第53話 怨嗟の言葉
「なんなんですか! あんた!」
思わず叫ぶ。危険信号が鳴り響いていた。
小動物が天敵を威嚇するように、弱い自分を強く見せるように、相手を睨みつける。
しかし、頭の中ではどうやって逃げ出すかをしきりに考えていた。
「あ? なんだお前? 泣いてんのかよ? 怖くてぶるっちまったのか? あ?」
男は、右手に持っていた刃渡十五センチ程度の厚手のナイフをこれみよがしに振りながら、せせら嗤うように近づいてくる。
思わず、涙を拭おうと左手を上げかける。
それを見越していたのか男は、体勢を低く保って僕の懐目掛けてナイフを突き出す。
「っ!」
それを間一髪で左に避ける。しかし、そこには行手を遮るようにビルの壁面が立ち塞がっていた。
壁際に追い詰められる。
男は、ジリジリと間合いを詰めながら、ぶつぶつと呟く。
「・・・・・・? なんて?」
その言葉は、最初はよく聞き取れなかった。しかし、徐々に大きくなるその声は、
「・・・・・・死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね!」
その怨嗟の言葉とともに男がナイフを突き立てる。
それは、僕の心臓目掛けて真っ直ぐ進んできた。
「ぐっ⁉︎」
思わず声が漏れる。
「あっ?」
ガチッと金属質な音を立てながら僕の心臓目掛けて突き立てられたナイフはしかし、僕の心臓に突き刺さる事はなかった。
代わりに、僕の左の胸ポケットに入っていたスマホがケースごと御臨終してしまったようだ。
呆気にとられている男の一瞬の隙をついて、ナイフを持つ右手に掴みかかる。
「なっ⁉︎ てめぇっ‼︎」
意外にも、男の腕力はそこまで強くなかった。
僕が右手のナイフを奪い取ろうとするのに抵抗出来ていない。
このまま武器を奪えればーーそれが油断だった。
「いっつっ⁉︎」
右の脇腹に軽い衝撃を受ける。その後、熱く鋭い痛みが走る。
「はぁっ、はぁっ」
男の荒い息遣いが聞こえる。
男を突き飛ばす。それだけの動作でも、脇腹に強い痛みが走る。
恐る恐る脇腹に視線を移すとそこには、バタフライナイフのような形状の柄が刺さっていた。
傷を自覚した事で、一気に気分が悪くなる。全身から脂汗が吹き出し、吐き気を催す。
ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。危険信号が鳴り止まない。
どうする? これ、抜いた方がいいのか? いや、でも抜いたら血がーー頭の中がパニックになり、思考がまとまらない。
目の前では、突き飛ばした男が立ち上がろうとしていた。
「いってぇなぁ! くそがっ‼︎」
男は右手のナイフを持ち直すと、また、こちらに向かってくる。
迷っている暇はなかった。細く短く息を吸う。そうすることで痛みが紛れる気がした。
道路に放置されていた瓶ビールの籠から一本を抜き出し、男に向かって投げつける。
男は、それに大袈裟に反応して左に避ける。
その隙に男に背を向け、路地の入り口まで走る。脇腹に振動が伝わるたびにズキズキと痛む。
「逃すわけねぇだろ!」
走る足元に何かを投げつけられ、それに足を取られて前のめりに転ぶ。
右脇腹を庇って倒れたため、左半身を盛大に地面に打ち付けた。
衝撃で肺から息が漏れる。
「ーーっぅ⁉︎」
それでもなんとか立ち上がろうと、四つん這いになったところで、右の脇腹を男が蹴り上げる。
「がぁっ⁉︎」
痛みと衝撃で、芋虫のように転がり仰向けになる。
男は、僕に馬乗りになると、ナイフを振り上げる。
その男の顔を月明かりが照らす。
「ーーっお前⁉︎」
僕は、その顔を知っていた。
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