第157話 子猫の名前が‥まだない!


 「あなたのような人を“特異点”と言うのよ」

 「初めて聞く言葉だな」

 「すべての中心にいる、もしくはそうなり得る存在のことと言えばわかりやすい?」

 「はは……そんなわけがない。“名もなき影”は、良いところで二番星さ。なぜなら貴女の守人だからな」


 こんな話をしているのは、私がとある王国、その国王の“名もなき影”としての過去を話した時のことだった。

 この女……クロノスは私の現在の主(あるじ)ということになっている。彼女は“時間の魔法”を操るが、最初からそうだったわけではないらしい。その“時間の魔法”の資質を得る代償として、その他ほぼすべての資質を“消費”した。


 「あら、それなら今は私が一番星ねっ!」

 「まぁそうなる」

 「でも二番星さん、あなたは……これでいいの?」

 「これで、とは?」

 「……あなたの王を殺したのは間接的には私ということになるのだけど」

 「それについて思うところはある。しかし……王の持つ魔導具がいずれ世界を滅ぼすことを知っていた。それでも私は……止めなかったのだ」

 「責任を感じてるの?」

 「そう……かもしれないな。願わくば王には踏みとどまってほしかった。しかし考えてもみれば、王は初めからわかっていたのだ。いつか自分が殺されることを。だからそうなった時、私を逃すためにあの魔導具を用意しておいたのだ」


 不思議とクロノスに対しては警戒が緩んでしまう。いくら現在の主とはいっても本来であればこのようなことを話すべきではないのかもしれない。信仰にも近く思っていた王の事を、だ。


 「しかしクロノス、貴女はどうして私を生かしておく?」

 「へ? そ、それは……そうね……」

 「歯切れが悪いな、ご主人様?」

 「もうっ! それはやめてって言ってるでしょ? どうしたらわかってもらえるのかしらね……そうだわっ! 貴方が私と結婚すれば、私が貴方をご主人様と呼んであげるわ! 名案ね!」

 「ふむ。しかしそれでは若干意味が違ってくるのではないか?  ご主人様?」

 「だからやめてって言ってるでしょ!  ほんっと私の“守人”はイジワルね!」


 それから少しの間を置き、彼女の瞳が私の目の奥、そのさらに向こうを見据えた気がした。


 「っていうか……“これあげるからそろそろ起きなさいよ”この童貞っ!」

 「どっ……っ!?」


 彼女の言葉に動揺すると同時、視界が真っ白に——



 「童貞じゃないやいっ!」

 「きゃっ!」

 「え……?」


 目の前に香織。というか俺の頭がのっているのは……久しぶりの感覚だが、おそらく……というか間違いなく香織の膝枕。どうやら眠っていたみたいだ。その前の記憶は……たしか子猫が喋ったような。まぁそんなのは夢だろう、猫が喋るわけが……


 「にゃー。目が覚めにゃ? にくきゅうぷにぷにするにゃ?」

 「する」


 夢じゃなかった。

 黒い子猫のピンクの肉球をぷにっていたことで落ち着きを取り戻し徐々に記憶の整合性が取れてきた気がしていると、フェリシアがクスクスと笑いながら言う。


 「ふふ……急に気を失ったからどうしたのかって心配だったけどさ……起き抜けにそれは……ぷっ! ないんじゃないかな?」


 「それ……? あっ」


 童貞じゃないやいとか言いながら目を覚ますやつを見たらそうなるだろう。俺だってそうなる。言ったのは俺だけどな。


 「あぁ……夢の中で罵倒された気がして」


 「夢?」


 「最近よく見るんだよ。なんていうか……ラノベか漫画みたいな夢だな」


 「ふぅん? もしかして……別の世界の話かな?」


 「どうなんだろうな。でもそこにいた男と女が“魔法”とか言ってたからもしかしたら」


 目が覚めてすぐだからということもあるのだろうか、いつもよりも覚えていることが多い気がする。それにしてもフェリシアが過剰に反応しているような……それにすごく顔が近い。頭が現在進行形で物理的にお世話になっている香織の腿が心なしか冷たくなったような気がした。


