第三章二幕 女神への挑戦

「誰に言っているよ」


 しかしイヴは平然と立っていた。それもそのはず。拳はイヴの数センチ手前で止まっており、押し込もうとしてもピクリともしない。その場でミドルキックを放ってもそれは同じで、直前で防がれてしまった。


「こんなんじゃあくびが出るわ」


 有言実行なのか、本当に目の前であくびをしており、動きが優雅だけに尚更腹立たしい。


 もう容赦しないと自分へ時を動かす能力を付与し、早めた。


 初めて使った時は無我夢中だったが、使っていてわかったのことが幾つかある。時を止めている際に自分へかけていると、自分だけは時の流れの中にいて、それが影響して動ける点。もう一つは自分以外にもかけられる点だ。相手の時間の流れを操作することで遅くできることで、相手にはこちらが早くなったように見させることが可能なところ。


 結果論ではあるが、あの時いきなり実戦になったのは本当によかった。もし先に試していたら、時を動かすだから時を止めている間しか使えないのではなどと、凝り固まった思考しかできていないところだった。


 だからそのお礼にイヴへ一発お見舞いしたいのだが、


「少しは考えたようね。浅はかだけど」


 イヴへ動きが遅くなるように動かしたはずが、普通通りに喋り、反応までされた。


 向上した身体能力を駆使し、自分の時間まで早く動かして背後へ高速で回り込んだにも関わらず、殴りに行くよりも先に風が吹いたかと思うと後方まで吹っ飛ばされた。


「ぶへぇ」


 醜いうめき声を上げながら背中から落下し、反動で自分の膝が鼻へ直撃してじんじんと痛む。


「本物の豚みたいな鳴き声を上げるのね」


 心底愉快そうに言ってくる辺り実にイヴらしい。


 痛みへの耐性のおかげで背中の痛みも特になければ鼻血も出ていないようだ。


 ならばとできる限り自分の時間を早く動かし急接近するも、今度は足元から地面がせり上がり、再度後方へと返された。


 しかも同じように落下して。


「ふがっ」


「ぶふっくくくくく。あんた本当にギャグみたいな落ち方するわね。漫才やったら受けるんじゃない」


 口元を押さえてはいるが、漏れ出ているのだから意味などない。寧ろイヴのことだ、聞こえるようにやっていると言っても過言ではないだろう。


「くそ、今に見てろ。絶対見返してやるっ」


 そこから何十度となく攻め込んでは投げられ、攻め込んでは吹っ飛ばされと続き、結局一度たりとも触れさせてもくれなかった。


「はぁ、はぁ、はぁっ。なんで、全然、上手く、いかない、んだ」


 いつしか呼吸は荒くなり、体もふらつき始めていた。


 もう一度と攻め込むも容易に躱され、デコを掴まれると同時に足払いを受け、後頭部から地面に落とされた。


「がはっ」


「ま、こんなところね」


「ま、まだまだ……」


 自分でもここまで負けず嫌いな性分だったとは知らなかった。途中まではまだシモーヌの前だから格好つけようと必死にやっていたが、後半は何もできていないことを払拭するべくやっていた。


 結果は惨敗であり、傷らしい傷はないものの全身汚れてしまっていた。


「止めときなさい、初めて能力使った時のことを覚えているでしょ。今あんたは能力をギリギリまで使っている状況よ。その疲労度を覚えていくことね」


「でも俺は」


「でももクソもない。ガキかお前は。限界を知るのも必要なこと。後もうちょっと受け身を覚えなさい。痛みは疲労へ直結するわよ」


 言い方こそ悪いが、足りない部分を丁寧に説明してくれた。くれたのだが、やはり自尊心がそれを認めてくれない辺り、自分の小ささを自覚してしまう。


 震える体を懸命に起こそうとするが、膝が笑って膝をつくのが精一杯だった。


「ふん、神相手に勝てるわけないのに、何いっちょ前に悔しがってんのよ」


「う、うるさいっ」


 心を見透かされたようで、子供が駄々をこねるように言い返してしまう。それが更に自分を苛むのだが、止められそうもない。


「十樹さん。こちらお茶ですがどうか飲まれてください」


 いつの間にか近寄ってきていたシモーヌが、水筒に入れておいたであろう紅茶をコップに入れて差し出してきた。


 自分の小ささに羞恥心を覚え、彼女を直視できず目をそらしながらも受け取り、一気飲みした。


 熱いかどうかも確認せずに飲み干した紅茶は温く、程よい口当たりで喉の奥へと消えていく。胃へとついた辺りになって気がついたが、紅茶は甘く、かといってクドくないほどよい塩梅で、疲れた体にちょうどよかった。


