ヒッチハイク物語 第2部〈実践編〉旅の衣・食・住

鈴木ムク

1 ナイロンの腹巻きと手拭いハチマキ

〈まずはファッションから〉


 ヒッチハイクのやり方やテクニックについては、このあとおいおい触れていくことにして、まず最初は形から入ることにしよう。

 そこでファッションについて考えてみる。

 これが意外とバカにできないのだ。もしあなたがスーツを着て道端で手を上げたらどうなるか。タクシーが止まるだけで、トラックは見向きもしないだろう。一見してソレとわかる恰好が望ましいわけである。

 とは言っても、ヒッチハイク・ファッションという決まった型があるわけではない。ジーンズにズック、シャツやセーターなど、季節に合わせた動きやすいものならなんでもいい。アディダスのスニーカーにラコステのポロシャツでもかまわない。いっそ、バレンチノで決めてみせるのもいいかもしれない。ただし、すぐに汚れ、ぼろぼろになることは覚悟しておいたほうが良い。汗だくになって排気ガスにまみれ、地べたに座り、ときには道端の草むらで寝ることだってあるのだ。着替えをいくつも持つわけにはいかないから、なるべく洗濯が楽で乾きやすく、丈夫なものがいいだろう。

 困るのは冬である。寒風の中に立ち尽くす。そのうち雪も降ってくる。いくら厚着をしても足らないくらいだ。しかも厚着をすれば動きがにぶくなるだけでなく、リュックに腕を通すのもままならない。冬のヒッチハイクは避けたほうが無難である。どうしてもというなら止めないが(ぼくも何度かやったが、冬ならではの風情があって悪くない)、無理をしないことが第一である。電車に乗ってもいいし、たまには宿に泊るのもいいだろう。着るものはファッション性よりも機能性重視。とくに素材に気をつけたい。綿よりも毛のほうが軽くて温かいことは誰でも知っているだろうが、その効果がもっとも顕著なのが肌に直接触れる下着である。綿のシャツだと、汗で濡れたらオシマイ。すぐに冷えて、氷を押し付けられたみたいになってしまう。

 機能性重視という点では靴もそうである。ヒッチハイクはとにかく歩く。歩くだけでなく、時には走る。靴を履いたまま寝なくてはいけないこともある。靴の善し悪しは旅行の全行程に影響するのだ。

 当時のぼくは、ピューマのバスケットシューズに憧れに近いものを抱いていた。くるぶしに描かれた黒いピューマのマークがいかにも駿足を思わせる。はじめてそれを手に入れ履いたとき、少しばかり足の動きが軽快になったような気がしたものだ。ところが中国地方のヒッチハイクで大山に登り、縦走コースの下山路で砂利の崖を滑り降りる「石滑り」をやって一発でその靴をダメにした。靴は軽く履きやすく、そしてタフでなければいけない。

 以上のことはいわば常識的なことで、ちょっと行動的な旅行をしようと思えば、誰でも考えることだろう。それとは別に、実はひとつだけヒッチハイクに欠かせないものがある。あえていうなら、ヒッチハイク・ファッションの要ともいうべきもので、医者の白衣、大工の地下足袋と同じように、その人種を象徴するような必須アイテムである。

 それは、手拭いである。フェイスタオルとか、ハンドタオルとかいうような洒落たものではなくて、温泉旅館や銀行の名前が入った、あのテの手拭いである。

 そこで手拭いの話。基本形はマフラーのように首に巻く。街中では襟の中に折り込んでおけばあまり人目にもつかない。ズボンのベルトに通したり、リュックにぶら下げたりもする。帽子のかわりにかぶるというテもある。形状自在、いかようにもなる。

 使い方はいろいろだ。手や汗を拭く以外にも、マスクにして排気ガスをふせいだり、リュックの肩パットがわりにも使う。トラックの荷台に乗ったときはリュックが転がらないように結わいつけたり、川でジュースを冷やすときにも使える。寒い夜の腹巻代わりにもなるし、怪我をしたときの包帯にもなる。鍋つかみにも軍手代わりにもOKだ。非常時の旗にだってなる。これ一本あれば、バスタオルもハンカチもいらない。千変万化のたいへん便利なしろものなのである。手拭いをどう使いこなしているかで、その人のヒッチハイクの熟練度がわかると言ってもいい。