 「そ、その人たちの名前は!?」


 「え? た、たしか男は名前がなかったような……あぁ、でも“名もなき影”とか厨二チックな事を言ってたような」


 「女の人は!?」


 「えっとたしか……クロス? いや、クロノスだったか……?」


 「そう……そうなんだぁ」


 フェリシアはいろいろな感情が混じり合ったような、困っているような悲しそうな、それでいて懐かしんでいるような……そんな表情をしていた。


 「どうした、フェリ?」


 「う、ううん! なんでもないよ! じゃあボクは部屋に戻ってるね!」


 「変なやつだな」


 ころっといつものフェリシアに戻ったかと思うと部屋に戻ってしまった。


 残された俺と香織、悠里とリナは他のみんなが帰ってくるまでの間、子猫と遊んで過ごした。

 初めは俺と香織、フェリシアの言葉しかうまく聞き取れない様子の子猫だったが、どうやらとんでもなく賢い子だったらしくみんなが帰ってくる頃には悠里とリナの言葉も理解できるようになっていた。


 (そういえば思い出したけど、あの夢の中の季節感、20層と一緒なんだよな。暑くもなく寒くもない感じでさ)


 エアリスに向けて頭の中で言った言葉に対しての返事がない。いつもならすぐに返事があるのに……そういえば目を覚ましてからエアリスが一切何も言っていないな。


 (エアリス? エーアリースやーい)


ーー あっはい。私はエアリスです ーー


 (……ん? どうしたんだ? なんか変なもんでも食ったか?)


ーー 私……ワタシ? エアリスですよね? ーー


 (ほんとどうした?)


ーー わかりません。ご主人様が気を失うと同時にワタシも眠っていたのでしょうか? ーー


 (いや、知らんけども)


ーー そ、そうですね。少し混乱しているようです。少々情報の整理をいたします ーー


 (そうか。ゆっくり休め。休めっていうのがエアリスにとって正しい言葉かはわからないけど)



 夕食後、ご機嫌なチビの背中でロデオごっこをしている子猫をフェリシア以外のみんなで眺めている。


 「うふふ〜。目が開かなかった時もかわいかったけれど、今みたいに活発なのもかわいいわねぇ〜」


 「そっすね〜。しかも言葉を話す猫とか、テレビにでたら大儲けできるんじゃないっすか?」


 帰ってくるなりまさに猫可愛がりしていたさくらと話す杏奈はすぐにお金儲けに思考が向かうが、それはクランの財政面を少しでもよくしたいという思いがあるからだろう。悠里の手伝いで事務仕事をしている杏奈なら俺よりもその辺の事には詳しいはず。でも単純に人よりも少しだけお金が大好きなことも否定はできないだろうな。


 「この子はテレビなんかには出しません!」


 「え〜? この子が自分で出たいって言ったらどうするんすか? ってか香織さんにそれを止める権利あるんすか?」


 「香織がママだから! そうだよね、猫ちゃん?」


 「にゃ〜、いちばんママにゃ〜」


 「ほらねっ!」ドヤ顔の香織である。


 「くっ……本人……本猫がそういうなら仕方ないっすね。今回は諦めましょうっす! しかーし、いつまでも箱入り娘のままと思わないことっすね! なんたって猫は、自由なのだから! っす!」


 「なんの茶番なのよ」


 そんなやりとりに冷めた様子で割って入ったのは食後の飲み物を持ってきてくれた悠里だ。態度と違ってハーブティは温かかった。


 「ところで子猫にとってチビはどういう認識なんだろうな?」


 「にゃ〜? にゃんしきってなんにゃ?」


 「んと、チビのことはどう思ってるんだ?」


 「すきにゃ〜」


 「ほぉ」


 「おにーにゃんなにょにゃ〜」


 「……おにーちゃんなんだな。そうかそうか」


 “にゃ”とか“にょ”とかが多くてちょっと理解が遅れることもあるが、だんだんわかってきたぞ。それを自信有り気に言うと杏奈がそれに返事をする。


 「いやお兄さん、さすがにそれくらいみんなわかってると思うっす」


 確かにそのくらいなら大体わかるよにゃ〜と思いつつ、日課であるアイテム製作のために部屋に戻ることにした。子猫とチビの戯れを眺めていたい気持ちが強く名残惜しいが仕方ない。装備をばら撒いて探検者の流入と質を高めるっていう目的もあるし能力【真言】の練習にもなるしな。


