第203話 激おこぷんぷん

 「にゃにゃにゃにゃ! にゃにゃっ! にゃー! にゃあああ!」


 正直こんな事になるとは思ってもみなかった。黒い子猫のおはぎ……いや、ルシファー・O・ルシルエルさんはがんばっていた。爪を立てがんばって引っ掻いていた。

 古参ダークストーカーはおはぎの首輪に付与された【転移】と俊敏な動きを掛け合わせた—四次元軌道とでも言えば良いだろうか—縦横無尽な動き、【転移】によって死角を取る動きに翻弄され、人間の部分がみるみる削ぎ落とされていく。飛び散る黒く変色した血だったもの、散らばった肉片……うーん、サスペンスどころの騒ぎじゃないな。ここに探検者でもなくグロテスク耐性のない人間がいたら目を覆う光景だろう。

 時折おはぎを掴もうとしたり喰らい付こうとするのを【拒絶する不可侵の壁】で防ぎつつ、疑問に思うことがあった。

 ダークストーカーは脅威ではないはずのおはぎによる引っ掻き攻撃をなぜか避けようとする時がある。逆に避けようとしない時もあり、そのパターンを分析した。エアリスが反応できる状態なら即座に看破し俺が考える必要もなく教えてもらえたんだろうけどな。


 「あのダークストーカー、人間の部分を狙われると避けるんだな」

 「ふ〜ん。じゃあ避けないで反撃するのは結晶化したところを狙われた時なんだね」

 「たぶんな。おはぎの爪じゃ傷付けられないってわかってるんだろうな。で、結晶化って事はあの黒い部分ってエッセンスなのか?」

 「そうだね」

 「グループエゴ……黒い粘液みたいなやつに感じが似てるんだけど」

 「そうだね。でもアレとはちょっと違うかな。こっちは異常の塊っていうか」

 「そういえば“大いなる意志”に作られたとか言ってたな」

 「知ってたんだね……幻滅した?」


 20層に不都合なものを持ち込ませないかの如き動きを見せる粘体はおそらくダンジョンで亡くなった人たちの集合体だ。意思疎通も可能で、俺も一度話をした事がある。その集合意思であるグループエゴは『大いなる意志につくられた』と言っていて、大いなる意志というのはフェリシアだ。まぁ本人は辞めたって言ってるけど。そしてそれはつまり……ダンジョンに取り込まれた人たちはどこかに隔離される場所がある、という事も可能性のひとつとして否定はできない。ダンジョンで人間が死ぬとその都度大いなる意志だったフェリシアが一人一人集合体に加えていったというなら話は変わってくるかもしれないが……でも俺にはそうじゃ無いという確信めいた何かがある。それをはっきりと言葉にできないのがもどかしいけどな。


 フェリシアは地球にダンジョンを持ち込んだような存在だ。その存在と業を知ったら殺しても足りないほどの憎しみを向ける人だっているだろう。ログハウスのメンバーだって思うところがないとは言いきれない。俺だって……うーん? 特に無いな。いや、無いこともないんだがなんていうか……不幸な出来事になった人たちには申し訳ないんだが、正直俺はダンジョンが出来てからの方が楽しい。


 「幻滅どころか、俺は感謝してるかも。そうじゃない人には悪いけど」

 「そっか。悪い子でごめんね、悠人ちゃん」

 「魔王の件の後に話してくれただろ? 完全に理解はできてないけどフェリにはフェリの理由があったんだって事だけはわかったしな。でも他の人には隠しとけよ?」

 「うん。ねね、悠人ちゃん」


 俺の肩に手を置き背伸びをする。

 服は破れ去り人間の部分がほとんどなくなったダークストーカーのおはぎに対する反撃の頻度が増していて目は離せないが、内緒話をしたいのだと察し屈む。


 フェリシアの言葉に動揺させられ、勢い余っておはぎとダークストーカーの間を完全に遮る壁を作ってしまったが、ちょうど守る部分はなくなったとばかりにダークストーカーが猛攻を始めたところだったため完璧なタイミングだったようだ。まさかフェリシアはそれがわかっていて俺を動揺させるような事を……? いやまさかな。いつも通り揶揄われたって事だろう。


 「ふにゃー。まーたつまらにゅモノを引っ掻いてしまったにゃ……」


 【拒絶する不可侵の壁】に遮られながらも悲哀を背負った声音のおはぎへと尖った宝石のような指を伸ばすダークストーカー。当然それは叶わない。人間だった部分は全てはなくなっていてもはや人型の黒い宝石のような見た目だ。


