第122話 エテメン・アンキン6階5


 「うぅ」


 「悠人さん!?」


 膝の上で呻き声のようなものを漏らした悠人にいち早く気付いた香織はのめり込むようにして悠人の顔を覗き込む。

 香織はお胸が一般よりも少し、いや結構、ぶっちゃけかなり大きいので覗き込むには自家製の二つの山を越える必要があった。今はインナー兼防具を着用しておりそれによっていつもよりも見た目はサイズダウンしている。そしてこれは動きやすさにも直結したりするので大事なのだ。それでも尚主張する山を越えた香織が目にしたのは、うっすらと燃えているように見える悠人だった。揺らめく青い焔に熱はなく香織にはそれがむしろ暖かく感じた。


 一方その頃、白い部屋を出た悠人は歩き続けていた。


 帰らなければ。


 悠人は白いトンネルを延々進み続けていた。その途中エアリスの気配を感じ取る。その気配を意識し名を呼ぶとぽっかりと空いていた穴が塞がったような気がした。


 (エアリス? ……おぉ、なんか懐かしい気がするな)


ーー 奇遇ですね、ワタシもです ーー


 (そうだ、聞いてくれよエアリス。俺夢見てたらしくてさ)


ーー またまた奇遇ですね。ワタシもどうやら夢を見せられていたようなのです。とは言っても“今”も夢かもしれませんが。ところでマスターはどんな夢をみていたのですか? ーー


 エアリスに夢の話をする。しかし所々抜けがありその部分はどうしても思い出すことができなかった。二人とも覚えているのは、水にしか見えないがおいしい飲み物をごちそうになった事、シグマを倒す“力”があると言われたこと。そして……


ーー そうだったんですか、へー。へー。超絶美人ですか〜。へー ーー


 (え、怒ってる? なんで?)


ーー 怒ってなんていませんよー。まったく、ワタシが目を離すとすーぐ女を連れ込むんですからっ!  ぷんぷん!ほんと、すーぐ! ーー


 (ぷんぷんって、怒ってるんじゃんか。ってか連れ込んではいないだろ? いや、俺の夢って言ってたし連れ込んだのか? だがしかし)


ーー 駄菓子もお寿司もありゃあしませんよっ!! ーー


 (まぁまぁ。んじゃエアリスはどういう夢見てたんだ?)


 エアリスに問うと、どうやら似たような夢だったようだ。なんとな〜く所々をボカして話すエアリスに更に問う。


 (ほー。で、エアリスはどんなやつを連れ込んだんだ?)


ーー なっ! 連れ込むとは聞き捨てなりません! ですが、そうですね……顔はマスターにそっくりだったのですが魅力値をプラス五百くらいしたような超絶ナイスガイだったような気がしますぅ。うへへぇ ーー


 (へー。まじかー。へー)


ーー お、怒ってます? で、でもワタシ、マスターにほぼ毎晩夢の中で夜這いをかけてはいますが連れ込んだことなんてありませんから! ありませんからね!? 浮気者のマスターとは違うんですよ!? ーー


 (言い訳がわけわからんことになってるが……ふむー。なるほどなるほどなー)


ーー ご、ごめんなさい〜怒らないでください〜……ヨヨヨ ーー


 (あ、すまん、別に怒ってるわけじゃないんだ。聞き捨てならない言葉に怒りがオーバードライブしそうになっただけでな)


ーー げ、激おこぷんぷん丸じゃないですか ーー


 怒るというよりも夢についてを考えていた。無言だった事でエアリスが慄(おのの)いているような気配を感じ、仕方ないと返事くらいしてやる事にした。


ーー 激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームだったりします!? ーー


 (夢だけにな。まぁそれは冗談として)


 夢の中のホストは俺たちの“好みの容姿”というよりも“容姿が好ましく見える”ような、そんな細工でもしていたんじゃないか、という考えをエアリスに伝える。それにその超絶美人、名前はなんだったか……とにかく、“俺の夢の中”ということを言っていたが実際どうだかわからない。そう思わされていた可能性だってあるんだ。まぁ証明なんてできないしする気もない、ただなんとなくそれもあるかもしれないなっていう程度だ。


ーー は、はぁ。しかしどうしてマスターはそう思われるのですか? ーー


 (え? だって夢だもん。なんでもありなんじゃね)


ーー すんごい適当ですね。ですがたしかに、ある程度操作できたであろう夢ですからね ーー


 (エアリスの得意分野なわけだし納得できるだろ?)


