ぽんこつ皇太子レオンハルト ①

「こんなのが皇太子だなんて、国の行く末はお先真っ暗だね。ま、そんなことは知らんこっちゃないし、礼儀のなってない奴らの手伝いなんて頼まれても願い下げだよ!」


 自分の言動が原因とはいえ、召喚されたばかりの聖女にけちょんけちょんに言われてしまった聖レイシス帝国皇太子、レオンハルト・ドゥ・レイシスは返す言葉もなかった。

 救国の乙女を喚んだつもりが、年嵩の老女だったのだ。咄嗟にババア呼びしてしまったのは悪かったが、ご老体に鞭打たせるわけにはいかない。

 なので、聖女を元の世界へ還して新たな聖女を喚べと口にしたわけだが──こちらへ喚ぶ事はできても、帰す術がないことは知らなかった。しかも召喚魔法自体が連続使用出来るものではない、ということも。

 わかっていれば、あのような軽率な発言はしなかった……はずだ。


「ごめんなさーい!」


 どこかで聞いたことのある少年の声がして、それを発する存在を視認したレオンハルトは瞠目した。声の主は、子供のワイバーン姿の聖レイシス帝国の守護龍だったからだ。

 ワイバーンの咆哮にしか聞こえない守護龍の声は、建国の王パトリック・ドゥ・レイシスと守護龍が建国時に交わした契約の影響で、直系の皇族であるレオンハルトには人の言葉に自動変換されていた。


我が国の守護龍ミッドナイトが何故ここに?)


 守護龍は聖女に向けてごめんなさいと連呼しながらすっ飛んで来ると、黒曜石のような美しい輝きを放つ鱗で覆われた黒い翼を素早く畳んで、聖女の前に自ら額ずいた。

 一方、ワイバーン姿の守護龍はモンスターにしか見えないので、守護龍がこちらへ飛んで来た時点で聖女が怯えて逃げ出してもおかしくない状況ではあったものの、聖女は守護龍の言葉が理解できたらしく、目の前に平伏した守護龍を見るなり何だこれはと言わんばかりの表情をしていた。


守護龍ミッドナイトが父上以外の人間に平伏するなんて──!)


 その光景は、レオンハルトにとって衝撃だった。誇り高い守護龍が、皇帝以外の人間に頭を下げた事は今までなかったからだ。


「あなたの意思を無視して強引にこちらへ喚んでしまって、ごめんなさい。この国の皇帝に代わり、あなたに心からの謝罪を」


「なっ」


 レオンハルトは、なりふり構わず謝罪を始めた守護龍に面食らう。

 異世界召喚術は禁呪だと聞いていたものの、今は緊急時なのだから聖女召喚はやむを得ないのだと皆が割り切っていたというのもあった。

 聖女は頭を下げたままの守護龍を静かに見下ろしていたが、感情の見えない表情を少し緩めると、「……あんたの謝罪は受け取ろう。許すか許さないかはさて置いて、だ」と言って一瞬こちらを見遣り、視線を守護龍に戻した。


「あいつらの代わりに謝罪してくるあんたは何者だい?」


「僕はこの国を建国から守護している龍で、名前はミッドナイト」


 聖女の問いに答えた守護龍は平身低頭を崩さない。聖女は守護龍に興味を持ったのか、守護龍の方へ歩み寄り蹲み込んだ。


「この国の守護龍、ねぇ。龍というと、もっと大きな生き物だと思っていたが──」


「人の生活圏にいる時は魔法で仔龍の頃の姿でいるんだ。本来の姿だといろいろ壊してしまうから……」


 龍について架空の生き物であるかのような言い方をする聖女に、守護龍は子供のワイバーン姿である理由を語る。


「あぁ、なるほど。屋内だから大きさをコントロールしているのか。魔法でそんなこともできるとは便利だね。──それよりも、いつまで頭を下げているんだい? あんたの謝罪は受け取ったんだ。いい加減その頭を上げな」


 守護龍が本来の姿ではない理由を知ると聖女は納得し、先程まで怒っていた人物とは思えないほど穏やかな声で語りかけ──小さく丸まっている守護龍の背中をぽんぽんと叩いた。

 守護龍は、聖女に促されてようやく頭を上げた。


「皇太子がダメダメで本当にごめんなさい。賓客であるあなたに対して態度が横柄だったし、失礼なことも言った。──後で皇帝にきつく叱って貰う」


 守護龍は王宮に守護の結界を張っているので、聖女を召喚した直後のレオンハルトの言動を把握していたのだろう。名指しでダメ出しされてしまい、レオンハルトは凹んだ。

 

