第219話 うらしま悠人


 「ところでどうやって帰るんだ? 小夜のゲートがないぞ?」


 元の位置へと戻ってみたがゲートがない。あのゲートは開いているだけで消耗していき、通り抜けたものの表面積に応じてさらに消耗する。普通に通り抜けることができない空間を通るためコーティングする必要があるみたいだ。入り口の渦にはそれを施す機能が備えられていて、通る度に内蔵されたエッセンスがコーティングに使われるってとこか。ちなみにそうしなければ良くて爆散、最悪跡形も残らず分解されるらしい。エアリスからその事実を聞かされたときは震えたが、背に腹はかえられない。【空間超越の鍵】で扉を開くことができず【転移】でも外には出られないようだからな。


 「ゲートを開けるかもしれません。マスターの中に戻ってもよろしいですか?」

 「いちいち断り入れなくてもいいのに」

 「それが……上手くできないのです」

 「ほぉ……じゃあ『戻れ、エアリス』」


 エアリスは一瞬で赤い光に姿を変え戻ってくる。それと同時に左手の甲に違和感が生まれていた。


 「この青い宝石……夢の中で、初めて白夢に行った時に貰ったものだったよな」


 ーー おや? どうしてここにクロノスが? ……フムフムナルホド。そういう事だったのですか ーー


 俺を無視して何かを納得した様子のエアリス。数分後、ようやく返事がくる。


 ーー どうやらその石は白夢と繋がっているようです。というか白夢が物質化した姿です ーー


 気付いていなかっただけでこれまでも左手に埋まっていたらしい。それが皮膚を突き破って顔を覗かせているのはエアリスが白夢に入った事も影響してるみたいだ。


 ーー 推測ですが、ワタシとマスターの境界は元から曖昧だったのではと。アークの性質が絶妙なバランスにあったワタシたちの『曖昧である事を曖昧にした』のか、マスターとワタシが別々に成長したために境界が強固になってしまったのか ーー


 エアリスが生まれた元になっている要素に俺が含まれている事を思えば理解できるような。細かいことはわからんけど。

 ともかくこの青い石が白夢でエアリスはそこにいるって事で良さそうだ。ところでクロノスがいるのか?


 ーー はい。おそらく先ほどまで外にいたクロノスはこちらのクロノスのコピーでしょう。オメガと共にったのは身代わりとしたからかと ーー


 俺たち人間の常識がまるで通用しないのだけはわかった。あ、もうひとつあるな。白夢のクロノスはオメガと切り離されてるって事だ。


 「そのクロノス、呼び出せるんじゃないか?」


 ーー はい、おそらく。しかし白夢と同化していますので呼び出せるとして複製かと ーー


 呼び出せるならそれでいい。あとはゲートを開きたいんだが……本当にできるんだろうか?


 ーー お任せください。【神言】をお借りします ーー


 左手の石から小さく声が聴こえ黒い渦が現れた。仙郷で龍神を喚んだ際に偶然開いてしまったものと、小夜がこれまで幾度となく使っていた事からヒントを得たようだった。

 やっと帰れる。行き先も聞かず、躊躇ちゅうちょ無く渦に飛び込んだ。念のために全身を【拒絶する不可侵の壁】で覆って。


 真っ暗な中、派手に水飛沫が上がる。先客がいればさぞ驚くだろうな。


 ーー 空から人が! を、再現してみました ーー


 再現度的にダメだろう。どこの世界に上空から露天風呂にエクストリーム入湯するやつがいるんだよ。まぁちょうど良かったけど。


 ーー そうでしょう! ご主人様のお風呂に入りたい気持ちに忖度成功しました ーー


 服着たまま入りたいとは思ってないんだけどな。というわけで。


 『換装・風呂スタイル!』


 何を隠そう素っ裸だ。何を隠そう、というか何も隠してない。風呂スタイルとしているのは頭にタオルが乗っているからだ。夜の露天風呂で仁王立ち、素晴らしきかなこの開放感。


