第15話 5000兆円で建国してみた

「それだよ金井さん!なんで今までそれに気付かなかったんだ!」

美知子を指さして奥田先生が叫んだ。


 美知子は何が起こったのか分からずにキョトンとしている。お構いなしに奥田先生は皆に呼びかけるように続けた。


「私たちの手で、どこかの地域で新国家を樹立してしまえばいいんだよ。それで、その国独自の通貨と、通貨の発行権をもつ中央銀行を設立するんだ。

 で、通貨と中央銀行ができたら、黒いATMの中にある5000兆円を全部、その通貨建てで新国家の中央銀行に送金すれば、全てが解決する」


 いきなり先生が「全てが解決」などと言い出したので、その場にいた一同は思考が追い付かず完全に置いてきぼりにされたが、興奮気味の奥田先生は構わず早口でまくし立てる。


「なにしろ、建国したばかりの吹けば飛ぶような新国家が発行する、何の信用もない新通貨だからな。そんな通貨がいきなり5000兆円分の紙幣を用意して流通させてしまったら、あっという間にその新通貨の価値は暴落して紙切れになる。

 そうなったら、世界中のどの国も即座にその新通貨との両替を停止するだろうから、他国には影響はほとんど出ない。結果として、5000兆円の大部分を世界中の人々の目の前で、堂々とただの紙切れに変えることができる。

 ――どうだ?完璧なシナリオじゃないか?」


 その場にいた全員が「はぁ?」という顔をした。先生の助手の片岡さんが「そんな簡単にいきますかね……?」と唸り声を上げた。

 それからしばらく、片岡さんは下を向いて考え込み、奥田先生のアイデアを脳内で検証していたが、いきなり目を大きく見開くと力強い声でつぶやいた。


「……確かに、自分たちで自由に発行できる通貨があれば、5000兆円をいかようにもコントロールはできるかもしれませんね。

 ……うん。いける! これ理論的には十分可能だと思いますよ、先生」


 だが、そう言ったあとで片岡さんは伸びをしてウーンと唸った。

「でもその案の一番の問題は、そもそも一体どこからが『国家』になるのか?ってとこじゃないですか?」


 その場にいた秀才たちは全員、その頃にはもう先生の思考に十分追い付いていて「そうだな」といった顔をして悩んでいた。和夫と美知子の二人だけは全く頭が追い付いておらず、その質問の意味がさっぱり分からなかった。


「我々で国を作って通貨を制定して、その通貨を思い通りにコントロールするという先生の案そのものは良いとして、この黒いATMがその国をちゃんと『国家』と見なしてくれるかどうかがポイントでしょうね。

 例えば極端な話、ここにいる九人で今すぐ『今日から我々で金生国を建国する』と宣言して独自の法律を作って、日本の法律を守らないようにすれば、その金生国だって一応は名目上『国家』なわけですよ。

 でも、そんなことをしたら我々は法律違反で即座に日本の警察に逮捕されます。警察の介入をはねのけるだけの軍事力もないし、味方をしてくれる国もいないから、私たちが作った金生国はその日をもって崩壊するはずです。

 おそらくこの黒いATMは、そんな口先だけの屁理屈で『金生国を作りました』って宣言しても認めてくれるとは思えません。国家を樹立するにしても、ちゃんと世界から認められた立派な国家の態を成してないと、先生の仰られた作戦は成立しないと思います」


 それはそうだよなと奥田先生も片岡さんに同意し、大きく空を仰いで言った。

「しかしまあ、改めて考えてみると、どこまでが国家でどこまでが国家じゃないかなんて、人によって線を引く基準が全然違うよなぁ」


 そこで佐竹さんが、アジア担当の劉さんに向かって尋ねた。 

「ちなみに、台湾はこのATMでどういう扱いになっているんですか?

