七十八、蜘蛛の巣

 アラクネーは私の言葉を聞いて驚愕の表情を浮かべている。先ほどまで私の意識が入っていたアラクネーを前にして私は告げる。


「今からおよそ千年前、エミリーたちがここを訪れるよりもさらに昔、貴女の糸を狙ってここにきた砂漠の国の魔道士を返り討ちにしてその亡骸を自らの体に取りこんだときに知識も一緒に得たのね。エミリーは貴女の体に取り込まれたときにその知識を知った」

「……」

「こんな禁呪を編み出したのは人間……。いえ、悪魔だったのかもしれないわね。それを実行していたのは古の砂漠の王族だった。こんな忌まわしい……自らの延命のために他の命を犠牲にするような禁呪を生み出すなんて悪魔の所業としか思えない。魔道士たちの亡骸からその知識を得たまだ若い魔物だった貴女は、糸を目当てにここを訪れる人間を襲って命を永らえるための体を得ていたのね」

「それの何が悪い……。我とて生き延びるすべがあれば躊躇なくその手段を取る」


 これ以上議論しても答えの出ないことだと分かっている。人としての道理を魔物に説くなど滑稽なことだ。


「ええ、貴女の行動原理は分かっているから、間違っているなんて言うつもりはないわ。でも私は・・罪のない者が悪意によって命を奪われることが許せないの。……ねえ、アラクネー。今貴女は替魂の魔法陣を思い出せる?」

「なに……?」


 アラクネーは何かを考え込むように固まって動かなくなった。しばらく後に私に視線を戻して憎々しげに睨めつける。


「……お前が奪ったのか」

「何を?」


 私は確信を得るべくアラクネーに言葉の続きを促した。


「我の中からすっぽりと替魂の術式が……。お前……お前の仕業かッ!」


 激昂して真っ赤な瞳をさらに赤く滾らせるアラクネーに、落ち着かせるべく静かに答える。


「正確に言うと私じゃないわ。……エミリーよ」

「なんだと……? とっくの昔に朽ち果てた魂が我から何を奪えるというのだっ!」

「そう……。貴女はエミリーの魂が朽ち果てていたと思っていたのね。魂が貴女の体に取り込まれたとき、彼女は自分たちをこの洞窟によこした王の狙いを知った。そして同時に貴女の中にある記憶とともに替魂の術式の知識を得たの。エミリーは優れた魔道士だった。強い執念を持った彼女の魂の残滓は最後に残された全精神力を使って貴女の記憶を自らの欠片に取り込んだのよ」

「まさかそんな……」


 愕然と肩を落とすアラクネーに私は言葉を続ける。


「人間の情念を侮ったわね、アラクネー。エミリーのさっきの言葉を覚えてる? もう貴女を恨んでいないと言っていた。彼女は貴女から奪ったものの大きさをよく知っていたのよ。そしてその禁じられた術式は、私が元の体に戻るときにエミリーの魂とともに貴女の中から完全に消えた」


 正確には私のグリモワールには刻まれているけれど、このような忌まわしい禁術が記述されたページなど二度と開くことはない。


「人間ごときが……小賢しい。それでお前は我をどうするつもりだ」

「そうね、どうしましょうか」

「滅したければ滅すればいい。お前たちの力の前に我が太刀打ちできることはないだろうな」

「……」

「ただ、一つだけ……。願わくば我が子たちはそのままこの洞窟の中にそっとしておいてほしい。魔力とて大して強くはない。人間にとって大した害にもならない。頼む……」


 アラクネーが沈痛な面持ちで頭を垂れた。私は戦意を喪失したアラクネーの姿を前にして犠牲者たちに思いを馳せる。

 この目の前の魔物に命を奪われた人間は数えきれないくらいに多い。憎しみや心残りに血の涙を流しながら断末魔の悲鳴を上げた者がこの場にいたとしたら、アラクネーの命をすぐにでも絶てと叫ぶだろう。だけど……。


「エミリーやユーグたちのことは気の毒だった。彼らは何も知らされずここへ来て、なすすべもなく貴女に命を奪われた。けれどこの洞窟に足を踏み入れなければ殺されることはなかった。これまであなたの犠牲になったたくさんの人たちも……」

「何が言いたい……」

「貴女は糸につられてこの洞窟に……蜘蛛の巣にかかった獲物を手に掛けただけ。自ら他の命を狩りに行ったわけじゃない。人間が貴女の糸を欲さなければその命を奪われることはなかったのよね」


 実際に命を奪われたのは、糸を欲した者ではなく何も知らされていない罪なき者だったけれど。最も罪深きは禁術を最初に利用しようとした人間なのだけれど。

 その王族はもう遥か昔に潰えてしまっている。今北の砂漠の国を統治しているのは、当時の王族をクーデターで倒した一族だ。

 アラクネーが術による延命を自らの本能だと主張するなら、私も主張させてもらおう。


「魔物には魔物の道理があるように、私には私の信念がある。これ以上貴女に誰も殺させはしない。貴女の体は今のそれが最後よ。もう替魂の術は使えない。だから残りの生を精一杯生きるのね」

「情けをかけようというのか? ……フン、我も落ちぶれたもんだな」


 アラクネーの口角が歪に上がる。魔物も皮肉気な笑顔を浮かべることができるようだ。


「死ぬよりましでしょう? 自分自身の生存本能に素直に従うのね。但し貴女がこの洞窟から飛び出してまで人間を襲うことがあれば、私はいつでも阻ませてもらう。そのときは何の躊躇いもなく貴女を駆逐するから」

「……」


 無表情のまま俯いて黙り込むアラクネーに、私は一つだけ付け加える。


「あ、それと貴女の糸、少し貰うわね。今回は私の勝ちだし、その報酬としてね」


 私はニコリとアラクネーに笑いかけた。そんな私を見てアンとエルネストが仕方ないなあとでも言わんばかりに肩を竦めた。




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