 夏場は濡らした手拭いを首に巻くと気持ちがいい。排気ガスよけにも効果的だし、汚れた手や顔を拭くのにも便利だ。シャツやリュックはどうせ汗で濡れるのだから、手拭いで濡れることなど気にならない。それよりも、すぐ乾いてしまうのが残念だ。

 夜遅くキャンプ場に着いて簡単な食事を作って食べ、食器を洗うついでにTシャツや下着を洗濯する。濡れものはテントのポールを支える紐にぶら下げておくが、朝、出発するときもまだ乾いていない。よくあるケースだ。こんなとき、Tシャツなどはリュックの上にかぶせるようにして結わいておけば歩いているうちに陽差しで乾くが、下着はそういうわけにもいかない。そこで手拭いに下着を包んでリュックにぶら下げる。

 まるで歩く物干しだ。あるとき街の中で、汗を拭こうとリュックの手拭いをほどいた。そのとたん、パンツや靴下が足元に散らばった。それをまわりの人にしっかり見られてしまった。手拭いに濡れもの在中のときは、くれぐれもそのことを忘れないように!

 トラックの運ちゃんもよく手拭いを愛用している。やはり便利さが魅力なのだろう。首に巻くだけでなく、ハチマキのように頭に巻く人の多いところがぼくたちとはちょっと違う。このねじりハチマキは、荷物の積み下ろし作業はもちろんのこと、運転中でもけっこう活躍している。たとえば高速道路の通行券をはさんだり、曇ったフロントガラスを拭いたり、などなど。

 ついでに運ちゃんファッションについて話すと、典型ともいえるスタイルは、五分刈り頭に手拭いハチマキ、ダボシャツかランニングシャツの上にちらりと見えるらくだ色のナイロン腹巻きといったところか。ズボンはもちろんカーキー色の作業ズボンで、夏の暑いときにはステテコ一枚ってのも珍しくない。今はトラックの運ちゃんも運送会社の制服なんかを着ているのだろうが、ぼくがヒッチハイクをしていたころは、実際そういうスタイルによくお目にかかったものである。

 はじめて日光へヒッチハイクしたとき、この運ちゃんファッションを見て、ぼくはカルチャーショックに近いものを受けた。まさかいきなりぶっ飛ばされることはないだろうが、なんとなく怖くて、どんな口のききき方をすればいいかわからなかった。はじめのうちは神妙な顔をして縮こまっていたように思う。でも話してみると(方言が聞き取りにくかったが)、けっこうどころか、かなりいい人で、安心して打ち解けることができた。そのうち見慣れてきて、このファッションが気にならなくなったばかりか、かえって親近感さえ湧いてきた。大型トラックがシュポッシュポッとエアーブレーキの音を残して遥か前方で止まる。すかさず追いかけて、二階席のように高くて見晴らしのいい座席に転がりこむ。そのとき、「よっ」と言ってぼくを迎える運ちゃんのこのファッション。いいんだなあ、この瞬間が。まるで家に帰ったときのような安堵感。これで運ちゃんがステテコだったりすると、もう気分は風呂上がりの縁側で、よもやま話に花が咲くってものだ。

 東海道を下ったとき、小田原で乗せてもらった運ちゃんもまさに絵に描いたような運ちゃんファッションで、それを見たとたんにぼくの顔はほころんだ。作業ズボンのベルトの上に6センチほどはみ出したラクダ色の腹巻、キリリとねじった手拭いハチマキ。これだよ、これ。これがヒッチハイクだと実感する。

 その運ちゃん、手拭いハチマキに一本ボールペンを差しているところが今までとちょっと違った。荷物の積み下ろしの際に伝票を書いたりするのに使うのだろう。耳に差したボールペンを忘れて、そのままハチマキを締めたというのではなさそうだ。どうやらそれが流行の先端をいくものらしかった。

 ぼくも首にかけた手拭いをはずして、頭にきゅっと巻いてみた。気分が引き締まり、眠気もすっ飛ぶ。なるほど、こういう効果もあったのか。

 運ちゃんがそれを見て笑った。

 「おまえ、似合うぞ。オレの弟子にならないか」

 「今日だけなら、なってもいい」

 向こうから来るトラックがヘッドライトをチカチカさせて、なにか合図をした。夜の国道を快調に飛ばしていた運ちゃんは、軽くブレーキを踏んでスピードを弛めた。

 「何なんですか、あの合図」

 「ネズミ捕りだ」

 この先でスピード違反の取り締まりをやっているらしい。トラック同士は仲間意識が強く、このような情報交換を頻繁に行っているのだ。急にスピードを落としたのを見て、後ろの乗用車がぼくらのトラックを追い抜いて行った。緩いカーブを曲った先で、その車は警察に捕まっていた。「バカな車は捕まったほうがいい」と言って、運ちゃんはバックミラーで確かめながらゆっくりとスピードを上げた。