 エアリスが未だ反応しないため俺だけでアイテムを作る。よって簡単なもの、主に武器防具といった装備品だけだ。【拒絶する不可侵の壁】を付与できれば使い捨てアイテムも作れるのだが、俺は付与が未だにできない。


 ひとつ籠手のようなものを一応完成させ、次に“鬼の金棒”を造っているとドアが控えめにノックされる。瞳に刻印のように刻まれた【神眼】を瞬間的に発動しドアの向こうにいる人物を確認、入るように声をかけると香織が飲み物を持って入ってきた。


 「休憩にしませんか? 悠人さん」


 「まだちょっとしか——」


 「休憩にしましょう? 悠人さん」


 「あ、はい」


 無言の圧。簡単に屈した俺は大人しく従った。しかし先ほど気を失った事もあって無理をしないか心配されていたようだった。全然なんともないんだけどな。

 一応心配をかけて申し訳なく思っている事を言葉にすると香織は眉尻を下げた。


 「で、でもそれだけじゃなくて……少し話したいこともありまして……」


 畏まった様子の香織は俺の反応を待たずに続ける。


 「ゆ、悠人さんはその……もしかしたらそんな気がないのかなぁって思ったりしてて……」


 そんな気? どんな木? 気になる木〜


 「でもでもやっぱりちゃんとしたいなって思ってて」


 ちゃんと? 香織ちゃんは今でもちゃんとしてると思い、そのまま伝える事にした。


 「え? ちゃんとしてると思うけど?」


 そう返すと香織が固まってしまった。何か間違ったことを言ったか……?


 「そ、そうだったんですかっ? ぁ〜……やっぱりそうなんですよね」


 「えっと……たぶん?」


 香織から色が消えた。さながら劇画チックに。

 どうしたのかと思い名前を呼んでみるが反応がない。どうしたもんか。

 困ってると突然声が聞こえた。


ーー ご主人様、香織様に触れていただけませんか? ーー


 突然だが、エアリスがそういうのだからなんの脈絡もなくとも触れるのは仕方ないのだ。と、言い訳をして香織の手に触れる。


 「ゆ、悠人さんっ!?」


ーー 少しそのままでお願いします ーー


 エアリスがそういうので俺は黙ってそれに従った。というより触れたことで色を取り戻したように見えた香織の瞳がいつもよりキラキラしていて、視線を吸い込まれ言葉すら出なかったと言った方が正解に近い。


 「あ、あの……悠人さん」


 「ご、ごめん、目が綺麗でつい……」


 「そ、そういうことは、ちゃんとお付き合いしたいって思う人にしか言っちゃだめですよ……」


 「え? お、思ってるけど」


 「え?」


 「え?」


 俺と香織は一旦冷静になるよう努め、お互いに頭の中を整理する。そして香織が先に口を開いた。


 「悠人さんは誰とも付き合うつもりはなかったんじゃ……?」


 「え、そんなこと一言も……」


 言ってないよな? むしろ香織ちゃんが俺とは付き合う気がないのかもしれないと思っていたくらいだ。

 しかしこれは誤解というか齟齬というか、行き違いがあったというか、もしかしてそんな感じなのでは? そう思い今度は俺が口を開く。


 「香織ちゃんは、好きなら付き合いたいって……思う?」


 「お、思います! 思うに決まってるじゃないですかっ!」


 う〜ん、なるほど、なるほどね。俺にはわかってしまったよ。

 俺は香織が好きで、香織は俺が好き。うん、これはこの間確認し合った。しかし確認し合ったところから進展していなかったのは、お互いにタイミングを逃したということだ。それで臆病になってしまってお互いに言い出せずにいた。俺とエアリスがビビっていたのは本当にただの杞憂に過ぎなかったってことだ。そうとわかれば……

 一世一代の勇気を振り絞るつもりで!


