第126話 エテメン・アンキ7階  悪夢の空間 ー 香織 ー


《もう勝った気でいるとは愚か、愚か愚か愚か愚か!!!! ベータといいニンゲンといい、ふざけたやつばかり!!! ここから出られると思うなよっ!!! 『悪夢(エパイナプス)の再演(エフィアイティス)』》


 「あちゃー……」


 フェリがなにかを失敗したような声を発したかと思うと、視界が真っ白に塗り潰される。眩しさに閉じていた目を開けるとそこは今までいた場所と同じようなところだった。ただ先ほどまで部屋の真ん中にあった光を放つ白い球体はない。そのことから同じような見た目の別の場所に飛ばされたのではと香織は推理した。


 「くぅ〜ん?」


 背後から聞こえたのはチビの声。先ほどまで悠人の肩に小さくなって乗っていたが、足元が光って光に飲まれる直前小さいままのチビが跳んできたような気がした。


 「もしかして香織とチビだけ違うところに来ちゃったのかな?」

 「くぅ〜ん」

 「そうだね、みんなが心配だね。早くここからでなきゃね」


 香織が依然小さいままのチビの頭を撫でると尻尾をゆらゆらと左右に振る。手を離すと元の大きさに戻り、その体長は立ち上がれば香織が見上げるほどだ。

 以前は普通の大型犬くらいだったのに、よくよく見るととても大きくなったんだなぁ、と悠人の肩くらいの位置にあるチビの顔を見上げる。しかし香織にとってチビは大きくなってもかわいい存在だ。そんなチビが悠人に戯れつく時、香織の目線からは悠人とチビの大きさが同じくらいに見えていた。想い人との共通点を可愛がっているチビが持っていることに気付くと、それだけでもなんだか嬉しくなる彼女は、まさしく乙女であった。


 「毛も白くなってなんだか神々しくなったね?」

 「わふふんっ」

 「ふふっ、チビのドヤ顔〜」


 キメ顔をしているチビを撫でていると背後に気配。振り向くと悠人と悠里がいた。


 「あ、悠人さんに悠里」

 「やあ香織ちゃん」

 「香織、それに……?」


 違和感。それにチビも心なしか不審に思っているように感じていた。チビの表情は人間にとってわかりにくいものだがしかし、いつも飼い主である悠人と一緒にいるよりも多く側にいてくれるおかげで、香織にはある程度察するくらいはできるようになっていた。


 「ぐるる」

 「どうしたのチビ? 悠人さんと悠里だよ?」

 「チビ? どうしたんだ?」

 「チビ? どうしたの?」

 「あれ? 二人とも……」


 やっぱりなにかおかしい。二人はチビの方へ視線を向けているけど……顔というよりも足元を見ている気がする。見られてるチビもなんだか口の横がピクピクしてるし。それにいつもの二人ならチビを撫でに来るはずなのに、その場から動かない。何より、いつも意識している悠人さんの雰囲気と違っているように思う。気配もなんていうか……さっきまでの悠人さんとは違う。でも悠人さんの気配ではある……かな? でもでも……ちょっと前の悠人さんみたい。例えるなら、私と悠人さんが操られちゃったダンタリオン事件の時みたいな。気のせいかな。


 「そういえば二人とも、フェリとクロはどこに?」

 「さぁ、どこだろうね」

 「さぁ、わからないよ」


 「さっきから二人共同時に……」

 「普通だろ?」

 「普通でしょ?」


 心に少しの……かなりの嫉妬が渦巻き一瞬で正常な判断力を奪う。違和感を感じながらも、昔からの仲の良い関係だった二人ならそういう関係でも有り得ると思ってしまう。


 「……ま、まさか……で、でもそんな……でもでも、え? 実はそういうことだったんですか悠人さん!?」

 「そういうこと……?」

 「二人は……こ、ここ、恋人だったん……ですか?」

 「何かおかしいかな?」

 「何かおかしいかな?」

 「うぅ〜……息もピッタリ、阿吽の呼吸……やっぱり、二人はその……そういう関係だったんですか……?」

 「……そうだよ」

 「……そうだね」

 

