第11話 彼女の事情③


 珍しく部屋で飲む酒は美味しかった。秋山さんと知らない女が2人で立っている姿が脳裏に焼きついていたのを忘れさせてくれるからだろうか。


 なんでこんなに苛々するのか。別に手を握っていたわけでも腕を組んでいたわけでもないのに。

 こんな感情、始めてだわ。


 胸の中のモヤモヤは収まらない。もうモヤモヤごとビールで流し込んでしまおうとした時、スマホに着信が入る。


 表示された名前は美奈子だった。



「なによ」


「いきなり不愛想だねえ。そんなんじゃ酔っ払いさんに嫌われちゃうぞ〜」


「……」


「何かあったの? 話してごらんなさいな」



 暖かい美奈子の言葉に私はさっきの出来事の詳細を伝えた。

生理的にイラつく女のこともしっかりとね。



「私の家を出た後にそんなことがあったなんてね。まずはっきり言っとくけど9対1で茜が悪いと思う」


「えらいはっきり言うじゃない。親友に向かって」


「親友だから言うんだよ。茜も本当はそう思ってるんでしょ?」



 やっぱり長年の付き合いの親友にはばれてしまうのかな。図星だったけど認めたくない自分がいた。だからちょっと反論してしまう。



「残りの1はなんなのよ」


「酔っ払いさんの男気のなさかな。やっぱりそこは女子的に俺の女だ〜って、言って欲しいもんね」


「ぷっ、なにそれ」



 もし秋山さんがそんなことを言ったらわたしはどんな反応をしただろうか。たぶん恥ずかしくて目も合わせられないのは想像できるけど。


 そんな時、L○inのメッセージが届いた。内容は秋山さんからの謝罪文。

 かしこまった内容で申し訳なさが伝わってくる。怒った原因をちゃんと理解してないみたいだけど、それはいい。本当は私が悪いんだ。28歳になって子供じみた自分が嫌になる。自己嫌悪なんて久しぶりかもしれない。



