第183話 香織と小夜2


 「いくのにゃあああ」と、駄々を捏ねて捏ねて捏ねまくるナントカさん。そんなナントカさんを小夜が抱き上げて「一緒にいくの」と言う。それに対し「話のわかる魔王にゃ。でも魔王はわるいかりゃぁ……しすべしにゃよ?」と上から覗き込む小夜のほっぺたを肉球でむにむにとしながらナントカさんは言った。


 「おはぎちゃん、小夜ちゃんは悪い魔王じゃないよ?」という香織の言葉に、小夜は不服そうだが首肯した。

 ここまでの流れはよくある事だが、おはぎはそれで満足したようだ。おはぎは同じ事を何度もしているが、その都度楽しんでいる。いつもなら小夜とおはぎだけでやる茶番だが、今回は香織がそこに加わった事でいつも以上に満足しているようだった。

 正直毎日やるほど楽しい事かはわからないが本猫が楽しいならいいんじゃないかな。


 「じゃあ俺とおはぎ、小夜は当然として……っていうか何人運べるんだ?」


 「全員だって運べるの。百人通っても大丈夫、なの」


 なんかあったよな、そんな感じのフレーズで宣伝してた物置製造会社。そういえば実家にあるのもそれなんだよな。懐かしいな……金属バットに安全第一ヘルメット、それにカビ臭いスキーウェアに冬用のブーツなんていうヒドい格好でダンジョンに潜ったのが始まりだった。それが今じゃ、銀刀にエリュシオン、鉄で作った鎧よりも優秀な普段着と変わらない服に武器にもなる靴、おまけに星銀の指輪を初めとした便利アイテムの数々……なによりこのログハウスという建物とそこに住むクラン・ログハウスの面々。いろいろと増えたなぁ。


 物思いに耽っていると、何人でも運べる事を知った香織がそれならばと手を挙げるが、小夜はそれを拒否。理由は『重いから無理』ということで……それにはさすがの香織も堪えたようだった。


 「小夜…っ」


 さすがにそれはと名前を呼ぶ。「いいんです、悠人さん」と言って香織は逃げるように部屋へ行ってしまった。

 香織を追いかけて部屋に行きドアをノックする。『来ないでー!』とでも言われるのだろうかと思っていたがドアはあっさりと開かれ招かれた。


 「ごめん、香織ちゃん。ちゃんと言い聞かせておくから……」


 こういう時は香織だけを味方した方が良いのかもしれないが、それができない。どちらかを選べないとかそういうわけではなく、我が儘な俺はどちらも取りこぼしたくないんだ。


 「いいんです。小夜ちゃんは悠人さんの子供みたいな子ですし……今は妹ですけど、きっと悠人さんに甘えたいんだと思います」


 俯く香織の声は弱々しく少し震えているようにも聞こえた。

 どうすればいいのか。こんなとき、頼れるエアリスなら最適解を導き出すのだろうか?


ーー いいえ、さっぱりわかりません ーー


 頼りになんねぇ。エアリスが崇拝しているインターネットの世界、エアリス曰く『人類の叡智』には載ってないのかよ、『彼女と妹が修羅場で困った時に読む本』とか。

 うーん、ほんとどうしよう。こんなとき、カリスマホストが友達だったりしたら良いアドバイスを貰えるのだろうか?

 ……いや、カリスマホストが言いそうな、カッコよさげなことを俺がしても柄じゃないだろうし似合わないから変な気がする。

 ……いやいや、変だから逆に笑いを誘えていいかも。

 いろいろ考えたがどうすればいいかわからない。何か気の利いた事でも言えるならいいんだが、いざこんな状況になってしまうとなかなか難しい事らしい。

 それからしばらく香織の隣に座っていた。なにも話す事が思いつかなくてお茶でも持って来てあげようとしたが引き止められ、それからはただ寄り添っていただけだった。


 コンコンとドアが叩かれる音がする。香織は俯いたままだったこともあり俺が代わりに誰が来たのかを確認しに向かった。

 なぜわざわざ確認しに行く必要があるのか。それはエアリスが俺と香織の部屋に施したある種の結界があるからだ。

 ドアを閉める事で発動するこの結界は【拒絶する不可侵の壁】と【不可逆の改竄】の合わせ技であり、杏奈の能力である【領域支配】のような透視に似た能力を遮断する。

 そもそもを言えば音や振動が外へ漏れるのを防ぐ事が主目的で、俺と香織が誰にも迷惑を掛けずに過ごすためと、【転移】や小夜の【ゲート】による侵入対策として急遽用意したものだ。この付け焼き刃の弊害として、俺の【神眼】もこの結界を越える事はできない。この点はそのうち改善しなきゃな。ちなみに星銀の指輪が鍵の役割をしていて、ここを開けられるのは俺と香織だけとなっている。

