《1》
こっちの方はきっと決めなければならないだろう。なんとなく全員の顔を眺めたが、知らなかった頃に比べて、ますます選びにくくなってしまった。
「誰でもいいのですよ。一人じゃなくったっていい。……ああそうだ。立候補でもいいよ」
一瞬お互いに探るような空気が流れた後、小さい手が上がった。
「デュース! デュース行くの!」
「え、俺も! 俺も行きたい!」
「ああ……小さい子だけだと不安だね。俺が面倒を見るよ」
俺は小さくないと隣で騒ぐセブンをエイトが宥めた。そのままこちらに優しい笑みが送られる。
「ふふ、じゃあ先生、俺達と行きましょうか。エースそれでいいよね?」
「ああ、頼んだよエイト」
「さぁデュース、こっちへおいで」
小さい体を持ち上げて廊下に出た。セブンがランプを持ってこっちに手を振る。
「せんせーはやくー」
「……行ってらっしゃい、先生」
エースの少し曲がった眉の横を通り過ぎる。ケイトが小さく手を振ってくれた。
「よーし、行くぞー」
「デュースこっちー」
「おっと」
体を捻ってエイトの腕から飛び出したデュースが、こっちに向かってきた。それを受け止めると、デュースはにっこりと笑う。
「先生に任せてもいいですか? 疲れたら交代しましょう」
「ああ、構わないけど……」
ずっしりした重みが腕に伝わってきた。デュースは小さく軽い方なのだろうが、子供を抱いた記憶などないので、少し驚いた。
「それじゃあこの階はさっき回ったから……下に向かいましょうか」
「行こ行こー!」
先程より随分賑やかな探索が始まった。自分達がいる範囲ぐらいしか照らせないランプだが、雰囲気は明るい。
セブンは聞いたことのないオリジナルソングを歌っているし、デュースは私に質問したと思ったら、すぐに自分のことを話す。その横でエイトはニコニコしているだけだ。
「俺は最強ナンバーワン! ワンじゃなくてセブンだぜー。わんわんワンちゃん。にゃんにゃんにゃん!」
「デュースはね、ハリネズミが好きなの。先生は? でもハリネズミに触ったことないの。痛いの? ちくちくする? かわいい?」
「私も動物にはあまり詳しくなくて……」
「なみー、うみー、うみのもくずー」
「セブンは何の歌を歌っているんだい?」
「さぁ、歌詞はよく分からないけど、結構耳に残るんですよね。教室でも、つい歌っちゃう子がいますよ。それを聞いたセブンが、それ何の曲? とか聞くから……ふふっ」
「ああ……何か、想像できるね」
「ぶーーん!」
セブンは落ち着きなく私達の周りを走っているが、集中しなければいけないほど景色に変わりがあるわけではない。先程からほとんど一緒だ。
「こらこらセブン、危ないからちゃんと照らしておいてね。俺が持とうか?」
「うん、エイト頼んだ!」
「この階は特にめぼしいものはなかったですね。戻りますか?」
「いや……そういえば、君達はここに詳しいわけではないの? あまり焦っていないということは、ある程度は調べ終わっている、のかな」
エイトの目が私から逸れた。何と答えればいいのか、言い淀んでいるようだ。
「そうですね……まぁ確かに焦ってはいません。ここでも特に不自由がないので」
「こんな場所へ来たら家に戻りたいと思うのが自然だと思うが、君達も記憶がない、もしくは帰りたくない、ということかな」
「その答えは先生にもすぐ出せると思いますよ。下まで行ってみましょうか」
「廊下は寒くて暗いの。デュース好きじゃない……でも先生はあったかいの」
この小さな体温は私にとってもありがたかった。不安しか見えない真っ暗な廊下を歩くには、一番必要なものに思えた。
軽く回ってみたが、下の階も似たようなものだった。特に変わった教室もなく、椅子が一、二個ぽつんと倒れているだけだ。
階段が終わった。ここが一番下らしい。目覚めた教室が四階だったので、ここは四階建てということか。
「何だここは……」
一階に行けば何かしらあると思ったのに、そこは他の階以上に何もなかった。教室もなく、ただ空間が広がっているだけだ。
壁沿いに歩いてみたが、扉などは存在しない。別の部屋もない。
「ここに閉じ込められているということか」
だから彼らは諦めたのか? 何日間も閉じ込められ試行錯誤したが、解決策が思いつかなかった?
しかし彼らの服は綺麗だ。汚れもないし、腕の中にいるデュースの服も、少し甘いミルクの香りがするだけだ。疲れた様子もない。
「……君達、食事などはどうして」
「先生、気づきませんか」
「えっ?」
「お腹すいてるー?」
「いや、今は大丈夫だ」
「先程水を飲んでいましたよね、尿意は?」
お腹に手を当ててみたが、何も感じない。何時間寝ていたか定かではないが、目覚めた時は確かに喉の渇きを感じた。空腹感はなかった。それは今もだ。
「でしょう? ここは不思議な場所なんですよ。時が止まっているみたいだ。実際止まっているのかもしれない。それを調べる術はないけど」
「つまり?」
「お腹も空かない。眠くもならない。そのような欲求が何も湧かない。何かが進むことも後退することもない。停滞、そう言うしかないのかもしれませんね」
「しかし私は確かに喉が渇いていた。……あれは?」
「……そうですねぇ。例えば先生が無意識に行っていたこと……あまりにも当たり前過ぎて思わず欲した」
「私は目覚めたら必ず一番に水を飲んでいたから、そうなったと?」
エイトは柔らかく微笑んでから、デュースの指に自分の人差し指を絡ませた。まるで母親のような仕草だ。
だだっ広い空間は真っ暗だが、セブンが走り回っているおかげで怖くはない。
「目覚めの水は体が覚えていたけど、その後の行動がいつもとは違いすぎるのでしょう。普段なら全く同じというわけでもないけれど、同じようなことを繰り返して、ああもうすぐお昼だなと感覚で分かるものです。でも今は何時か分からないし、外も見えない。しようと思えば全員で秒数を数えて、それに合わせて眠ってみるとかできそうですが……」
エイトが腕を伸ばしてデュースを取り上げた。静かだと思ったら、いつのまにか寝ていたようだ。
「睡眠も食事もいらない世界にいるんです。わざわざ面倒事を増やす必要はないでしょう。お腹が空くという感覚を一度でも味わってしまったら、皆飢え死にします」
「デュースはどうして眠ったのかな」
「暖かさ、安心感、それを感じると眠らなくてはいけない。そう無意識に思ったか……この世界はむちゃくちゃですから、理由は何とでもつけられそうですね」
「確かにここから出られないが、焦る必要はないね。私もお手上げだと、そう思うよ。生き地獄というのかな。死ねないのも辛い事なのかもしれないけど」
「あまりにも凄惨な光景を見たら、痛い思いをしたら、体は痛みを思い出すかもしれません。俺は苦しくなってきたら、皆と愛の心中をするつもりですよ。もちろん貴方とも、ね」
エイトの瞳はくすんだ赤色だ。ワインのような色に近いだろうか。その瞳が光に揺れて、薄く閉じられた。
「さぁセブン、帰るよ。一気に探索しちゃって、皆に怒られないかな。まだまだ子供達は残っているのに、俺達が独り占めしちゃったね」
「ん? 一人じゃないぞ?」
「ふふ、言葉の綾だよ」
行きよりは少し大人しくなったセブン達と共に戻った。エイトから聞いた話をどう飲み込むべきか迷いながら。
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