「美奈子は凄いわよね。立派に妻と母親をやってのけてるんだから。こんなことで感情をむき出しにする私が結婚したって結果は見えてる気がしてきた」


「あらあら。久々に弱気な茜ちゃんモードに入ったね。いつも自信満々にバリバリ働いていた茜はどこにいったのかなぁ」


「無理。今日はなんだかほんと無理」


「そんな肩に力入れなくてもさ。遅い青春なのかもよ。切り捨てた青い春を楽しむくらいな気持でいなよ。いつでも相談にのるからさ」



 美奈子はほんとうに包み込むような母性を持ってるからずるい。なんだか涙が込み上げてきたかも。

 今まで無理して作り上げてきた鉄仮面が思わず崩れそうになる。

 そんな自分を晒したくなくて取り繕うように別の話をする自分がいた。



「秋山さんから謝罪の連絡が今来たわ。彼はかけらも悪くないのにね」


「じゃあ茜も謝って仲直りだね」


「……ええ。でも、もうちょっと考えてみるわ。まだ思考がまとまらないから」


「そっか、わかった。また何かあったら連絡してね。これからどうなるか気になるし」



 冗談っぽく茶化して美奈子は通話を切った。わざわざ気を使っての冗談なのは分かっている。こういう気遣いが私にはない部分だ。


 この日、私は秋山さんへ返信せずにいつのまにか寝てしまっていた。はやく返さないと気まずくなるってわかってるのに。

 それでもこれからどうするべきか決断できないと前に進めない自分がいるのだ。

 まだ付き合ってすらいないのに悩むなんて本当に馬鹿だと思う。


 でも、私が結婚する資格がないかもしれないのに秋山さんの交際時間を奪うことだけは避けたかったんだ。

 ちらつくDV男だった父親の記憶。1人でも必死に生きていこうとする私を見て、母親にあなたは父に似たのねと言われたのは未だに覚えている。

 流されるだけの母親とは違う道を歩みたくないだけなのに。



 翌日の朝は最悪の寝起きだった。髪はボサボサで目にはくっきりクマがある。眠りが浅かったのが丸わかりね。


 この日の私は珍しく仕事でミスをしでかしてしまう。ネチネチと指摘する上司に堪忍袋の尾が切れそうになるが必死に我慢。やっと解放され私は診察室で突っぷした。

 看護師は「珍しいですね先生が失敗するなんて」と言うけれど。気を張り詰めなければ私なんてこんなものだ。



「はぁ……ついてない時ってとことんこうなるのよね」


「まあまあ新城先生、気を取り直してください。クリニックからの紹介患者さんがもう来られてますよ」


「ありがとう。通していいわ」



 もう時間帯は午後の外来になっている。看護師に言われ思い出したが、たしか重い疾患の疑いがある患者だったはず。

 電子カルテに目を通すと八代美月と表示されている。年齢は私の1個上か。


 外来室の扉が開かれ患者が現れる。ふんわりした甘い臭いの香水がまず鼻についた。顔を見ればなんたる偶然。そこには秋山さんの隣に立っていた気にくわない女がいたのだ。


 たぶんあっちも気づいたのだろう。一瞬、表情が驚いてたがすぐに戻った。

 私も医者として仕事は果たさなきゃいけない。雑念は振り払って患者を対面の椅子に座るように誘導した。


 したってのに、この女の第一声は「孝之くんのお知り合いさんですよね。こんなところで会うなんてびっくりです」ときた。

 額に青筋が浮かばないよう必死に我慢、我慢。愛想笑いで切り抜けてやる。



「あはは、本当ですねー。じゃあ、今日の診断結果をお伝えしますから」



 今は仕事だ。プロとしての役目は果たすためさっさと着席を促す。

 電子カルテでレントゲンや採血結果を眺め、紹介状に書かれていた病名が正しいか判断しないといけない。確か病気の名前は――



「新城先生でよろしいんですよね。病気があるかないかは置いといて孝之くんには秘密にしてくれませんか?」


「それはもちろん守秘義務がありますので安心してください」


「よかった。私と孝之くんは学生時代付き合ってたんです。だから余計な心配はかけたくなくて」



 ……つ、付き合っていた? なによそれ聞いてない。ならなんで元カノと秋山さんは昨日一緒にいたのよ。

 あまりの驚きに開いた口がふさがらない。

 考えれば考えるほど嫌な想像が膨らんでいく。復縁という言葉が頭をよぎった。



「先生、他の患者様もお待ちしているのでそろそろ」


 