 そんなわけで確認するためにはドアを開けなければならない。


 「どうした?」


 ドアを開けたそこには頬を膨らませた小夜。無言のままだが、香織に用事があってきたんだろうと思った俺は香織にそれを伝える。香織は少し腫れた目を拭うようにし、頷いた。


 「そ、それじゃあ俺は戻——」


 「悠人さんもいてください……」


 香織に再度引き止められる。さらに『険悪な二人を、それも力を振りかざせば非常に危険な小夜を香織様と二人にするのはどうかと』とエアリスが追い討ちをかけてくるし、俺はこの気まずい空間にいなければならないらしい。だがエアリスの言う事も尤(もっと)もなこともあって、俺は見届けるために残る事にした。

 椅子がないため小夜をベッド、香織の隣に座らせた。それからしばらく、部屋には静寂が満ちていた。


 「それで小——」


 「悠人しゃんは黙っててほしいの」


 「あ、はい」


 うーむ。二人とも無言だからきっかけを、と思ったのだが……難しいもんだな。

 それから数分、相変わらず無言である。俺はどうしたらいいのだろうか。『ワタシとしりとりでもどうでしょう?』と言うエアリスと脳内しりとりをしてさらに数分、ようやく小夜が重く閉ざしていた口を開いた。


 「さくらに叱られたの」


 ログハウスのお姉さん的存在は、圧倒的強者の小夜に対しても平等にお姉さんしているらしい。

 それを聞いた香織は何も言わず俯いたままだ。


 「香織と仲良くしないとダメっていうの」


 うんうん、俺もそう思います。というかそうだったら嬉しいです。


 「香織は悠人しゃんをいつも独り占めなの。だからイジワルしたくなるのよ」


 それを聞いた香織はピクリと反応した。しかしまだ俯いたままで、髪の毛によってその表情は見えない。肉眼では。


 「だ、だから嫌いだけど、嫌いなわけじゃなくて……」


 嫌いだけど嫌いなわけじゃないっていうのは変だが、そういう気持ちはわからないでもない。それにそんな言い方をしたということは、本当の気持ちは……香織には伝わっているはずだ。なぜなら依然髪の毛で香織の表情は小夜からはわからないだろうが、俺にはまるっとお見通しだ。左目に定着している【神眼】はこういう時にも役に立つ。


 「だ…だから仲良くしてあげても……いいの!」


 小夜はほんとうに子供のような話し方をする。でも学校ではそうじゃないことを俺は知っていて、それは先日母さんが言っていたからだ。


 『小夜ちゃんね、学校ではお姉さんみたいな話し方なんですって! ごきげんようとか言っちゃうんだって! 母さんもごきげんようの練習した方がいいと思う?』


 今のように、幼女的な感じなのは御影家にいる時とエテメン・アンキにいる時、そしてログハウスにいる時だけなのだ。どうしてこうなったのかはわからないが、育った環境がエテメン・アンキというのがそうさせたとしか考えられない。あの神の塔は幼女生産基地だったのかもしれないな。

 ちなみに母さんには「おもしろそうだから三パターンくらい練習しといて」と返した。次に実家に帰るのがちょっと楽しみだな。まぁいつでも帰れるんだけど。


 そんなことはいいとして、とにかく小夜は普段から嫌っているようにしている香織の前でも最大限無防備な、気を許して甘えた状態だったというわけだ。

 賢者の石に天使の自我を植えつけた時点で”産まれた“として、それからある程度成長するまで、エテメン・アンキの内部時間では大凡十年以上もほったらかしにしていた。エルフや獣人、ドワーフと言える見た目をした住人や、ベータもいたことから寂しくなかったかもしれないが、俺がその間ほったらかしにしていたことに変わりはない。だからその分罪滅ぼしというわけではないが、ある程度の我が儘も許そうと思っていた。もしかするとそのせいで香織に辛い思いをさせてしまったのかもしれない。


 「ゆ、許してくれないの……?」


 無言で俯き続ける香織に、恐る恐るといった様子で顔を覗き込もうとする小夜。

 是非許してやってほしいと思っているが、俺は知っている。香織は少し前から口角が上がっていることを。つまり香織は既に許しているのだ。そんな香織が徐に口を開き……

 

