第120話 エテメン・アンキ6階3



【そのまま朽ちていけば良いものを。母の糧にならぬ兄さんなど……許さんッ!!】


 無機質で神秘性を伴っていた女の声が突如狂ったように喚き始め、声音が変化するにしたがって神秘的な雰囲気は黒く塗り潰されていく。そこにあるのは狂気。

 気付けば周囲を照らす光は赤みを帯びており、ベータからはドクンドクンと鼓動のような圧、それと同時に体から漏れ出た赤黒い光が徐々に強さを増していく。

 悠里と香織は顔が引き攣っている。ゴブリンたちはガクガクと震え……あれは全員漏らしているなぁ。水っぽいものが平伏するゴブリンたちから周囲に向けて広がっている。


 「なんかヤバい気がするんですケド?」


 「シグマ……」


 フェリシアが言うようにこれはシグマの仕業なんだろう。結界に閉じ込められているベータにも変化が出ていた。


 「グゥゥゥ……手遅れカ……侵食がすすム……ミカゲユウト、もはやこれまでダ、完全に奪われる前に吾輩を……殺すのダ……ッ!」


 よろしい、ならば結界に閉じ込められているうちに殲滅だ。と思ったのだが、フェリシアはそれを望んでいないようだ。まぁ当然か、弟だもんな。


 「だ、ダメだよ悠人! 殺しちゃだめっ! ベータ! お前も簡単に殺せなんて言うなっ!」


 「し、しカシ……」


 香織の抱っこから抜け出したフェリシアが俺の前に両手を広げて立ち塞がる。なんだか悪者にでもなった気分だぞ。まぁそれはいいとして、このままでは良くない状況になるという事だからベータは自分を殺せと言うんだろう。正直なところ“わるいこと”が起きないようにするためならば仕方ないと思っている自分がいるっちゃいる、例えベータがフェリシアの弟でもな。

 ふと俺はこんなにドライだったか? という疑問が浮かび上がってくるが、それは今考えることじゃないと思い直しその疑問を頭から追い出す。


ーー 問題ありません。銀刀をお使いください ーー


 エアリスの声と共に俺の右手には中ほどから九十度に折れ曲がったエリュシオンと入れ替わるように鞘に収まった銀刀が現れる。それを左手に持ち替え腰を落とし構える。急展開でわけがわからないが、素直に従っておくことにする。

 ほんの少ししか話してはいないがベータは悪い奴ではないだろうと思う。そもそもエアリスは手を打っているはずだし、それにベータが守りたいのはおそらくフェリシアだ。そうなると俺にできるのはエアリスが言ったように銀刀で斬ることのみ。

 俺が腰を落とし銀刀に手をかけたのを見るや、フェリシアが今にも泣きそうな顔をして駄々を捏ねる子供よろしく腕をグイグイ引っ張る。『フェリシア離して! そいつ殺せない!』なんてことはさすがに怒られるだろうし俺でも怒るから思っただけで言わない。


 (フェリのやつどうしたんだ? こんなに取り乱すようなやつだったっけ?)


ーー 相手が相手だからでしょう ーー


 (まぁ一応兄弟みたいなもんなんだろうしなぁ)


ーー マスターは落ち着いていますね? ーー


 (……たしかにな。俺としちゃあエアリスが手を打ってるって言うんなら大丈夫だと思ってるし、なにより信用してるからかもな。あとはちゃんと斬れるかどうかだが)


ーー ……問題ないでしょう。ワタシにお任せください ーー


 (わかった。悠里の結界が解けたと同時に斬ればいいんだな?)


ーー いいえ、違います ーー


 (違うんかい。じゃあどうすんのよ?)


ーー 悠里様の攻撃の後、全力で斬り抜けていただければと。そこからはワタシが ーー


 (攻撃? 虚無か?)


ーー そうですが、それの応用のようなものです ーー


 ふと背後に“大きな気配”を感じそちらを見ると、未だ結界に囲われたベータを見据える悠里がいた。その瞳の中に淡い青色の焔が揺らめいているように見えた。


 (結界を張ったままで虚無? 逃げ場をなくして消滅させるっていうのか?)


