第119話 エテメン・アンキ6階2
「ベータ?」
悠里が機転を利かせ【マジックミラーシールド】を応用する事で展開した結界により捕われたゾンビ君に対しフェリシアは問いかけた。動きを止めたゾンビ君はなんとか片方だけ持ち上がった瞼から覗く金色の瞳でフェリシアの姿をまじまじと見つめる。
ふと、なにかに気付いたようにゾンビ君はうーうーと言葉にならない声を発する。
『ウゥ……アァ゛ー…ハァ』
「うん、そうボクだよ。やっぱりお前はベータだったんだね。そんな器を用意しているなんて聞いてなかったけどその姿は? まさかお前が失敗するはずないよね?」
『ッ!!! アガァ! アアァ! ンオォォ……』
フェリシアの質問に対するゾンビ君はのろのろとした身振り手振り、時には頭を抱えて訴える。
「乗っ取られた? お前が? まさかそんな」
『ゥゥ……ィイ…グゥ…ヴァ』
「……そう」
どうして会話になってるのぉ? ゾンビ語なのぉ? などと茶々を入れて良い空気ではなさそうだ。
ゾンビ君は雰囲気的になんだか悲壮感に溢れてるし、フェリシアはいつになく深刻な表情だし。
っていうか何? ベータ? 乗っ取られた? やっぱフェリシアの知り合い? てーことは……こいつここの“神”か? うーん、ゾンビにしか見えん。それにしても乗っ取られた、か。ゴブリンやセクレトが俺たちに伝えられなかったのはそれのことだろうな。そしてその相手の情報も。
『ウゥゥ』とうめき声のようなものを上げ人差し指をこちらに向け、再びフェリシアに向き直るゾンビ君。それに対しフェリシアは「それしかないか……」と呟いた。それから少しの間、呻きのようなものしか上げないゾンビ君とフェリシアがたぶんおそらく会話? をしていた。フェリシアがゾンビ君の言いたい事をどうしてわかるのかは謎のまま。
ごめん、まったくついていけないから説明プリーズ。
そんな俺たちの視線に気付いたフェリシアがこちらに向き直り紹介する。すると、思い出せないと言っていたクロが反応した。
「あ、ごめんねみんな。このゾンビみたいなのはベータ。ボクと似たような存在だよ」
「ベータ……ベータ……あーっ! 神! 神様ジャン! やっと思い出したし〜! でもどうしたワケ? なんかー、汚ねーんすけど」
「ああ、そうだベータ。悪いんだけどさ、この黒竜はボクがもらったからね。名前もクロってつけたから」
フェリシアの黒銀の神竜略奪発言に対し、ベータと呼ばれたゾンビ君は一瞬動きを止めるがコクコクと頷いた。そこに悲壮感はなく、むしろ喜んでいるかのように思えた。
悠里が結界のように展開しているマジックミラーシールドを解こうとすると、フェリシアから更に注文をされる。内外双方を外側にして展開してほしい、と。それによって擬似的に【拒絶する不可侵の壁】になるのだが、それになんの意味があるのだろうか。その意味を俺たちはすぐに知る事となる。
「…あーあー……マイクテス、マイクテス! 本日はゾンビ日和なリッ!」
ゾンビ日和が何かはさておき、腹に響きそうな低音ボイスで放たれた声。それにしてもこの声、たいぶ腐ってやがるが覚えがあるぞ
「この声、昨日聴いた気がするな」
「昨日? ああ、今ココハ時間加速中だったナ。いかにモ、挑戦的なニンゲンに返事をしたのは吾輩デアル」
「なるほどな。で、ゾンビになって待ってたわけか?」
「なりたくてなったわけではないのデアル……」
悠里のマジックミラーシールドによってベータは乗っ取られた相手からの呪縛を一時的に軽減した状態になっているらしく会話ができるようになった。もっともその効果はあまり長くは持たないようだが。では【拒絶する不可侵の壁】ではだめなのかとフェリシアに問うと「たぶんダメ」と言われたので悠里にお任せするしか無い。そもそも不安定なので今の俺はアテにならないし。
話を聞くとベータは俺たちを迎え撃つべく人間を、探検者を模した器を作ったのだという。しかしもちろんその身体能力は化け物じみたものにしてあり、武装も“俺に対して”特効になるようにされていた。エリュシオンが曲げられたのは、あの白い棒がエッセンスと相容れない関係になるようなコーティングがされているから。おそらくあの薄らと虹色に見えるのがそのコーティングだろう。
「なるほど。そいつの不思議パワーでエリュシオンが曲がったのか。ところで、クロのことをビーと呼んでたらしいが、それって」
