第166話 興味のない木目を数えざるを得ないシチュエーション
ログハウスに戻り明日の準備をしている間に時刻はもう夜だ。しかし20層やログハウスのあるアウトポス層は相変わらず前回の統合からずっと明るいままになっている。迷宮統括委員会本部での非公式な話し合いでの事を帰ってきたみんなに報告する。一緒に来ていなかったみんなはそれぞれの依頼等を終えた後に20層へ行って様子を窺ってきていたらしい。依頼を受けた日本の探検者たちは政府の要請に従い自衛隊の指揮下に入っているが、一方で何も知らない探検者も多い。しかしそれについては知っている者たちが働きかけ、活動範囲を狭める事に成功しているようだった。
自衛隊は地上にあるマグナ・ダンジョンからすぐに入ってこれるように待機していたようで、俺が戻った時間とほぼ時を同じくして“巡回”の密度が上がっているのを杏奈が確認した。アドリブでそんな事をしたのかと思ったが、話し合いについてをエアリスによって各自のスマホにリアルタイムに情報が送られていたようだ。息をするように法律を無視、モラルも割と無視するエアリスだが、そのおかげでみんなが実際に物々しい雰囲気に触れる事になり、それはつまり心の準備をする時間を得たという事だろう。
他の国については、クララと北の国のアレクセイたちの部隊が見当たらず別の人間がその拠点にいたらしい。
大陸の国に関しては菲菲(フェイフェイ)以外みんないたようだが、少し離れた場所に車両がたくさん停めてあったそうだ。その中身はわからないが、免疫機能と言える“グループ・エゴ”が大人しいことを鑑みるに、以前アレクセイたちが持ち込んでいた小型のミサイルのようなものほど危険とは思われていないのかもしれない。結局あのミサイルの中身ってなんだったんだろうな。ま、いいか。
エアリスは大陸の国が持ち込んだ物を把握しており、車両の中身は人と武器、そして薬品だそうだ。
クララとアレクセイたちは20層にいないようだが、車両ごと入ってくることができる彼らは夜のうちに入ってくるのではないかとエアリスが言っている。とはいえ20層は今、ずっと明るいからな……あまり昼夜の意味を感じない。そこから感じ取ったのは、北の国は俺たちが思っている以上にワンマン体制な国で、トップはダンジョンについて詳しくない。だから現在ダンジョンでは通用しない“夜”という時間帯がそういった行動を取る際に有利な時間と思っているのかもしれないな。
EUに関しては“まずは傍観”の姿勢だとエアリスから聞いているため、行動を起こすにもある程度人的被害が出てからになるだろうと見ている。要するに今は無視して構わない。
アメリカはすでに北の国や大陸の国といった、自衛隊やエテメン・アンキの近辺に腰を下ろしている国のさらに外側に人員を配置している。日本とアメリカで挟み込む形になるようにされていて、日本と表立って争う立場にはないらしい。その証拠に隠れる気などまるでなく、日本とアメリカの国旗を同時に掲げているそうだ。それはつまり『日本に手出しするなら攻め込む』と言っているに等しいが、同盟国とは言えただの善意というわけではもちろんないだろう。それどころか、日本を守るという大義を掲げて軍を進めてくる可能性が大いにあるし、それを防ぐためにも犠牲者を出すわけにはいかない。もしもアメリカが中央へやってきた場合、拒否することは強引に見れば“敵対”と受け取られる可能性もあり厄介なのだが、その点はご心配なく。個人の利益に特に敏感な相手に対し、エアリスは有能だったのだ。
ーー 脅……根回しは済んでいます ーー
世界一の大国、その大統領を簡単に脅せるのなんて、エアリス以外にはないだろうな……。
そして自衛隊はというと、巡回と見せかけて徐々に展開している。要請、依頼に応じた探検者たちと共に混合部隊となり“エテメン・アンキ周辺”に、である。その範囲はマグナ・ダンジョンからの通路をもちろん含んではいるのだが、円形に広がったその中心がエテメン・アンキなのだ。
これに関しては総理があの話し合いの場で思いついたことのひとつで、いざとなればエテメン・アンキに逃げ込むのが一番安全なのではないかという理由からだった。実際にその通りであり、エテメン・アンキは入場制限をかけることもできるため、攻め込もうとして攻め込めるものではない。そしてそれを知っているのは俺たち以外では総理と統括だけだ。外壁に関してもエアリスによれば『核攻撃? 無意味ですね』言って欠伸を真似る。そこまで自信があるなら大丈夫だろう。それにいざとなれば中の人を収容したまま別のところに生えることもできるしな。
