第175話 カゾクノカタチ


 香織と星を眺めている間に、いつの間にか遅い時間になっていた。

 普段と比べ少し様子が変だったように思うフェリシアから部屋に呼ばれ、少し嫌な予感というか……それに近しいものを感じ避けたい気持ちもあったのは否定できないな。でも約束しちゃったからな。

 もう寝ているかもしれないと思いつつも約束の部屋、そのドアの前に立つ。


 ドアをノックすると部屋の主がドアを開け「ようこそ」と招き入れる。こちらに背を向け部屋の奥へと向かった緑色の髪の少女は、最近手に入れたらしいコーヒーメーカーのスイッチを押す。カップは予めセットされていたようで、俺の来訪のために用意していてくれたのかもしれない。もしかするとかなり待たせてしまっただろうか。


 「遅くなってすまんね」


 「適当に座ってて」然して気にもしていない様子で言われたが、この部屋は小さなテーブルが置かれてはいても椅子や座椅子といったものはない。俺の部屋と同じ様にベッドしか“腰掛ける”という言葉に合うものはないのだ。そういうわけで俺は丸テーブルを前に胡座をかく。


 明かりが点いているとはいえ暖色を好むフェリシアの、人によっては少し薄暗く感じるだろう部屋を見回せば、目を引くのは豪華な天蓋付きのベッドだ。さらに見回すがクローゼットが開け放たれていることにより見える服が着ぐるみみたいなものからゴスロリ服まで多種多様にある事以外は見慣れた部屋だ。それもそのはず、ログハウスの部屋は作りが同じだからな。つまるところ俺の部屋とほぼ同じだ。

 実家みたいに少しずつ違いを出してもよかったかもしれないが、ログハウスを作った当時の俺とエアリスにはそこまで凝った事をする余裕はなかった。今ならどうだろう。

 そりゃもちろん各々が好むような間取りと窓の位置や数まで可能な限り希望に沿って……と言いたいところだが、結局制作時間の効率重視で今と同じ様になりそう。


 背を向けていたフェリシアがこちらに視線を送り、その口元は少し笑っていたように思う。女の子の部屋をジロジロ見てしまっていた事に気付いたがもう遅い、はずなのだが……。いつもならすぐに俺を揶揄ってくる事を予感させる仕草なのに、今日は揶揄って来ないな。


 機械が静かに作動する音とカップに液体が注がれる音がし、部屋にその香りが満ちていく。

「どうぞ」カップをテーブルに置いて少女、フェリシアはこちらにその碧瞳を微笑と共に向けていた。

 室内灯の柔らかな色味もあってかその瞳はいつも以上に吸い込まれる様に感じ、それに抗う様になんとか茶化す。


 「部屋ではフリフリの服じゃないんだな」


 「もう……寝る時までそんなの着てるわけないでしょ〜。悠人ちゃんのえっちー。でも……そっちが好きなら今着替えようか?」


 どうしてそうなるのかわからないが、否定しても仕方ないので鼻を鳴らし返事としておいた。

 それから自分のコーヒーも淹れたフェリシアが対面に座る。コーヒーを啜る音だけの空間に心が安らぎつつも少しの緊張が漂っていた。

 思ってみれば、フェリシアの部屋でこうやって二人きりでコーヒーを飲んでいるなんて初めてなんだが。心が安らぐ……なんて、コーヒーの良い香りについつい思ってしまったけどな、全然落ち着けないな。


 「悠人ちゃん、あのイヤーカフ、すごいね?」


 「あぁ、エアリスが作ったんだけど、精神感応素材とかいうのが使われてるらしいぞ」


 「ふ〜ん。よくわからないけどすごいんだね」


 「うん、よくわかんないけどすごいんだろうな」


 会話が途切れ俺とフェリシアは同時にコーヒーを啜る。相変わらずインスタントコーヒーだが、普通に美味いな。日本のインスタントを作る能力は世界一なんだなと改めて思う。

 それはともかくとして、コーヒーのためだけに俺を呼んだわけではないだろう、そう意味を込めてフェリシアを見やると、溜息とも言えない程度の息を吐いたフェリシアが弱々しい声音で話し出す。


