八十二、廃墟にて
翌朝アヴィニョンの山間部を目指して町を発った。ペガサスの手綱を持っているのは私を守るように後ろに跨っているエルネストだ。
昨日感じたエルネストの体温が今もまたすぐ側にあることに酷く安心感を覚える。と同時にエルネストに抱き寄せられたことを思い出して顔から火が出そうになるのを懸命に堪えていた。
後ろをチラリと窺うとそれまで前方を向いていたエルネストと目が合って、ニコリと優しく微笑まれた。その笑顔を見てさらに頬が熱くなって、それを悟られないように即座に前を向いた。
「なあクロエ、あれじゃないか? あの辺りの草地だけがやたらと広い。建物らしい痕跡もあるな」
エルネストの指差す先に視線を向けると、遥か前方の少しだけ右側に白灰色の岩肌を晒した山々に囲まれた緑色の草地が見えた。その中にはところどころに切れ切れの四角い建物の跡のような痕跡が見える。
「どうやらそのようね。もう少し近くへ行ってみましょう」
ようやく辿り着いた。――追刻の糸車の完成に光明が差したように思えて、先ほどまで胸をざわつかせていた静かな熱が、希望へと変わり大きく膨らんでいく。
さらに近付いて上空から眺めると、眼下の草原が一望できた。建物の痕跡のようなものが、確かにそこで人が暮らしていたと推測するに足りうるほどにはっきりと残っていた。建物だけでなく、間を縫うように斑になって残っている石畳がそこに道があったことを証明している。
この場所をひと言で表すならまさに廃墟だ。当然辺りに人の気配などはなく、文献が発見されたときも学者たちは恐らくは空からこの場所に辿り着いたのだろうと推測できた。
ただひと筋だけ、眼下の廃墟から囲んでいる山の間に細い道が伸びていた。麓にまで続いているのだろうか。町までは相当な距離があるはずだ。たとえそうだとしても落石などによって途中で途切れている可能性が高い。
草原の中央にあるひと際大きな城とも神殿とも取れるような大きな遺跡がある。周囲の建物と比べるとかなり大きなものだ。
「あの大きな遺跡の前に降りてみましょう」
「分かった。しっかり掴まっていてくれよ」
廃墟の中でも最も大きな遺跡がエヴラールさんの話あった神殿なのだろうか。その遺跡にの前に伸びる朽ちた石畳にゆっくりと着陸してペガサスを帰した。私たちは石畳に足を取られないように神殿らしき建物の方へ足を踏み出す。
「なんて大きいのかしら……。この建物だけでなくてこの周りにある建物の数と、大昔とは思えないほどの整然と区画分けされた住居の跡を見る限り、確かにここには国家があったと考えて間違いなさそうね」
「信じられないが、その可能性は高いな。しかし驚いたな。こんな周囲と隔絶された山間部にこれほど大規模な遺跡があったとは」
遥か上空から一望できた廃墟は、いざ降りてみるとあまりにも広大だった。小さく見えていた町の跡のような遺跡も、いざ降りて近くで見るとひとつひとつがそれなりに大きい。その規模からかつての住人が裕福な暮らしをしていたのではないかと推測される。
「これだけの栄華を極めた国家がなぜ……」
――滅びてしまったのだろう。グリモワールを生み出すほどの魔法知識に長けた人々が作り上げたであろう国家――それほど高度な文明を持った国が他国からの侵略に膝をつくことなどありうるのだろうか。考えれば考えるほどに疑問は尽きない。
恐らくは正門であったであろう大きな朽ちたアーチをくぐり抜け、石畳を辿りながら奥へと歩みを進める。いくつもの部屋を通り過ぎ辿り着いたところで石畳はスッパリと途切れた。部屋といってもところどころにしか残っていなかった壁の合間から見えていたその場所にあったのは……。
「驚いた。まだ存在していたなんて……」
「なるほど、これが例の林か」
エルネストが唸るように前方を睨んで左手を腰に吊り下げた剣に添えた。私が驚き感動している間にも、未知の領域に危険が潜んでいないかどうかを探っているようだ。林の方へ真っ直ぐに向けられたサファイアブルーの瞳が鋭く細められている。
2人で林の周囲を歩きながら探索する。中庭というにはあまりに広い草地に生い茂る樹木の塊――人の侵入を拒むようにそびえ立つ木々の合間にようやく細い隙間を見つけた。まるで遊歩道のようなその隙間へ、エルネストとともに足を踏み入れる。足元に落ちている小枝をパキリパキリと踏み鳴らしながら辺りの様子を注意深く観察していく。
「生き物の気配はないようね。一羽の鳥すらも見当たらない。乱気流のせいで上空からは近づけないのかしら」
「そうかもしれないな。しかしここはなんというか……。生き物の気配が感じられず静かなはずなのに、さっきから鳥肌が収まらない」
「嫌な感じがするの?」
「分からない……。この林に足を踏み入れたときから空気がピリピリとして肌を刺す感じがするんだ」
エルネストの感じている空気が私には感じられない。けれどこの道の先に何か大変なものが隠されている予感がするのは確かだ。コクリと息を呑んで警戒を強めながらさらに奥へと進んだ。
「あれは……」
しばらく進んで辿り着いたのは木々に囲まれたひらけた草地で、真っ先に目に入ってきたのは中央にある小さな泉とその側に佇む大きな樹木だった。
樹皮に覆われていないかのようなツルリとした薄茶色の幹は、遠目に見ただけでも幅二メートルはあろうかというほどに太い。周囲の木々とは明らかに違う異質な様相を呈している。
根元から五メートルほどの高さから太い枝が真横に勢力を伸ばし、各々の枝から青々とした葉を茂らせている。ウネウネと伸びている枝ぶりが描く曲線がまるで動物のような生命力を感じさせて、少々不気味に感じてしまう。
「今までに見たことがないような珍しい木ね……。これがロートスの木かしら」
「さあ、どうかしらね。フフ」
「っ……!」
ほんの今までは確かに生物の気配など微塵も感じられなかったはずだった。けれど突然私たちの目の前に見知らぬ少女が静かに降りてきた。
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■お知らせ(1)■
2022年4月28日にコミカライズの1巻が紙本にて発売されました!
皆さまの応援のお陰でございます! ありがとうございます!
体調不良により休載しておりました本作も間もなく連載再開予定です。
お待たせしてしまいましたがどうぞご期待くださいませ!
■お知らせ(2)■
並行して連載中の『嫌われたいの ~好色王の妃を全力で回避します~』の3巻が好評発売中です!
こちらは無事完結を迎えることとなりました。
長い間、熱い応援をありがとうございました!
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