 だからこそ自然と言葉が出た。


「ありがとう。美味しかった」


「ふふ、それは何よりです。もう一杯どうですか?」


「頂くよ」


 本格的に座るため、尻餅をついてからコップを差し出すと、シモーヌはもう一度注いでくれ、今度は味わいながらも一口一口確認するように口へ含んでいく。飲み込むと疲れも弱さも洗がなすように溶けて消えていく。全身にじんわりと行き渡り、心の平静が保たれた。


「シモーヌには敵わないな」


「どうかされました?」


「感謝してるってこと」


 何を言っているか理解はされていないようだが、それでいい。これは自分の問題だからだ。


「これでわかったとは思うけど、あんたに足りないのは実戦と体力と体術と能力の使い方ね」


「全部言わなくてもわかってるよ。要は経験が足りないってことだろ」


 せっかく人が人心地ついたところなのに水を指すようなことをと見やると、至極真面目な顔で見下ろしてくる。


「ド素人がわかった気になってやるほうが危険だって元いた世界で学ばなかった? 駄目なところは直せなくても把握する事自体が重要なのよ」


「わ、わかったよ……」


 確かに素人ほど何故か何でもできるような気がして、実際危険なことだって平気と思いやってしまうことはある。その結果怪我を負う程度で済めばいいが、場合によっては命を落とすこともあるのだから重要なことだ。


「でも体力つけるのは走り込みとかしていればいいのはわかるけど、体術なんて何も知らないぞ。受け身もそう。もしかしてイヴが教えてくれるのか?」


 最後の投げ技は中々に気持ちいいくらい綺麗に決められていることから、ひょっとしてとも思ったが、即座に否定された。


「なんで私が。面倒くさい」


「だと思ったよ。じゃあどうするんだ?」


「ギルドに治安維持をするためのところがあるのよ。そこの誰かを雇って教えてもらうのが早いわ」


 言われて脳内に浮かんだのは二つの事柄。一つは国が管理する騎士団で、そちらは軍と警察の両方を兼ね備えている。もう一つのギルド側は自警団のようなもので、国や町と契約して治安を護るのが仕事なのだとか。それ以外にも道場のようなものを開いており、自衛手段を教えていることもあるそうだ。


「へぇ、それって出張とかもできるのか」


「ま、そういうことね。その分高いけど、暫くはあんたの能力は伏せておきたいから集団の中で使わせるわけにはいかないのよ」


「別にそうホイホイ」


「あんた洗濯物早く乾かすのに使用したの、バレてないとでも思った?」


「うぐっ」


「シモーヌが買い物行ってる間に先回りして偶然を装っていた時も使っていたわね」


「はがっ」


「それにあんたシモーヌのし」


「────わかった。俺が悪かったからもう止めてくれ!」


「そう、わかればいいのよ」


 実に愉快そうに見下ろしてくるが、こちらとしてはこれ以上バラされると、シモーヌの隣に立てる自信はない。


 いや別に彼女の下着を取るとかそういうことはやっていない。ただやろうかどうしようか悩み、能力まで行使したが、結局未遂で終わっている。未遂ならば犯罪ではないはずだと自分へ言い訳を並べていく。


 一人小首をかしげているシモーヌの顔を見ると胸が苦しくなる。罪悪感で。


「えっともしお買い物へ行きたいようでしたら、今度ご一緒しますか?」


 気遣いで言われた言葉が優しすぎて、逆に針のように心を突き刺してくる。


 イヴは始めっから結果がわかっていたのか、ニヤニヤと笑みを浮かべているが、腹立たしさよりも自分の愚かさのほうが強かった。


「わかったなら明日にでもギルドへ行ってくることね。そしてちゃんと言うこと。猿でも覚えるまでしっかり教えてくれる人を寄越すようにと」


 優しさの欠片もない物言いだが、知識がまるでないのは事実。いじられた精神を回復させるにはまだ時間がかかるようで、くどくどと言い返す気力もなかった。


「じゃ、私はゆっくりさせてもらうわ」


 そういいこの場を後にしようとしていたイヴの足は、急に止まったかと思うと、玄関が激しく開かれる音が地下まで響いた。


「へいブラザー。遊びに来たぜ」


「同じ神のよしみだ。仲良くやろうじゃないかイヴ」


 顔は見えなくても誰が来たかは喋り方だけでわかった。


 鈴木晶と神のサイスだ。


 それこそシモーヌの買い物に追いかけた日、ばったり町中で出会い家に招待したのが始まりなのだが、その日の夜に怒気を含んだ目でイヴから見られたのは記憶に新しい。


 今も嫌なのか肩を震わせており、


「雑草共は出ていけぇ!」


「「へぶぁっ」」


 上でなにかされたのか、品のない声を上げながら遠退いた音だけが聞こえてくる。


 ご愁傷さまと誰に祈るでもなく思い、乾いた笑いがこぼれ落ちた。

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