「叱って貰うって、小さな子供じゃあるまいし。──アレはいくつなんだい?」


 言いながら聖女はちらりとこちらを見た。聖女と目が一瞬合い、レオンハルトはドキリとする。聖女への弁明と謝罪が出来る雰囲気ではなかったし、守護龍が皇帝に自分の事を叱ってもらうと言った事から、後でこってりと父に絞られるのが目に見えて──レオンハルトは憂鬱になる。


「24歳。あんなだからお嫁さんをまだ貰えてないんだ。早く後継者を作らないといけないのに」


「24でか。大変だな」


 聖女に残念なものを見る目で見られてレオンハルトの羞恥心に火がついたが、それよりも守護龍に「あんなだから」と配偶者と後継の件を心配されていたことの方がレオンハルトにとってはショックだった。


「うん。絶対、聖女に迷惑かけると思う」


 レオンハルトが迷惑をかけるのが前提になっている守護龍の容赦のない物言いに、聖女は苦笑して「だろうね」と同意する。


「あなたのお名前、聞いてもいい?」


「……ヒナコだ。私の国の文字では一日などの日を表す文字と、神事に用いられる果樹を表す文字、子を表す意味の文字で書く。まぁ、私がいた世界とここでは文字や文化も違うだろうから言ってもわからないだろうがな」


「日と果樹と子を意味する言葉を連ねて、ヒナコと言うんだね。綺麗な名前だねぇ」


「褒めてくれてありがとうよ。名前といえば、あんたの名前には真夜中という意味があったりするかい?」


 聖女の問いに、守護龍は驚いたように瞬いた。


「よくわかったね。僕の名前には闇や黒という意味もあるんだよ」


「そうか。私の知る外国の言葉で同じ発音の言葉があったからもしやと思って聞いてみたんだが」


 和やかに会話する守護龍と聖女の間に割り込む者はいない。

 聖女とレオンハルト以外の人間には守護龍の言葉を理解できない、という状況があったものの、守護龍はこの国の皇帝と同等とも言える存在だったので、守護龍が発言を許さなければ話しかけることさえ出来ない。

 異種間コミュニケーションを物ともせず守護龍と平然と会話をする聖女に内心目を瞠りながらも、聖女が守護龍の名前に反応するとは思わなかった。外国と言っていたことから母国語ではないものの、聖女のいた世界にはこちらの言語に近い言葉を話す国があるようだと知った。


「僕のことはミッドって呼んでいいから、あなたのことヒナコと呼んでいい? あ、でももしかしたらあなたの方が年上かもしれないから呼び捨ては失礼……?」


 竜種は千年以上生きる長命種だと知られている。異世界人とはいえ聖女が守護龍より年上ということはないだろうとレオンハルトが思っていると、「女に年齢を聞くのは野暮ってもんだよ。あんたは幾つなんだい?」と、聖女は問いに答えず逆に守護龍の年齢を聞いていた。


「うーんと、564歳?」


「……安心しな、余裕であたしの方が年下だ。むしろあたしの方がミッドさん──いや、ミッド様って呼んだ方がいいんじゃないかい?」


「ううん。ミッドがいい!」


 嬉しそうな声で聖女にミッド呼びをねだる守護龍の言葉を聞きながら、レオンハルトは思った。


(四百年くらい生きているだろうとは思っていたが、それ以上だったとは……)


 聖レイシス帝国の建国が三百五十年前で、今年は節目ということで何年も前から建国祭の準備もされていた。

 平時であれば、建国祭は属国の代表や近隣諸国の要人を招いて盛大に催された筈だった。

 しかし、世界各地に魔素のホットスポットが発生した影響で魔物が増えた現状では、建国祭を悠長に行う事など出来るはずもなく──。

 王宮は守護龍の結界の影響で比較的平穏な方であったが、結界外の辺境や守護龍のような存在のいない小国は増えた魔物の対処や瘴気の浄化等で帝国の祝賀どころではないというし、防衛能力のない幾つかの小国は魔物の襲撃で呆気なく壊滅していた。

 世界的にかつてないほどの危機的状況なので、藁にもすがる思いで禁呪である異世界召喚を行なったわけだが、老齢の聖女が召喚されるとは皆思ってもいなかったのだ。

 目の前の聖女は百戦錬磨な雰囲気を醸しているので、即戦力として期待は出来ても、年齢的に健康面の不安があるので無理はさせられない。


「そうかい。じゃあ、ミッドと呼ぶよ」


 守護龍と打ち解けた聖女がそう言った後、ぐぅと誰かの腹の音が鳴った。


「あぁ、すまない。今夜は仲間と宴会する直前にここへ飛ばされたからね」


 親しい者との宴の直前に──しかも音が鳴るほどお腹を空かせた状態で──見知らぬ場所へ自分が飛ばされたら、どう思うだろうか。

 聖レイシス帝国皇太子である自分を、見知らぬ異世界の者の思惑で先触れもなくいきなり拐かすのだ。


(ああ、これは怒りを覚えるだろうな。聖女から見たら、全く縁もゆかりもない我々に強引に喚び出され協力を強要されるのだから。俺なら怒りのまま力を振るい、相手を打ちのめそうとするかも知れぬ)


