第187話 こみゅにけーしょんムツカシ
山間の小さな村、菲菲の故郷へと小夜のゲートでやってきた。ここに来る前にいた街もそうだったが、衛星写真では黒い円に見えるだけあって陽の光は若干少なく感じられ薄暗く、さらに人の気配も感じられないためどこか物悲しい雰囲気が漂っていた。遅れてゲートを通ってきた菲菲がバランスを崩すと、それを支えてやった方が良いかと一瞬迷ったが結局見ているだけになった。派手に転びそうになっていれば別だがそれほどではないとわかりホッと胸を撫で下ろしたところで菲菲と目が合う。すごく睨まれている。なんだかそういう視線を向けられるのは居心地が悪く、少しでもコミュニケーションを取って良い印象を与える事で俺を殺そうとしないようになって欲しい……ということで。
「ここは位置的にどのあたりなんだ?」菲菲に尋ねたが、彼女はすぐに顔を背けどこかを目指して走り出してしまった。うーん。こみゅにけーしょん、ムツカシヨー。
「なぁエアリス、ここってどの辺?」
ーー 北に向かえばモンゴルがあり—— ーー
エアリスが詳細に伝えてくるが、俺はこの国について詳しくはない。必要な情報だけを拾いなんとなく場所を把握した。
「つまり……位置的には国土の中心と言える場所か」
ーー 実際よりも少し北ですがその認識で問題ないかと。そしてこの村にはプライベートダンジョンがあり、ダンジョン化の中心となっています ーー
ってことはここにコアが? 見回してもそれらしいものは見当たらない。本当にここに“塔”があるんだろうか。
「ねえ悠人ちゃん、塔っていうの地面にあるとは限らないよ?」
おはぎとチビをぬいぐるみのように抱くフェリシアはそう言うと歩き出す。そちらに何かあるのだろうかと後を追う。念のため【神眼】で索敵をしたが付近にはなにもいないようで道中は観光気分、と言いたいところだが人の気配もないし、初の海外なのに楽しい気分とは言えないな。
風景を眺めながら、日本にもドの付く程の田舎ならこんな場所があるなぁ……なんて事を思った。コンビニはもちろんないし、一目で店とわかる建物すら一軒も見当たらず見るからに不便そうだ。大都会に住んでいる人たちの中にはこういう場所は憧れだったりするなんて話をよく聞くけど、その感覚はちょっとよくわからないな。でも老後にスローライフとか言って田舎に移住したは良いが、そこで現実を知るんだよな。老後に利便性を捨てたような生活になるっていうのは並大抵の事じゃないだろうから。
……あれ? でもログハウスってここより田舎じゃね? で、でも喫茶店あるしな! 宿泊だってできちゃうからな! 全部俺たちのだけど! ……なんだか独り相撲をしている気分になってくるな。
「うっわー、おにーちゃん、ここコンビニないね? ヤバくない?」
クロはそう言うが、日本のごく一部地域しか知らないんだから仕方ないんだろうな。とは言えログハウスも似たような環境だし、日本だって少し田舎に行けばコンビニを探すのに苦労する地域なんていくらでもある。ここにはおそらく一軒すらもないんだろうけど。
「服屋もないの。とんだド田舎なの」
小夜も容赦ないな。とにかくフェリシアが立ち止まったそこには、最近造られたであろうコンクリートの壁があった。高さは二メートル程度だが、ぐるりと何かを囲っているようだ。
「もしかしてここがダンジョンの入り口なのか?」
ーー そのようです ーー
フェリシアとクロが入れる場所を探して歩き出し、一周して戻ってきた。
「あったか?」一応聞いては見たものの表情から返ってくるであろう答えは察する事ができる。
「なかったよ、どうしてかな?」
「全部囲まれてたんだケドww 謎いww ウケるww」
クロの言う通り入り口を作って出入りを管理するわけでもなく囲っただけか。しかもこの程度の高さなら入ろうと思えば入れるよな。じゃあフェリシアが疑問に思った通り、どうしてこんな“壁だけ”を作ったのか。
「上層部がダンジョンに入る事を禁止したからよ」
いつの間にか戻ってきていた菲菲が言う。しっかり意識しない【神眼】では全方位の情報を満遍なく得る事ができない環境のため戻っている事を見落としていたらしい。