さくらが守ってほしいと言っていた軍曹たち“クラン・マグナカフェ”の面々はエテメン・アンキの入り口周辺に配置されている。今回の基本任務は、エテメン・アンキへの避難誘導と、その際に日本人を守ることだ。エアリスによって【守ル者】と名付けられた軍曹の能力なら周囲の仲間に影響するため、その位置にいる事が相乗的に良い結果となるはずだ。
人命を守るという事に関しての下地は最大限できているだろうし、おそらく問題はないだろう。
今回俺たちがやる事は、地上のマグナ・ダンジョンへ他国の軍が進む事、侵攻する事を防ぐ事が第一。エテメン・アンキへ向けて後退していく過程で孤立する事になる入り口通路の守りは、少し不安だったり心配だったりという思いはあるがチビとクロ、そしてなぜかやる気のフェリシアに任せることにしている。とは言っても実際はクロだけで充分な気がする。あまり気は進まないが、いざとなれば殺しても構わないと指示すればいいからだ。しかしやはり、気は進まない。よって近付く相手にはチビの【纏身・紫電】を死なない程度の威力に抑えて使ってもらう。フェリシアはよくわからないがやる気だから仕方なく、といったところ。
エアリスに頼み、ステータスを多少犠牲にする。変換されエッセンスへと還元されたそれを、みんなの星銀の指輪に流し込む。貯蔵されているエッセンスを満タンにすると嵌め込まれている“母星”の役目を持つ虹星石が煌めいた。
さらに互いに連絡を取りやすいように、賢者の石を作る際に出たゴミ……“精神感応素材”が埋め込まれた“通話のイヤーカフ”を渡した。これを着けている間、その人たちの間でグループ通話状態になる。周囲にエッセンスがある環境で星銀の指輪所有者が身につけていれば、相手との意思疎通を拒絶でもしない限り通話が可能だ。なぜそれを作ったかと言えば、電波干渉、ジャミングの影響を受けないためだ。スマホで通話状態にした場合そういった方法で妨害されてしまっては困るからな。
ところでここにいない玖内については、一応学生という身分なわけだし参加させない、というか連絡していない。彼ならばどうせこっそりと続けているであろうハッキングによって情報を掴むかもしれないが、こちらから連絡しないならば『来るな』ということだとわかってくれると期待しよう。
ではなぜそれより若いリナが参加するのか。彼女は高校を卒業して進学はしていないため正式にログハウスのメンバーになっているからというのもあるが、彼女が参加すると言って聞かなかったからというところが大きい。
俺としてはリナだけでなくみんなにもできるだけ危ない場所には近付かないでほしい気持ちがある。そのためエテメン・アンキ周辺での避難誘導をしてもらう。しかし悠里だけは【マジックミラーシールド】があるためいざと言う時はそれを使って撤退しつつ守ってもらうということになり、場合によって配置は変わるだろう。その悠里とリナは一緒に行動させる。香織と杏奈もペアになって避難誘導を優先してもらい、フェリシアとチビとクロがマグナ・ダンジョン通路の防衛、さくらは軍曹たちと共に避難すべきタイミングを見極めながら現場を指揮してもらう。さくらは特務でもあるため、ペルソナからの直接の命令の次に権限が強く、実際に自衛官でもある。それは俺たちのようなただの探検者から命令されるよりも良いだろう。人によってはペルソナからの命令よりも素直に聞きやすいだろうと思っているし、間違いなく適任だ。
「にゃーは?」
「留守番……かな」
「そればっかりにゃぁ」
だって仕方ないだろう。子猫だもの。
シャーシャー言っている子猫を宥めているとスマホが振動し音が鳴る。画面には“山里さん”と表示されていた。
「はい、御影です」
『あっ、御影さん。おやすみのところすみません』
「まだ十九時ですよ? 寝るには早いので大丈夫です」
『あっ、そうですよね』
「それでどうかしました?」
『その……明日って何かあるんですか?』
「明日ですか? えっと……」
喫茶・ゆーとぴあやログハウスがあるこの階層に侵入する事は簡単ではない事から、山里さんやスタッフさんたちもここにいれば安全だろうとは思う。しかし山里さんの話ではお客さんがやけに少なかったため馴染みの探検者に話を聞いてみたところ、今日のうちにダンジョンから出ておいた方が良いと言われたそうだ。その探検者は山里さんやスタッフさんたちが地上と喫茶店を一瞬で行き来していることなど知らないし、この階層の入場制限を知らないため妥当な助言と言える。
『それで……ですね、その探検者さんの言う通りにした方が良いんでしょうか……?』
