手ごたえが伝わった。


 箱の奥底に、幾重にも布に包まれて厳重に保管されていたそれ。


 メルウェートは、『勝手に読まないでほしい』と言う彼女の言葉を思い出して罪悪感を覚える。

 だが、彼はわらにもすがる気持ちで彼女の異常の原因を調べようと決断する。小声で謝りながら彼女の頭を優しく撫でると、ぼろぼろのそれを壊さないように慎重に開いた。


 ――彼女の『日記』。


 それは古語で書かれていた。

 古語は遥か昔から伝わる、読める人間が限られている言語だった。多くの一般人にとっては意味不明な記号の羅列に過ぎないが、たまたま錬金術の文献に頻繁に出てくるそれは、彼には馴染みのある文字であった。


 錬金術師であるが故に、メルウェートはそれを読める。

 彼は古語を必死に勉強した過去の自分に感謝した。


 日記の最初の頁を開く。




『1000さいのたんじょうび!

やっとにんげんのすがたになることができた!』


 初めの内はよほど勢い込んで力んで書いたためにインクの跡が滲んでいた。紙も突き抜けて穴が開いていた。

 書くことにも慣れていないのか、下手な文字で解読に苦労する。

 それも彼女らしい味のある内容だとメルウェートは自らに言い聞かせながら読み進めた。


『1005さい

わたしを見てもこわがらない人のこどもがいた。

ネコのみみをもっていてとてもかわいいかのじょはアイラと名のった。

アイラ。アイラ。

とてもすてきな名まえだ。』


『わたしと同じくらいのせたけのかのじょはわたしのことを子分とよんだ。

なんだかお姉ちゃんぶっているようだったけれど、なり行きにまかせる。

かのじょと話しているのがとても楽しかったから。』


『1100さい

目が覚めたらアイラはいなくなっていた。かのじょのもっていた小刀だけがわたしのそばにおかれていた。


アイラに会いに行こう。今度はこっちから彼女のまちにあそびに行くのだ。

今日はもう夜だから、今会いに行けばきっとびっくりする。だからあした行く。

もういちど会いたい。あいかわわらずかのじょは元気だろうか。』


『アイラはいなかった。

かのじょが言っていたばしょにまちはなかった。

そののばしょには大きなみずうみがあるだけだった。

かのじょどころかだれもいない。まちのあとすら見当たらなかった。

かのじょをまって、しばらくみずうみのそばでねとまりした。

それでも、だれも来なかった。

星がきれいだった。』


『まちがなかったそのりゆうがわからない。

かのじょがうそをつくはずがない。何があったのだろう。

わたしがばしょをまちがえただけだと信じたい。

会えなくて、ただとても悲しい。』



『1200さい

人間はわたしたちよりもいのちが短いということを知った。

今日、またお友だちを失った。

彼らはあまりにいのちが短いのだ。』



『1300歳

さびしい。

出会って別れて、もう人に会わないほうが楽かもしれない。』


『死んじゃったあと、いのちはどこに行くんだろう。

えいえんに続くものはない事は知っている。

だけど人のいのちは本当に短く感じる。


彼らに会うと心がとてもあたたかくなる。とても楽しい。

時にはけんかもする、もう会いたくないと思う事だってある。

けれど、しばらくするとまたさびしいと思う。

だから会いたいと思う。


だからお友だちといっしょにいる時は明るくいたい。

せいいっぱい明るくふるまって、彼らと楽しい時間を過ごすのだ。


今は、ちょっとむつかしいけれど。

またわたしにもわらえる日が来るだろうか。』



(日付が飛んでいる。寂しい思い出ばかりで耐えきれなくなったのだろう)