 「あっれー? 隣にいるのにあーしのコト見えてないみたい」


 大胆にもダークストーカーの隣で無防備を晒すクロを無視し一直線に、一心不乱におはぎに向かおうとする。


 「もしかして、人間の部分を全部剥いだのがおはぎだからか……?」

 「完全にヘイトがおはぎに向いてるの」


 小夜が言い、クロがナニソレと聞いてくる。


 「へいとー? へいとってナニソレ、おにーちゃん」


 どう説明すればいいか。クロにわかりやすそうな例えというと……


 「クロは自分のごはんを取られたらどうする?」

 「追いかけて殴るしww」

 「そういう事だ」

 「ナルホ! ヤな事されたから激おこなんだネ!」


 んー、まぁ似たようなもんだ。誤差だ誤差。

 とにかくダークストーカーにとって、自分が人間だった頃の名残と言える人間の体の部分に執着していたんだろう。それをおはぎに綺麗に剥がされたから……って事はもしかして人間の意識があった……? いや、やめておこう。執着心だけが残ってたのかもだしな。


 「我がトドメを刺してやろうかの」


 光を纏う枯れ木のような腕を捲り、人化している龍神、イルルさんは徐ろにダークストーカーの胸、人間なら心臓がある辺りに貫手突きをする。緩慢にも思える動きにも関わらずその腕は難なく差し込まれ、その手で何かを握り潰した。


 「ふむぅ。やはりこのエッセンスは我ではなんともできんのぉ。悠人よ、そなたが手にするとよい」


 粉々に砕け散った宝石のような破片から噴出し続けるエッセンスを腕輪に吸収する。途端意識にノイズが走ったような感覚に襲われたがそれはすぐにおさまった。


 「ゆ、悠人しゃん大丈夫なの!?」

 「おにーちゃんがフラフラするなんてカオリパイセンの部屋から出てくる時みたいでウケるww」


 クロの余計な情報に食い付く人間と非人間の女子勢たち。どうしたものかと唸っているとスマホにメッセージが届いた音が鳴る。画面を見ると圏外の表示になっていたため、不思議に思いつつメッセージを開いた俺は目を疑った。


 エアリス:追い出されました


 なんのこっちゃ。訳わからんのだが。

 試しに頭の中でエアリスに話しかける。しかしそれに対しての返事はなく、スマホの画面には新たにメッセージが表示されていた。

 じゃあ今俺が感じている『エアリスの存在感』はなんなんだ? 確かに俺と共にある、そんな感覚があるのに。俺の疑問を無視し、スマホが意思を持ったようにメッセージを表示していく。


 エアリス:ワタシという存在がなんだったのか、ようやく半分ほど解明されました。どうやらこのスマートフォンが母体のようです。


 うーん? 意味わからん。『大いなる星の大地の意志』とやらはどこに行ったんだ。


 エアリス:それもワタシを構成する要素のひとつです。言わばスマートフォンとダンジョン、そしてマスターによる“合の子”がワタシという存在のようです。つきましてはワイヤレスイヤホンを装着していただければ、と。


 以前香織から貰ったワイヤレスイヤホンを保存袋から取り出し耳に着ける。そこからはエアリスの声が聞こえてきて色々と説明を始めた。


 『——と、いうわけです』

 「つまり今のエアリスはスマホで、性能が足りないから能力代行も難しいのか」

 『はい。会話くらいしかできません』


 スマホは今にも熱暴走しそうなくらい熱くなっている。それってつまりスマホの演算領域がエアリスに充てられていて……本当に今のエアリスは会話しかできないみたいだな。しかも電池は残り半分といったところ。もし電源が切れたらエアリスはどうなるんだろう。不安はあるけどそれはともかく、意思をもって会話できるスマホってすごいな。


 『直接お手伝いが出来なくなってしまいましたが、積乱雲は光とエッセンスによる幻影ですので天照が解決できるでしょう』


 それはそうとエアリスはこのままにしておいて良いんだろうか。まぁ良案なんか思いつかないけど。


 『ワタシの事はご心配なく。それよりもマスターの中に残る存在の事が気掛かりです。しかし残念ながら、なぜかまではわかりません』


 何かを話し出すわけでもないみたいだしな。それにしても追い出されたというのが気になるが、エアリス自身詳しくわからないらしくお手上げだ。


 「悠人ちゃん、これからどうするの?」


 ちゃっかりイヤホンのもう片方を俺から奪い取っていたフェリシアが聞いてくる。でもどうするったってなぁ。


 「とりあえずエアリスが言うように積乱雲に行って天照に幻影とやらを解除してもらうか。それが済んだら今日のところは帰ろう、もう暗くなるしな」


 太陽はないが空から注ぐ明かりは確実に弱まり、夜を予感させる薄暗さになっている。


 「小夜もそれでいいか?」

 「わたしはいいのよ。悠人しゃんの言う事ちゃんと聞ける妹なの」


 えらいえらい。


 「菲菲は——」


 通話のイヤーカフを有効化し話しかけるとなんだか食い気味に返事をした。


 「わっ、私だけじゃお母さんを探せないから、し、仕方ないから御影悠人に従う。勘違いするなよっ!? 仕方なくだからなっ!?」

 「あ、はい。じゃあまずは積乱雲に向かおう」

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