 どちらからともなく手を繋ぐ二人。世界が壊れる音を聴いた気がした。


 「そ、そんなぁ〜……悠里はさっき悠人さんが眠っている間に、応援してくれるって言ってくれたばかりじゃない」

 「……」

 「それなのに……嘘だったの?」

 「そうだね」

 「そうだよ」

 「香織のこと……弄んでたんですか?」

 「そうだよ」

 「そうだよ」


 「う……ぐずん……そんなの、そんなのって」

 「どうしたんだ?」

 「どうしたの?」

 「ごめんなさい……香織、邪魔でしたよね…ウザかったですよね。それなのに気付きもしないで……ごめんなさい」

 「そうだね」

 「そうだね」


 愕然としているとチビが手に頭を擦り付け、『撫でて癒されていいよ』とでも言うようにセルフなでなでをしてくる。慰めてくれているのだろう。


 「くぅ〜ん……わふわふ」

 「慰めてくれるの? うぅ〜チビぃ〜」


 衝撃の事実。私は悠人さんとそれなりに近い関係になれたと思っていた。ぶっちゃけもう一押しかもしれないと思ってもいた。悠里もさっき、誰にも聴こえないようにこっそりと応援してくれたばかりだった。だから、勇気をだして悠人さんにちゃんと伝えようと思って時間を作ってもらえないか尋ねたけど……悠人さんは鈍感なところがあるからいつもみたいに悠人さんの部屋でゲームをしようっていう事に捉えたんだろうなって思ったけど、やっぱりあの返事は遠回しに断るためだったんだ。考えたくないけど、悠人さんは私なんかには興味がなくて、本当は悠里と付き合ってて、それを知らずにいる馬鹿な女を二人で嘲笑ってたのかもしれない。

 考えてもみればこれまで数ヶ月間、私は悠人さんに見て欲しくてずっと近くにいようとしていた。もしかしたらそれは悠人さんには負担になってて、私はただ付き纏ってるだけの邪魔な存在だったのかもしれない。

 考えれば考えるほど自己嫌悪の渦に飲み込まれていく。いつもやさしくしてくれていたのは、悠里の友達だから悠里に気をつかっていただけなのかもしれない。それを私に対する好意だと思っていたのは、ただの勘違いだったのかもしれない。そんなことにも気付かずにただ浮かれてた。ほんと馬鹿みたい。


 「ヴヴウ……がうっ! がうがうっ!」


 悠人さんたちを睨めつけ威嚇するチビの声には身震いするほどの怒気が含まれていて、飲み込まれた負のスパイラルから一瞬で引き戻されるほどだった。

 これまで悠人さんに対して……それどころかログハウスの誰に対してもチビがそんな態度を取ったことは知る限りでは一度もない。


 「チ、チビ、悠人さんはチビのご主人様なんだよ? 香織が勘違いしてただけなんだからそんなに怒ってくれなくていいんだよ?」


 チビの目を見ると、いつも悠人さんに向けている目ではなかった。それはそう……モンスターを見るときのような。今にも飛びかかりそうなチビ、そうさせまいと首のところをしっかりホールドする。

 いつも私と一緒にいたから、私のために怒ってくれてるのかな? だとしたら嬉しいな。でもそう思えば思うほど、反対に悠人さんに対して自分とは逆の感情を抱かせていたのかもしれないと思ってしまう。いや、かもしれないじゃないよね。そうだったから今二人が見せつけるように手を繋いで……あれ?


 「二人とも、星銀の指輪は……? それにメイトブレスレットも」


 その質問に対し言葉は返ってこず、二人の死んだような目が私たちを射抜……く?


 「ふ……うふふ……うふふふふ」

 「どうかしたのか?」

 「どうしたの?」


 この場に誰かがいれば間違いなくショックのあまり頭がおかしくなったと思うかもしれない。でもそうじゃない。正常に戻っただけ。考えてみればそうだ。最初からおかしかったんだ。

 チビはたぶん私と同じタイミングでここにいた。でも二人が現れたのには時間差があった。視界の隅に捉えていた二つの光は、たぶん悠人さんと悠里の足元に発生したもの。そうであれば同時に現れなければおかしい、と思う。

 その二人の雰囲気にはどこか懐かしさを覚えていた。それもそのはず、以前感じていた二人の雰囲気にそっくりで、さっきまでの二人とは別物なんだもん。

 特に悠人さんの雰囲気、気配といえるものがまるで違う。私の膝の上で眠る前の悠人さんでさえ以前とは違っているのに目覚めてからの悠人さんのそれは私には少しの間全く違うようにも感じられた。なのに目の前の悠人さんはまるで逆行したかのようだ。