 「こっちだって商売でトラック転がしているんだ。そう簡単に捕まってたまるか」

 トラックが急にスピードを落としたり、合図し合っていたら、必ずその先で何かがあると思ったほうがいい、と教えてくれた。

 運ちゃんは警察の取り締まりをののしり、日本の道路行政に悪態をついた。

 〈いねむりスルナ!〉だと? バーカ、眠ってたら読めねえよ。

 〈脇見運転注意!〉だと? それこそ脇見運転じゃねえか。

 道路脇の看板を読み上げては、いちゃもんをつける。いったい何を考えているんだ。いらない看板が多いから、必要な看板を見逃してしまう。

 そして運ちゃんがもっとも怒ったのが、道路脇に立っている制服警官の人形だ。ヘッドライトに照されて、闇の中からヌッと現われる。ついブレーキに足がいく。そのあとで猛烈に頭に来るという。

 「そりゃ、スピードを出すほうも悪いんだろうが、だからといって人形のおまわりでドライバーを騙そうなんてバカにするにもほどがある。そういうセコイ根性が気にくわん。こっちもそれを見てついブレーキを踏んじゃうんだからな。まったくいやになるよ」

 あんなもの、かえって事故の元だ、と運ちゃんは力説した。

 ぼくの弟子としての最初の仕事は、その人形を殴ってくることだった。ブレーキを踏んでしまったついでに、運ちゃんはそのままトラックを止め、「頭にきた。一発殴ってこい」とぼくに言った。ぼくは喜んで命令に従った。殴り、蹴っ飛ばし、ついでに泥を塗りたくってやった。近くで見ると案外ちゃちな人形だった。こんなものでも、夜だと本物に見えてしまうのだからオソロシイ。

 「どうだ、スカッとしたか」

 そのあとも、警官人形を見付けるたびに「ほれ、またいた。このアホ、トンカチ」と二人で窓から怒鳴った。


 トラックの運ちゃんの腹巻きについては、ぼくとしても疑問に思うところがあった。

 いい年をしてお腹が冷えるというわけでもないだろうし、もしそうだとしても、ふつうはシャツの中に着けるものではないだろうか。なぜか決まって運ちゃんの腹巻きは、ズボンのベルトから6センチほどはみ出し、シャツの上に着けられている。単なるファッションなのか、それともなにか重大な理由があるのか。その疑問が解けたのは東北道を下ったときだった。

 その運ちゃんは秋田だったか青森だったかの出身で、なまりがひどく、その上お説教好きときていた。これにはずいぶん困らされた。言っていることの半分も分からないのである。

 ヒッチハイクは相手の善意にすがって、タダで車に乗せてもらうというだけのものではない。単調なドライブで疲れている運ちゃんの話し相手になり、ときどき襲ってくる眠気を撃退してあげるという大事な役目がある。それでこそギブ・アンド・テイクの関係が成り立つわけで、乗せて良かったと思ってもらうことが、その後のヒッチハイク、ひいては日本のヒッチハイク文化の発展のために役立つのだ。たぶん。

 ところが、そのときは言葉がほとんど分からなくて、話をしようにも自由にならない。まるで外国を旅しているようなものだ。話の中から数少ない知っている単語をつなげてなんとか意味を汲み取ろうと努力した。

 真夜中、しかも一番眠くなる三時過ぎぐらいだった。国道はなだらかなカーブを描いて東北の丘陵地帯を進み、右に左にと、まるで揺り篭のようにゆっくり車が揺れる。前方にはポツンポツンとテールランプの赤い灯が揺れ、対抗車線からは断続的にヘッドライトの眩しい光が顔に当たっては消えていく。単調なエンジン音と振動が心地良く頭をゆさぶり、意識を振るい落としていく。そうやって襲ってくる眠気に抵抗するかのように運ちゃんはいろいろな話をした。