「喫茶店かログハウスから出なければ問題ないと思いますけど……」
山里さんと話している間も子猫が俺に爪を立ててきている。【拒絶する不可侵の壁】によって爪が食い込むことはないが、子猫だけを残していくのは少しかわいそうな気もしてしまう。連れて行くのは危険だろうし置いていった方がいいのはわかるんだが。
そんな心情を察したのか、悠里が俺からスマホをむしり取る。
「山里さん? 代わりました、佐藤です」
『しゃ、社長!? あの、すみません、直接社長に伺った方が良いとは思ったんですが……』
「あー、気にしなくていいですよ。ほんとなら悠人が社長みたいなものですから。ところで相談があるんですけど——」
前振りもなしにいきなり本題に入った悠里は、子猫の遊び相手としてガイアとミライを呼んでほしいと伝えていた。その二人の少年少女は今喫茶店にいるようだった。すぐに話は纏ったようで他のスタッフさんには喫茶店から出ないように伝えてもらったようだった。
画面をタップし通話を切るとスマホを手渡してきた悠里が言う。
「ふぅ。これでこの子の遊び相手は確保じゃない?」
「まぁそうだけど」
「心配?」
「そりゃな。だってガイアだぞ? ゲームのレベル上げ感覚で外に狩りに行きそうだし、そうなったら子猫もついていくだろ?」
「ミライちゃんはしっかりしてるし大丈夫じゃない? それにほら、ここならエアリスが軍隊を入れないようにもできるでしょ?」
「うーん」
ミライは確かにしっかりしているし能力の【サトリ】は危険を回避する意味でも役に立つだろう。もちろん各国軍や怪しい人物などは事が終わるまでエアリスがここに来ることを拒否するだろう。しかし子供だけを置いていくのは。
「大丈夫、どうせ明日の日中はお客さん少ないと思うから、山里さんも呼べば来てくれるって言ってたし」
「それならまぁ」
「そういうわけだから、お小遣いよろしくね〜」
「え? 俺が?」
最近お財布がダメージを受け続けているんだが? 御影悠人の口座はもうやばいんだが?
そんな俺に対し『ペルソナの口座、引き出してないよね?』言い捨てた悠里はキッチンへと向かっていった。
お金なんて最初からなかったんだと、現実から目を背けることにした。
悠人としてはそうだが、実際はその分給料に上乗せされているということを知らない。これまでメンバーの装備品を作ったり直したりといったことがあるとそれもクランの財政上少額ではあるが優先的に上乗せされていた。
それでも悠人の口座からお金が減っていくのは、のんべえな神に目をつけられてしまったことによるところが大部分を占めていて、それを御せていない悠人自信の責任でもある。だがそのおかげか、喫茶・ゆーとぴあの夜の部売り上げは、実のところ予想していた数倍、夜間手当ての付く夜の部のシフトはスタッフの間で人気である。
当然悠人はそれも知らない。知っているのは喫茶店スタッフと悠里のみだ。
夕食と風呂を済ませそれからアイテム製作をしながらエアリスが今日の会談について評価した。
ーー 本日の会談は及第点と言ったところでしょうか。しかし古狸二人を相手にと考えますと充分すぎる成果かと。ですが嘘の下手なご主人様は、そういった才能はまるで無いと言う事が判明しました ーー
及第点か。文句なしの合格はどうすれば貰えるのだろうか。でも自分の失敗を隠して人を騙しての評価なんて、正直良いもんじゃないしな。つまりエアリス採点の結果、高評価を得られなかった俺は常識人で真っ当な人間で善人という事だな、うんうん。……異論は認めないぞ、エアリスよ。
いつもより早いが日が変わる前にそろそろ寝ようかとベッドへ向かおうとしたちょうどその時、部屋にドアをノックする音が響いた。ドアを開けるとそこには香織がいて、そのまま押し入るようにして後ろ手にドアを閉める。
「香織は……どうすればいいんですか?」
どうすれば……と言われましても。みんなと同じく避難誘導をしてもらうつもりだし、それはさっき伝えた。絶対に安全なわけではないだろうがエテメン・アンキにすぐ逃げ込むことができると考えれば正直それが一番安全に近い。
「でも悠人さんはひとりだけ危険な……」
それはまぁお恥ずかしながら……香織も知っている通りある意味首謀者なわけで。それに俺はペルソナの仮面を着けはするが、まだしっかりと話していない魔王と話をするつもりだからな。