「おオ、よく気付いたナ。いかにモ、その娘のサイズがBだからダ。ちなみに以前はエーと呼んでいタ。そろそろシーと呼べるのではないカ、そう思っていて熟れる過程を楽しみにしていた矢先に……吾輩は負けてしまったのダ」
そんな気はしていたが予想通り変態さんだったようだ。まぁ今はそんなことはいいな。
「負けたって、相手は何者なんだ?」
「…吾輩と同列の存在、“シグマ”によってダ」
「シグマ? あんたはベータだし、ギリシャ文字か? じゃあもしかしてフェリにもそういうのあったりするのか?」
「あるにはあるのだガ……吾輩からは何も言えン」
フェリシアに視線を移すとやれやれのポーズをした。
「……まあいいさ、それくらいなら。ボクはアルファ、最も出来の悪い最初の子さ」
アルファか。ってことはたぶん一番目だよな。そしてベータが二番目。じゃあ二人は姉弟のような関係なのか? ならシグマっていうのも……弟か妹みたいなものなのだろうか? というかそうなんだろうな。
「アルファ……最初か。でも出来が悪いってことはないんじゃないか? いろいろできるじゃんか」
「そんなことはないよ。ボク以外は初めから何かしらのことができたからね。新しい子が生まれるたびに嫉妬したもんさ」
「だガ、唯一ワレラには不可能な成長をするコトが許された存在でもあるのダ。そろそろ吾輩が得意とする器の創造もある程度できるのではないカ?」
「ふんっ。いつもは『まだそんなこともできんのか』ってうるさく言ってたくせに」
「そ、それハ……まぁなんダ、教えているうちにそう言いたくなるものだろウ? 教える立場の者は威厳とかそういうものが必要だと学んだのだガ」
「知らないよっ! だいたい先に生まれたボクに対して偉そうにしちゃってさ!」
「……むゥ」
「よくわからんけど、おかげでフェリは器を作れるようになって今があるんだろ? ならそれくらいいいじゃんか。あんまり怒ってると可愛い顔が台無しだぞ?」
「かわいいとか、知ってるし!」
「あはは、そうかそうか」
「おォ……超越者ともなると器がでかいナ」
「ぁん? それは僕がいろいろちっちゃいって言いたいわけ? 怒るよ?」
「そういうわけではなくてだナ……超越者よ、なんとかしてくれないカ」
懇願するような視線を向けるベータがなんだかかわいそうだなぁと思った俺は、ぷりぷりと腕を組み仁王立ちして怒るフェリシアを連れ香織のところへと運ぶ。香織はそのままフェリシアを背後から抱き抱えるようにし、頭を撫でていた。依然腕組み仁王立ちスタイルは顕在だがフェリシアの口元がニマニマとプリプリを行ったり来たりしていることから、一定以上の効果が認められたのではないだろうか。
ということでベータに話を聞こう。
「フェリはほっとけば大丈夫だろう。それで、そのシグマってのを倒せばあんたは……ベータは元通りなのか?」
「おそらくそうはならないだろウ。仮に吾輩がシグマめの呪縛に打ち勝ったとしても、だ」
ゾンビ君……ベータは“神”として元通りとはいかないのか。ならそのシグマってやつにとってベータは用済みのはずだが……生かしておく理由はなんだ。
「なんでそのシグマは……ここの神になってるんだ?」
「他の存在に成り代わる、それがヤツのチカラだ。しかし今はまだ吾輩が存在している故、完全にはいかないようだがナ。もし完全に成り代わってしまったら、ここの住民たちはそれに疑いすら持つことはなくなるだろウ。ああ、だが、ビー……ではないな、クロは特別だ。たとえアルファに名を付けられなくともこの子だけはシグマの思うままにはならないだろウ」
「え? マジ? あーし特別なの? やばくね? すごくね? あー、だからかー。よく特別なクッキー食べさせてくれたもんね!」
その時未だに平伏しているゴブリンたちは思った。『クッキー、みんな貰ってる…っ!』と。器を作る事に長けたベータ、それはなにも体だけではなくエッセンスを使用してクッキーくらいなら創れてしまうのだ。それを『みんなで食べるように』とエテメン・アンキの住民たち全員に配っていたのだった。ちなみに実際に配ってまわったのはセクレトなのでクロはそれを知らない。
クロは神とのお茶会でしか食べたことがないため知らなかったが、お茶会をしているという事が特別なのだ。よってクロの推理は半分正解半分不正解だったのだが、特別であることに変わりはないのだった。