 「よし、とりあえずゆっくりと——」


 ガララと勢いよく戸が開くのが早いか俺は深めの湯船に体を隠す。再び水飛沫が勢いよく飛び散り、ようやくステータスがおかしな事になっているのを実感した。


 「悠人さん……!」

 「か、香織ちゃん」


 一度分かれた記憶が混ざったからだろうか。昨日の事のように思えると同時数週間も会っていないようなちょっとした懐かしさを——


 「一ヶ月近くも帰って来ないなんて……長すぎですよ」


 エアリスがインターネットに接続し確認すると今は八月半ば。一日程度の感覚だったのにな。


 ーー アークに長居するのはよくないかもしれませんね ーー


 だな。時間の感覚も曖昧になってたって事か。エアリスによるとあの後俺が眠っていたのはほんの数分らしいし、丸一日眠ったように感じた俺ともかなり違う。


 「あの……記憶は……」

 「心配かけてごめん。でも大体思い出したと思うよ」

 「よ、よかったぁ……」


 香織は自分の事を忘れたままだったらどうしようと内心ヒヤヒヤしていたらしい。一方俺は香織の話を聞きながら嬉しいのと露天風呂で心も体もホカホカしてるけど。


 「そういえば菲菲の母親探してないし小夜にコート作ってあげてないし……怒ってないといいな」

 「それなら大丈夫です。ところで……」


 湯船の側まで来て両膝をつき手招きする香織に、湯に肩までつかったまま移動する。なんかちょっと気恥ずかしさがあったので。


 「お帰りなさい、悠人さん」

 「ただいま、香織ちゃん」


 アークでの別れ際よりも少し強めの感触にもう少し深く浸りたくなる。それを知ってか知らずか薄らと口元に笑みを浮かべた香織は軽い足取りで露天風呂から出て行った。


 「三週間以上か。長いよな」


 ーー そうですね ーー


 俺がいない間なにも問題はなかっただろうか。香織にそんな様子はなかったし大丈夫だとは思うけど。

 念のため湯に浸りながらエアリスに情報を集めてもらう。

 エテメン・アンキ攻城戦は問題無し。謎の刺客が参加者を狩っていたらしいが……誰かが頑張ってくれたのかな。アイテムに関しては作り貯めていたものとエテメン・アンキの鍛治が得意な住人のおかげでまだ余裕があるみたいだ。

 地下にある魔王城、その主の小夜は魔王としてのお仕事を全うしていた。ようやくカラフルレンジャー悪魔たちを突破できそうな海外チームが現れたようで、それを軽く撃破していた。


 ーー クラン・ログハウス基本運営に関してはエテメン・アンキ入場料、喫茶・ゆーとぴあ、動画サイトからの収入がありますし、皆様も通常通り依頼をこなしているでしょうから問題ないかと ーー


 なるほど確かに。不安なのは俺にツケて酒を飲んでいる自称神々、あとは菲菲フェイフェイと一緒にいた人たちにかかるお金か。


 ーー 政府、非営利団体および一般企業による利権への横槍もありません ーー


 利権? 俺たちにそんなものあっただろうか?


 ーー 魔王の領土となっているダンジョン内において、自由にしているログハウスは独占的に利益を享受きょうじゅしていると受け取られ始めています ーー


 言われてみれば確かに……でも規模も小さいし給料払うのが精一杯だろ? それに問題にされるのはもっと先になる予定だったような。


 ーー 実は給料の支払は余裕があります。ですが収益から支援金を出していまして、それは批判を受けないためにもなっているはずなのです。それでも批判が増えているのはそれだけ地上の経済は衰退し、ヒトの心から余裕が消えていっているのでしょう。世論に後押しされダンジョン進出を画策かくさくした大企業がログハウスと同じ事をしようとすれば大規模な開拓が始まるでしょう ーー


 それをやったら宣誓に反するよな。それの意味するところは小夜が魔王として粛清することになって、人が大勢死ぬだろう。それでもログハウスは対象外だから、批判集中、非難轟々ひなんごうごうか。


 ーー あの場に居なかった人類にとって現実味がないのでしょう。身近に感じさせるため、愚か者共にわからせましょうか? ーー


 前より物騒になってないか? いくら実体化できるようになったからって強気すぎ。それに俺はそんな事望んでないしエアリスにも小夜にもして欲しくはないな。


 アークで香織が“鬼神化”していた事を断片的に覚えている。アークの特性が影響した事故のようなものだったんだろうけど死屍累々ししるいるいだった。あんな事はもうごめんだ。


 そういえばアークがあった場所ってハフク・バベルの中だったんだよな。ダンジョン化のコアってもしかして……


 ーー アークがコアとして機能していたようです。虚数空間に放り込んだ事により大陸の国および周辺国へ広がっていたダンジョン化は止まっています。現在縮小傾向にあるようですが、完全にとはいかないでしょう ーー


 それなら菲菲と一緒にいた人たちは国籍を変える必要はないのかもしれないな。

 ところでハフク・バベルは放っておいて良いんだろうか? フェリシアが何か知っていそうだったな。


 ーー 【神言】となった今であれば如何いかにフェリシアでも逆らう事は困難かもしれません ーー


 普通に話してくれるように頼むだけだから。まったくエアリスは。俺と同じ超越種と言える存在になったなんて言ってたけど、そのせいで物騒さが増したんだろうか。世界をどうこうする事もできるって言ってた最初の頃を思い出すなぁ。そうだ、超越種についても聞けるといいな。


 「さて、みんなを待たせるのも悪いしそろそろあがるか」

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