盧生の夢
雪桜
「また、咲いた」
明日が来なければよいと、何度願ったことでしょうか。
明日はいつも、私にとって夢のような幸福と、最後になってようやく心の侘しさを連れてきました。
私の明日は、夢のようでした。あ、と声をあげる間もなく、私の情景と姿、光、花の香りが誕生していくのです。貴方の心臓と、肺が作り出されるように、私の五感がまた、芽生えるのです。
嗚呼、私の世界に私すらもいないことが、私にとっての一番の幸福であるのに。この心の侘しさは、日に日に増してゆくばかりです。悪の華が咲いて、私の心に呼びかけるのです。
「また、咲いた。お前が、咲いた」
私の世界は、ある部分でぷつりと途絶えていました。貴方のその指先が、私に触れようというのなら、そこから世界は消えてゆきました。
私の世界は貴方にとっての夢なのでしょうか。決して交わらない夢は、あの悪の華のせいなのでしょうか。ボードレールの残したあの詩だけが私の全てだったのです。そしてそれこそが、私の足枷となっているのでしょうか。
「また、咲いた」
私は歯を食いしばります。暗闇にいた時はあんなにも幸福でしたのに、今は窮愁の海の底で、大量の塩水を飲み込んだ肺が破けたところです。
「お前が、咲いた」
お前が、咲いた。
ですから、私は泣いているのです。私の幸福を壊して産まれた苦悩の華が、私の世界をつくってしまったのだから、私は悲しいのです。ですから、私は泣いているのです。
夜が近付いてきます。繰り返される日々に夜が来ないことなどありません。私の頭上を一羽の鳥が羽ばたいてゆきました。彼も私の世界が創り出したものですから、きっともうじき落ちることでしょう。
悪の華はすっかり口を閉ざしてしまいました。
かつての情熱など、もう何処にもありません。
冷えきった末端が、私以外の誰にも触れてくれるなと私を打つのです。それは、私が私自身を愛しているからです。
「愛しているから」
私の世界は夢のようでした。
嗚呼、貴方には決して触れられることのない夢。私は夢の中で夢を見るのです。
どうか。私を貴方の元へ、連れて行って、そして一生戻らせないでください。どうか、あの寂しい鳥をどこまでも飛ばせてやってください。どうか、悪の華の、あの瞳を誰か潰してください。どうか。苦悶にまみれたこの世界を、終わらせてください。私はそれだけでよいのです。
貴方はきっと一生知らないことでしょう。
貴方がふと見上げた蒼い空に、私の苦しみが浮かんでいることを。
ある日電車の窓から見えた霊柩車に、私の死体が眠っていることを。
貴方が幸福にまみれ、愛する人を抱きしめたその時、悪の華が貴方を見上げていることを。
貴方は一生知らないでしょう。
明日が来なければよいと、何度願ったことでしょうか。
星がとても綺麗です。美しい讃美歌が聞こえてきました。天使の囁きです。私はまぶたの裏に、悪の華を貼り付けたまま、涙を溢しました。
「お前よ。どうか永遠に咲いていて。私がお前になって、あの人の明日をつくるまで」
そう吐き捨てれば、私の痩せこけた体躯に星屑が流れ込んできました。身体がチカチカと音を立てて、空の果てに沈んでゆきます。
私は幸福でした。
盧生の夢 雪桜 @sakura_____yu
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