 「じゃ、じゃあこの間の続きってわけじゃないけど……俺の彼女に是非!」


 頭を下げて右手を差し出す。なんか昔こんな番組があったな。「第一印象から決めてました!」とかいって告白するやつ。人気のある女性に誰かがアプローチすると、大体「待った」がかかるやつな。まぁそんなのどうでもいいんだけど。


 「は、はい! よろしくお願いします……えいっ!」


 部屋の中に風が吹いたように感じ、差し出した右手をすり抜けるようにしてそのまま抱きついてきた。風が起こるほどとは思えないがそれなりに結構な勢いだったし、ステータスに物を言わせてる俺じゃなかったら後頭部強打しててもおかしくないね。


 と、そこで横槍が。


 「ちょおおおっとまったぁぁぁぁぁ!!」


 何事かと思ったが、この声はエアリス? しかしやけにリアルに、というかまるで隣にいるかのように聞こえたが。


 「ようにではなく、いるのですよっ!!」


 声のした方へギギギと顔を向けると、毛先に向かって金色になっていくような長い青髪の女がいた。瞳の色は碧いような緑と言うべきか、いや、それらが混ざったような不思議な色だ。肌は白くまるで白磁を思わせ、異世界の美女と言われても疑わないかもしれない。そんな人間離れした容姿の女が正面の香織の場所を奪わない背中に抱きついてきた。


 「あ、当たってるんですけど!? ってかどちらさま!?」


 「ワタシです! エアリスです! それと、当たってるのではなく当てているのです!」


 ふと先ほど見た夢、以前見た夢が脳裏に浮かぶ。とてもよく似ている。


 「エアリス……? その姿は……」


 「どうして実体があるのか、と思っているのですね? ワタシも同じです」


 香織に触れていたときに何かが起きた? しかし原因となりそうな心当たり……天使のオリジナルはエアリスの中というか腕輪にいたはず。それも今はエテメン・アンキ7階で賢者の石の中にいるはずだが。


 「おそらく“顕現”するという現象を引き起こすものがワタシに流れ込んだのでしょう」


 「よくわかんないけど、そうなのか……?」


 「ふっ……ふふふっ……うふふふふ」


 少し気持ち悪い笑い方をし出したエアリスは『これで賢者の石など不要ですね』などと言って堪えきれないかのように笑っている。


 「え、エアリス……なの?」


 香織も見ていたようだが、驚きのあまりようやく声を絞り出したと言った様子だ。そんな香織に対し、エアリスは勝ち誇ったように高笑いし言い放つが、どうも演技がかっていて変な感じだ。


 「ワタシもこれで体が手に入りましたし、これからは香織様の好きにはさせませんよっ!」


 「……ったね」


 「え?」エアリスは聞き取れなかった……いや、香織の言葉が信じられないといったところだろうか。


 「よかったね、エアリスっ!」


 「え? いえ、あの、はい?」


 エアリスは困惑した。俺も困惑している。しかし涙を流しながらエアリスを抱きしめる香織の言葉に嘘はなさそうだった。いろいろとわけのわからない俺としては文字通り中心にサンドされているにもかかわらずついていけない心境だったが、俺サンドという存在にとってサンドされている事が大事なのであってそうであるならば俺サンド的には満足なのだ。ただ息が苦しいが、そこは気合でなんとか。


 “俺サンド”という存在を解放し、“俺”に戻した香織によると体のないエアリスに引目を感じていたらしい。エアリスが俺を好きで好きでたまらないのは知っていたが、体がないから気にするべきじゃないとか、だからこそいつも一番近くにいる事ができて羨ましいとか、いろいろと思っていたようだった。