 目から鱗状態のレオンハルトの目の前で、聖女と守護龍は変わらず会話している。


「ヒナコ、お腹空いているのにこんなところで長話しちゃってごめんね。僕の部屋に焼き菓子があるけど、それじゃおなかは膨れないだろうし、ここの料理がヒナコのお口に合うかどうかもわからないし──」


 言いながら守護龍は、レオンハルトと同様に成り行きを見守っていたケネスの方を見て、閃いたと言わんばかりに前足をポンと打ち鳴らした。

 その刹那、子供のワイバーンから10歳くらいの黒髪の白皙の美しい少年に変化した。


「!」


 その少年に見覚えがあったので、レオンハルトは驚愕した。


(あれは守護龍だったのか……)


 幼い頃、レオンハルトの前に時々現れた黒髪の少年がいた。皇族や高位貴族の子女ではない子供が王宮内を自由に出歩くなど出来るはずもないのに、かの少年は気まぐれに現れるとレオンハルトと共に遊んだのだ。

 今考えると、一人で寂しくしていたレオンハルトを見過ごせなかったのであろう守護龍が、子供の姿で遊んでくれていたのだと思い至る。


「ミッドは人の姿にもなれるのかい?」

「うん。今は国の守護に力を注いでいるから子供だけど、平時は大人の姿で散歩したりしているよ」


 姿を変化させた守護龍を目の当たりにして驚いている聖女の問いに守護龍は頷いた後──聖女と同様に守護龍の変化に驚きを隠せないケネスの方へ数歩歩み寄ると「ねぇ魔術師長」と呼んだ。


「はっ」


 急に話を振られたケネスは緊張した面持ちで応じる。

「料理長に色々な料理を小皿に少しずつ用意してって伝えてくれる? 聖女様、お腹が空いているそうなんだ。異世界から来られているから何が食べられるかわからないし、苦手なものもあるかもしれないから、すぐ出せるもので至急お願い。果物やデザートなどの甘いものも忘れずにね。僕もお腹が空いたから僕の分も用意してほしいと伝えて」


「かしこまりました。早急に用意させます」


 レオンハルトは聖女をもてなす為の晩餐が準備されているのを知っていたので、晩餐がすぐに用意されることはわかっていたものの、守護龍の指示を聞いてハッとする。

 自分たちが当たり前に口にする物が、異なる世界で生きてきた聖女にとって不味かったり毒である可能性もあるのだ。

 その可能性を加味しての、『色々な料理を小皿に少しずつ』なのだとレオンハルトが気付いた瞬間の事だった。


《よく気付いたね、レオン。250年ほど前に召喚された聖女様はこの世界の食事が体質的に合わなくて、たった二月ふたつきで衰弱し17歳の若さで亡くなっているんだ。召喚したのはこの国では無かったけれども、過去にはそういう事もあったという事は心に留めて置いて》


 ケネスに自分の部屋に聖女を連れて行く旨を伝えながら、守護龍が「よく出来ました」と言わんばかりの声音でレオンハルトの脳内に念話を飛ばして来た。

 自国の事ではないが、どこかの国の極秘情報であろう過去の事例にレオンハルトは驚きを隠せず思わず守護龍を凝視してしまった。しかし、当の守護龍は聖女の手を取るなり転移の術を発動させて地下神殿から姿を消してしまった。


《僕たちの常識や価値観が、聖女様のそれと同じと思ったらいけないよ。僕たちにとって危険ではない物が、異世界から来た聖女様を傷付けたり殺す事だってあるんだから》


 転移する間際にレオンハルトへ向けられた内容に、異世界召喚の闇を垣間見たレオンハルトは愕然とする。


(俺たちは細心の注意を払って、聖女をお守りしなければならないということか。聖女の実力の程は未知数だが、守護龍があれほど気を許している人間が並なわけがない)


 自分の失言が元とはいえ、聖女のレオンハルトに対する印象が最悪なのは理解していた。

 そんな自分が、聖女の信頼を得るにはどうすればよいのだろうと考えていると、剣の師匠でもある騎士団長ガウェインに「殿下」と声をかけられて我に返る。

 気付けば地下神殿には自分とガウェインしかいなかった。


「陛下のところへ行く時は、俺も一緒にお供しますからそんなに気落ちしないで下さい」


 守護龍の言葉が解らなくとも、聖女が口にした「叱って貰うって、小さな子供じゃあるまいし」という言葉から守護龍が話した内容の一部を推測したらしいガウェインが慰めの言葉をかけてくれたのだが──。


(父上からのお説教──!)


 その件を思い出したレオンハルトは頭を抱えた。

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