第174話 洗浄の魔王


 各々がリナの言葉を忘れる努力をしていたことが功を奏し、夕食後の俺たちはいつものように食後のお茶を飲んでいた。すると食事中は存在感の薄かったフェリシアがみんなの意識が逸れている瞬間を狙ったように俺に耳打ちをする。

 『あとで部屋に来て』


 頷きで以って返事とすると『遅くなってもいいから』と続けられた。エアリスはフェリシアの様子が少しいつもと違うと言っていて、それは俺も少なからず感じ取っている。言うなれば少し真面目モードなフェリシアだ。



 その後露天風呂に浸かっているとチビがイヤイヤと身をよじる子猫を咥えてやってくる。洗われに来たのだろう、小型犬サイズになってくれるので洗うのも苦ではない。というか本来の大きさのチビを洗うとなると何時間かかるかわからない。チビの成長は止まっておらず、本来の大きさになってしまえばログハウスを出入りすることすらままならない状態なのだ。だから今日20層でチビを目撃した人の目には、それこそ“神狼”と映ったかもしれない。


 「それにしても悠里があんなこと言うなんてなー」


 「わふぅ?」


 「ダンジョンに引きこもればいいなんて。悠里は絶対そんなタイプじゃないのに」


 わかってるのかわかっていないのか。まぁわかってないだろうチビに話しかけながら洗ってやる。ほぼ毎日誰かに洗われていることもありそれほど汚れてもいないのだが、目を細めているチビにとっては好きな時間なのだろう。

 そうしているうち、なんというか実感のようなものが湧いてくる。


 「よし、終わったぞ」


 泡を流し終えるとチビは迷いなくお湯に飛び込み泳ぐ、いつものことだ。


 「そんじゃ次はお前な」


 「い、いやにゃぁああ!」


 一方、チビが洗われている間、桶に放り込まれて震えていた子猫は命乞いをするかのような抵抗をする。だがそんな事を許す俺だと思ったか?


 「いいからいいから、そのうち癖になるから。たぶん」


 「たぶんにゃんて信用にゃらにゃにゃにゃーっ!?」


 有無を言わさずお湯をぶっかけシャンプーをダイレクトにプッシュ。そして洗う。濡れるのが嫌だと暴れるが慈悲はないし、もう手遅れだ。キレイキレイしてやるから大人しく洗われるがいい! ふはははは!


ーー さながら“洗浄の魔王”といったところでしょうか ーー


 ふむぅ。魔王と戦ってきたしな。演技だけど。その魔王が戦場の魔王なら、俺は洗浄の魔王ってか?

 上手くいくかどうか、その結果が出るのはこれからだが、一仕事終えたような気分になっている俺はエアリスのそんな駄洒落みたいなものでもおもしろく感じてしまう。今なら箸が転がっただけで本当に笑えそうだ。

 そんな変なテンションのまま子猫を洗う。


 「ふはは! 魔王様からは逃げられないのだー! お前の汚れを隅々まで洗い流してやろ〜!」


 「にゃあああ!! まおう、シスベシにゃー!!」


 っていうか今日一日でまた喋るのがうまくなってる気がするな。急成長だ。親バカ? 何が悪い。

 そういえば魔王、どこ行ったんだろうなぁ。エテメン・アンキの地下を自由に使っていいとは言ったが……もう居城とやらを作っているとか? もしそうなら、過労で倒れなければいいんだが。

 それはそうと。


 「山里さんたちにもお礼しないとな。遊んでもらったんだろ?」


 「にゃぁ。楽しかったにゃー。にゃにゃこのごはんおいしかったにゃー」


 「その後に予定外に混んじゃってる喫茶店で仕事してるんだよな。ブラックな職場なんて思われてないといいけど」


 せめて給料はちゃんと払えるようにしないとなーと呟くと、子猫が“給料”はおいしいのかと聞いてくる。

 それで美味しいものを買うんだよと教えてやると『給料ほしいにゃ!』と言う。探検者カードのようなクレジットカードもないし、さすがに紙幣を渡すのはどうかと思ったが……首から提げたガマ口からお金を取り出して買い物する喋る子猫……悪くないな。


 ところで子猫は山里さんを名前で呼んでいるのか。そのうちちゃんと“ななこ”と発音できるようになるといいな。

 名前と言えば子猫の名前もまだない。みんなはなんと呼んでいるのだろうか。それを参考にするのもいいかもしれないな。俺のネーミングセンスでは今のところ最有力候補が“おはぎ”だからな。理由? 黒いから。