ーー 少し違いますが見ていればわかるかと。マスターはその後に備えてください ーー


 クロに視線を送ると戸惑いながらもフェリシアを連れていく。その顔は今にも泣き出しそうなのを我慢している子供みたいだ。『フェリシア、安心してください』そんな声が聴こえるとフェリシアも大人しくなった。エアリスとフェリシアは念話のようなもので会話でき、それが何気に羨ましく思う。エアリスならばそれを可能にするアイテムを作り出すことも可能かもしれないが、しかし実際に考えてみて欲しい。ふと思ったことが筒抜けになるかもしれないのだ。そんな危険物は存在してはいけないのではないだろうか。『ONOFFの切り替えさえできれば問題ないのでは?』とも思うが……まぁ今考えることではないな。


 便利アイテムのアイディアを先延ばしにすることを決定したところで、悠里が全てを吸い込み消滅させる【虚無(ヴォイド)】を結界内部に発生させる。その虚無はベータを吸い込もうとするが爪の先よりも小さな、というか見た感じでは吸い込まれていなければ発生にすら気付かない程度の大きさだったこともあり効果は薄いようだ。これでは吸い込みきるまで時間がかかりすぎる。結界内部の空気が全て吸い込まれた頃、二重に張られたマジックミラーシールドの外側が解除された。すると吸引力の変わらない掃除機もびっくりな吸引力が俺たちを襲う。

 俺はなんとか足元に高さ三センチメートル程度発生させることに成功した【拒絶する不可侵の壁】に足をつっかえて耐える。


 (ぬぐぐぐぐ)


ーー もう少しです、耐えてください。あっ、ゴブリンが ーー


 見るとゴブリンたちはゴブ姫を庇い覆いかぶさり山のようになっていたようだが、徐々に剥がされ一体、また一体と小さな黒い点へと吸い込まれていく。このダンジョンのモンスターはなぜかは知らないが復活できるらしいし、多分大丈夫だろう。……大丈夫だよな? 大丈夫じゃなくても、今の俺はそれをなんとかできるだけの能力を発揮できない。せいぜい運良く発動しても足元に出っ張りを作れる程度な事がつい今し方証明されている。ということで見なかったことにする。


ーー あっ、香織様が ーー


 「チビっ!!」


 言うが早いかチビは香織を庇うように【虚無】との間に立ち塞がり香織はチビにしがみついている。これはさすがに見なかったことにはできない。


ーー あっ、フェリシアが ーー


 「クロっ!!」


 これも見なかったことにはできないのでクロの名前を呼び目で頼む。


 「んえ? あーだいじょぶだいじょぶー、こっちはまっかせて〜」


 かる〜い返事のクロはすでにフェリシアを背後から抱っこしていた。その足元を見ると、足が黒竜のものになっており爪が床に深く食い込んでいる。さらに滑らかな尻尾は悠里の腹の辺りに添えられている。器用なもんだ。履いていたローファーは既になく、おそらく【虚無】に吸い込まれたのだろう。


 ベータに向き直るとそこには左腕を【虚無】により消滅させられたゾンビが白い棒を床に突き刺して耐えていた。そして発生された虚無が赤く光を放ち圧縮されその後も様々な色に変化していく。


 (あるぇ? これって)


ーー っ!! お気付きですか? そうです、これが擬似超新……あっ、大事なお知らせです ーー


 (なんだよこんな時に!)


ーー 規模を間違えたかもしれません ーー


 (んなっ!? ……どっち側に?)


ーー おっきい方に ーー


 (ばっきゃろおおおおお!!)


ーー てへぺろ ーー


 心の叫びをエアリスにぶつけつつも、まぁ擬似ではあるしちょっと間違った程度なら規模も大したことは……そんなことを思っていた時期もありました。


 色が変化し続けていた虚無は白く輝き光量を増す。ガラスが割れるような音と共に先ほどとは真逆の、叩きつけるような衝撃を伴った灼熱の嵐が襲う。ダメ元で【拒絶する不可侵の壁】を発動しようとするが失敗、発動すらしなかった。

 しかしそこはさすが悠里、【リフレクトシールド】という新魔法が俺たちを包むように展開し難を逃れることができている。そしてその嵐は持続しているため、俺たちには【マジックミラーシールド】の性質を変化させた【リフレクトシールド】の外側が真っ白に見えている。

 この【リフレクトシールド】はつい先ほどエアリスが悠里に提案・指南したそうだが、【虚無】の新たな使い方といいすぐに実用するあたり悠里の進化が止まらない気がしてくる。恐ろしい子。それはそうと。


 (……殺す気か?)