 聞き取れた部分をつなげると、「人間は汗を流して働かなくてはいけない。机に座って数字を眺めているだけで偉そうな顔をしているヤツは信用できない。自分は貧しくて学校にも行けなかったが、借金でトラックを買って一生懸命働き、もうすぐ借金を返せるところまできた。ぜんぶ自分一人の手で築いてきた。」というような話だ。ええとか、すごいとか、やっぱり体が資本だから健康には気をつけましょうとか、なんとか話を合わせていたが、どうにも話が発展しない。沈黙し、ついで眠気がやってくる。眠気が限界に近づいたころ、運ちゃんは国道脇のドライブインに車を停めた。

 そこは大衆食堂といった感じの小さな建物で、トラックの運ちゃんたちが夜食におでん定食やトン汁定食を食べるところのようだった。「コーシーでも飲んべ」と言って、運ちゃんは夜の冷えた空気を胸に吸い込み、駐車場でラジオ体操をはじめた。ぼくも付き合って鼻歌で伴奏を奏で、ラジオ体操第一を最後までやり終えてから店に入った。

 食券を買うとき、運ちゃんは手を腹巻きの中に入れてモソモソやり、そこから手品のように財布を出した。ズボンのポケットだと落としやすいし、運転中はお尻の下になって取り出しにくい。上着を着ないから、ほかに入れるところがないという。なるほど、腹巻きの下のほうに入れ、上からベルトで締めればまず落とす心配はない。シャツの上に出しているのは、手を入れやすくするためである。これなら運転中でもお腹から簡単に財布が取り出せる。ドライブインの中には他にもたくさんの運ちゃんがたむろしていたが、そのほとんどが腹巻きに手を突っ込んでもそもそやっていた。

 帰りに、なにかミュージックテープを買おう、どんなのいいか、と言うので選んでいると、運ちゃんは勝手に一本抜き取ってさっさとお金を払って出ていった。都はるみのテープだった。ぼくの顔を見て、都はるみは嫌いか、と聞く。「いいえそんなことないですよ」と答えると、それは良かった、都はるみの好きなやつで悪い人間はいないと言う。都はるみの歌を聞くと泣けてくるそうだ。運ちゃんはテープに合わせてズーズー弁で歌った。オマエも歌えと言うのでしかたなく歌った。ふたりの歌は車内に残っていた眠気を吹き払った。テープを繰り返しかけては歌った。それはもうひどい歌声だった。


 歌といえば、山羊さん郵便を歌ったこともあった。手紙を読まずに食べてしまう山羊さん同士の終わりのない歌である。

 このときも眠くて運ちゃんと一緒にいろいろな歌を歌った。とうとう知っている歌が尽きてしまい、この歌ならいつまでも歌っていられる、と歌いはじめたのだった。しばらく繰り返したところで、運ちゃんがイライラした声で「もうやめろ」と怒鳴った。それでやっと終えることができた。

 このときの眠気はかなり危険な状態にあった。それまでの経験からぼくは運ちゃんの眠気の度合いをいくつかの仕草で推し量ることができた。まず眠くなりだすと、煙草をやたら吸いはじめる。そのうちガムを噛んだり、ラジオをいじりだす。だいたいこのへんで気付いてぼくのほうから話しかけたり、歌を歌ったりするのだ。さらに眠気が進むと、目をこすりあくびをするようになる。こうなるともうだいぶ判断力が鈍っているはずだ。運ちゃんが自分で窓を開けて風を入れたり、思い出したように激しく頭を振ることがある。これはついうとうとしてしまったことに気付いた後の場合に多い。すでに危険状態を越えているのだ。

 眠気は、そこにいる者に同時に襲いかかる。

 ぼくもついうとうと眠ってしまった。窓からゴーと入る風の音で我にかえった。見ると運ちゃんは窓を開け、吹き込む風を顔面で受けている。大丈夫ですか、と聞くと、大丈夫じゃないと言う。だから、ときどき片目をつぶって運転している。片目? 片目づつ交替で眠りながら運転しているとのことであった。

 「そんなことできるんですか」

 「安心しな。何年トラックを転がしていると思ってるんだ」と運ちゃんは言う。「だた難しいのは、もう片目をつぶったとき、それまで寝ていたほうの目がなかなか起きてくれないんだ」