 「ボク、役目があってさ」


 漸く話を切り出したフェリシア。次の言葉を彼女の長い睫毛とその緑がかった宝石のような瞳を見て待つ。


 「ひとつは、ヒトがダンジョン、ラビリンス、迷宮、異世界なんて呼ぶここに、ヒトを招くこと」


 それらしいことを以前聞いていた。俺も異世界ものの冒険譚みたいにダンジョンで稼ぐ人たちが普通にいるようになるといいなと思っており、それはだいぶ現実となっている。

 しかしフェリシアのそれは好奇心とは違うのかもしれないな。

 俺はもしかしたら自分がそうなりたいと思っていたのかもしれず、それが普通になれば俺はその中の一人になれると思っていたのかもしれない。しかしフェリシアは俺とは全く違うところから見ているだろう事が窺えた。


 「ひとつは、ここを地球の一部になれるように仕向けること」


 地球の一部? それはつまりここはほんとに……異世界だったのか? いや、なんか違う気がするな。“世界の”ではなく“地球の”と言ったなら、地球外または別の惑星……そういうことになるだろうか。とはいえどちらも俺たちから見れば“異世界”と何ら変わらないけどな。


 「ひとつは、超越者に成れる者を導くこと。これはね、思ってたよりたくさん出来たよ。でもそれを飛び越えちゃったね、悠人ちゃんは」


 うーん。じゃあやっぱほんとに、人間やめたの? 俺って。実際ダンジョンの中で弱体化した銃器に脅威を感じなかったし、時々撃ち込まれたロケット弾みたいなのも能力で防いだという事もあるが問題なかった。それ以上、というか比べ物にならない魔王の攻撃も、お互い加減をした演技とは言え割と無効化することもできていた。改めて普通の人間の感性で考えると……化物だろうか。

 まぁでも身体的にそれほど変わりないってエアリスが言ってたし……エアリスの“それほど”を信用しちゃいけない気もするけど。でもだからどうなるわけでもないから考える意味もないかもしれない。


 「そのために世界を繋げた。でも本当の、最初の、たった一つの役目、ボクが存在している理由はね……」


 そこで言葉が途切れる。何も言わずに待つがなかなか続きを言葉にしない。もしや禁則事項とやらに引っかかるのでは? その場合、カミノミツカイ・馬のように激しい頭痛がするのだろうか。俺が想像するならば、能力使用時の反動がすごい時か。


 「ボクはね……ボクは——」


 「無理はしなくていいぞ」


 口をついて出た言葉だ。辛そうな顔をする女の子に言う言葉としては気遣いが足りないだろうか。だが無理をしているのは一目瞭然だ。だから思わず、そう言ってしまった。


 「知りたくないの……?」


 「知りたくないかと言われると……」


 知りたい。しかし……


 「フェリが普通に話せることだけ話してくれればいいよ。今まで通り」


 鸚鵡(おうむ)返しの様に呟いたフェリシアはまだ辛そうな顔のまま言葉を発した。


 「ボクは君を……みんなを騙しているかもしれないよ?」


 んー。騙しているかどうかはわからないけど、秘密は多いよな。それも今更だし、俺は気にしていない。みんなもそうだろう。じゃなきゃ同じとこに住むなんてできないだろ。

 そう伝えるとフェリシアは少し気の抜けたような表情になった。


 「みんないい子たちだよね」


 「ほんとにな」


 「悠人ちゃんもだよ」


 「総理大臣やら世界を騙した大嘘つきだけどな」


 「でも悪い嘘じゃないさ。ここのみんなだってそう思ってる」


 「そうだといいな」


 正直罪悪感でいっぱいだ。そこでふと思う。フェリシアも同じような気持ちなのだろうか、と。


 「こういうのって友達かな?」


 「んー、そうなんじゃないか?」


 「家族……かな?」


 「同じとこに住んでるわけだしな。それに近いかもな」


 そっかぁ。と見上げるようにしたフェリシアの頬を流星のように流れる一筋のもの。それを見ないフリをしてしまうのはダメだろうか。

 ズズッとわざとらしくコーヒーを啜る。


 「最初に言った三つ、あれってボクが決めたルールみたいなものなんだ」


 それはなんとなく察した。最後に言葉に詰まっていたその先が本来の存在理由だったのだろう。それを達成するためか、それとも叶わなくなったからなのかはわからないが、フェリシアは自らに目的を課すことでそれを支えにしてきたのはわかりきっていた。