『1600歳

人に襲われた。わたしは人の姿をしていたのに人間達はわたしを追い立てた。

魔女だと言われた。

魔法を使った事が原因みたいだ。人間は魔法をほとんど使えないらしい。


わたしの姿はばれてしまった。とうぶんの間、彼らから離れて生活しようと思う。

やっぱり眠っている間は竜の姿でいないと危険だ。


それにしても悲しい。

人の姿で生活して……竜の姿で眠って。

私は人の姿のままで人間と仲良くしたいのに。寂しいよ。


いっそこのまま目が覚めなければいいのに。

どうして私は人間じゃ無いのだろう。

どうして竜に生まれちゃったのだろう。

悲しい気持ちはもうたくさん。』



 彼女の悲痛な心情。

 メルウェートはいたたまれなくなって日付を最近まで飛ばした。

 ここのところはほとんど毎日書いていた。



『2012歳

ドレイショウニンさんという人とお友達になった。

久しぶりの人間の友達だ。

彼の見た目は人間にしては怖い。言い方もぶっきらぼうだ。


彼は色々な『ドレイ』を扱っていると言う。

『ドレイ』って何だろう?


彼の連れていた彼らはみんな幸せそうだった。

きっと『ドレイ』と言う言葉はお友達とか、なかの良い人とか、そういう意味にちがいない。

彼のそばに居られて嬉しいのだと思う。


彼は今度、わたしのためにドレイを連れてきてくれると約束してくれた。

その代わり家で待つ彼のドレイのために、わたしが持っている薬の材料を分けて欲しいと言われた。

いくらでも持って行っていいよと言うと、彼は一つで良いと怒った。

きっと欲張りに見られたことが気に入らなかったのだろうと思う。

人間の中にも欲張りでは無い人は居るのだ。


少なくとも、彼は私をおそった人達のように悪い人ではないみたいだ。


仲間の薬のためにわざわざわたしの所を訪れるあたり、彼は本当に心優しい人に違いない

わたしのためのドレイ。楽しみ!』



『2013歳 

ドレイショウニンさんが私のすみかに来た。

ドレイを連れて来る準備ができたと言う。

連れてくるまでの間、ほら穴を人が住めるようにした方が良いと言われた。

彼の何人かのドレイがわたしの家を住みやすく作り直すお手伝いをしてくれた。

わたしもあれこれと注文する。

わたしのちしきに彼らがおどろく様子を見たり、かと思えばくだらない話をしたりと、とても楽しい時間を過ごせた。

彼らはお酒をいっぱい飲んだ。

わたし達竜よりお酒に強いかも』


『出来上がった家は確かにとても快適だ。これなら誰でも迎え入れることができると思う。

わたしも満足している』


『ドレイを迎え入れるじゅんびをするために、久しぶりに人のまちに出かけた。今回はドレイショウニンさんに教えてもらった人間のまちに行くことにした。

彼に教えてもらった通り、目立たない服を着てこっそりと。


とても大きなまちだった。今まで見てきたどんな人間のまちよりも大きな大きなまち。

人はみんな幸せそうだった。わたしもそれをみてうれしくなる。

あんまり楽しそうだったのでしばらくまちにとどまって遊ぶことにした。

屋台で食べたふわふわのあめは最高においしかった。わたあめというらしい。素晴らしい発明だ。

あんまりうれしくてお店の前ではしゃいでいると、おまけしてもう一つ作ってくれた。あの人はこれまでに会った人間のなかで最高に良い人だと思う』


『帰ってきたら家の前に人間の男の人が倒れていた。

気を失っていたのでわたしがおくすりを飲ませる。

人間の気付けにはとてもゆうこうな方法だからだ。

早く目を覚まさないかな。

彼が起きたらどんなお話をしよう。一緒に遊んでくれるかな。

寝顔を見ているだけでどきどきする。』



 奴隷商人が連れてきたという奴隷は自分自身の事だと気が付き、メルウェートは思わず苦笑した。

 更に日記を読み進める。



『彼が目を覚ます前にしっかり身づくろいをするのだ。

とっておきの服を着て、お気に入りのリボンも身につけた。

いつでも起きていいよ!』


『久しぶりの日記。