ーー 申し訳ありません。思った以上に悠里様の【虚無】の練度が高かったようで ーー


 (しかしすごそうな嵐だな。悠里が無敵バリア張ってくれなかったら死んでた。ところでこれってもしかして超新星爆発(スーパーノヴァ)とかってやつか?)


ーー そう思っていただいて差し支えないかと ーー


 (ってことは……なんかいろいろヤバい光線みたいなの出てんじゃないのか?)


ーー そうでしょうね。【リフレクトシールド】は【マジックミラーシールド】以上にその手の有害なものも防ぐようですのでわかりませんが、指を出して触れていただければ観測できるかと ーー


 (やなこった! つーかなんで急にこういうことするかなー)


ーー 擬似的に、それっぽいことができそうな気がしたので……つい。安全も考慮していますし ーー


 (『気がしたので……つい』でやっていいレベルじゃなくない気がするなぁ。さすがにこれじゃベータも跡形もないんじゃ…)


ーー ギリギリ大丈夫そうですので準備だけはしておいてくださいね。あ十秒ほどで擬似超新星が消滅しますので ーー


 それからきっかり十秒で持続的な爆発は終わり視界が暗転、直後【リフレクトシールド】が解除されることにより

視界が開ける。

 すると俺の不安を余所に体の背面が半分以上削り取られ、体の左側を失ったベータが白い棒と片足で立ち、呻いていた。床面どころか部屋全体が赤熱し溶けていたが、おそらくエテメン・アンキの性質・能力そういったものだろう、それは一瞬で修復され何事もなかったかのように元に戻る。

 しかしベータはそのままで残った体の大部分が炭化したようになっており、動くこともままならないといった様子。そのベータに対し、すぐさま駆け出し抜刀と同時に全力をもって銀刀で斬り抜けるとベータはべしゃりと崩れ落ち空気に溶けるように消えていく。

 銀刀を鞘に納め振り向くとベータがいた場所には白い棒だけが残されていた。


 (これでいいのか?)


ーー もぐもぐ…… ーー


 (もぐもぐ?)


ーー ふぁい……もぐもぐ……ごっくん! ……おぇ ーー


 (な、なにしてらっしゃるのエアリスさん!?)


ーー ちょっともぐもぐ……お食事をもぐもぐ ーー


 (お、お食事……?)


ーー けぷっ。ぺっ! ぺっ! ーー


 なんだろう、この気持ち。言葉にならないんだが。


ーー ふぅ。さて……ベータ因子……複製……記憶…複製 ーー


 徐々に銀刀が鞘ごと輝き始め時折星が瞬くような光を発する。


ーー 主意識強制分離……複製への定着に成功……銀刀への移植、完了しました ーー


 エアリスの声に呼応するかのように増していた光は、完了の言葉と同時に収まっていった。


 (まず説明をだな)


ーー 実際に話していただければ問題ないかと ーー


 (話す?)


 鞘に納めていた銀刀がカタカタと鳴りだす。何事かと柄を掴むとテレビの砂嵐のようなザーザー音が

し、その後声が聴こえた。


 『あーあー、本日は刀日和である! ということで吾輩、刀になったのである』


 「うわっ! 銀刀がしゃべったぁぁ!?」


 テンションは高めだが野太いその声は明らかに聞き覚えがあり、そして一人称が吾輩。ちょっと違う部分もあるけど、おめぇこれどう考えてもよぉ……


 「お前……ベータか?」


 『如何にも。吾輩がベータである。これからよろしく頼むのである。あっ! 扱う時は優しい方が好みである』


 「えぇぇ……なんか、きめぇ」


 銀刀をベータの依代とする事は理解していた。しかしだ、喋るなんて思わないだろ。……いや、そもそもエアリスなんて体がないのに喋るし……うん、なんかそういう現象なんだな。よくわからんけどいいや。


ーー マスター、褒めてください ーー


 「お? おう……よくやったな」


ーー はい! がんばりました! ーー


 褒めてというので「何を?」とは言わずにとりあえず褒めておく。

 刀がしゃべったり俺が独り言を言っているように見えている悠里と香織、そしてフェリシアとクロも訝しげな表情になっていた。思いついたようにフェリシアが「ONにするね!」と言い、それはエアリスの声が周囲に聴こえるようにするということだと理解できた。というかONにできるようになったらしい。

