salvation
世界の真実を暴こうとするのは、人としての欲求である。
知りたい気持ちは当然ある。だがそれよりも、今に浸っていたいのだ。それが彼らとの約束だというのなら尚更。
私が考えるのをやめるだけで、そんな些細なことで彼が笑ってくれるなら。それを壊すなんて、そんなことは考えられない。
しかし私は愚かしい人間のようだ。
停滞したこの世界で、勝手に時間を埋めようと体が動き出す。脳が、答えを求めている。否定しようと、物理的に殴ってみても、何かを考え始めてしまう。
彼らの正体。私の正体。この世界。ここで起こっている現象。
異世界? どこか別の星にでも飛ばされたか? それともここは仮想空間で、生身の体はどこかで眠っている。頭に機械をつけて、理想の少年達と会っている? ああ、どうしようもない。しかしそれが最も自分らしい。
現実逃避の末に見つけたのがここか。全てを肯定されたがって、溺れて、沈んでいく。どこまで、いつまで。落ち続ける。まだ、まだ続く。永遠に。死なない。終わらない。
【♠︎J】
「本当にいいのかな」
白く細い腕を取り、軽く撫でる。彼の腕は本当に滑らかで、腕と形容することが間違っているかのような、芸術作品のようだった。
「ん〜マァ? いいよ、暇だし」
ジャックの腕にリボンを重ねてみる。どの色が似合うか、一つずつ試していく。幅、手触り、艶……ああ、これだ。
「黒いリボンをここに……ここから、ここまで編み上げる」
ここにあるのはただの針だ。この環境では消毒ができない。
「お湯は用意できないよね。やっぱり消毒は必要だよ。君の腕を綺麗なまま飾りたいからね」
「大丈夫だって。ここをどこだと思ってる? ヒャハ、俺がそんなヤワなワケねーっしょ? へーきだから、やってみろよ」
試しに先端で軽くつついてみた。少し赤くなっただけだ。
「ピアスもない」
「そのまま縫っちまえばいいじゃん?」
「痛いと思うよ」
「へーきだから、さっさとやれってえ!」
表面を、薄く、なるべく肉まで触れないように糸を通したつもりだが、やはり血が出ている。黒いリボンだから分かりにくいが、白い腕を赤く染め始めていた。
顔を見てみるが、ジャックが痛がっている様子はない。痛みを感じない? 確かにその可能性はある。空腹を感じないように、痛みを忘れてしまったなら、ジャックには通用しない。じゃあ病気にもならない? 苦しむことはないのか?
「本当に平気そうだ」
「だからぁー言ったじゃーん?」
黒いリボンは彼の腕に映えた。美しい。想像よりも、ずっと綺麗だった。
「この色で正解だ。ああ、ジャック……これ凄く……君に似合っている」
ジャックは編んだばかりのリボンに触れて、下から上までなぞり上げた。
「ヒャハハ、おもしれー。俺の体が服になっちまったみてぇだ」
布を濡らして血を拭いた。ところどころ痛々しいが、この傷も治るだろうか。痛みがないなら大丈夫、なのかな。
それならもっと……首、背中、足はどこがいいだろう。手の甲に小さく作るのも可愛らしい。指には絶対必要だな。どの指にしよう。
じっと手を見つめていたら、ジャックの髪が顔に触れた。近すぎたようだ。
「なぁーにぃー? そんなに見つめちゃって」
「指、指ならどこがいい? 薬指のバランスがいいかな……だったらこっちの手はここに作って、そしたら腕の方は」
「あーららあ、センセーったら顔イッちまってんのー。おもしれぇー」
ジャックの笑い声が響く中、私の頭では美しく飾り付けた彼が完成していた。
他の色も試してみたいが、全体を考えると一色の方が美しい。最後は大きな黒いリボンで彼自身を縛る。銀色に光る髪には一番映える色だ。
ああ、それって。
「堕天使、みたいだね」
「てんしぃー?」
「うん。ジャック、君は天使だよ」
またジャックが笑うから、私の口角も自然に上がっていた。
【♦︎7】
セブンの服をよく見ると、パッチワークになっている箇所がある。様々なチェック柄や、水玉模様。それはジャケットの一部だったり、捲ってある袖の裏だったり。靴下も左右違う柄だが服とは浮いていなくて、バランスが合っている。
「ここも裏地を変えているのか」
「わあ、びっくりした!」
突然フードを引っ張ってしまったので、セブンの動きが止まった。一応謝っておいたが、目はまだ服に向かっている。
「なぁに、先生?」
「この服は君の趣味なの?」
そう聞くと、セブンは嫌いなものでも食べた時のような顔をしていた。
「んーああー、そのー」
そんなに難しい質問だっただろうか。
「……ジョーカーが」
ジョーカー、たまにここで聞く単語だ。別の人間もいたということか?
「ジョーカー?」
「うん。ジョーカーが似合うって! 俺も一緒に柄を選んで、好きなものいっぱい詰めたんだ!」
眩しい笑顔を浮かべるセブンに、私は笑みを返すことができなかった。
「その服はジョーカーが作ったの?」
「うん! みんなの服もジョーカーが作った」
「……そう」
黙り込んだ私の顔を覗き込んだセブンは、不思議そうな表情を浮かべていた。
「どうしたんだ? 先生」
「ジョーカーとは仲が良かった?」
「もちろん。みんなジョーカーのことが好きだ。ジョーカーは特別で、神様みたいなんだ」
セブンの表情がパッと明るくなった。
そんなにジョーカーが好きか? ジョーカー……。どんな人物なんだろうか。どうして消えたのだろう。どんな奴が、彼らを……。
「その服気に入っている?」
「もっちろん! サイコーだぜ!」
この服にハサミを入れたら、彼の笑顔は曇るだろう。泣くだろうか、こんな元気の塊みたいなセブンが。
その顔は、ジョーカーも見たことがない? ……バカなことを考えた。落ち着いて、深呼吸して……。
「ジョーカーに会いたい?」
聞くな。聞いてどうする。彼か、彼女か知らないが、出てきたところで私に勝ち目があるとは思えない。それなのに、口が止まらない。
「……分かんないや」
何て言っていいか、分からない。セブンはそう言った。会いたい、会いたくないの二択ではないのか?
「ごめん。そんな顔を見たかったわけじゃないんだ。意地悪な質問をしてしまった」
「イジワル? 先生が? あはは、そんなわけないだろー?」
「君の服を作り直したいと言っても、意地悪じゃないと言える?」
その質問に対して、セブンはまた困り顔を浮かべるだろうと思った。しかし実際私に見せたのは、輝くようなあの笑顔だった。
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