 絶句して固まっていた私を控えていた看護師が気づかせてくれる。

 いけない。今の私は医者なんだ。余計なことを考える時間じゃないはず。


 診察結果は病気を確定するには至らない物ばかり。だけど気になる点は多い。精密検査を勧めると



「わかりました。よろしくお願いします」



 二つ返事で了承した。まだ若いうちの病気は誰だって気になるものだからだろうか。

 後日、精密検査をする予定日を伝え退席するよう伝える。


 離席し、白いコートの上着を羽織る八代という患者の姿を眺めていると自分とは大きく違うことに気づく。

 内巻のカールがかかった茶色の髪はいかにも女子といった感じだし。化粧も男受けするような薄ピンクを多用している。


 学生時代の秋山さんはこういう女が好きだったんだろうか。なら私はまったくもって好みの範疇じゃないわ。

 むしろ対極にいるんじゃないかしら。



「先ほどの約束、絶対に守ってくださいね。孝之くんは私にとって特別なんです」


「ええ、もちろんです」



 扉を開く前に再度、八代さんに確認される。頷いたのを確認した後のなんともいえない笑顔はどういう意味なのか。

 自分だけが特別だってアピールされたような気がして、私のイライラは昨日の夜よりひどくなり始めていた。


 この後、外来の患者をさばききり。入院患者の治療で時間はあっという間に過ぎていった。

 時刻はとっくに夜の10時を示していた。帰宅途中の電車内でスマホを見ると一件だけ通知が来ていた。表示された名前を見てドキリ、と心が窮屈になる。


 鼓動が嫌にうるさい中、画面をタップする。



『12月30日デートしませんか。夜の8時に渋谷のハチ公前で待ってます』 


「……なによ。あなたには八代とかいう女がいるじゃない、バカ」



 あの女に過去のことを聞かなかったら、きっと素直に私は誘いにのっただろう。でも、もうだめ。素直になれない自分がいるんだ。

 電車の壁に寄りかかり、窓に移った自分の顔を見つめる。



「きっと私は怖いのね。もし私じゃなくてあの女が選ばれたりしたら、今まで必死に努力してきた自分を否定されるから」



 積み上げてきた社会的地位。でもそれは恋愛においてなんら意味をなさない。むしろ女という部分だけを比較され、優劣をつけられる。それがなによりも怖いんだ。

 なら自分のプライドを守るためにどうすればいいのか。答えは簡単。最初から表舞台に立たなければいい。

 私が選択したのは逃げるという卑怯な方法だった。




 ▼  ▼  ▼




 12月30日。私はいつもどおり病院で仕事だった。脳裏には秋山さんのデートのお誘いがよぎっていたけど。それを振り払っていつも通りの私を演じていた。



「今日は雪が降るらしいわねえ。帰りの電車、動いてるといいけど」


「ほんとですね。夜勤でもないのに病院に一泊は嫌ですし」



 看護師同士の会話が聞こえてくる。もしもだけど返信もしていないのに秋山さんが待ち合わせ時刻いったとしたら雪のなか待たせることになるんじゃ。

 でも、さすがにそれはないわよね。いくらなんでもそんなバカな人……。


 あ。そういえばゴミ捨て場でプロポーズするくらいバカな人なのが秋山さんだった。うぅ、でもいまさら行くなんて選択ができるわけがない。

 むしろ待ち合わせの場所に来ないでほしいと願ってしまう自分がいた。


 年末に外来のない病院は普段より少し暇になる。今日は論文発表の資料など集める時間が確保できて上出来だ。医局で事務的仕事をこなしているといつの間にか時刻は9時になっていた。


 ちょうどそんな時スマホが揺れた。通知は美奈子からだった。



『旦那とデート中に酔っ払いさん発見。誰かを待ってるみたいだけど。もしかして茜とデート?』



 添付されている画像を見るとハチ公前で1人立っている秋山さんが映っていた。寒そうに両手をポッケに入れて身を縮ましている姿が。



「うそ……本当に待ってたんだ」



 言葉にできない感情が全身を駆け巡った。

 秋山さんは真っすぐで正直で。こんな面倒くさい私でも手を差し伸べてくれる人なんだ。それなのに私は勝手に嫉妬して、自分のことばっかり考えてた最低な女だわ。


 もう答えは出ていた。ちっぽけなプライドなんてかなぐり捨てて私はハチ公前を目指すんだ。

 そして秋山さんにこの思いを伝えたい。こんなに私の心を揺さぶるのは“貴方だけ”だと。


 急いで帰りの仕度をし院内を出る。このまま行けば9時半にはたどり着けるはず。そう考えていたのに、神様は本当に意地悪だと思う。

 スマホに病院から着信があった。容態が悪化した患者がいるらしいのだ。


 医者として私は病院に戻らなきゃいけない。それならずっと待っている秋山さんに事情を話すべきよ。

 急いでスマホを取り出した時。積もり始めていた雪に足をとられ手からスマホを放してしまう。


 慌てて拾うと画面は真っ暗になっていた。どこを押してもうんともすんとも言わない。



「ああ、もう。どうしてこんなことばっかり……秋山さんごめんなさいっ!」



 正直、迷った。でも人の命に代わるものなんてない。秋山さんを裏切ることになっても私は雪空のなか、病院へ向かうことになってしまったのだ。


 

 この後のことは思い出したくもない。患者を救い、深夜を回ってハチ公前に着いた時もう秋山さんは去ってしまった後だったから。

 私は大切な存在に気づいた日に、その存在を失うこととなるのだった。


 


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