 「それじゃ、両目ともつぶっちゃうじゃないですか」

 「そのときは大声をだしてくれ。間違っても肩を揺するなよ、ハンドルを握っているんだからな」

 ぼくはさすがに眠気も覚めて、運ちゃんの顔をじっとのぞきこんでいた。目は開いているのだが、ときどき車がすーうっとセンターラインのほうへ寄ったり、ガードレールに近づいたした。そのたびにぼくは大声で叫んだ。何回叫んだことだろう。とうとう運ちゃんも諦めて車を路肩に寄せて停めた。運ちゃんは頭に巻いた手拭いを外して目の上にかぶせた。ぼくも真似をした。ときどき通過する対向車のヘッドライトが防げるのだった。手拭いのもうひとつの使い道である。

 三〇分で起こしてくれと頼まれたのに、ぼくも完全に眠ってしまい、起きたときには二時間が過ぎていた。これじゃ先方に間に合わないと叱られた。運ちゃんは手拭はちまきをきつく締め直し、夜明け前の国道を猛烈なスピードですっ飛ばした。

 ヒッチハイクの際には、眠気覚ましの飴などのほかに、にぎやかな歌をたくさん仕込んでおくのがいいだろう。


 さて、例のベルトの上にのぞく腹巻きだが、そうとう便利なものらしく、トラックの運ちゃん以外でも愛用している人がいる。はっきり言って、あまりお近づきになりたくない人たちである。

 甲州街道を甲府に向かってヒッチハイクしていたときのことだった。そのときはぼくも髪を伸ばしていて、もうすぐ肩に届くぐらいあった。夜のヒッチハイクは目立ったほうがいいと思い、外国映画を参考にして、スケッチブックに行き先と「乗せて!」という大きな文字を描いて立ってみた。

 白いスカイラインが凄いスピードで通り過ぎたと思うと、はるか先でUターンして戻ってきた。ぼくの前に車が止まり、助手席の男が身を乗り出して言った。

 「ちぇっ、男だよ。行こ行こう」

 車は急発進した。そしてすぐに急ブレーキをかけて止まると、こんどはバックで戻ってきた。

 「しょうがねえな、にいちゃん乗んなよ」

 白いジャケットの下に腹巻きがのぞいていた。一見してソレとわかる人たちだった。どうしたものかとぐずぐずしていると、「いまさら乗らねえなんて言うんじゃねえだろうな」と怒鳴られた。

 「いいえ、とんでもない」と後ろの座席に乗り、ぼくは身を堅くしていた。前に二人、後ろに一人、腹巻きをしたお兄さんがたが乗っていた。

 「女みてえな格好をするんじゃねえ、まぎわらしいじゃねえか」「なんなら、その髪を切ってやろうか」「人の車で旅行するなんて、世間はそんな甘いもんじゃないぞ」とか、いろいろ言われた。夜の街で遊んだ帰りらしく、「そういえばさっきの女も、もしかしたらありゃ、おかまかもしれねえ」「あにき、やめてくれよ。おれ、チンポを舐められたんだから」「うえー、気持ち悪い」などと、酒臭い息で騒いでいた。

 「にいちゃん、静かじゃねえか。なんかしゃべれよ」「そうだ、女の話をしろ」「もてるんだろ、えっ、この女殺し」と言う。

 「いや、だめですよ、ぼくは。すぐ逃げられちゃって」

 「バカやろう。女なんて押し倒してやっちまえばいちころよ」「それを待っているもんだ」と、しばらくお説教とも自慢話ともつかない話を聞かされた。

 車が甲府に入ると、これから組の事務所に顔を出すが、ちょっと寄っていかねえか、と誘われた。どうしても先を急ぐからと言って、それをやっとのことで断った。

 車を降りるとき、彼らは言った。

 「オレたちみたいないい人間に拾われてよかったな」

 「気を付けて行けよ。世の中には悪いやつがいっぱいいるんだから」

 「へんな車には乗らないほうがいいぞ」

 その腹巻きには、くしゃくしゃになった煙草の箱が突っ込んであった。ときにはそこに他のものを入れることもあるだろう(取り出してほしくはないが)。彼らにとっても腹巻きは、単なるファッションではなく、実用品として重宝がられているようだった。


 いまはこの腹巻き、海外旅行用の貴重品袋に姿をかえて多くの人に愛用されている。便利なものは時代を越えて残るのだ。

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