『出力を抑え込まなければ問題なく機能するはず』エアリスはそう言うけど、菲菲がいるからな。出力を制限しないという事はつまり、左目に青い焔が現出してしまうと言う事だ。菲菲がいくら超越者で普通の探検者よりも“不思議”に対して耐性があるだろうとはいえ、そんなのを見せてしまって『キモい』なんて言われたら傷つくし。それに化け物認定みたいなものをされてしまったら、これまで以上に俺を殺そうとする事に躊躇(ためら)いがなくなるかもしれない。
そんな心配をしているとは露ほども思っていないだろう菲菲は説明をしてくれた。
「一時的に壁で囲んで、後日丸ごと封印するつもりだと聞いていた」
なるほどな。って事は事故が起きてどうしようもなくなった原発をそうするように、コンクリートで固めたりしようとしてたって事か。
ふとクロが腕組みをして大きく首を傾げているのが目端に映る。
クロはダンジョン生まれダンジョン育ちだが、日本語しか話せない。他の住人たちはいくつも話せるようだったが、彼らとは違い勉強があまり好きではなかったのかもしれないな。しかしそこで覚えたのが日本語ってのが謎だが、まぁ意思疎通にちょうどよかったとか最初に覚えたのが日本語でそれ以上は必要なかったのかもしれない。そういえばベータも日本語喋ってたよな。今は刀を依代としてるから、思考がそのまま流れ込んでくるため俺に都合の良い言語で聞こえるようになっているけど。
「おにーちゃん、チャンフェイ何言ってんの? 言葉ワカンネ」
クロは菲菲が何を言っているか、言語的に理解できていない。フェリシアと小夜はわかっているけど。
菲菲が言った事をクロに教えてやると、クロはケタケタと笑い出す。
「それって見捨てられたってことジャンww」
クロが日本語しか話せなくて良かったと思ったのは、フェリシアがホッと息を吐いている事から俺だけではなかったとわかる。一応菲菲も喫茶・ゆーとぴあの警備バイトだし、やさしくしてやってほしい。とは言っても『チャンフェイ』と呼んでいるんだから少なからず悪くない交流をしているだろうけどな。お互いに言葉のわからない同士だが、喫茶・ゆーとぴあの仮宿さんに通訳してもらってるんだろうか。フェリシアもできるだろうが、いつもと言うわけにはいかないだろうしな。ほんとあの人には世話になってるな〜。
仮宿(かりや)さんというのは喫茶・ゆーとぴあの支配人みたいな人だ。元ホテル従業員、辞める前は支配人の地位にいたらしい彼は同じく元ホテル従業員で恋人の女性と一緒に住み込みで働いている。二人には経営素人の山里さんを補佐してもらう事を期待していたが、現状はほとんど二人に任せきりだ。
実際のトップはガイアの母親、山里菜々子さん。彼女は喫茶・ゆーとぴあで料理をしながら帳簿などの最終的な確認をしてもらっている。今は料理に力を入れている事もあって経営者と言うよりもシェフだ。
「御影悠人、クロはなんと言っている?」
あ、そうだった、そんな話をしてたんだったな。とりあえずクロの無神経な言葉は伝えるわけにはいかないので適当にごまかさないとな。
「おはぎ……この猫と遊んでいて何かおもしろかったんじゃないかな。気にする事じゃないと思う」
「おはぎ……?」
そう言った菲菲はフェリシアに抱かれている子猫を見やる。対するおはぎは「にゃーがメルクリウス・O・サンダルフォンにゃ!」前足を片方挙げた。猫が喋るなんて……となるはずだが、日本語しかわからないおはぎと日本語がわからない菲菲である。
「この猫……うにゃうにゃと喋っているように鳴くんだな」
こうなるのも当然だろう。おはぎに関しては、菲菲相手ならいくら喋っているところを聞かれても変に騒がれる事もなさそうだな。
「ねね、悠人ちゃん」
そう言って俺の横で踵を上げる。つまり耳打ちしたいって事か。みんなに聞かれたく無い大事な話かと思い俺は膝を曲げてフェリシアにちょうど良い高さになる。そして語られたのは——
「菲菲って普段はもっと普通っぽい話し方なんだよ?」
——全然大事じゃ無い話だねそれ。
それがどうしたと思ったが、その真意をエアリスが伝えてくる。
ーー つまりフェリシアは、菲菲の話し方がマスターへの好感度を知るためのバロメーターになると言いたいのでは? ーー
なるほど。じゃあつまり、菲菲が気安い口調で話してくれるようになれば“御影悠人”は暗殺を企(くわだ)てられる可能性が下がると言う事か。実は大事な話だったかもしれないな。でもなー、それってどうすればいいんだよ。気さくに話しかけていけばなんとかなるのか? だとしても控えめに言って苦手分野だぞ。いつも心がけてはいるけど変な汗出てくるしな。
