へたれな大人の物語

いのかなで

第1話 勘違いと嬉しさと

「今更何を言い出すの?」


この彼女の呆れた顔を何度見た事だろう。

自分だってわかってるほどのヘタレなあたしは、やはり情けない顔をするしかなくて、申し訳なさと情けなさと、自分に対する悔しさで何も言えなくなってしまう。しようがないと諦められたことも何度あったか。それほど、あたしという奴はヘタレなのである。

でも、今回のあたしはいつもとは違うと思っていたのだ。ヘタレを卒業したと言っていいことをしたはずだった。


言わないのではなく言えない。だから上手に他人に物事が伝わらない人生を30年ほど続けてきてもやはり性格というものはそう変わるものではないのだろう。

それでも、意を決して3年ほど前から想いを寄せた相手に打ち明けたことがこれほどまで相手を憤慨させることになろうとは思いもよらなかった。


「今更言われても遅いし、それ今言われてどうしろっていうの?」

「え・・だから・・・おめでとう・・・?」


私のしどろもどろに言った言葉がさらに彼女をデッドヒートさせたことには本当にしまったと言った後に気付くものだ。それはあたしに予想できるはずもなく、「はぁ・・・もういいから」と言い残して彼女は背中を向けて帰って行ってしまった。


それというのも、このタイミングがいけなかったのだろうとは思うのだが、こっちは思いを断ち切るつもりで言ったものだった。

来週結婚する彼女にどうしても思いを伝えたくて、意を決して言った告白だった。

結婚式にもあたしも呼ばれていた。あたしとじゃない人の横で幸せそうな顔をする彼女なんて見たくなかったのだ。だから、ちゃんと笑ってお祝いくらい言いたかった。後腐れなくすっきりした気持ちで結婚式に参列したかったからなけなしの勇気を出してしたことだったのに。


たとえそれが実らない恋だったとしても、ちゃんとケジメくらいつけたかったんだ。


それは見事に玉砕したということは間違いないことなのだけれど、いや、最初から結婚式前に実るとは決して思っていなかった。彼女の反応は明らかにこっちの予想とは違い過ぎてて呆然と立ち尽くしていたことにやっと気づいた時にはもう彼女の後ろ姿は見えなくなっていた。


暗い帰り道をどうやって歩いてきたのかよく覚えていない。気づいたらマンションの部屋のドアの前だった。ポケットのカギを取り出していつものように開けたドアの向こうは当たり前だけれど真っ暗で、靴箱の上のキーケースにカギを投げた後はなし崩しにベッドへと倒れ込んでいた。


「菜保子なんであんな怒ってたんだろう」


独り言を言ったところで返ってくる返事なんてない。遅いってどういうことだったんだろうと考えてみると、可能性があったのに遅かったってことだよねという結論しか出てこない。間に合わなかった。あたしがもっと早く告白していたら菜保子はあたしと付き合ってくれていたのだろうか。

けれど、菜保子は3年も彼氏と続いていたし、そんな可能性全くないと思っていた。そもそもスレートな彼女に恋をしていた。しかも彼氏持ちの美人、普通可能性なんて感じるのであろうか。


時折見せる甘えた彼女の見せる顔にいくらドキドキさせられて勘違いしそうになったことか。抑えるので精一杯だったときもあった。いまでもスキンシップの激しい菜保子にあんなことされたら揺らぐ自信はある。

けれど、それは女の人だったらよくある話であって、これは違うと思うことで自分を抑えるしかなかったわけで。決してこれは間違った解釈ではないと思っていたのだ。


来週の結婚式が憂鬱でしかない。こんな意味深な怒られ方をして、普通に参列して「おめでとう」なんて言えるはずもない。本来であれば、今日は散々泣いて明日、目を腫らして会社に行くという予想をしていただけに、さすがにこれは泣きたくても泣けない状況になってしまった。ベッドの上で一睡もできないまま夜が明けてしまった。


「うわっ、どうしたんすか。その隈」


出社してすぐに後輩の小松が驚いた顔して寄ってくるが、ごまかして「しっしっ」と追い払う。隈はやっぱ無理だったかと朝から試行錯誤したメイクも無駄に終わったことにげんなりしつつPCの電源を入れた。


いつものように仕事は割とスムーズに終わり残業とは無縁だったあたしに、いつもだったら「飲みいくぞ」といういつもの声をかけてくる奴はいなかった。菜保子がいつも毎日のように誘ってくれた日課のようなものだったのだが、それが突然なくなってしまったのは堪える。部署は違えど、同じ会社の同期だった彼女とはここ2年ほど仲がよく、毎日のように会社終わりに飲んだり夕食をしたりしていた。


「はー・・・」


会社終わりの日課が無くなってしまえば、やはり帰ってくるしか思いつかず、またベッドの上でごろごろとしながらあの時のことを考えてしまう。

でも、昨日の徹夜が効いてか程よく睡魔が襲ってきてくれて気づけばスマホのアラームのなる音がして朝だと告げてくれた。休日なのにアラーム消しておけばよかったと後悔しつつ、アラームを止めるためにスマホを充電器から引き抜く。スマホのランプが点滅していることでメッセージが届いていることに気付いた。


「ちょっと話したい」


たった一言のメッセージにこれだけ動揺したのはいつぶりだろう。慌てて返信して今日菜保子と会うことにした。どういったことを言われるのかは予想ができない。だってもう、何度も考えたけれど菜保子はあたしのことが好きだったとしか考えられなかったから。期待もできない状況で何を言われるんだろう。