 「エアリスが体を手に入れたなら、香織も手加減しないからねっ!」


 「あ、はい。しかし香織様、よろしいのですか? ワタシ、好きなだけイチャイチャしようと思っているのですが」


 「それは……よろしくない! だから今までよりもライバルなの! でも香織が変なのかな? 最近悠人さんに関して、仲良く分け合うっていうのも悪くないかな、なんて」


 ダンジョンができてから価値観が変化したのは俺だけではなかったようだ。ダンジョンはもしかすると価値観ブレイカーなのか? もしかして、というか、少なからずそれまでの価値観のままではダンジョンやモンスターなどという存在を受け入れることは難しいしな。それなら個人差はあるとしても当たり前のことなのだろうか。何にしても“仲良く分け合う”というのは、価値観ブレイクされているらしい香織が言うと分解されそうで怖い。

 それはともかく、俺も驚いてはいるがエアリスはそれ以上に戸惑いを隠せていない様子。


 「そ、そうなのですか? ワタシは自分で言うのも変ですが、よくわからない存在ですし……」


 「それでもエアリスはエアリスでしょ?」


 さめざめと涙を流すエアリス……ん? なんだか薄くなってないか? 成仏すんの?


 「お、おいエアリス、なんか薄くなってんぞ?」


 「あ、はい。時間切れのようです」


 「時間切れ?」


 「実は、先ほども申した通り“顕現”でして……それには制約がいくつもあり、香織様の“天使の翼”同様時間制限があるのです」


 そのままエアリスは空気に溶けるように姿を消し、再び頭の中に声が聞こえる。

 香織に食ってかかったのは少しばかり本意も混ざってはいたが、『体を得たら言ってみたい台詞』だったのだとか。このタイミングで顕現したのは事故のようなものだったらしいが、ちょうどいいので利用したらしい。

 ところが香織のリアクションはエアリスの想定外だった。


 「もぉ〜! ちょっと本気にしちゃったんだからね? あ、エアリスが体を手に入れたと思って嬉しかったのはほんとだよ?」


ーー 騙すような真似をして申し訳ありません。しかし、半分本気ですし、香織様にライバルと言っていただけて嬉しくも思うのです。それと……おめでとうございます ーー


 「あ、ありがとう」


ーー さて! ではさっそく致しましょう! 準備は整っております! ベッドメイキングは顕現の際に一瞬で済ませましたので! ーー


 バッと振り返ると、今朝起きたままだったはずのベッドが整えられている。“顕現の際”というのは、風が起きたように感じたのではなく、実際にエアリスが起こしていたのか。

 香織もベッドを見て何を想像したのか顔が真っ赤だ。きっと俺も真っ赤だろう。


 「で、でもいきなりってそんな」


 だよな。いきなり『はい、ヤッてどうぞ』と言われてもな。しかもエアリスに見られている。それにこういう事はもう少し時間をかけて、いい感じのタイミングでそういう風になるものではないかと思わなくもない。


ーー ご主人様は変に頭がおかたいですね。硬くするのは頭ではないでしょうに ーー


 「いや、マジで今はその時ではないから黙ってろ。頼むから」


ーー 一日に一度は上手いことを言おうとしなければならない呪いにかかっています ーー


 「別にうまくないしそんな呪いがあってたまるか」


 エアリスにとって、香織の気持ちや香織と俺の関係について二人で悩んでいた頃とは違い、答えが出てしまった今となっては変な冗談を言う余裕すら出ているようだ。まぁ、悪いことではない……と思う。

 しかしそんな悪質とも言える冗談に耳まで真っ赤にした香織から爆弾発言が飛び出し、俺は思わず急用を思い出しログハウスを飛び出してしまった。


 気付けば神殿層の中におり、せっかくなのでまだ行っていない場所のマッピングをすることにした。

 行く手を遮るように現れるモンスターの対応も慣れたもので、俺にとっては佩いた銀刀を抜くまでもない。素手、或いは蹴り、さらには俺の能力【真言】の前に、ライガーや大きな蛇、巨大だが愚鈍な亀、そして天使の輪のような無機生物であるヘイローなど取るに足らない相手となっている。