期待はできないな。菲菲にも、そして俺にも。
まぁ好感度が低いままだったとしても……暗殺って言ったってエアリスがいるんだ、そう簡単なものじゃないだろ。だから好感度なんかよりも知りたい事を聞かないとな。
「菲菲さん、人民軍がダンジョンから戻った時にダンジョンから黒い霧が湧いて出たんだよな?」
「……誰から聞いた?」
あっやっべ。これって普通知らない事だっけ。うーん、ゴリ押しでなんとかすれば良いか。
「……とある筋からかな」
すると菲菲は少し考え、納得とばかりに頷いた。
「なるほど。ペルソナ様からか」
「ま、まぁそんなとこ。で、どうなんだ?」
「残念だが、私もその情報は知らない。でも——」
菲菲はこちらをしっかりと見据えて言った。
「ここはその場所とは違うはずだ」
「それってつまり……」
「人民軍が使用している出入口はここではない、ということだ」
ふむふむ。じゃあ黒い霧が湧いて出たから封印しようとしたってわけじゃないんだな。にしてもなんか違和感があるよな。黒い霧が発生した場所じゃなく、こんな小さな村にできたダンジョンにコアがあるなんて。
ーー おそらく、人民軍の使用していたダンジョンではモンスターが狩られていなかった可能性が ーー
エアリスの予想を菲菲に聞いてみると驚いたような表情をして「なぜ知っている」と返ってくるが、親切に教えてやる事もないだろう。ともかくモンスターが狩られていない日本から見るとかなり大きなプライベートダンジョン、それはつまり——
ーー 人民軍が通路として使用していたダンジョンでは『氾濫』が発生した可能性があるかと ーー
——そういう事だよな。でも日本のダンジョンだって放置されてるところなんていくらでもあると思うんだが……。何か俺の知らない理由があるんだろうな。
(じゃあこの村のダンジョンは?)
ーー こちらはおそらく氾濫がいつ起きてもおかしくなかったのではないかと。しかしダンジョン変遷のなにかしらが影響した結果溢れるはずだったエッセンスは凝縮されコアとなった、と予想しますが、入ってみないことには ーー
『氾濫』によってどのような事が起こるのかはわからなかったが、ここではエッセンスが溢れ出すかもしれなかったようだ。しかしエアリスが言うには、日本で起きた場合は巨大な虫を始めとしたモンスターが溢れると予想している。場所によって氾濫の結果が違う理由をエアリスに聞こうとしていると、どうやら顰めっ面をしていたらしい俺をフェリシアとクロが覗き込んでいた。
「難しい顔の悠人ちゃん、久しぶりにみたよ」
「おにーちゃん、テレビで見たアタマ良い人たちみたいでウケるんだケドww」
そんな事を言いながら腕に絡みついてくる二人と情報を共有すると菲菲が『不愉快』と書かれた顔でこちらを見ている。
これはアレか、自分だけ仲間外れみたいで嫌なんだな? まぁそうだよな、仕方ないから教えてやろう。
「あの、菲——」
「やはり御影悠人、香織だけじゃなかったんだな……?」
う~ん、そっちを怪しんでたわけか。なんだかもう、俺が何を言っても素直に信じてはもらえなそうだよな。
「ねね悠人ちゃん、ボクが菲菲に誤解だって教えてあげようか?」
「おっ、それすごい助かる。俺が言ってもダメなんだろうなって思ってたとこなんだよ」
「だと思ったよ! じゃあさ、はい」
フェリシアは前髪を上げ少し背伸びをしている。
「何してんだ? 熱計ってほしいのか? ってもフェリシアの平熱知らないんだけど」
「もぉ! チューは!? 小夜にはしてたじゃん!」
「あー、まぁ小夜は妹って事になってるし、戸籍上本当に妹になっちゃってるからな」
「え~! ずるい!」
「ってかそんな事ここでしたら誤解が誤解じゃなくなるだろ、菲菲の中で」
「どこでもデコチューが許されるのは妹の特権なの」小夜は勝ち誇った表情で言い放った。
「むぅ~。……そうだ! どこでもじゃないなら許されるって事だね! じゃあ帰ったらしてもらおっかな?」
そんな事をにっこり笑顔で言ってくるフェリシアをのらりくらりと躱してみたものの、うんと言うまで菲菲に説明してくれなかった。
ーー フェリシア、なかなか押しが強くなりましたね ーー
(元からあんな感じで揶揄ってきてただろ)
ーー それとは少し違うかと…… ーー
フェリシアに限らずログハウスでは俺がおもちゃになっているのが当たり前だしな。そんな事よりもまだ気になる事がある。
「ここって菲菲……さんの故郷なんだよな?」
