石碑

柳なつき

草原

 濃い緑色の草原がどこまでも広がる。地平線と交わるところまで。

 草原は凪いでいる。しかし時折風が吹けば、一斉にその頭を振り乱した。


 ここに三十年前、小さな小さな王国があったなんて。亡国の関係者か、そうでなければ、余程の物好きの旅人でもなければ、もはや知り得もしないことだろう。ひとびとの記憶にろくに残らないほど、その王国は小さかった。



「物好きですな。旅人さん」



 老人に言われ。甲冑に身体を包み剣をお供に携える男は、照れたように微笑んだ。


「風の噂で、聞きまして。いまは果てまで広がる草原に。皇国に滅ぼされた国があったと」


 老人はこんな果てのない草原の真ん中とも端ともつかないどこでもない場所で、焚き火を広げていた。煙が一筋、青空に向けてのぼっていく。


 酒場や路地で集めた情報によれば。草原の幽霊、と噂されていた。しかし実在したらしい。亡びたふるさとの国の跡地でその日暮らしをする老人。焚き火の周りには、簡易食糧の残骸が散らばっている――。


「あんたの言う通り。この草原にはかつて国があった」


 老人の声は、愛想はいいが、しゃがれきっていて聞き取りづらい。それでも、男は真面目をしてうなずく。


「もう、皇国も、帝国も、連邦も、覚えてはいないだろうよ。我が王国はあまりに弱小であったから」

「故郷に、そのようなことをどうぞおっしゃらないでください」

「はは、いやいや、ほんとうのことだから……」


 明るい空気のなか、焚き火は燃え続ける。


「我が王は善良であった。故に王には不向きであった」


 老人は目を細め、焚き火に両手を伸ばしていた。強すぎるほどの郷愁がまるで悪臭のごとくに思えてしまって、男はかすかに顔をしかめた。


「もう三十年も前か。戦があってな」


 老人は、昔話を問わず語りして。



 男は、思った。かつて、ここに王国があり、たしかに戦があったのだ。いまはこんなに平和な草原になっている地で。

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