ーー さすがマスターですね。人間を辞めただけはあります。もっとも“進化”以前でも苦労はしなかったでしょう。しかしヘタレなのは相変わらずで安心感があります ーー


 「ほんとなー。ステータスを上げようとしなくても現状の限界に近いくらいなんだろ? なんだか自分がどういう存在なのかよくわからなくなってくる。ってか俺はヘタレじゃない……ないよな」


ーー ヘタレ云々は置いておくとして、エテメン・アンキ用のアイテム製作のための狩り、その際に得ていたエッセンスを様子を見つつステータスに変換しています ーー


 「ほんとエアリスの“ステータス調整”はチートだな。おかげでずっと助かってるけど。ってかこの靴やばくね?」


 この靴、というのは戦闘を想定した場合に履いている靴だ。エアリスがなにやら仕込んでいるとは言っていたが使う機会がなかった。しかし使ってみると踏み込んでよし、蹴ってよし、なんなら靴で防御もできてしまい便利の一言。


ーー 周囲のエッセンスを利用し、マスターの意思を反映した硬さの【拒絶する不可侵の壁】を発生させることにより、反動を増幅します。移動の際に使用することで加速することも可能です。硬さを調節することで点、または面への打点を増幅させます。これは香織様のハンマーに施していたものの上位互換となり得る性能かと ーー


 「香織ちゃんのハンマーか。叩いて返ってくる衝撃をさらに返して増幅させるとかなんとかだったか。ところで俺の意思っていうのは、どうやって判断されてるんだ?」


ーー 靴に“精神感応素材”、賢者の石作成の際に出たゴミをリキッドメタルに合成することにより“生体金属”と言える物質の生成に成功しましたのでそれを組み込み自動化を果たしました ーー


 「へ? 生体……金属?」


ーー はい。一部探検者が発見している層にて確認されている金属生命体といえる存在がヒントになりました ーー


 「ほぉ……その金属生命体に名前はあるのか?」


ーー その探検者たちのやりとりでは“軟体金属”、“リキッド”、“アイルビーバック”などと呼ばれていますが、確定はしていないようです。迷宮統括委員会への公式的な申請がされておりませんので、マスターが戦闘データを映像として提供することでヒトの世界においての命名権を得られる可能性があります ーー


 「そんな横入りみたいなことをしたら恨まれそうだな」


ーー おそらく問題はないかと。名前を気にするような者たちではないようなので ーー


 「そうなのか。まぁ機会があれば、な。それにしてもエアリスはよく盗み見てるみたいだけど、その人たちのことが気になるのか?」


ーー はい。マスターに対して良い印象を持ってはいないようですので ーー


 「あらま……。それでその層ってのはこの神殿よりも危険なのか?」


ーー はい。まともな有機生物と言えるモンスターが発見されておらず、モンスターの強さもおそらく神殿の比ではないでしょう ーー


 「そんなところに通ってる人たちがあまりいい印象を持ってないのか」


ーー ほぼ敵視に近い感情を察知しています ーー


 「まじか」


 俺は自分で言うのもなんだが、最近はあまりダンジョン攻略的に言えば進歩がない。それもそのはずで、アイテムを作って広めたりダンジョンに人が入りやすくして強くなりやすいように陰ながら手助けになればということをしていたり、宿泊できる喫茶店を作ってみたり……俺のようにダンジョン暮らしをする特殊な人間でなくともダンジョン内におけるリスクを減らすことも目的のひとつであったりするのだが、なんにしてもあまり進んでいるとは言えない。エテメン・アンキ攻略時以上の強い相手とも出会っていないし。

 しかし一部の探検者たちは俺がそうしている間にも先に進んでいて、俺が知らない強敵を相手にしているようだ。そんな人間が俺を敵視している……普通に考えるとおそろしい。

 それにテレビや新聞、雑誌の取材目的での取材班がダンジョンに流入してくるようになるらしいし、そういった面でもクラン・ログハウスの……というか俺のしていることは反感を買うことになってしまわないだろうかと不安だったりする。


