The rose is red
「バラは赤い」
先生から教わったおまじないを唱える。
The rose is red,
The violet's blue;
Pinks are sweet,
And so are you!
僕は僕でいいんだって、そう先生が言ってくれているみたいだ。
約束した指を握って、廊下を歩く。一人になっちゃいけないのは分かっていたけど、声が聞こえたんだ。ナインと、僕を呼ぶ声。闇の中から招くように。
聞いたことがあるような、ないような、不思議な声。僕を呼んで何をしようというのだろう。
これは罠? 暗闇に引きずり込んで、僕を食べちゃったり?
怖いけど僕が逃げないのは、ある予感がしているからだ。あの人じゃないかっていう……。
「ねぇ……あなたは、だれ」
暗闇の声は名前しか呼ばない。何の為に呼んでいるのか、言ってくれればいいのに。
「ナイン」
急にはっきりと聞こえた。驚いて足を止める。
ああ、ほら……やっぱりあの人じゃないか。
「こんなところにいたの」
「ナイン」
「寂しかった?」
言葉を忘れてしまったのか、それ以外話せないのか。ここまで来ても名前しか呼んでくれない。
「ダメだよ、急に皆を消しちゃうなんて。どうしてなの?」
「ナイン……」
ゆっくり伸びてきた手が、僕の首をそっと掴んだ。
「君は、優しい」
「僕が……?」
やっと言葉を喋ってくれた。安心して、手に触れる。
「君は、素敵だ。バラやスミレと同じように、君だけの美しさが、ある」
「そう、かな」
「こっちへおいで」
「皆を心配させちゃうよ」
「もう抑えきれないんだ」
「……分かった」
僕の体は黒に飲まれる。僕なりの色は消えて、全て壊される。
【♡8】
足元に一枚カードが落ちていた。嫌な予感というか、それしかないだろう。悪趣味な誰かがわざと落としたカード。さて、今度は何番だ。
「……え、これは」
それを持ったまま歩き回る。誰かいないかと探すと、室内に人影が見えた。
「先生」
「ああ、エイト。良かった」
「何かあったのですか」
「カードが落ちていた」
エイトの顔は緊張で固まったが、その絵柄が見えると、目を見開いた。
「どうして……ジョーカー」
そこに数字はなく、ピエロが描かれていた。横にジョーカーとも書いてある。
「誰かの数字じゃなくて良かったけど、これってもっとまずかったりするのかな。直接対決みたいな」
エイトはじっとカードを見たまま動かない。顔が引きつっている。
「エイト……大丈夫?」
「……これをどこで」
「今そこの、廊下で見つけた」
黙り込んでしまった。どこか放心状態の彼が心配で、椅子に座らせる。
「ああ、これは……っ」
「エイト、どうしたの」
「ダメ、ダメです……ジョーカーは。ジョーカーのことは考えちゃダメです。忘れないと。こうやって話題に出すから、彼が……っ、とにかく、ジョーカーのことは放っておいて」
「でも、こんな風に宣戦布告のようなことをされて、無視するというのも……」
「ああ、あああ……っ、ああ……ジョーカー……!」
彼がこんな風に取り乱すとは思わなかった。頭を抱えて叫ぶエイトは別人のようで、心の底からジョーカーを恐れているようだ。
「エイト、忘れる。もうジョーカーのことは話さないから……一つだけ。彼が犯人なんだね?」
「……っ」
大人しくなったと思ったら、静かに泣き出した。ハンカチを渡すが、彼は受け取らない。
「これが次、ジョーカーを襲うという意味のカードだったら、我々の中に犯人がいる可能性はあるが……そんなことは考えられないだろう。だったらこれは、ジョーカー側からのアピールだ。それを無視して、勝てばいいんだね? エイト、信じてくれ。私達は勝てる。そうだろう? 君が私を信じてくれるなら、勝てると思う」
「先生……っ」
そっと頭を引き寄せて、胸元に当てた。彼の熱を感じながら、廊下を睨みつける。
そこに来たのか、ジョーカー。一体何が目的だ。私から一人一人を奪って、自分のものにしたいのか。一度手放したくせに、惜しくなったか。それとも、ただの嫌がらせか!
どんな人物なのか。もしかしたら人でないのかもしれない。が、負けるわけにはいかない。何としてでも守りきらなければ。もし不可能だった場合でも、貴方には渡さない。
全てを壊して、何も残らないようにしてやる。お前が一人になればいいんだ。
落ち着いたのか、エイトが顔を上げた。少し弱々しかったが、いつものエイトだ。
「ごめんなさい。取り乱してしまいました。そっちの方が心配になるのに……逆効果でしたね。そうです、気にしなければいいんです。一人だとどうしても考えてしまうから皆といれば、皆と話していれば忘れられます」
「そうだね。構わないようにしよう」
「……先生」
「わっ」
力強く回された手が背中に回る。身動きが取れないほどガチガチに、まるで縛られているみたいだ。彼のよく言う愛とは無縁のような必死さを感じた。
「あの、エイト?」
「ふふ、ふふふふ……」
「何かおかしいことでもあったかな」
「初めに約束したでしょう」
エイトの目が私を映している。泣いたばかりだからか、まだ濡れていた。
「愛の心中が、現実味を帯びてきました」
「心中……」
「殺されるぐらいなら、死んでやりましょう。俺は愛のハート。貴方を愛して、皆を愛して、邪魔される前に逃げましょう。貴方が愛してくれるなら、怖くない」
「エイト……」
「俺の愛、伝わっていますか」
私の手を取って、自分の頰に当てた。他の人間に言われていたら、私は信じられなかっただろう。が、エイトのそれは本物であると感じた。
彼は、人を愛する為に生まれてきたのだと。
「君に返せるかな」
「愛は送り合うもの。俺が一方的に与えているように見えても、俺は相手から受け取っていますよ。その相手に自覚がなくてもね。ふふ、そんなのただ都合よく考えているだけだと思いますか? ……でも感じるんですよ。その人が本当はどうしたいのか。俺はそれを汲み取ってあげるだけ」
「エイト。君が一番ハートのマークに相応しいよ」
「先生だったら何のマークを選びますか……何番、でしょうね」
エイトは低体温なのか、あまり熱さは伝わってこなかった。それが少し不安になり、手を握り返す。
自分の熱を与えられるように、力を込めた。
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