第一章三幕 時を止める能力は最弱だった?

 いつの間にか意識を失っていたのか、ゆっくりと目を開ける。体に怠さがあり、起き上がれないことから瞼だけを開いてボーッとする頭のまま考え事した。


 なんだかひどい夢を見ていた。


 自分が死んで異世界へ行き、テストのようなものをしたところで内容は途切れていた。


 性格の悪い女神と、とても優しい女の子に挟まれて過ごした二日間。だった気がする。


 せっかく能力を貰って使う体験までできたら最高だったのだが、その前に気を失ったのはなんともったいないことかと少しばかり後悔する。夢の話なのに。


 そろそろ学校に行かなきゃとふらつく頭を抱えて起き上がろうと手を付き、異変に気づく。


 体に力が入らないのだ。


 手をついたはずの腕は体重を支える前に折れ、うつ伏せの状態で枕へ倒れ込んだ。


「なに、が……?」


 起きたのだと思うも、それを知るだけの脳が機能をしてくれていない。


 部屋の外で誰かが走っている音が聞こえてくると、やや間を空けてからノックが二度され、こちらの返事も待たずに静かに戸を開く。


「十樹さん気付かれたんですね」


 なんとか首だけを回して見えたのは、安堵したシモーヌの顔だった。


──あぁ、夢じゃないんだな……。


 母親だろうかという期待からの消失感と、自分はファンタジーの世界に入れているのだという一種の満足感に襲われ、苦笑いを浮かべる。


「まだ起き上がれそうにありませんか?」


「悪い、ちょっと仰向けになるの手伝ってくれ」


 うつ伏せから変えたいのだが、生憎とそれをやる力も残っていないようで、恥ずかしながらシモーヌに頼む。


 彼女は嫌がることなく、「ここ、引っ張ってもいいですか?」と聞いてきながらも反転させてくれた。


「ありがとう。助かったよ」


「いえ、私もお役に立ててよかったです。イヴ様が十樹さんが起きたとおっしゃられたので来て正解でした」


──あぁ、そういうことか。


 どうして走ってきていたのかも、ちょうどいいタイミングで表れたのかも納得した。


「俺に何があったんだ?」


「簡単よ。あんたは能力の使いすぎでぶっ倒れたというただそれだけの話し」


「イヴか」


 人にお構いなしに一瞬でシモーヌの隣に立ったのは女神イヴ。この世界に自分を連れてきて、尚且能力をくれた張本人なのだが、解せない発言に思わず起き上がろうとする。


 しかし体は言うことを聞いてくれず駄目だった。が、シモーヌが背中を支えてくれたおかげで上半身だけは起き上がることに成功した。


「ありがとうシモーヌ……で、どういうことだ。俺はギルドで能力を使用したってことで間違いないのか」


「それは間違いない。私はしっかり把握していたし、なんなら何が起きていたか、私視点であんたに見せてあげることもできるけど」


「なら見せてくれ」


 食い気味に言うと初めから分かっていたのか、一言も言い返さず指を弾いた。


 途端脳内に映像が流れてきた。今リアルタイムで見ているかのような錯覚さえしそうなほど鮮明な映像が。


 そこには腕を上げたばかりの自分の姿があり、確かにそこから自分は能力を使用したのだと働き始めた脳が思い出してくれる。


 自分の能力は時を止める能力。


 つまり止めた時間内で自在に動けるようになる。はずなのだが、映像の中の自分は一向に動く気配はない。


 どういうことだと観察していると、確かにシモーヌもギルドマスターも止まっており、恐らくは時を止める能力は使われているはずだ。視界の主であるイヴは確認するように窓へ向かい外を眺めると、下の広場では同じように静止した世界が広がっていた。人が何秒経っても動かないのだ。空中に視線が動けば飛ぶ鳥がその姿勢のまま羽ばたきも滑空も、落下さえしていない。


 正真正銘の時が止まった世界である。


 どういうことだと思っていると、イヴが移動したのか静止している自分の前までやってきて呟いた。


「これでわかった? あんたは時間さえ止めたら最強だなんて勘違いしてるけどざーんねん。止めたところで自分が自覚してなきゃ動くことなんてできない。そもそも時なんて止めなくても時間の流れを感じられたら誰でも同じことが再現できる。時を止めるなんて能力が無くても使用できるっていうのに、せっかく何でも能力を上げられた絶好の機会を、こんな無駄に使用するやつなんてこれまでいなかったんじゃないかしら。あーっはっはっはっはっはっはっは」