「そうだ」
「家族は……ここに住んでる人は……?」
「さっき見て回ったがどこにも、誰も、いなかった」
肩を落とした菲菲は睨むようにこちらへと視線を向けた。しかしそこに敵意のようなものは感じられなかった。
「だから探しに行きたい……きっとこのダンジョンに……」
菲菲はここに住んでいた人たちはダンジョンに入ったと思っているようだが、普通に考えてそんな事あるだろうか。どこか他の場所、人が多かったり守ってもらえそうなところに行ったと考えるのが自然だ。
「他の街に行った可能性は?」
「それは……あるかもしれない。でもダンジョンを囲う壁のところにこれが……」
菲菲は綺麗な刺繍のされたハンカチをポケットから取り出した。そのハンカチは一度も使われていないかのように綺麗だ。それを見た小夜が目を輝かせていて……そういえば小夜の目的は端的に言えばいろんなデザインが見たいとかそんな感じだった事を思い出す。
「これは……私が母さんに贈ったものだ」
話を聞くと、彼女の母親はあまり体が強い方ではなく、村での仕事も力仕事はほとんどしていなかった。もちろんダンジョンになど近寄るはずもなく、何か理由があってダンジョンに入るでもなければ囲っている壁の側にそれが落ちているはずがないらしい。
「つまり菲菲さんはお母さんが壁を乗り越えてダンジョンに行った、と?」
菲菲は口を固く引き結んだまま頷きを返してくる。その目には涙が浮かんでいた。
「まぁ……どうせ行くつもりだったしな。ついでに探すくらいはしてやってもいいか」
「とか言って、女の涙にヨワヨワ悠人ちゃんなんだから~」
べ、別にそういう事じゃないんだからね!
ってかほんとにダンジョンにいるとして、生きてるかもわからないんだよな。それに最も問題なのは——
「じゃあついでに探してきてやるから、菲菲さんはここで待っててくれないか?」
「わ、私も連れて行ってくれ!」
「いや、そうは言っても……何が出てくるかわからないし……難易度が不明っていう……」
「あ、足手まといなら見捨てて構わない! だから……ッ!」
さっきまで俺に殺意をビシバシとぶつけてきていた菲菲がだ、今俺の足下に膝をついて見上げている。必死に涙を堪えているような表情だし、俺のズボンを掴む手も震えている。うーん。菲菲がついてきそうなのが一番問題なんだよな。
ーー 端的に言って、足手まといかと ーー
エアリスの言う通りだ。それに俺たちの秘密というか、そういうものを晒す事にもなるよな。フェリシアが戦うとかになったら翅を出しちゃうかもしれないし。クロもエテメン・アンキの黒竜だし、チビなんてチワワサイズは仮の姿で体高が俺の肩くらいまで成長しちゃった狼だし。おはぎは……まぁ普通ににゃーにゃー言ってる猫にしか見えなそうだからいいか。でもそれよりなにより一番バレちゃまずいのは小夜の事だ。
視線を小夜に送る。「わたしはうまくやるの」そうは言っても、万が一がないとも言えないし……。
「ねね、悠人ちゃん」
「どうしたフェリ」
「テストしてみればいいんじゃないかな? どうかな?」
なるほど、テストか。それなら自分で自分の身を守れるかどうかくらいならわかるかもな。
「んじゃあ相手は誰が良いんだろうな」
「そんなの、悠人ちゃんに決まってるじゃん」
なぜに俺? 殺す気で来そうで怖いんですけど? そう思いフェリシアに尋ねる。
「ちなみになんで俺なのか理由を聞いても良いか?」
「それはもちろん、菲菲も本気になれるんじゃないかなって」
なるほど、殺す気でやらせるつもり、と。……でもそうか、その方が実力がわかるし、ついでに能力もわかるかもしれないな。エアリスによって体や腕輪に触れただけでわかる能力もあれば実際に能力自体に触れる必要があるものも存在しているようで、菲菲の能力は後者にあたるようだし。まぁなんとなく予想はできてるけどな、あの婆さんが言っていた事のおかげで。
足もとで縋るようにしている菲菲に条件を言う。すると彼女は予想通り、これまでにない殺意を纏い出した。
「じゃあ菲菲さん、本気で来て良いよ」
「言われなくても」
実は俺よりも菲菲の方が強かった、なんて事にはならないだろうけど……一応殺されない事に全力を出そうと思ったところで、目元を拭った菲菲が能力を発動した。
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