 少し混乱が収まった様子の悠里と香織もこちらに寄ってくる。


 「ちょっと悠人、どういうこと?」


 「俺も聞きたい」


 「エアリスが何かしたんですか?」


 「俺も聞きたい」


 「さっきの声、ベータだよね?」


 『ベータである!』


 「だそうだ」


 「でもどうやって?」


ーー 食べてゴミを吐き出したらこうなりました ーー


 『吾輩はゴミである?』


 「……ふふ、そういうこと……ふふふっ…あはははは!」


 「ど、どうした?」


 急に笑い出したフェリシア、俺たちの頭上にはクエスチョンマークが浮かび上がる。しばらく笑っていたフェリシアが落ち着いてくると『ごめんごめん、なんだかおもしろくてさ』と言う。いや、特におもしろくないです。


 「ベータ、なんだか生まれたばかりのときに戻ったみたいだね」


 『吾輩が、であるか?』


 「うんうん、言葉遣いは違うけど……ぷっ」


 『何のことかさっぱりなのである。アルファは変なのである』


 「まぁ気にしないでよ。それよりエアリス、ありがとうね」


ーー 約束通り消滅はさせませんでしたが、これでよかったのですか? ーー


 「うん、本当は丸ごとがよかったんだけど、おもしろいからいいよ」


ーー そうですか ーー


 置いてけぼりだが、それは俺だけでなくフェリシアとエアリス以外全員と言ったところだろう。詳しく聞きたい気持ちはあるが……

 急に体が重くなりそれはできなそうだ。


 「ちょっとみんな……ごめん、なんか眠い」


 「っ!? 大丈夫なんですか悠人さん!?」


 「少し……ねむ……る」


 『吾輩も眠いのである。主であるユウトは眠るようなのであるからして、吾輩もおやすみなのである』


 脚に力が入らない。そのまま深い闇に融け込むような感覚に身を委ねると、意識が途切れる直前『おやすみなさい、悠人様』と聴こえた。 


 この声は……俺を名前で呼ぶなんてどういう風の吹き回しだよ。 



 周囲を照らしていた赤い光はいつの間にか元に戻っており、狂った声ももはや聴こえない。悠里、香織の顔からも先ほどのように深刻な表情は消え失せ弛緩した空気が流れた。そんな折、悠人は倒れ込むように意識の底へと沈んでいった。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ボクたちが悠人の寝顔を眺め始めてから約一時間が経過した。今は【虚無】から逃れたゴブリンたちが周囲に散って警戒している。でも実はそれに意味なんてない。だって今現在エテメン・アンキ6階は“悠人の支配下”なのだから。

 悠人に敵対しようとする存在は干渉できないようになっている。これはベータが決めていたルールだね。


 悠人の呼吸は安定している、でも目を覚ます気配はまだなく、今は香織の膝の上で眠っている。時折体温が上がったり下がったりを繰り返しているが、傍目では何も変化がなくいつになったら目を覚ますのかまったくもって不明だ。だがその原因を知っている。ボクは知っている。


 ベータは銀刀の中に移された。ボクにもベータにもできないことをやっちゃうなんて。エアリスは本当に無茶苦茶だ。おそらくエアリスがベータの因子と必要な記憶を“取り出して”銀刀に移植した感じだろう。コアとも本体とも言えるそれをそのまま取り出して移し替えたはず。だからたぶん、まだ生きてる。


 器に入ること、言わば“受肉”する事はどちらにとっても負荷が大きい。だから眠ってしまうのはごく当たり前のことだ。とはいえベータの場合は依代として充分に適正を持っている銀刀に入り、それは“生物”の依代ではないから疲れているのはベータの気のせい、それか悠人ちゃんを“主”と呼んでいたから影響されたのかもしれないけど。

 ベータの睡眠はいつまでになるかはわからない。それはボクと違い無機物を依代にしているから。もう目を覚さない可能性だってある。できることなら目覚めて欲しいとは思うけれど。


 そんな中でもこれは収穫といっていいのだろうか、ボクは幸か不幸か見つけた。いや、そうかもしれないとは思っていたんだ。でもここに来て確信した。君が“オメガ”だったんだね。自覚はまだないだろうけど、君はきっと覚醒する。そして……


 ボクたちを殺す。


 でもそれでいい。そのためにボクは禁を破ったのだから。

 その時までアルファではなくこれまで通りフェリシアとして過ごそう。

 できることなら、いつか訪れる終末のその日まで。


 

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