 台湾って、一般的にはほぼ国家のような扱いをされていますが、中国はそれを絶対に認めないから、形式的には中国の一部ってことになっています。だから国連にも加盟できてないし、日本も台湾を国として承認してませんよね。

 ――果たしてこの黒いATMは、台湾を国家とみなしているんでしょうか?」


 劉さんは迷いなく即答した。

「そこは間違いなく国家扱いされていると思いますよ。だって、このATMは台湾ドルで払い出しができますし、台湾政府の認可を受けた金生教の支部にお金を送ると、送った分の金額はちゃんとATMの残高から引かれてますから」

「なるほどね。他にはある?国として認められているかどうか微妙な政府」


 するとブラジル人のエンゾがスマホを叩いて答えた。

「日本が国家として承認していない国はですね……えーと、台湾以外だと、北朝鮮、パレスチナ自治政府、ソマリランド、アブハジアなどがありますね。

 ただ、パレスチナ自治政府はもう百三十ヵ国以上が国家として承認していますし、日本は未承認ですけど、日本にあるパレスチナの代表事務所長を『大使』と呼んでいるそうなので、これなんかはもう国家と呼んでもおかしくないかと」

「百三十ヵ国以上が承認してるのに、それでも日本だと正式な呼び方は『国』じゃなくて『自治政府』なのか」

「パレスチナの場合はG7と西側諸国が承認してませんから、それが大きいでしょうね。彼らは国連にも加盟できていません」

「なるほど。国になるってのも大変なんだな」


 そこで奥田先生は、思い出したように尋ねた。

「そういえばさっき劉さんが、台湾の台湾ドルは黒いATMから払い出しができるって言ってたよな?北朝鮮、パレスチナ、ソマリランド、アブハジアの通貨はどうなんだ?」


 そこで、佐竹さんの指図に従って和夫が黒いATMを操作して、外貨建て振り込みの手続きをしてみることになった。手続きの途中に、どの通貨で振り込みますか?という質問があり、その時にATMが取扱いできる通貨のリストが出てくるのだ。


「北朝鮮ウォンは払い出しが可能ですね。いまネットで検索したら、パレスチナは独自の通貨を持っていません。代わりに彼らはイスラエル、ヨルダン、エジプトの通貨を使っているようです。ソマリランドは通貨リストに載ってないな。この国にはソマリランドシリングという通貨があるのですが、それはこのATMでは取り扱いをしていません。アブハジアは……かなり微妙ですね」

「微妙ってどういうこと?」

「アブハジア共和国で使われているのは隣国ロシアのルーブルなんですが、一応彼らは『アプサラ』という独自の通貨も持っているんです。ただこのアプサラ、ほとんど使われていなくて、コインは単なるコレクターズアイテムになってしまっているらしいです。そんなアプサラは、このATMでは取り扱いされていません」


 奥田先生が佐竹さんに尋ねた。

「北朝鮮、台湾はOKで、ソマリランド、アブハジアはダメ――。そこにどういうルールがあるんだろうか?他の国からの承認を得ているかどうかで判断しているのかな?」

「原則としてはその理解でよろしいかと思います。北朝鮮は多くの国と国交を結んでいますし、台湾も十五ヵ国から承認を受けています。でも、ソマリランドを正式承認している国はありません。

 ただ、アブハジアはロシアなど五カ国が承認しているのに、通貨アプサラがATMに認識されていません。これは形だけの通貨で、実際ほとんど流通してないからでしょう。

 おそらく、これをクリアすればいいといった杓子定規の明確なルールがあるわけではなく、その国がどれだけ世界から承認されているかと、その通貨がどれだけ流通しているかを踏まえて総合的に判断しているのではないかと」


「なるほどね。できるだけ多くの国から承認を受けて、通貨も名前だけでなく、ちゃんと流通させないといけないということか。じゃぁ、目指すゴールはそれだな。

 さて、あとの問題は、どこに俺たちの国を作るかということだが……」

「うーん……」


 皆が再び黙りこくってしまい、重苦しい空気がしばらく続いた。すると、さっきまでほとんど発言をしなかったフィリピン人のフェルナンドが「あの……」と自信なさげに肩のあたりまで手を挙げた。


「私が担当していた南太平洋地域に、ちょっと気になる場所があります」

「それはどこだフェルナンド」奥田先生がキラリと目を光らせて尋ねた。


「サン・ステファノス共和国っていう国です。南太平洋のはじっこにポツンとある、二十個くらいの小さな島からなる小さな国」

「そこで、新しい国を作れそうなのか?」

「はい。私はこの国に金生教の支部を作ろうと思って、実際に訪れてみたのですが、この国は一つの島ごとに一つの部族があって、それぞれの部族が微妙に違った文化を持っているんです」