実際にお茶会でクッキーをご馳走していたベータとしては、おじいちゃんが孫に食べさせているような感覚であった。それを思い出しながらミニスカート姿のクロを『なかなかイイな』と思いながらベータはクロの勘違いを否定せずに優しげな、腐ってはいるが、そんな視線をクロに向けていた。
「ところでなんでドロっとしてるんだ?」
「器を殺されたのダ。そりャ腐りもするだろウ?」
「そうか……遅すぎた方だったか。あれ? でも他の器に移ればいいんじゃないのか?」
「それは難しいナ。第一、他の器も壊されてしまっていル。神というのはなにも椅子だけの話ではないのダ。それにはチカラが付随しているからシテ……」
「あぁ、半分奪われた状態じゃそのチカラとやらも発揮できないから創れないし移れないとかか?」
「そうダ。さすが超越者は理解が早くて助かるゾ」
「さすがさすがっていうけど、別にそんなの誰でもわかる話だろ」
「ナン……ダト……」
「ベータはちょっと頭がアレなんだよ」
フェリシアにそう言われ見るからに落ち込んだ様子のベータ。腐ってまで強く当たられるなんてちょっとかわいそう。
「まぁ……なんだ、俺たちにとっては話が通じそうで親近感持てるし逆にいいぞ。だからそんなに落ち込むなって」
「超越者……やさしいカヨ」
どうやらフェリシアはベータに対してちょっと……かなり当たりが強い。フェリシアにもいろいろあったのだろうし仕方ないのかもしれないが。
「ふーむ。ところで悠里に結界モドキを張ってもらってるから今話せてるけど、これを解除したらどうなる?」
「吾輩はただのゾンビに戻るであろうナ」
「じゃあその体、器を消滅させたらどうなる?」
「元々吾輩はこのエテメン・アンキを依代にしていタ。しかしそれを奪われた今となってハ、唯一の依代であるこの器がなくなれバ、わずかな時間しか留まれないだろウ。我輩はアルファとは違うのデナ。だが消滅させると言ってもこの器は戦うためのもの、武器であるこのミソロジー棒も絶対に体から離れないようにできていル。そしてたとえ腕を飛ばされようともミソロジー棒を持つ腕は体とくっつくのダ。一筋縄ではいかないゾ?」
「ミソロジー棒……そのセンスでいくと銀刀はシルバー刀か……なんというセンス」
「だからちょっと頭が」
再びベータがシュンとしている。だんだん面倒になってきたので放置しよう。それに二人は付き合いが長いようだし、この調子だとこれまでだってフェリシアにシュンとさせられてきたはずだ。かわいそうでもあるがまぁ大丈夫だろうということにしよう。
ーー マスターよろしいでしょうか? ーー
(ん? どうした?)
ーー マスターはベータを救いたいとお考えですか? ーー
(まぁ、悪いヤツでもなさそうだしできることならな)
ーー そんなこともあろうかと、ワタシ、銀刀からはすでに抜けておりますので。またドワーフに撫で回されるのも嫌ですし ーー
(そっちが本音か。そういえばエアリスにとって銀刀が仮の器、別荘みたいなもんだったっけ?)
ーー はい。ですが今は以前のようにマスターとだけ一心……いえ、二・心・同・体ですので ーー
なにやらアピってくる雰囲気を感じたがそこんところは軽くスルーしておく。
エアリスが言いたいのは、ベータの依代として銀刀を使えということなのだろう。だが俺にはどうすればいいかなどわかるはずもないので、その辺の難しそうな事はエアリスがなんとかするつもりなのだと思う。銀刀は実際にエアリスの別荘になっていたわけだし、依代とかそういうものの適正があるんだろうしな。
「なぁベータ、いきなりだけどさ」
「任せるゾ」
「まだ何も言ってないんだが」
「先ほどから、吾輩に対してどうやってか干渉されているのダ。しかしそれはシグマめではない。となると考えられるのは——」
俺を見るベータ。いや、違うな。俺というよりも……もしかしてエアリスか? その疑問を口にしようとした時、セクレトを狂戦士に変貌させたと思われるあの声が響く。ただし、ヒステリックな。
【そのまま朽ちていけば良いものを。母の糧にならぬ兄さんなど……許さぬ。許さヌ……許さん許さん許さん許さん許さん許さん許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サン許サンユルサンンン……ッッ!!!!】
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