 最後には人を馬鹿にするように盛大な高笑いを上げており、元いた位置へ戻ると止まっていた時間は動き出し、自分は膝をついていた。


──何で俺は気付かなかったんだ。イヴは最初っからこれを待っていたんだ。だから止めなかったしあれだけ笑っていた。なのに俺は一人舞い上がってっ。


 ふつふつと湧き上がる怒りと後悔が身を焦がしそうになる。


「イヴ、お前っ」


 怒気を含んで呼びかけたが、話を逸らすようにイヴはシモーヌへと語りかけた。


「シモーヌ。確かあなたこいつのためにスープを作ってたわね。悪いけど温め直して持ってきてもらえる」


「そうでした。せっかく起きられましたし、少しでも胃に何か入れておいたほうが治りも早くなるかも知れませんね」


 優しい彼女だけあって、背中にクッションを敷いてくれて一人でも起き上がれるように調整し、部屋から出ていった。


「どういうことだ。なんで何も言ってくれなかったんだよ!」


「言ってもあんたに伝わらないからよ。想像できた? 自分なら大丈夫だとか思ったりしなかった? そうなるってわかったからあえてそのままにしたのよ」


「だからって他に方法があるだろ」


「ないわ」


 きっぱりと言い切られた。


 イヴはなんだかんだで放り投げずに面倒を見てくれているものだと思っていた。だというのに今はここにきて突き飛ばされてしまった。元いた世界の最後の記憶にある駅のホームの時のように。


「せっかく能力が手に入ったのに使わないの?」


 だというのに。これほどまでに打ちのめされているのにまだ飽きたらないのか、追い打ちをかけ煽ってくる。


 腕に力がこもる。


 布団を握りしめ、歯ぎしりまでもして、思いっきりイヴを睨みつけた。


「いるかよこんな能力! 全く役に立たないじゃねーか!」


 恫喝するように叫び声を上げる。


 シモーヌが心配してやって来るかもしれないなんて気遣いをする余裕もなく、ただ叫んだ。


 あまりに興奮しすぎていたのか肩で息をし、粗い呼吸を繰り返す。


「今、なんて言いた」


「あぁ?」


 冷たい目でイヴが睨んでくるが、今の十樹には無駄だった。怒りが強すぎてその程度では怯むこともなく真っ向から受け止めて言い返せる。


「なんて言ったのかって聞いてるの」


「だったらもう一回言ってやる。時を止める能力なんて何の役にも立たない糞みたいな能力だ!」


 力の限りに叫ぶ。


 ここまで来ると怒りを通り越して拒絶にまでなっていた。


 でもそれだけ十樹は期待していたのだ。楽しみにしていたのだ。能力を使っての生活を。これまで味わったことのない楽しみに夢を抱いていたっていうのに、これはあんまりだ。


 自然と目元には涙が溢れ、布団を濡らしていく。


──悔しい。なんだってこんな……。


 自分にだって落ち度はあるのかも知れない。それでもと再度強く睨みつけ、異変に気付く。


「えぇえぇ、その言葉を待ってたわ十樹」


 初めて名前を呼ばれた気がした。


 しかもイヴは冷たい目線でもなく、厭味ったらしい笑顔ではなく、純粋に嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「どういう、ことだ?」


「能力を授けるのには幾つか特例があるのよ。あんたは今それを満たした。つまり」


「つまり……っ」


 急な態度の変貌っぷりに毒気が抜けたのか、思わず喉が鳴る。


 おかしい。さっきまであった怒りや後悔なんて既に消え失せ、心臓は早鐘を打っていた。これから何かが起こることを期待して。


「これから特例でもう一つの能力を授ける」


「もう、一つ?」


「えぇもう一つ。この場合最低限条件があって、神側は必ず一つ前の能力と合う物を選ばなければならないという成約がある。だからあんたは選ぶことはできないけど一つ目の能力も死ぬことはないってことよ」