 「にゃにゃこ、また遊ぼうって言ってたのにゃ」


 「そうかそうか。なにして遊んでたんだ?」


 「さくらみたいにおはにゃし読んでくれたにゃ。あと魔王とーばつごっこにゃ! にゃーがゆーしゃにゃよ?」


 ほほぉ、魔王討伐か。子猫も俺と同じく魔王と戦っていたんだな。


 「じゃあ魔王はだれが?」


 「がいあー」


 「ゲームとかラノベで言えば一番勇者っぽいのがガイアなんだけどな……。まぁごっこだしな」


 少しだけ大きいサイズになったチビの背に、泡を流し終わった子猫を乗せるとちょうど浸かる程度になっている。チビは大きさも自在に変えることができて、転移機能の使い方もとても上手い。首輪を贈った甲斐があったというもの。

 濡れるのが嫌だと言っていた子猫はパシャパシャと泳いでいるような仕草をしていて、とにかくかわいい。


 露天風呂からあがり、俺とチビと子猫を同時に乾かすために周囲から温風が吹き付けるように【真言】を使いながら思う。

 やっぱ俺の能力は便利さが欲しい場面でこそ輝くんだよな。かゆいところに手を届かせるための能力。それにこのくらいなら俺だけでもできるようになったし反動が全くないからな。


ーー その件なのですが ーー


 なにやら申し訳なさそうなエアリス。続きを促し聞いてみると、能力を使った際の反動が起きる条件についての考察だった。

 よくわからない部分もあったが、俺にとって重要なのは反動が来ないようにすることだ。


ーー 反動をなくすためには、ご主人様が制御を行うことが必要です。しかし普段からそうしなければ誤って発動することがあり危険極まりないためワタシがその点を担うのは仕方ありません。規模にも依りますがその状態で能力を使用すると、特にワタシを必要とする複雑なものとなると反動が起こることが多いように感じます ーー


 「この“温風”みたいに俺がやるのは大丈夫なのにな」


ーー ご主人様の許容量を超えないものであれば問題ないのかと。しかしワタシが干渉した場合、どうやらご主人様の使い方とは細かい点で異なるのです。確定ではありませんが、それがノイズとなる場合があるのではないかと ーー


 「なるほど。んじゃアイテムを作ったりして使い方に慣れるっていうのは必要だったってことか」


ーー そうなります。しかし原因はわかりませんが高度なはずなのにもかかわらず最初から反動のない場合もあるようです。“不可侵”、“不可逆”、“不可視”、これらの“理(ことわり)を超越”する効果を齎すものは、ミスリルを曲げたり延ばしたりするものよりも高度ですので“難易度”が反動に影響するのであればこの程度で済むはずはないのです ーー


 そう言いながらエアリスは薄い不可侵の壁を百枚ほど積み重ね、反動が来ない事を確認する。それに座りながら「ところでエッセンスの無駄遣いすぎねぇ?」と言うと、『魔王戦で気付いたのですが、エッセンスの消費がなくなっているのです』と言う。これはいいことを聞いた。理由はわからないが、無限に作れるってことじゃないか?


ーー 無限にというのはちょっと。しかし東京ドームを包む程度なら問題ないかと。ただし……おそらく現状では外部からエッセンスの供給がある場合に限られるかと ーー


 つまりダンジョン内でしかそんな無理な使い方はできないということか。


 俺が使える“不”と付く能力について、壁は不可侵と言いつつ完璧ではないし、改竄もそうだ。不可視なんて高度な光学迷彩みたいなものだし、それはつまり完璧ではないんだろうと思う。完璧になればより負担が増える事になって反動が来るようになるのか、そういうわけでもないのかはわからないが、なにはともあれ練習した方がエアリスの干渉が減る。もしもエアリスの言うように、エアリスの干渉が反動の原因、要因のひとつであるなら、俺が能力を使いこなせるならその方が良いはずだ。とは言えそんなに簡単にできるものとは思えないけど。

 実際、エアリスは演算によって制御しているらしい事を言うが、俺が使う時はイメージに頼り切りだ。そんな細かな計算は意識的には全くと言って良いほどできない。でも無意識的に、そういう計算みたいな事をされた上でのイメージということになるのかもしれないからな。イメージは大事なはずだ。