 二人がいつもつけているはずの星銀の指輪、それが二人の指にはない。メイトブレスレットもつけていない。

 そして極め付けはこちらを見る目。死んだような、というよりも、死んでる。


 だんだん正体が見えるようになってきたのは、おそらく私の能力“悟りを追う者”の効果が発揮されているからだと思う。悠人さんのように万能で無敵ですごい能力でもなく、悠里のようにみんなを守れる魔法でもない。ただ“慣れる”だけの能力。あ、でも条件次第では他の人の能力を一時的に模倣できるっていう効果もあったっけ。でも自分だけですごい能力ではない。


 悠人さんは自分の能力のことを“生活を潤す系”の便利なものだと思っている。それももちろん間違いではないけど、それはたぶん悠人さんが優しくて平和が好きでのんびりするのが好きだから。もしかするとあの能力は人であれモンスターであれ本来“思っただけで殺せる”んじゃないかな。それを暴力的な使い方をせずしっかり制御できているのは、悠人さんだからだと思う。……ルクス・マグナみたいに危険なものもあるけど、それだって直接“死”を与えるものではなく、間接的なもの。

 悠人さんの能力はもしかすると“死ね”と言えば相手は死ぬのかもしれない。

 もしかするといつか悠人さんはそういう使い方をするのかもしれない。

 でもそうなったとしても、たぶん悠人さんは自分の心を削りながら使うんだろう。

 そう、悠人さんはそういう優しい人。知り合って数ヶ月程度だけど私にはわかる。私と違って、どこまでも残酷になりきれない、それが悠人さん。

 目の前にいるのはそれとはぜんっぜん違う。いろいろ考えてる間に見えるようになってるし尚更違う。 “慣れる”ことによって、今目の前の二人の正体が私には見えている。


 「ほんと馬鹿みたい。悠里がそんな裏切るような真似するはずないし、悠人さんの気配はもっとあったかいし」


 背負っていた薙刀・撫子を鞘から抜く。その刀身が獲物を待ちわびているかのように煌いた。


 「それに香織は、もし悠人さんが香織を好きになってくれて、でも他にも好きな人がいるとしても変わらず好きな自信があるし」


 薙刀・撫子をさも居合をするかのように構えたこれは、お婆ちゃん直伝。


 「ハーレムだって構わないって思ってるんだからっ!」


 刀身が輝きを増し白光を放つ。その光は香織には暖かく感じられ悠人が力を貸してくれているように思えた。一瞬強く煌めき、目の前の偽悠人・偽悠里は目が眩んだかのように腕で自らの顔を隠す。


ーー 憧憬の……名を ーー


 突然そんな声が聴こえた香織だったが、自分の耳を疑うことはなかった。なぜなら薙刀・撫子は悠人がくれた物。実際にはエアリスが過去最大級の気合を込めた一品だが、香織にとっては悠人の写身(うつしみ)と言っても過言では無い物だ。その薙刀から声が聴こえたとしても、例えそれが妄想や幻聴であっても、香織にとっては悠人の存在を感じることで力が湧いてくるのだ。


 「悠人さん! 力を貸してくださいっ!!」


ーー 承認。“纏炎”を発動 ーー


 気合を入れるための言葉に薙刀・撫子が応える。しかしそれを『幻聴がまた聴こえる〜』程度に思っていた香織だが、刀身を覆う炎を目にし『幻聴じゃないかも?』に変わった。そしてその炎は絶対に悠人が力を貸してくれたのだと確信した。

 実際はエアリスの覚醒が進んだことにより空間を超越した繋がりができ、それに伴いエアリスが薙刀・撫子に潜ませていた擬似人格が一時的に覚醒。香織の要求を受けた薙刀・撫子がエアリスに要請、それを承認されて起きた現象である。

 ちなみにこの擬似人格は覚醒したことにより、おはようからおやすみ程度の挨拶ならできるのだが、香織には幻聴のように朧げに聴こえており、その自我をエアリスが感知することは難しい。擬似人格は意図的に隠れているのだが、元がエアリスだけあって、エアリスのことをよくわかっているからこそそれを可能としている。