「なんでそんなものが?」


 混乱する。


 あまりに唐突すぎて頭が追いつかない。


 だがイヴはこれまでが嘘のようにちゃんと説明をしてくれた。


「転生者が選んだ能力が、実は使えない能力だなんてことはたまにあるのよ。事象を知らずに選ぶことになるから当然といえば当然だけど。それの救済措置としてあるのがこの特例。使用者が心から使えないと思い、神側もそれを認めた場合特別にもう一つ授けられるってこと。あんたは今それを満たしたわけ」


「じ、じゃあ、俺は能力が」


「今から使えるものを授けるわ。喜びなさい、これは正真正銘とんでもない能力だから」


 胸に触れなくても鼓動の音が聞こえてくる。


 イヴにはとうにバレているだろうが、それでもと平静を取り繕うも、お構いなしにイヴは近寄り人差し指で額に触れた。


「あんたに上げるもう一つの能力は、時を動かす能力よ」


 瞬間、内側に何かが入ってくる感覚に襲われる。


 これは前にもあった能力が入ってくる感じだ。


 胸の中に確かにあるその温もりは、冷めていた気持ちをこれでもかと体を温めてくれた。


「おまたせしました。十樹さん、これを飲んで英気を養ってください」


 丁度いいタイミングでシモーヌがやってきて、近くの小さなテーブルにお盆を置く。


「シモーヌには世話になりっぱなしだな」


 泣いていたことを誤魔化すように笑顔を見せていると、シモーヌはお盆の上にあった皿とスプーンを手にし、スープをすくってきた。終いには息を吹きかけ冷ましてからスプーンを突き出してくる。


「はい十樹さん、口を開けてください」


──え、これってひょっとすると、リア充御用達のイベント。あーんではなかろうか!? 


 ただでさえ先程色々起きたのに、更に追加でこのような最高に美味しいイベントが起きるとは想定外だった。


「あ、あーん」


 とはいえ目の前でやってくれているのだから邪険に扱う理由はないし、やるつもりもない。ここはご厚意に甘えるのが相手へのためでもあると言い訳を並べて一口頂いた。


「どうですか?」


「ん、めっちゃ美味しい! 何これ今朝食べたのよりずっと味がはっきりしてる」


「朝にお出ししたのはまだお金が入る前だったので具材が少なめでしたが、今は色々食材を買い足せましたので、ちょっと豪勢にしちゃいました」


 小さく舌を見せてくるその姿は最早反則であった。


 ただでさえシモーヌは可愛い見た目をしているのにそのような茶目っ気ある仕草など、相乗効果で皆を魅了すること間違いなし。下手すればそれだけで一国を手に入れられるのではなかろうかというほどの破壊力だった。


 おまけにまたあーんをやってくれるのか、スプーンに乗ったスープへ息をかけ始めたところで、


「こいつにはこれで十分よ」


 パチンと音が鳴ったかと思うと熱い液体が唐突に口の中に一杯になったかと思うと、嚥下もしていないのに喉の奥へと消えていき、先へ進めば進むほど熱さが広がっていった。


「アツ、いた、やっぱアツ」


 痛いのか熱いのか判断がつかない体の訴えに、ベッドの上をのたうち回ることしかできなかった。


「ふん、だらしない顔がこれで少しはマシになるんじゃない」


「ひ、ひふ、ほはぇ!」


 口も喉も食道に胃さえもやけどをしたような感覚に襲われ、反論しようとするも言葉が上手く出てくれない。


「心配しなくても火傷なんてしてないわよ」


 言うだけ言い残し、さっさと部屋から出ていった。


 二人取り残された十樹とシモーヌ。


 十樹はイヴの唐突な行いに、せっかく見直した心が何処かへ行きかけた。


「イヴ様にちょっと悪いことをしましたね」


 しかしわかっていないのは自分だけなのか、イヴの行いに何か心当たりがあるようで、シモーヌが小さく微笑んでいる。


「ちょっとイヴ様のご様子を見てきます」


 十樹には何がなんだかわからず、聞こうとしたところでシモーヌも空いたままになっていた戸から出ていってしまった。


 一人取り残された十樹は、


「なんなんだ、一体……」


 わけも分からず、ぼやくことしかできなかった。

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