 「でもそれも全部果たした……んーん、果たされることは約束されたと思う」


 そうか、と返しながらコーヒーを啜る。


 「だからもうひとつの役目を果たそうと思って」


 「もうひとつ?」


 「ふふっ、ボクが自分に課した役目が三つだけだと、いつから錯覚していた?」


 フェリシアはこういうことが多い。“言わなかっただけ”で実は他にもあるということが。だからといってそれがなんだと言えばなんでもないことなので問題はないけどな。


 「それでその四つ目なんだけど——」


 フェリシアが真剣な眼差しで俺の目を射抜くように見る。

 先に言った自分の目的を、フェリシアは俺に明かす必要なんてなかったはずだ。でもそれを言ったのは、これから言う事を伝えるための心の準備でもあったのかもしれない。それに騙しているかもしれないと言っていたし、その罪の意識のようなものがそうさせたのかもしれない。


 「—— 他のアグノスを食べたみたいに、食べて欲しいんだよ。エアリスならできるでしょ?」


 何も知らないような顔をして意外と知ってるんだな。まぁ“大いなる意志”は伊達じゃないってことか。だがここに来て、せっかく友達ができて楽しそうなのに、なんでだ?


 「ボクは充分、みんなからたくさん貰ったから、もう充分なんだ。それに……殺されるんじゃなく、その前に他のアグノスたちと同じように、そうしてほしい」


 殺される? 誰にだ? 俺……いや、エアリスか? わからない。わからないが……“悠人に”と言われたら、それは俺がフェリシアを殺すほどの理由があるかもしれないってことだ。でもモンスターを相手にならいざ知らず、俺にはフェリシアをそういうものと同列に見ることはできない。

 すぐに拒否すれば良いのかもしれないが、もしかしたら何か話してくれるかもしれないという欲が出てしまう。


 「それは、本来の目的ってやつに関係してるのか?」


 もしも“悠人に殺される前に”という意味だったら正直聞きたくない気持ちが大きいし、かと言って拒絶は良く無いように思えた。だから疑問自体に触れず変化球を投げ返すことも時には必要なのだ。なにせ俺は小市民だから。


 「鋭いじゃん、悠人ちゃん。そのくらい鋭かったら香織ともっと早くくっつけたのにね?」


 「ぐっ……それは言わないでくれ」


 してやったりな表情でこちらを見ていたフェリシアと目が合うと、途端に視線が落ち着きを失っていた。


 「なぁエアリス、フェリシアは今どうしてこんな顔をしているんだ?」


ーー ヒトの表情から感情を読み取る学問を参考にした結果、フェリシアは“罪悪感”のようなものを感じているかと。実に人間らしい感情です。フェリシアの身体、器は極めてヒトに近いエテメン・アンキの住人たち、その中でも“タイプ・エルフ”を元に作成されていることが判明しましたので、ヒトと同程度、感情が表情に表れるものと推測しました。そしてそれを聞いたフェリシアは現在、顔に『エアリス、まさか天才か?』と書いてあります。よくわかりましたね、フェリシア ーー


 「だそうだが?」


 そこまでは……と言うフェリシアだが、“罪悪感”という部分は否定しなかった。


 エアリスが取り込んだアグノスとは、シグマを撃退したときにいくつかシグマから剥ぎ取ったものだろう。それが今どうなっているかという部分について俺はよくわからないが、再び分けるまたは再現することは不可能ということだ。似たものはできるかもしれないが、それは今のエアリスを切り取り新たな自我の発生を待つような形となるらしい。

 思えばみんなの指輪や首輪に分体を忍ばせたりとかしてるエアリス、もう似たような事してる気がするんだが。


 「ボクは母様に戻ってきて欲しいんだ」


 お母さん? なんか前、そんなことを寝言みたいに言ってたような。

 それにしても自分を食えってエアリスに言うってことは自分がエアリスに取り込まれて、ある意味存在が消えることになるだろ? それをするとフェリシアのお母さんは復活する? じゃあそのママンもエアリスと似たような存在なのか?