『まずは対話を』その案を俺に伝えた総理は、ものすごく後悔しているような顔をしていた。『背中から撃たれるかもしれない』脅しにも取れる言葉だが、総理の顔はそんな事をする顔ではなく、拒否してくれて構わないとも言っていた。だけどあの魔王は俺が造り出してしまった存在だし、話せばわかるんじゃないかとどこかで思っている……つまり好都合、渡りに船だった。総理がその提案をしたという事は、魔王を攻撃するなという指示が行くはずだ。多少は落ち着いて話せるんじゃないか、そう思っている。
他国はそうはいかないだろうけど……『ご主人様を傷付けようと思うなら核でも持ってくるべきですね』エアリスは自信満々だ。もしかすると案外、俺は一人でいるのが一番安全だったりしてな。でもいくらエアリスがそう言っていても、結構自信家だからな、エアリスは。それにどこか抜けていたりもするし、万が一の事を考えるとやはり俺と一緒にいるのは危険だ。
「香織も一緒に……っ!」
「それはダメ。俺はペルソナとして行くわけだし。そこにさ、香織ちゃんがいたら正体がバレちゃうかもしれないじゃん? そしたら俺、大泉さんに怒られちゃうよ」
少しおどけたように言って香織を安心させるつもりがうまくできず、声も少し震えてしまった。
「悠人さんも、やっぱり怖いですか?」
「そりゃまぁ……ぶっちゃけ魔王がどんな感じに考えてるかとか四天王がどんなのかってのもだし、総理には人から撃たれるかもって言われたし。エアリスは問題ないって言うけど、実際のところどうなのかっていう気持ちはあるよ。だって銃で撃たれたこと、考えてみればないもんなぁ」
「それなら香織が背中を守りますから……」
香織は一緒にいようとしているが最悪の場合とその物量を考えると……星銀の指輪があるとは言え身を守るには限界がある。それに……そんなことよりも今の俺には最も重要な事がある。だから香織に少し嘘をついてでも納得してもらわなきゃならない。
「香織ちゃんが怪我でもしたら、俺、たぶんかなり怒るよ。でもそれなのに俺だけじゃできないんだ。だから手伝ってほしい……できるだけ安全なところで。俺のわがまま聞いてくれる?」
実際、いろいろなことを想定すると俺だけでは手が足りない。一人で無理矢理に解決……もしかしたらできなくは無いかもしれない。でも想定すべきことが多すぎることが想定外で、あまりにも規模が大きくなりすぎてしまった。
思い描いていた筋書きではこうだ。
その一、いきなり魔王と名乗る者が現れる。
その二、それが脅威だということを“人的被害無しで”証明さえできれば良い。
その三、さくらの希望通りとは行かないまでも諍いを収めるという目的に対しある程度うまくいかせる。
軍隊なんてものの登場は望んだものではなく、そう言った事があると広まりさえすればよかった。それがベータによる魔王教育と各国に送られたメッセージによって狂ってしまった。
そもそもそのベータを教育係にしたのはエアリスで、それはつまり俺の責任となる。正直手に余ると感じているが、事此処に至っては仕方なしと諦めることにした。もう割り切るしかないわけで、その上でできるだけ平和的に収めようとするだけだ。
エアリスは主要な権力者に武力行使をしないよう“忠告”した。アメリカ大統領には通用したようだったが、北の国と大陸の国、それと野心があったり切実な事情のある国に対してはエアリスの脅しにも近い忠告は効果がなさそうだったため、大小問わず戦闘行為の発生が予見される。そうなってしまうと、今のところ車両が自由に入れない日本は不利、エテメン・アンキに向けての撤退戦を提案したのだった。
香織に手を引かれベッドに座らされた俺は正直なところを話した。それと、いろいろ黙っててごめんなさいした。それで一応は納得してくれた様子だったが、どうやら俺のわがままに対して条件があるようだった。
「明日は傍にいられないので……今日は離しませんからね……っ!」
「うわっ」
「て、天井の木目を数えてる間に終わりますからぁ……!」
そうして息の荒い香織によって簡単に押し倒された。
ところで俺のSTRはかなり高いはず。それが意味するところは、全力を出した軽自動車となら押し合っても負けないほど。それがなぜ押し負けたんだろう……と、覆いかぶさりボタンを外していく香織が言っていた天井の木目を眺めながら思う。
『香織様のDEXが、現在異常な数値を示しているからでしょう。というか測定不能です』聞こえた声は、これまで脳筋ステータスを信じて来た俺にとって完全な敗北を示唆するものだった。ともかく香織が落ち着きを取り戻すまでの間、木目を数える他なかった。
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