使われなかったランドセル[冬]

 真っ新な

  ランドセル背負いし

   雪だるま


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 ランドセルは季語…では無い、と思います。そもそもランドセル自体はどの季節にも存在するものですしね。確かに春のイメージはありますが、購入は夏と言われていますし。季語として扱うには弱いのではないかな、と思っています。

 そんなランドセルの句です。季語は勿論、雪だるまとなります。即ち、冬の句です。全くなんの捻りもなく「真新しいランドセルを雪だるまに背負わせている」というあまりにも謎な光景を詠んだ句になります。当然ながら、そんな奇妙な物に出会った事はありません。そもそも日本の南の方に住んでいる私は、そうそう雪だるまなんてお目にかかれません。

 話を本筋に戻して。真新しいランドセルです。普通、真新しいランドセルを使うのは子供(具体的には小学校一年生)である筈です。しかし、この句の中には子供は出てきません。子供の代わりに雪だるまがランドセルを背負わされています。雪だるまが自発的にからう訳もないので、ここは受け身の形が自然です。詰まる所、このランドセルは誰かが意図的に背負わせたという事になります。

 では、誰が何故雪だるまに真新しいランドセルを背負わせたのか。

 この句は冬の句ですので、本来このランドセルは次の春の入学式で使われるはずだった物だと予想できます。何回か予行練習として背負う事はあるでしょうが、雪だるまに背負わせていい物では無いです。いくら丈夫とはいえ、ランドセルが濡れて傷んでしまうのではないでしょうか。大切なランドセルを粗末に扱っていると捉えられても仕方の無い光景です。

 そうです。扱いが雑に感じられるのです。ならばこのランドセルは、もう要らない物なのではないでしょうか。使われる予定を失ってしまった物。即ち、このランドセルを使う予定であった子供はこのランドセルを必要としなくなってしまったという事です。

 その必要の無くなったランドセルを短い間だけこの世に存在できる雪だるまに背負わせるという行為に意味があるでしょうか?恐らくですが、全く無意味な行為でしょう。現実に行う人はまずいません。

 そんな非現実的な行為をさせたのは、春を迎える事の出来ない雪だるまと春を待っていた筈のランドセルをどうしても取り合わせたかったからです。雪だるまの儚さと使われなかったランドセルの虚しさは全く逆のようで、夢の跡のように似ていると思うのです。

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