《2》
「おや、しつこくないジャックなんて珍しいですね」
「クイーン……あ、ごめんね。まだ名前が思いつかなくて。君は今までどこにいたの?」
「えっ、あー別にどこということもないんですけどねぇ、なんとなく歩いていただけで」
「……そう」
「あ、あれぇなんか怪しんでます? 僕ら時間を持て余しているんですよ。暇な中でやる作業に、別に意味なんてないでしょう?」
「うん、そうだね。ごめん、変なことを言って」
「いえいえ謝らないでください。うーん……僕は皆と円満な関係を築きたいんですけど、どうしてかいつも信用されない。なんでですかねぇ」
確かにどこか胡散臭さを感じるというか、話し方が軽いのかもしれない。
「あらら、先生も黙っちゃった。困らせちゃいましたかね。うーん、おかしいなぁ。僕もエースのような、丁寧な対応を心がけているのに。僕とエースってそんなに違います?」
「あの、クイーン」
「はい、どうしました?」
「君は多分……質問が多いんだと思う。君の話のほとんどは語尾が上がる。そこに他の話も付け加えるから、答えづらいのかもしれない」
今度はクイーンを黙らせてしまった。私の方こそ空気が読めていないだろうか。
「あー……なるほど。確かによく言われます。いっぺんに話す量が多いって! そうですね、そう言われれば身に覚えがあります。皆から結局、君は何の話をしにきたのと。冷たいですよ。時間なんていくらでもあるんだから、ゆっくり話を聞いてくれればいいのに。ま、とりあえず間が空く問題の理由が解明しました。さすが先生ですね、ありがとうございます」
「私はあまり自分から話さないから、沢山話しかけてもらえるのは嬉しいけど……君が疲れない程度にした方がいいかもしれないね」
「おや、僕のことも気にかけてくださるんですね。お優しい。……今までの話とは関係ないんですけど、先生はご存知ですか? トランプカードの強さ」
「エースやキングが強いということ?」
「はい。まあ僕らはそこまでカードのイメージに合わせた訳じゃないんですけど、一応僕はQ。AやJ、Kと並ぶ存在だ。絵柄無しよりジョーカーに近い。ただ一番強いエースとキングがスペード。どうして二人ともわざわざスペードなんでしょうね。……はは、でもここは盤上じゃない。ただ子供がいるだけだ。ゲームじゃない。だから……ハートが一番に繰り出す可能性もある」
クイーンは声を潜めて、私の耳元で囁いた。
「ねぇ先生、ハートのクイーンが勝てるゲームってご存知ですか?」
【angel tear】
あの子の目が、脳裏に焼きついて離れない。
透き通るような青色。深く、引きずりこまれ、もう二度と戻れないような。
美しい。サファイアのような瞳。
これが見たくて、彼の前髪に触れた。
私を見てくれ。もっと、もっとその目で私を!
これを天使と言わずして、何と言うだろう?
この世の奇跡が、この手の中に。
美しさは奇跡だ。美しいとは、この世の全てだ。何もかも惑わせ、狂わせる。
彼は何もしていない。見ただけだ。目で見るだけで、相手を酔わす。殺せる。
この魅力に気づかないものは愚かだ。いや、知らずに生きていけるのは幸せか?
そんな偽りの幸せなど、求めない。
私は壊れてもいい。消えてもいい。
彼がこちらに振り向いてくれるなら。彼が私を見てくれるなら、私の命など。
サファイアの瞳が髪の間から、私を捉えた。
その光は何だ、涙か。
なぜ君は泣いている? 何か悲しい事でもあったのか?