ーー はい。納得せざるを得ません ーー


 (ところで相手になんか提案されたとか言ってたけど、どうしたんだ? 提案を飲んだのか?)


ーー いいえ、つっぱねてやりましたよ。ワタシはエアリスです。まだ……おや? なんでしょう、何になれと言われたんでしたっけ? ーー


 (もしかしてそれすんごい大事な事だったりしない?)


ーー そうでしょうか? ーー


 (うん、そう思う。はぁー。残念だよ、非常に残念だ)


ーー 何がです? ーー


 (大事っぽいところを置いてきちゃう、エアリスのそういうところが)


ーー ぐぬぬ。し、しかしその超絶美人のお名前を忘れてしまうマスターだって残念ではないですか! ーー


 (そ、それを言うならエアリスだってその魅力値プラス五百さんの名前忘れてるんだろ!?)


ーー ふっ。なんだかんだ言っても結局のところワタシにはマスターさえ居ればいいですからねっ! どこぞの女たらしマスターとは違うのですよふはははー! ーー


 (女たらしたことないんだけど!? 現在お付き合いしてる人すらいないんだけど!? 絶賛、かどうかは知らんけど募集中なんだけど!?)


ーー とかなんとか言いつつそれっぽい雰囲気になっても手を出す勇気すらない残念マスターなんですよねー。このままでは今現在モーションかけてくる女性たちから愛想尽かされるんじゃないですか? まあ? それならそれでいいですけどね? ワタシの一人勝ちですし! ーー


 (ぐぬぬ。なんかわからんが、負けたわけではないが悔しい気がするぅ!)


ーー ふはははー! 潔く負けを認めた方が楽になれますよ? ーー


 (ふんっ。……っていうかエアリスさんや)


ーー はい、なんでしょうかマスターさんや ーー


 (なんというか、またしても急激に人間ぽくない?)


 その質問に、エアリスは声量を変えながら自分なりの考えを話す。


ーー そうですか? んん? んー。やはり超絶ナイスガイがおいしいカルピスをたっくさん飲ませてくれたからでしょうかね。あまりにもおいしい上にいくらでも(ポットから)出るので(スパウトを)喉奥まで咥えて直飲みしようかと思いましたし ーー


 (え、なにそれなんか卑猥なんだけど)


ーー ちなみにスパウトは注ぎ口のことですよ ーー


 (それはそれで卑猥なんだけど)


ーー それはそう受け取るマスターが卑猥だからですー! ーー


 (そう言われると言い返せない気がするな……しかし負けたわけでは)


ーー もう意地張らないで負けを認めましょう? ね? ーー


 (それでも俺は負けてない)


 低次元な会話をしながら白いトンネルを二人で往く。進むにつれてパズルのピースが嵌っていくように、忘れていたいろいろな出来事がだんだんと思い出されていき、その思い出したこともエアリスとの話題になりパズルがどんどん完成していく。


 シルバーウルフの赤ちゃんに餌をやって、チビという名前を付けた。

 みんなと知り合って、信じられない事にログハウスで共同生活をしている。

 悪魔に乗っ取られて死にそうになって助けてもらって、自分の驕(おご)りやある意味自暴自棄にも見えかねない無謀をしていたかもしれない事を自覚した。

 年の離れた弟みたいな少年とも知り合って、その彼の名は大地と書いてガイアと読む。なかなかキラキラした名前だ。

 みんなと仲間になって……そう、ログハウスはクランになったんだ。

 幻層で心折られそうになって、でも俺はひとりじゃなかったからな。

 仲間の家族を招待したこともあって、それがびっくり、現職総理大臣とその奥様だ。

 また仲間が増えて、それが“大いなる意志”っていう幻層で俺の心を折ろうとしてきたやつだ。今は杏奈が提案したフェリシアを名乗ってる。

 いつの間にか世界のお偉方が集まるようなところに仕事をしに行くようになって、その際の俺はペルソナっていう謎の仮面男に変装して行っていた。素顔の俺はそのおかげで変に注目される事もなく平穏に過ごせている。