このままの関係も嫌だけれど、結婚式は来てほしいからとかそういったことだろうか。心配しなくても、行くつもりではいる。どんなになってもやっぱり菜保子は大事な友達だから。それはつらくても決めていたことだ。


「よ」

「・・・うん」


いつものスーツとは違う私服の菜保子を観るのは久しぶりかもしれない。いつも会社帰りでそのままスーツのままご飯というパターンだった。菜保子の普段見れない恰好というのは新鮮な気分ではある。相変わらず美人であることは変わりないのだけど。

「じゃあいこっか」という菜保子に頷いてついて行った先はホテルだった。と言っても、ホテルの食事をするレストランなのだが。


「あのさ、この前はなんていうか」

「いや、なんかごめん」


切り出したあたしに対して謝ってやつあたりだったという菜保子にその意味がわからずにこっちが言葉に困る。


「ただ、このタイミングだったからどうしていいのかわからなくて、遅すぎだって思ったんだよね」

「遅すぎる?」

「いや、でも大丈夫」

「ん?」


ますます菜保子の言っている意味がわからなくなる。大丈夫だって言われたところで何が大丈夫なのか。訝しげにしているこっちに気付いて菜保子が「あのさ、」と言葉をぽつぽつとこぼし出す。


「好きなんだよ」

「前から」

「だから」

「やめた」


え?と思って聞き返すが、何を辞めたとまでははっきり言わない。好きとはあたしのことなのかなやっぱり。でも聞き間違いだったらただの自意識過剰だ。それでも結婚を辞めたとは考えるにはどう考えても無理があるのだ。もう間近に迫った結婚式をキャンセルするなんて普通考えないだろう。

だから、結婚するから彼氏のことが好きだという意味で私の告白を辞める辞するという意味にも考え方によってはとらえられなくはない。という結論に達した。


「・・・そっか」

「え?それだけ?」


それだけって言われてもどういう反応をすればいいのかわからずに情けない顔になってしまうのは仕方のない事だろう。だって振られたのになんと反応すればいいのだろうか。


「じゃあ、この後いい?」


カシャという音がして視線を音のした方に移すとテーブルの上にホテルの部屋のキーが置かれていた。いよいよ意味がわからなくて、焦って菜保子の顔を見ると真剣な顔をしてどこか赤くなっているようにも見える。


「いや、ちょっとまって」


菜保子にちょっと考えさせてといってからしばらく混乱した頭の中を整理しようと躍起になるけれど、やはり答えは出ず、でも悪い方に考えるのはあたり前だった。結局絞り出した結果は、結婚前の思い出作りという結論。あたしの答えが出たのは食事を終えてからしばらくしてからのことだった。


「したいの?」

「うん、じゃないと言わない」

「わかった」

「じゃあ、上行こうか」

「うん」


結論を出してからは早かった。あたしも正直に言うと菜保子を感じたかったのだ。本当は心も欲しかったのだけれど、身体が欲しくないと言ったらウソになる。身体だけでもというのは間違っているのはわかってる。けど、最後に一度だけ好きな人を抱けるというのは今の私にも抗いようのない欲求でもあった。結局辛くなるのは自分だと分かってるくせに、寂しさともう最後なんだからという理由で決めてしまった。


部屋に着いてからはあたしが一方的に菜保子を抱いた。時折涙が自分の頬を流れているのに菜保子が気づかないように、菜保子の身体を求めて、自分の欲求を満たすだけのセックス。むなしいだけの貪るような粗いものでしかなかった。その間は菜保子の顔をきちんとみるなんてことは忘れていた。横で眠る菜保子の髪をなでるたびにやはり涙が流れてしまう。あたしは菜保子を残したままホテルを出た。


朝、スマホの着信音で目覚めた。鳴りやまない着信音に重い瞼を開けさせられて気だるい身体を起こした。スマホを見ると画面に表示される菜保子の文字にしばらくためらう。もう1分以上スマホを持ってから鳴ったままだ。どれだけ長いコールしてるんだと諦めて受話器ボタンを押してから黙って耳に当てた。


「なんでいないの?やり逃げ?」

「え?なんでって・・・」

「言ったじゃん好きだって」

「言ったよ。でもだからって結婚するじゃん菜保子」

「はぁ・・・だから大丈夫だって」

「何が大丈夫なの」

「結婚しないから。断ったから辞めるって言ったでしょうが。」

「はぁ?」

「え、ちょっと待って、知らないで抱いたの?」


どうやら盛大な勘違いをしていたあたしは昨夜の出来事をめちゃくちゃ後悔する事態に直面しているようだ。まさかあるはずもない出来事が起きてしまった時に人はこうも何も言えなくなるものだろうか。

結婚辞めるとかあるのか?それは私も頭の中ではありえないことでしかなかったのだ。

これからのあたしの行動は一本に絞られた。また昨日のホテルへ駆け出していくわけだ。菜保子に土下座と実はそれだけ思われていたことに感謝と愛の言葉をどれだけでも提供しなければならない。


今からこの後のことを思うとぞっとするがでも、やはり嬉しくて顔が緩む。これからの菜保子とのことを考えると緩むのも仕方のない事だろう。大好きな菜保子に速く会いたい。これから始まるあたしたちの恋に期待して走りだした。


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