「ほう。その文化の違いを理由にして、サン・ステファノス共和国から一部の島を独立させて新しい国にしてしまおうってことか」


 奥田先生は一を聞いただけで即座に十まで理解してしまう。和夫としては話が速すぎて、彼らが一体何の話をしているのかを理解するだけでしばらく時間がかかる。


「はい。その通りです。でも、文化の違いといっても大した違いではありません。この国の人たちの民族衣装って、男性は上半身が裸で腰に長い布を巻くというものなんですが、その腰に巻く布に描かれる文様が、島によって若干違うんです」

「文様?……それだけ?」

「はい。それ以外の風習は、部外者の私の目からすれば、どこがどう違うのかさっぱり分からない程度のレベルです」

「ほう……それで、何が言いたいの?」

「私が先生にご紹介したいのは、その中の一つの部族なんです。

 その部族は名前をカロカロ族っていうんですが、彼らだけはこの国の部族の中でちょっと異質なんですね。衣装に描かれた文様の形も独特ですし、部外者の私が見ても、彼らだけはちょっと他と毛色が違うなと一目で分かるくらいです。それはカロカロ族自身も自覚していて、彼らは国の中で常に、他の部族に対して若干よそよそしい態度を保っています」


 カロカロ族という部族名を聞いて、その場にいた誰もが内心少しがっかりしていた。名前から受ける勝手なイメージに過ぎないが、腰蓑をつけて絵の具で体に模様を描いて、火のついた棒を振り回して踊るような、陳腐なイメージの「原住民」を皆が想像した。そんな未開人たちに新国家を樹立して新通貨を発行させるなんて、そんなことが果たして可能なのだろうか?


 ところが奥田先生だけは目をキラキラと輝かせて、フェルナンドの話を興味津々と言った態で熱心に聞いている。

「なるほど。それでそのカロカロ族が、サン・ステファノス共和国から分離独立したがっているというわけか」


 奥田先生の言葉に、フェルナンドは急に弱々しい口調になって答えた。

「まあ、別に独立したがってるっていうほどじゃないんですけど……。少しだけ毛色が違って周囲から浮いている部族がいる、という程度です。

 それも、特に他の島と深刻に争っている訳ではありませんし、使っている土着言語も一緒です。日本で例えれば、東京と大阪の人がなんとなく互いのことを気に食わない奴だと思っているといった程度のものですかね」


 自信なくそう語るフェルナンドに対して、奥田先生の目の輝きは全く衰えない。どうやら彼の中では、このカロカロ族を介した成功への道筋が、ゴールまで光り輝いてはっきりと見えているらしかった。


「そのカロカロ族に資金援助して焚きつけて、サン・ステファノス共和国から独立させようというんだな?」

「はい。でも、カロカロ族に武器を与えて、政府と戦わせて独立を勝ち取るといった感じの、血なまぐさい独立にはならないでしょうね、おそらく。

 この国、自給自足に近い生活を送るのどかな南の島国でして、人々の性格は大らかで、領土争いでいちいちケンカをするような人たちではありませんから。

 そもそも、たくさんの島が集まってサン・ステファノス共和国を名乗ってはいますけど、誰も国全体のことなんてほとんど考えていません。彼らにとっては自分の島と部族だけが生活の全てで、社会も経済も島単位で完結しています。なので、その中の島一つが抜けたところで、他の島の部族にとっては知ったこっちゃないといったところでしょう。だからこそ、独立国を作るには非常に都合がいいのです」


「なるほど……面白いな」

「よろしければ奥田先生も、サン・ステファノス共和国に行かれてみませんか?飛行機の乗り継ぎが多くて時間もかかりますし、ビザの申請も必要なのでいろいろ大変ですけど。

 実際に国を見てみて、カロカロ族の族長とも会ってみてください。見込みがありそうであれば、さっそくカロカロ族長に取り入って、独立に向けた裏工作を始めます」


「よし。わかった。フェルナンドの案をしばらく検討してみよう」

奥田先生は力強くそう宣言した。

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