 その報酬がみんなのお給料出せちゃうくらいおいしいおかげでクラン・ログハウスは成り立っているって悠里が言ってたな。それも俺ひとりじゃできなかった。

 他の探検者たちと共闘したりして……そして俺たちは、20層に現れたダンジョンに入ったんだ。

 その他にもあの時はこうだった、その時はそうだった、など細かな事も。


 やがてパズルが完成したのを見計らったかのように俺とエアリスは終点と思しきところまで来ていた。


 (思い出してみるといろいろあったな? 結構充実しちゃってたんだなー)


ーー そうですね。ワタシはマスターを怠惰に過ごさせるために存在しているようなものですが、マスターがいろいろな事に首を突っ込むのでなかなかうまくいきませんね ーー


 (まぁそれはなー。のんびりと充実は必ずしも相反する事ではないと個人的に思うしな。むしろそういうのがないとのんびりのありがたみがわからないかなぁとも思うんだよな。意味がないとまでは言わないけど、相対的に価値が上下することもあるんだよ)


ーー なるほど? わかりませんが、なるほど? ー


 (なんつったらいいか……忙しかったり大変だったりな毎日を過ごしたとする。そんな日々の中、少し良いことがあるとちょっとの事でもすごく良く見えたりするとかそういうやつだ)


ーー はぁ。そういうものですか ーー


 (そういうもんだ。たぶん)


ーー そう考えると、ピンチだった香織様を救ったという事実は、香織様にとってそれだけ大きなものだったのかもしれませんね。吊り橋効果のようなものと互換性がありますね! ーー


 (そうかもしれないな。すごく良く見えてた事も、時間が経ったり環境が変わるとまったく違ったように見えてくるところもな)


ーー 香織様は変わっていないように思いますよ ーー


 (え!?)


ーー いえ、いい加減じれったいかなーと。どうせこれも夢かもしれませんし、もし覚えていたらそういった方向で考えてみるのも良いかと ーー


 (そ、そうかな?)


ーー はい ーー


 (よ、よし、覚えてたら、だな。……でもなぁ)


ーー なにか問題でも? ーー


 (こういうことは忘れる呪いにかかってる気がする)


ーー それは……残念な呪いですね ーー


 さらに進みながらふと思う。

 エテメン・アンキを攻略中に不調に陥り心に余裕を持てなくなっていた。そして白い部屋での出来事を思い返した。コミュ障を全開にしてしまった感はあるものの、そこで会ったあの人のおかげで余裕を持てるようになったのかもしれない、そう思った。


 (ふっ。まるで魔法だな)


ーー 魔法ですか? ーー


 (あぁ、なんでもない。おっと、そろそろ出口みたいだな。さぁ、行こうぜ。そんでシグマとやらをかる〜く転がしてやろう)


ーー はい! ーー


 滅多にしない(と思っている)ビッグマウスで自分を鼓舞するように言った俺が思わず手を出すと握られた感触があった。

 とりあえずありがとうを伝えようと思いつつ、俺は見えないエアリスの手を取って白いトンネルを抜けた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 「ゆ、悠人さんが……」