この気持ちをはきだすところがないので、ここに書こうと思う。

生まれて初めての暖かい気持ち。


メルウェートが好き。

メルウェートが笑ってくれた。とても幸せな気分。

メルウェートが頭をなでてくれた。もっとなでて欲しい。

メルウェートが困っていた。かわいい。

メルウェートが――』


 紙面全てに自身の事ばかり書いてあった。ルチアの抜き身の愛情に触れてしまい、メルウェートは読んでいて赤面する。


 彼と何かをした、彼が喜んだ、とても楽しかった、と終始明るい内容で埋められていた。

 余計にルチアの日記を盗み読むと言う罪悪感を抱えつつ、いたたまれない気持ちになりながら読み進める。


『メルウェートが大好き。彼を見ていると、心の奥が暖かくなる。体のなかが熱くなる。

だから冬だからという理由を作って彼のそばで過ごす。彼の身体に触れているとなんだか落ち着くから。』


『はじめての雪合戦は面白かった。彼が運動もとくいなのは意外だった。きっと勉強しかしてこなかったのだろうと思っていたけど、わたしの雪玉が全然当たらなかった。くやしい。

もしまた遊ぶ機会があったら、また一緒に遊びたい。

もちろん、できればの事だけれど。』


『最近、眠くなる。

優しいメルウェートに言ったらきっと心配される。彼を心配させたくない。

最後まで、笑って居たい。

笑ってお話したい。

だからがまんして彼に元気な姿を見せよう。


今度こそ、お別れの日が来るその時までずっと笑って居られるようにするために』


 メルウェートは日記を置いて考える。


(書かれた日記は、なぜか日付が何年も飛ぶ事が有る。それは彼女がずぼらだから?

 あまりにも寂しくて気持ちが落ち込んで書く気も起きなかったから?)


 脳裏に彼女の性格が思い浮かんだ。


(これだけこまめに日記を付けて、細かい家事をこなす彼女。

 気丈にも、何度も人間と関係を持ち続けようと努力した彼女。

 だから、それはあり得ない)


 ――ではなぜ?


 ちりちりとした焦りが生まれる。何か見落としているようなそんな気持ちを抱える。


 彼女の日記をもう一度見返す。


 日付が目に入る。

 彼女は数字が苦手だった。

 きっと必死に数えて書きこんだのだろう。日付には二重線で消されている跡が至る所に残されていた。


 両手を使って必死に書いたであろう彼女の姿が目に浮かぶようだった。


 1000年、1100年、1200年……

 

 日付が途切れているのは、およそ百年おき。


 それが意味する事。

 彼女は日記を意図的に『書かなかった』のでは無く――。


(――書けなかった?)


 不意に背後の寝台に眠るルチアの方から衣擦れの音。

 振り向けば、すうすうと寝息を立てて眠り続ける彼女。

 少しだけ身じろぎしたのか毛布がずれていた。


 メルウェートは彼女の日記を読み進め、それが示す事実を確認する。


 日記はようやく最後の頁に近づいたようだ。それ以降は白紙になっている。

 ページをめくると、覚悟して文字を追った。



『――また眠くなってきた。

今度の休眠期がこんなに早く来るなんて思ってなかった。

もっと、メルウェートとお話していたい。

彼に触れていたいのに。』


『ごめんね、メルウェート。

本当に、黙っていてごめんなさい。

私はもうすぐ眠りにつきます。


もしこの事を言えば優しいあなたはきっとわたしの事をひどく心配してくれる。


自分勝手でごめんね。

わがままでごめんね。

もしかしたらこれが最後になるかもしれないと思うと、

あなたの笑顔だけ見て眠りたかったの。


あなたが大切な人だから。


メルウェート、大好き。本当に好き。


だから、出会ってくれて本当にありがとう。』



 確信して日記を閉じた。

 最早、疑いようがない。


 ルチアは――



 ――何年かおきに『百年の眠り』につく。

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