 「まっ、のんびりとがんばりますか、イメトレ」


ーー はい。がんばってください。……私も応援していますよ ーー


 もしかするとエアリスは、自分のせいで反動が来ているかもしれないことに申し訳なさを覚えているのかもしれない。

 だがそれ以上に助かっているし、むしろエアリスなしではどうにもならない。もしもエアリスがいなくなったら……能力の暴発を気にしなくてもいい場所、それこそここに引きこもるしかないかもしれないな。それか全く喋らないこと。いや、エアリスが以前言ってたな。『言葉にせずとも発動する』こともできるっぽいって。実際にエアリスが発動する場合、声にする必要がない場合が多い。ということは極端な話、考えただけでも発動するようになってしまったら……どこに行けばいいんだ。

 見た目も中身も人間と変わりないとは言っても進化によって“超越種”と呼べる存在となっているらしいし、この際いろいろ超越して月にでも住んでしまうか? ははっ、我ながら何を考えてるやら。寝言は寝て言うべきだな。


 全身を乾かし終えた俺は香織が待っているところへ向かった。そこは最近設置したウッドデッキで、ぴったりとくっつけて並べた座椅子に体を預け香織と二人で夜空を見ている。

 ちなみにこの座椅子もエアリス監修のもと【真言】を使い手作りした。

 材質はダンジョンの木材とミスリル、それに市販の布を補強したものと大量の綿だ。綿を詰める時、【拒絶する不可侵の壁】で密閉した空間を作り、そのさらに内側にもうひとつ同じものを作る。内側の不可侵の壁の球体を取り出すと真空に近い空間が出来上がる。そこへ綿を吸い込み圧縮し、さらに小分けにして形を整え必要な部分に詰め込む。あとは不可侵の壁を解除するだけだ。

 賢者の石作成の時は外側から内側に血液だけが通過できるよう変質させられたものを使ったが、今回は逆に内側から空気を包み込んだ不可侵の壁だけを通すように変質させたというわけだ。

 それを香織に説明として言ってみたが、ちょっとよくわからないといったような顔をしている。説明が下手くそだったらしい。エアリスからも『30点。赤点です』と言われたし、そんなことを言うならエアリスが説明してくれりゃいいのに。


 「と、とにかく賢者の石を作った経験が布に綿を詰める時にすごく役立ったよ」


 「ふふっ、ちょうど良い弾力ですね。でもできれば二人で座れるのがよかったです」


 「二人掛けかぁ。挑戦してみようかな。ところで香織ちゃん、“ですます”が直らないね?」


 「あっ、ほんとで……だね? でも悠人さんだって」


 「あっ、たしかに」


 「なかなか癖はなおらないものですよね」


 「ほんとにね」


 今回の統合・変遷によって再び夜がやってきた21層、真っ暗なキャンバスに地上とは違う星々が燦然(さんぜん)と輝いている。しかし数はそれほど多くなく、地上で見ることができる半分程度だろうか。

 香織は「綺麗ですね」と地上とは違う星の瞬きに目を奪われていたが、俺はというとダンジョンの中で星空が見えるというのは不思議なことに思える反面、なぜか当然のように感じてもいた。


 そんな俺たちだが背後に視線を感じているため、気持ちを抑え自重して手を繋いだりはしない。こうなると香織の言う通り、二人掛けのものを作るのも良いかもしれないな。それなら後ろからは見えないだろうし。まぁ【領域支配】によって杏奈にはわかってしまうだろうけど。なんならそれへの対策を考えるのもいいかもしれないな。



 悠人たちに視線を向ける悠里、杏奈、さくら、そしてリナは窓の外で二人が何を話しているのかを予想していた。

 初々しい感じの会話をしていると予想する悠里。

 今晩のプレイについて話し合っていると予想する杏奈。

 だが案外老夫婦のような会話をしているかもと予想しているさくらが最も正解に近い。

 ちなみにリナは三人の予想を聞くたびに想像してしまいコロコロと表情を変えていた。



 そういえば、と前置きし「香織ちゃんのご両親に挨拶に行った方がいいかな」とその横顔に聞いてみる。すると空を見上げたまま「今はまだいいですよ」と言った。そこにどんな思いがあるのか俺にはわからなかったが、そのまま寄りかかってきた香織に自然と胸が高なった。



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