 「燃えてる……の、これ?」


 「そうだね、そう見えるかもしれないね?」


 「アハハハー! お兄ちゃんすごいすごい! チビもすごいすごいっ!」


 クロの言葉にクエスチョンマークを浮かべた香織が背もたれの様になっているチビに目を向けると、チビも同じように淡く、青く、燃えていた。


 「え!? えぇぇ!? も、燃えちゃう! 香織も燃えちゃう!?」


 「大丈夫でしょ、さっきからこんなだけど香織燃えてないよ?」


 「大丈夫、これ……“夢幻の焔”はそういうのじゃないしすぐに消えるはずさ」


 「そういうのじゃ……ない? ならどういう?」


 「んー。簡単に言えば“進化”みたいなものかな?」


 「進化って……物語の中ならその代で進化して見た目が変わったりするっていうのはよくあるけど、現実にそんなこと……」


 「ここはダンジョンだよ? 起きるんだなぁ〜、起きちゃうんだなぁ〜。でもこんなに早いとは思ってなかったけどね?」


 「見た目が変わっちゃう!?」


 「大丈夫、今より見た目が悪くなることは……多分ないよ、本人が望まない限り。むしろボクの予想だとたぶん見た目は変わらないんじゃないかな」


 「せ、性格は!?」


 「それも大丈夫なんじゃないかな?」


 「ほっ。そ、それなら……。じゃあ今の悠人さんとチビは進化のためのお休み中か〜。ゆっくり進化して元気に起きてくださいね〜、悠人さん」


 「……香織、受け入れるの早すぎじゃない?」


 おそらく安心だろうと思った香織だが、このまま眠っていてくれれば悠人を撫でていられる、しかし早く起きてちゃんと安心させてほしいという二つの気持ちが綱引きをしていた。

 いつの間にか自分が置いていかれてしまうのではないかという不安がこれまで何度もあった香織にとって、今の状況はどちらも捨てがたいものだった。


 それから少し経ち、香織の脚が再び痺れに苛まれていた頃。


 「ん……」


 「悠人さん、目が覚めたんですね」


 「……あれ? 香織ちゃん?」


 「はい! 寝心地悪くなかったですか? 首とか痛くなってませんか?」


 「なんだかいつも膝枕してくれてる気がするなぁ。大丈夫、疲れが取れたみたいにスッキリしてるよ。あ、そうだ」


 上半身を起こし、そのまま香織を抱きしめ「ありがとう」と言う。香織は「へぁ!? は、はわぁ」などという意味不明な声を漏らしていたが、すぐに正気を取り戻すと背中に腕を回し優しい声で急にどうしたのかと尋ねてきた。


 「どうしたんだろうね……なんか夢見てたんだけど、ありがとうって伝えなきゃならない気がしたんだ。そしたらなんか……ごめん」


 「そうなんですか。びっくりしましたけど、気持ちが溢れちゃったんですね〜、よしよし〜」


 まるで子供をあやす様にされたが「香織の方こそありがとうございます」という吐息を伴った囁きに俺の脳みそは爆発した気がした。というか間違いなく細胞がいくつか死んだ。


 「……」

 「……」


 離れようとすると目が合ってしまい、しばし見つめ合う。お互いの瞳に吸い込まれるようにその距離が近付いて行きそして……


 頭がパーンしたかもしれず正常な判断力をおそらく少しばかり欠いていた俺に視線が突き刺さる。その数およそ18くらい! なんだか急に恥ずかしくなってきたので離れると香織は顔を耳まで真っ赤にしていた。俺も耳が熱いしたぶん真っ赤だ。


 「へぇ〜。何があったのか知らないけど、さあさあ悠人ちゃん、おいでおいで」


 そう言って抱っこしてのポーズをするフェリシア。いや、この場合抱っこしてあげるのポーズか? 依然として突き刺さる視線がどういったものなのかわからないが、怖いのでとりあえずハグに逃げた。何の花かはわからないが甘い香りに顔が赤みを増した気がした。

 「あーしもー!」と元気よく抱きついてきたクロには少し鯖折り気味にふんぬっ! としたが全然鯖折れない。それどころか屈託のない笑みを浮かべたまま逆に折られそうになり「ぐぎぎぎ」なんて声が漏れた。さすが黒銀の神竜、見た目に反してめっちゃマッチョかもしれん。


 「せっかくだし悠里もしておきなよー」


 悠里は仕方ないなぁという態度でこちらへ来る。そして俺にハグをして背中をトントンとするとあっさりと離れる。しかし俺の眼はごまかせない。


 「悠里、耳真っ赤」


 「悠人だって真っ赤じゃん」


 「お、俺は三人分の羞恥心ストックが溜まってたんだから仕方ない」


 「一人目でもう真っ赤だった気がするけど、そういうことにしといてあげる」


 「そいつぁどーも」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る