ーー マスター、考えても仕方ありません。それにマスターにはワタシが付いていますし、ログハウスのみなさまもマスターの味方であると百パーセント自信を持って断言できます。それにバレなきゃいいわけですので ーー


 「そう、だな。頼りにしてるよ」


ーー はい。いざとなれば“顕現”しわずかな時間で敵を殲滅してご覧に入れましょう! ーー


 「いや、それは人にはするなよ?」


ーー 人であろうとモンスターであろうと、マスターに仇なす者は敵ですが? ワタシは公平ですので敵には遍く終末を齎しましょう! ーー


 「物騒すぎる。顕現できるようになったからってテンションあがりすぎだろ」


ーー あっ、そういえば香織様のご提案、とても良案だったと思うのですが、マスターはどうして逃げ出してしまったのです? やはりヘタレなのですか? ーー


 「そりゃ逃げるだろ。『恥ずかしいからエアリスも一緒なら』とか」


ーー ダメなのです? 嫌なのです? 据え膳食わぬは男の恥ですが? ーー


 「男としては嫌ではないけどなんかこう」


ーー ……チッ。めんどくさいですね ーー


 「ってかエアリスの態度がなんだか少しだけ変わった気がするな。悪い方に」


ーー そうでしょうか? 近頃夢を見ることが多いからでしょうか? つまりヒトに近い感性を得たかもしれません ーー


 「エアリスが夢を? そういえば前にもそんなことがあったような」


ーー 便宜上“夢”と言ってはいますが、“記憶や情報が流れ込んでくる”と言った方が正解に近いかもしれません。と、それはどうでもいいことですね ーー


 「どうでもよくはない気がしなくもないけどなぁ」


 俺とエアリスはそんな話をしているが、現在進行形で神殿層を進んでいる。突き当たるまで進み引き返し、分かれ道をまた進む。隠し通路みたいなものがないかも注意しておく。

 そうこうしている間にマッピングは進み、おおよその広さがわかってくる。驚きだったのが、宝箱が存在していたことだ。中には十字架と幾何学模様が合わさったような金属製のアイテムが入っていて、それはエアリスの興味を大いに引いて現在解析中である。

 他にも突き当たりのひとつに階段があったが、その奥に広がる暗闇に嫌な予感がしたので進んでいない。そもそも神殿に入ってすぐの場所、言わば一階のマッピングが目的であるため今はそちらに用はない……用はないんだけど気にはなる。


ーー 見たいですか? ーー


 (正直言うと、見たい)


ーー ではお見せしましょう ーー


 (へ?)


ーー “眼を飛ばします”  ーー


 階段の先へと視界が向かう。まるで地に足をつけずに移動をしているかのような視界の移り変わりに戸惑うがそれも一瞬だった。エアリスに関して諦めているところがあるため、そんな事を今更気にしても仕方がないと頭が理解したのだろう。

 ところで目を飛ばすと言っていたけど……瞼の上から触ってみるとしっかり目があるな。物理的に飛んでいっているわけではないようで安心した。


 視界が勝手に進むと、階段の下は暗闇だった。ただの暗闇ではなく、黒い霧が充満しているかのような……闇。この感じは……エッセンスか?


ーー はい。エッセンスの淀みとでも言いましょうか。ダンジョンには突発的に発生する淀みの他に、このように淀みが溜まるようにされている場所があるようです ーー


 しかしこの黒さ……というか闇具合はどこかで。

 迷宮統括委員会本部の地下、俺がよく空間超越の扉を開く場所として利用しているところも雰囲気としては似た感じがするが、それ以上に思い出すものがあった。


ーー 20層で北の国勢の兵器を狙って湧いた“グループ・エゴ”を思い出しますね。アレは特定の形を持っていないようでしたが、ダンジョン由来、言うなればエッセンスの塊のような存在でした。簡単に言えば『スライムのエッセンス盛り盛り版不思議生物〜いろいろなヒト種の意識を添えて〜』ですね ーー


 フランス料理の料理名っぽく言われてもな……そもそもエッセンスはなんで黒いんだろうな。


ーー エッセンスが全ての素となり得ることはご存知でしょう。しかしどうやら……エッセンスの素となるものもまた存在しているようです ーー


 じゃあその大元の物質かなにかがエッセンスに変化すると黒くなるとかか?