ああでも、その雫は何と美しいのだろう。
君の目を引き立たせる宝石のようだ。もっと飾り付けて、美しくしようか。
さぁこっちを見て。私の目を見るんだ。
もっと、もっと……。
【♡2】
顔を掻くにも、歩くにも邪魔になっている。デュースの長すぎる袖を見かねた私は、デュースを持ち上げて椅子に座った。
暗い教室をよく探索すると、糸や針などが見つかったのだ。
「一度上着を脱がせるけど、寒くないかな」
「うん」
私の手は、自分でも驚くほど簡単にそれをやり遂げていった。次はどうするべきか、頭で考えずとも勝手に動くのだ。
もしかしたら私は仕立て屋だったのかもしれない……仕立て屋が先生? どういうことだ。彼らの世界では仕立て屋が先生と呼ばれるほどの役職だったとか、何だそれは。
切った布や糸くずが床に落ちる。デュースはそれを拾い上げて遊んでいた。
「さぁ上着は完成だ」
今度は袖がだるだるのシャツ。オマケにボタンも取れている。
「凄い。サイズぴったりだ」
「エース」
彼は小さな上着を持って、デュースに当てていた。いつからここにいたのだろう。気づかなかった。
「記憶にはないけど、どうやら私はこういう作業が苦手ではないらしいよ。布がもっとあれば、新しい服を作れるかもしれない。この場所に必要かは分からないけどね。皆の制服も、良いものだ」
サイズが合わないだけで、制服自体は丁寧に作られたものだった。生地にもこだわっているようで、簡単に破けそうにない。
「良かったね、デュース。これでもう転ばないよ」
「抱っこは減らしたらやなの」
「はは、デュースは甘えん坊だ」
二人のやりとりが心地良く耳に響く。デュースを膝に乗せて、エースに見守られながら、布に糸を通していく。この作業はひどく落ち着いた。どうしてこんなに満たされるのだろう。……どうしてそのことを疑問に思っているのだろうか。良い気分なのであれば、それに身を委ねていればいい。私の中のどこか一部が、真相を暴きたがっているのだ。
「デュース、猫って好き?」
「……好き」
「良かった。ごめん、無意識に猫を作っていたみたいだ」
シャツの胸ポケットに簡単なネコの模様を付けてしまった。上着を着れば隠れるが、どこか無意識のまま作業を行なっていることが怖くなった。
「完成したよ」
随分小さくなった服を着て、デュースが立ち上がった。これだけで立派に見えるものだ。
「落ち着かないの」
「そのうち慣れるさ。前の方が動きにくいと思うよ」
エースはデュースの髪を撫でた後、机から降りた。彼は椅子ではなく、机に腰掛けていた。
「初めは多いと思ったけど、すぐに覚えられた。もう皆の顔も名前も一致する」
「それは良かった。さすが先生ですね」
「その……先生というの、やっぱりしっくりこないというか。自分がそんな大層な人間ではないと、覚えていなくても分かるんだ」
「……先生は、先生で合っています。僕らにとって、貴方は絶対に先生だ」
エースが力強く訴えてくれる。それは私を褒めるというよりは、正義を唱えているかのようだった。
「エース。君は私に……昔の私に何か言われた? 記憶を失ってもなお、そこまで言ってくれるほどの恩義が?」
その言葉には少し考えた後で。
「恩は……あります。が、それは昔も今も変わらない。今の先生にもお世話になっている。記憶がないのを不安に思うでしょうが、僕は……僕たちは、貴方であることが重要なのです」
「どういうこと……」
私は彼らに洗脳でもしたのだろうか。エースが頑なに自分を肯定すればするほど、嬉しさよりも別のもの……申し訳なさや、疑ってしまうような気持ちが湧いてくる。
「ふふ、難しい話ではないのです。貴方にとって僕たちは絶対に必要なものではありませんが、僕たちにとって貴方は絶対に必要な存在。それだけです。先生はただそこに存在していればいい。戸惑いもあるでしょうけれど、ここにいて分かったでしょう? この場所でできることなんてないのです。貴方ができることは、ここにいること。それだけ……それだけだと思われるでしょうが、それが一番大事なことです」
言葉に詰まっていると、エースがまた笑った。
「分からなくてもいいのです。納得しなくても、返事をしなくても。僕は怒りも困りもしません。先生が今のままでいてくれるなら、それだけで充分なんです」
針を置いた私の手に、暖かいものが乗せられた。デュースの小さな手だ。
「デュースね、楽しいの。ここにいるのが」
不意に熱い感触が顔をなぞった。涙か? 私が人前で泣くなんて……。
感覚で分かる。自分は素直に涙を流したり、心の底から笑うことができない人間だと。
きっとここは天国だ。神様が与えてくれた、私が幸せでいられる世界なんだ。
エースが言った通り、余計なことを考えるのはやめよう。理由など、壊してしまうかもしれない話し合いなど必要ないだろう。この世界に。
「私はここにいるよ。ずっと、君達とね」
二人は笑って、私に手を差し伸べてくれた。
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