ーー フェリシア、ワタシは貴女の母にはなれませんよ ーー


 どういうことですかね、エアリスさん。俺を無視して突然そんな事を言うなんて……ちょっと情報の足りない俺に教えて欲しいのだが。声にせずエアリスに言うが、ご主人様には関係のないことです、と一刀両断された。いつもと違って聴こえてくる声に刺すような雰囲気を感じそれ以上聞かないことにした。こういうエアリスって初めてな気がするのもあるからか、なんかすげー怖い。


 「ダメ?」


 俺に、というか俺の中のエアリスに懇願するような視線を向けてくる。正直わけがわからんのだが、もしそうしたとしてフェリシアは……

『消えて無くなりますね』エアリスが俺にだけ聞こえるように言う。

 え、なにそれ自殺願望なの? そんなことしたらお前のかーちゃん悲しむんじゃないか?


 「なぁフェリシアよぉ。今、楽しいか?」


 「なに急に。楽しいに決まってるじゃん。馬鹿なの? 悠人ちゃんなの?」


 しれっと俺を馬鹿と煽ってくる。これはあれか、その安い挑発で俺に行動させようとか? だとしたら煽るのへったくそだな。

 そんなことより、どうしてそんな泣きそうな顔で言ってるんだ?


 「それがなくなっちまうんだぞ? いいのか?」


 「よくはないけど、よくはないけど、でもさ……でも……へへ」


 どうしてそんなに、無理矢理笑おうとしているんだ?


 『そうしなきゃダメだとわかった』そう言ったフェリシアの顔は諦めたような、覚悟を決めたような、しかし諦めきれないような、そんないろいろが混ざったものだった。


 んー、こいつはわがままを言ってるんだな? じゃあ俺だってわがままで返してやろう。ただし、できる限りやんわりとな。だってこういう時の正しい対応なんて知らないし、こっちが強気に出すぎて自棄になられても困るし。とは言え下手(したて)に出るというか、ただ耳障りの良さそうな繕った言葉だけというのもなんだか違う気がする。そもそもそんな器用な事ができるかっていう問題があるし。


 「それがフェリにとって良い事なのか?」


 「それは……わからないけど」消え入るように言って俯き、顔が見えなくなってしまう。


 「じゃあちゃんと“良い”って思えるまで保留でいいんじゃないか? それまでずっと一緒にいてやるし」


 コーヒーの香り漂う二人だけの空間に、沈黙が舞い降りた。


 ……あれ? なんかおかしなこと言ったか? そんなことないよな。俺たちログハウスは特に信念とかそういうのはなくて見方によってはただの仲良しクランかもしれないけど、でもそれって信用だったり信頼だったりもあるからこそなわけで……。


 沈黙の空間が自分の発言を見直させるが、どうしてフェリシアが沈黙しているのかの理由には辿りつけなかった。

 ところで、やっぱこういうシチュエーション、苦手だな。だってそうだろう? 一生に一度あるかないかみたいなシチュエーションじゃないか? 自殺志願者を説得するのって。

 そもそもフェリシアがここからいなくなるというのは想像すると落ち着かない気分になる。それもあって、迷っているように見えるフェリシアを思い止まらせられるなら手段は選ばない、そういう思いから少し強めに言ってしまったかもしれない。ともあれこういう今決めて良いかわからない時は、問題を先送りするというのも立派な解決法だと思い伝えたのだがご理解いただけただろうか? ってかフェリシアさん、なんか顔近いっす。


 「そ、それってもしかして……ボ、ボクに、悠人ちゃんが? えっ? ……本気で好きになっちゃったってことぉー!?」


 突然訳のわからない事を至近距離で言われ、少しの間ぽかーんとなってしまったのは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る