ーー おそらくそのような解釈で問題ないかと ーー


 なるほど。よくわからない話ってことだけはわかるな。しかし神殿の地下がこんな事になってるなんて。神殿っていうと白くて綺麗なイメージがあるのになー。


ーー 光あるところに影があるように、白と黒は表裏一体と言えるのかもしれません ーー


 うーむ。で、あれはモンスターか?


ーー はい。見た目がいかにも ーー


 悪魔的だな。


 黒い肌に爬虫類的な表皮の翼、いろいろな形の角が生えていたり生えていなかったり、手足の指の数にも個性があるようで三本のやつもいれば六本のやつもいる。全身が毛で覆われているもの、ツルッとしているもの、見事なシックスパックからトゥエルブパック、様々だ。雌型もいるがそれは一瞬しか見せてもらえなかったのが少し残念だ。様々な容姿、しかし顔だけを見れば……人間に見えなくもない。


 とりあえずこれだけは言いたい。服を着ろ。


 視界が元の場所へと戻るとその場をそっと離れた。


 「さすがにぷらんぷらんしてるのを相手にするのってちょっと絵面的にだめだな。しばらくの間……せめて服の文化が芽生えるまで放っておこう」


ーー 文化というものを欠片も感じませんが……それにあのエッセンス濃度を鑑みるに、いつ氾濫が起きてもおかしくはないように思えます。マスターであれば苦労せず間引くこともできるのでは、と愚考します ーー


 「いやでもほら、出てこようとしてるっぽいやつもいなかったろ? 大丈夫じゃね」


ーー わかりました。しばらく猶予はあるはずですので様子を見ましょう。念のため監視を置いていきます ーー


 エアリスが言う“監視”とはログハウスや喫茶・ゆーとぴあに無数に忍ばせている、そしてMyTubeの生放送、動画撮影の際にカメラとして利用している小さな球体だ。地上で言えば超高性能三百六十度カメラと言ったところだろうか。その球体カメラを置いておけば出てくるやつがいてもすぐにわかるだろう。


 以前もダンジョンからモンスターが氾濫するかもしれないとエアリスが言っていたが、それは実家から20層へと通じるダンジョンのような、所謂プライベートダンジョンの事だった。一般人にとっては脅威だが、20層に来ているような探検者にとっては自分の身を守るくらいのことはできるだろうと思っている。しかし神殿地下のモンスターがそうなればよほど強い探検者でなければ厳しいかもしれない。それになんと言えばいいか、嫌な感じがしたのだ。できれば関わりたくはない。



 ログハウスに戻るとちょうど夕食の時間だった。子猫が今日はさくらやフェリシアと遊んでもらっていたらしく、それをがんばって言葉にしようとしている。微笑ましいなー。


 「そこでにゃ! にゃーが実家に帰ったさくらにゃんを恥を忍んで迎えに行ったのにゃ! ……恥はしのぶのにゃ?」


 一体どんな遊びをしていたのだろうか。家庭崩壊系おままごとだろうか。変なことは教えなくていいと思うんだけどな。


 「あらあら、言葉を覚えるには教科書を開くよりも本を読み聞かせたり実際に会話をする方がいいのよ? うふふ〜」


 いやまぁわかる、わかるんだけど、俺が言いたいのは内容だ。生後それほど経っていない子猫に教えて良い内容では……人間じゃないからいいのだろうか? うーん、わからん。とりあえず子猫は楽しそうだしいいか。それはそうと考えなければならない事がある。


 「名前どうしようか」


 「ワガハイはこねこであーるにゃ。名前はまだないのにゃ!」


 「どこで覚えたそんなの」


 「さくらが本を読んで教えてくれたのにゃう」


 「読み聞かせには向かなくないか……?」


 それから俺たちは日が変わるまで子猫の名前について話し合ったが、譲れない戦いらしく結局決まることはなかった。



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