 薙刀・撫子の刀身は炎を纏い、触れるものを灼くべく熱量を増す。

 その熱を感じ香織はなんとなく理解した、悠人がエリュシオンにエッセンスを込めているときの感覚を。


 「そっか。悠人さんはいつもこういう事をしてたんだ」


 高DEXと能力の作用も相まってか一瞬で感覚を掴んだ香織は薙刀・撫子にエッセンスを流し込む。

 大量のエッセンスを保有している悠人にとっては軽いものだが、その半分以下しか保有していない香織にとってはなかなかの量を消費する。一瞬薙刀を握った手から力が抜けるような感覚を覚えるも、しかしそれでもなんとか握り直す。


 「うぅ……結構きついんだなぁ……でもがんばらないと」


 斜め後方には香織に合わせて攻撃しようとしているチビが紫電を纏いバチバチとしている。白い毛が紫電によって薄く照らされ淡い紫に発光しているようにも見える。その姿は神々しく誰の目にも等しく『神狼』という言葉が思い浮かぶだろう。


 白光に目が眩んでいたゾンビたちが立ちなおり各々武器に手を伸ばす。しかしその手は武器を掴むことはなかった。


 「“閃華・絶炎”」


 歩法・虚(うつろ)によって音もなく斬り抜け、その斬り口に炎が移る。本来の“絶”であれば間合いをコントロールしながら無音の居合斬りを繰り返す技なのだが、炎が燃え移ったことで単発で止めた。

 付いてもいない汚れを払い落とすようにしたところで、ずるりと二体のゾンビの胴体が斜めにずれる。それと同時、移った炎が盛大に燃え上がった。ゾンビたちは灼かれながら胴体だけで這いずるが、チビが遠吠えよろしく天に向かって吠えると這いずるゾンビに太い光の柱が空間を震わせるほどの轟音と共に降り注ぐ。その光が消えたそこには灰すらも残っていなかった。


 「う〜ん。でもやっぱり、できれば香織だけがいいなぁ」


 たった今ゾンビを二体同時に斬り伏せるということをやってのけた香織だが、そんなことよりも色恋の方に興味がある、普通の女の子であった。


 「チビはわかってたんだね、二人が偽物だってこと」


 肯定するかの如く頷いたように見えたチビを香織は撫で回す。チビはご満悦の表情だ。

 そういえばと、薙刀・撫子を『ありがとう、おつかれさま』と撫でる。すると薙刀・撫子が『お疲れ様でした』と返した気がした。それに嬉しくなった香織はもう一度『撫子、これからもよろしくね』という思いを込め優しく撫でた。

 ふと香織はチビが落とした光の柱について考えた。あれがもし雷なら、香織も感電していてもおかしくないはず。しかしそうはならなかったことを疑問に思ったのだ。もしかして、新しい技?


 「うぅ……悠人さんにつられてうっかり進化したっぽいチビにも置いていかれちゃうよぉ」

 「くぅ〜ん?」

 「でもクヨクヨしてるだけじゃだめよ香織! 幸せ家族計画に向けてがんばるんだからっ!」


 一瞬で立ちなおり決意を新たにした香織。

 一方チビは『びりびりより疲れるけどお腹減らない!』と新たな発見をしていた。


 「あんな勘違いをさせようとするなんて、ひどい悪夢みたいだったなぁ」


 実際は勘違いというよりも香織が勝手に妄想を暴走させただけなのだが、本人は気付かない。


 「もしかして悠人さんも悠里も同じような悪い夢を見せられてるのかな? じゃあ悠人さんのところには香織と悠里が手を繋いで……? だめだめ、悠里のことは好きだけど友達としてだから! 香織は悠人さん一筋なんです、信じてください悠人さんっ!!」


 どこかにいる悠人に想いを告げた直後、悠里のところに現れる悠人と手を繋いでいる自分、そして恋人宣言をするところまで妄想は発展する。器用さを上昇させるDEX、そのステータスが極端に高いにも関わらず表情筋のコントロールがまるでできなくなった乙女がそこにいた。


 それからややあり、顔をムニムニとした甲斐あってか香織が漸く表情筋を取り戻し始めた頃、ガラスが割れるような音がその空間に響いた。


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