 「条件があるよ」


 いつもと違う雰囲気でそう言った香織は、『条件』という言葉に狼狽た様子の小夜に目を瞑るように言う。小夜は叩かれると覚悟しているんだろうな。瞼をぎゅっと閉じている。でも小夜は魔王、香織に叩かれるくらいどうって事ないと思うんだけど……【神眼】を通し小夜を見たエアリスによると、無防備な状態になっているらしい。その意味がちょっとよくわからなかった俺はどういう事かと再度聞く。


ーー 小夜はエッセンスの扱いに長けています。ヒトであれば身体強化ができ、同時に攻撃能力を持つようなものです。端的に言えばご主人様のようなものかと ーー


 それはそれでちょっと違う気がしたが、とにかく今の小夜は普通の人間と変わらない状態って事だな。


 覚悟を決めた小夜に立ち上がった香織はその凶器を向けた。それは俺も何度も苦しめられ、同時によくわからない幸福感を押し付けてくる危険なものだった。エッセンスの扱いには長けているにもかかわらず索敵のような事はまるでダメな小夜に、それを回避する事など不可能だろう。


 その凶器は突然襲い掛かった……小夜にとっては。


 「仲直りのぎゅー!」

 「もがもがががもも」


 香織は小夜の不意を打つ。ベッドに座り目を瞑る小夜の顔を自らの大きな胸に埋めるように抱えている。

 わかる、息ができなくて苦しいよなー。俺も何度かされた経験があるが二つの意味で天国が見えたんだよな……なんて考えている俺の耳に「たすけ……」と小夜の声が届く。

 なぜかその時、エテメン・アンキを攻略した時の記憶がノイズのように思考を乱した。


 「しにたくない、たすけて……か」


 この距離でも聞こえない程度の呟きは賑やかな二人が上げる声に飲み込まれた。

 香織は生かさず殺さず……さもこれまでの経験を生かしているかの如き匙加減で小夜を捕らえている。さすがにそろそろかわいそうだと香織の名前を呼んだ。


 香織から解放された小夜が息を整え改めて話してくれた。それによると小夜は俺のところに来る度に一緒にいる香織に対してやきもちを焼いていた。たまには自分が独占したいと思い休み時間毎に来るようになったのだと。

 香織は小夜が甘えたいんだろうと気付いていて、本当なら夜は俺の部屋に来たかったところを我慢していた。その間くらいは小夜に甘えさせてあげようということで。それを知った小夜は罪悪感を覚えているようだった。


 なるほどなー、ちょっとしたやきもちか。兄として嬉しく思うぞ後天性の妹よ。香織も小夜には気を使ってくれていた事を知り、ありがたいのと申し訳ないのがごっちゃになったような、形容し難い気持ちだ。何はともあれ和解ということでよかったよかった。

 俺が納得していると『香織様はご主人様と小夜が寝床を共にしていた事について、心配をしなかったのですか?』なんて聞いてしまうのがエアリスだ。そういうことは聞かぬが華だと思うのだが……まぁぶっちゃけ俺も聞きたい、興味ある。『ほんとは不安で仕方なかったんですからねっ』なんて言われたりしたらちょっと嬉しいかも……


 とても良い笑顔で「悠人さんを信じてますから」と香織は言った。


 それはそれで嬉しいが、とても重い言葉である。


 実際はいつもなぜかすぐに寝入ってしまい何事もなかったし目が覚めて小夜がぴったりとくっついているのを見ても俺の心はまさに凪、たとえパジャマが乱れていても伝説の大賢者と言って過言でないくらいに賢者していた。それはつまり香織の期待には応えられたのではないだろうか?


ーー それではワタシがご主人様の意識を早々に刈り取り【拒絶する不可侵の壁】によりコーティング、さらに夢の中で香織様に扮し代役を務めていたのは無駄ではなかったのですね ーー


 え、なにそれ聞いてない。意識を刈るとか聞いてないぞ。それにコーティングだと? それって何か? 寝てる間は蝋人形みたいにされてたって事か!? そういえば目が覚めると身体中が痛い事がよくあったような……エアリス、俺にそんなおそろしい事をしていたのか? 反抗期……いや、下克上なのか!?

 香織はエアリスに対し夢の中の俺について聞こうとするが……恥ずかしさのあまり全力で止めざるを得なかった。


 そんな中、エアリスがいろいろと策を弄していたことを知った小夜が一言。


 「お姉様、邪魔すんななの」と。


 小夜がお姉様と呼ぶのはエアリスのことだ。つまり……


ーー どうしましょうご主人様。小夜が反抗期です ーー


 知らんがな。

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