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6月18日の木曜日、場所も加世子が指定した。明治神宮前の交差点からすぐのカフェへと学校の帰りに向かう。


わたしの方が早く着いたので、先に階段を上がり、店内で頬杖をついていたけれど、思い出深いこのお店には、通りで待ち合わせて、一緒に一段一段登って来る所から始めた方が良かったかな、と思い直したりして、それは最後帰る時に実行しようと密かにプランへ入れた。


ここは、初めての二人だけでのデートで原宿へ遊びに来た際に立ち寄ったカフェで、当時の、少し緊張をして動きが固く初々しさに満ちた自分を、まるで昨日の事のように思い出させてくれる。今もなお、若い世代のお客さんが多く、平日とはいえそこそこ人が入っていて、席と席の間が狭いこの空間から、賑やかな印象は消えない。


心の準備をするには若干足りないくらいの、15分程が過ぎた時に、裕泰くんが姿を見せた。あまりに静まり返った場所でこの話はしたくなく、でもさすがにテラス席は通りの喧騒が大きすぎて逆に落ち着かない可能性もあるので、選んで案内してもらった店内の席から小さく手を振って出迎えると、裕泰くんは少しだけ笑って近付いて来て席についた。


「久々だな、この店」


店内を見渡しながら言っている。わたしが大学に入学した春に来た以来、1年以上立ち寄っていなかった。ここを指定した事に、裕泰くんは何か感じる所はあるのだろうか。


今日はラテアートを楽しんでいる場合ではないので、わたしはラテではないドリンクに決め、裕泰くんはコーヒーを注文する。


「今日も朝からパソコンで講義聞いてた?」


通いでは無い分、塾の講義はいつでも、通信環境が整っていればどこでだって見られるのが本当に良いと思う。


「そうだよ。来週は学校の自習室でも勉強しようとは考えてるけど」


「そうなんだ」


「で、なんで今日ここなの? 学校帰りだったら他の場所の方が良かったんじゃないの?」


一口コーヒーを飲むと、鋭い質問をぶつけてきた。


「あぁ……」


「始まりの場所で区切りもつけたい」だなんてまだ何も話をしていない段階で言える訳も無く、頭の中を目一杯に回転させて言葉を探す。不器用なわたしは、その内側での格闘が顔と態度に出てしまっていたのか、何も言わないわたしに代わって裕泰くんが間を埋める。


「何か話したい事があるんじゃないの?」


じっと見つめられた目を逸らした時点で “図星” というのがばれてしまうと思い、数秒間は黙って見つめ返す。すると、裕泰くんの方が先に視線を外して、また沈黙の時間が流れていく。店内の女子学生達は要所要所で声のボリュームが大きくなり、今、わたし達のこの時間を埋めてくれているのは紛れもなく彼女たちな気がする。


「……あいつと会ってるの?……シモイっていう……」


空白の後に突然そう聞かれ、生唾を飲み込んでから、「どうして……」まではかろうじて言えたけれど「知ってるの?」が声には出てこなかった。


「なんで…………。俺の知らない所で一体何やってるの?もう、いっつもじゃん。なんで言えないの?っていうか、なんで二人だけで会ってるの?」


語気を強めて問いただす裕泰くんに、思わず言い返してしまう。


「裕泰くんだって、わたしに隠れて他の女の人と会ったりしてたよね」


「だからって……それとこれとは話が別だろ?」


「…………」


これまで喧嘩という喧嘩は殆どした事が無く、やっぱり目の前で威圧されるような言い方をされると、怖じ気づいてしまって何も言えなくなる。裕泰くんが怒る様子を目の当たりにした経験は、印象に残る中では今回が2回目で、その2回ともが、下井くんと出会った後の話になるという意味を、しっかり飲み込んで向き合わないといけない。





ついさっき隣のテーブルについたばかりの高校生カップルの視線は痛い程に感じている。テーブルの脇にあるメニュー表の丸っこい字も、天井に吊られている得体の知れない生き物のようなアートも、本来であればこういう空気感を和ませてくれる物なはずなのに、残念ながら、今のわたし達には何の緩和材にもなっていない。


「もう、そういう関係なの?」


お互いの気持ちは確認した仲かと問われているのか、そういう関係というのが、何を指しているのか良くわからず返事に困っていると、裕泰くんは勢いよく席を立ち、早足で会計レジへ向かい、恐らくお釣りは受け取らずに店を出て行った。


シミュレーションとは完全に違うここまでの経過にショックを受けながらも、すぐに後を追うようにしてお店を出る。一緒に下りるはずだった外階段を裕泰くんは既に下りきった後で、わたしは思い出に浸るなどとんでもなく、慌てて追いかけ、見失わないように通りの人をかき分ける。


一つ目の筋の階段前を曲がる後ろ姿が見えたので必死に走って追いつき、


「下井くんとは会ったけど、疑われるような事は何もないよ」


そう伝えると、裕泰くんは歩くペースを落として美術館の入口付近で足を止め、わたしの顔に目を向けてから、黙って石垣のような場所に腰を掛けた。


「小山田のこと、気にしてるの? だったら……」


続くようにゆっくりと隣に座ったわたしは、首を横に振る。


「違うの……そうじゃなくて……。裕泰くんの事で一喜一憂するのに、なんか……疲れちゃって」


「付き合った時からそうだった……わたしのことは好きって言ってくれるけど、他の人の所に行っちゃうんじゃないかって……いつも不安で……」


「裕泰くんならわたしじゃなくても……もっと……良い人がいると思うし……」


一通り今、つたないながらも何とか言葉を並べられた。そして最後にこう添えた。


「……わたし達、お別れしよう……」


溜め息なのか何なのか、隣から一度大きく呼吸をする音が漏れてきた。


「…………嫌だって言ったら……?」


1、2分くらいの無言を経ての返答はそうで、わたしはただ、困った顔しか見せられなかった。


立ち上がった裕泰くんを見上げると、


「俺は……別れたくない」


そう言い残して坂の上へと歩いて行った。





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