告白


2015 5.30(土)





同じ週の土曜日の夜、庭でサモサのブラッシングをしていた時に、突然地面が揺れた感覚がした。犬小屋が僅かにぐらぐらしている。地震? 咄嗟にサモサの身体をぎゅっとして、




「怖いね、大丈夫だからね」




と自分をも落ち着かせるようにして話しかける。サモサは愛くるしい目で見つめ返してくれるので、恐怖感は減る。家の中からはパパとママがわたしを心配する声がすると同時に姿も見え、立ち上がって元気な様子を見せる。速報によると、この地区の震度は3だった。




都内ではエレベーターが止まってしまったり、交通機関に乱れが出た場所があったようで、仕事中で外にいた下井は、揺れ自体には気が付かなかったものの周りの様子で地震があったことを知る。




 『揺れたみたいだけど大丈夫?』




運んでいた段ボールを荷台に上げてすぐ、深めのポケットから携帯を取り出して一気に打って送る。




リビングで家族揃ってテレビのニュースを囲んでいた加世子のスマホが、下井からのメールにより震えた。




繋がるかどうかはわからなかったが、すぐに廊下へ出て、下井へ電話を入れる。コールは鳴った。




「もしもし、下井くん?」




「今さっき地震あったよね。大丈夫だった?」




庭にいた事と、揺れの程度、それから家族が一緒で問題無かったと返答する。




「そっか……良かった。じゃあ、仕事中だから切るな」




電話はすぐに切られたけれど、後に残された何か余韻のようなものに引っ張られ、廊下で暫く呆然とした後、ゆっくりとソファへ戻った。


裕泰くんからは10分後位にメールが届く。お互いに揺れはすごく大きくは感じていなかったので、やり取りはそれなりで終える。









  仕事中なのにメールくれた


  


  心配してくれてた……





布団に入って、地震後間もない内に連絡をくれた下井のことばかりを考える。いつしか、思い立ったように身体を起こして下井に電話をかけていた。





「また電話しちゃった……」




何コール目かで出た下井と話を始める。




「さっきはありがとね、心配してくれて。ちゃんとお礼言えてなかったよね」




「仕事中だったし、すぐ切ったからよく覚えてないわ。……無事っていうのが確認出来ただけで、まぁ……な」




手を持ち変えて、照れながら話す。




「……お礼だけ伝えようと思って……」




「うん」




本当はもっと話していたかった気持ちを抑えて、加世子は電話を切る。下井も似たような感情だった。


         








「うっそ、良いなー。私は誰にも心配されない」




土曜日の地震の後の話を二人に聞いてもらう。




「聡子はおうちの人が全力で守ってくれるでしょ?」




美樹のたしなめに対して、「まぁ、そうだけど」と、本当はわたしの事をそれほど羨ましくは思っていないなとわかるような表情をして答えている。




「芽生えちゃったんじゃないの? 恋心」




美樹すらも真に受けてこっちを向いてくる。




「結構イケメンなんだよ、その人。……えっと、下井さんだっけ?」




「……っていうかキコウシ、うんうんって盗み聞きしてんじゃないよ」




すぐ側にいた鈴木君に厳しい突っ込みを入れている。




実はキコウシこと鈴木は、あの地震の5分後位に聡子へメールを送っている。連絡先は1年の時聡子に半ば強制的に教えさせられていた。理由としては、聡子にとって、授業だけは真面目に全て出席しているのだけが取り柄の鈴木に、確認したい事をいつでも聞けるようにする為だった。




 


  一応、僕、心配したんだけど……





鈴木の心の声といえば、こんなところだろうか。メールを受け取ったという事実は聡子の記憶からは消えているようで、がっかりした気持ちも無くはない。ただ、蔑ないがしろにされて扱いが悪いのも何故だかどこか受け止められる自分がいて、聡子達が元気に会話をしている様子を週始めから見られるだけで、充実感はあった。








2015 6.3(水)




気になってしょうがない、下井くんの事が……。水曜日のバイオリンの時間も、先生に「集中出来ていないみたいだけど、どうかしたの?」と心配されてしまった。裕泰くんという好きな人の向こうに、別の人の顔が浮かんでくる。後方に映し出された下井くんの顔が目を閉じると真正面に拡大されて全体を覆うようになる。先生は誰かの事を考えて、こんな感覚に陥った経験があるだろうか。先生じゃなくても、みんな普通にあるのかな、こういう不可思議なもどかしさを感じる事は……。




裕泰くんからもらうものとは違う、遠回りの、というか、空間を置いて見守るような優しさを向けてくれているように思えてきた。




  


  顔が見たい……




  ………………会いたい





必然的に出会って付き合うようになった裕泰くんの時とは異なる、初めて抱くようなこの胸の内は表に出さず抑えるべきなのだろうか、抑えられるだろうか……自分の中で何かが葛藤し始めている。朝からの雨は降り止み、たたんだ傘を腕にかけて帰って行く先生を見送った。








 


翌日の木曜日、アルバイトは閉店時間まで入る。今日は有陽ちゃんが一緒の日ではなかった。21時過ぎ、商店街を少し進んだ所で立ち止まり、思い切って、電話をかける。7、8回コールしても出なかったので、電話を切り、スマホを左手に持ったままどうしようかと迷う。




3、4分位経っただろうか、まだ帰る気にはなっていなかった頃に折り返しの電話がかかる。下井くんの居場所を聞くなり、わたしはそこへ足を急がせた。





    ・


    


    ・


  


    ・





「どうしたの?」




手を止めた下井くんは下井くんパパに一言断って、少し人通りの少ない通りに場所を移してくれた。普段通りの下井くんなのに、近い距離で歩くと、やたらとドキドキして緊張してしまう。




「ごめんね。すぐに終わらせるから……」




じっと下井くんの顔を見つめると何も言えなくなって、一旦は目を逸らし、うつ向いてしまった。そして心を落ち着かせ、こう切り出す。




「あの……聞きたい事があって……」




「うん……」


 


下井くんは、静かに聞き入ってくれている。




「あの……」




ここで下井くんの顔を見ながら何秒間が空いたか覚えていない。





「…………………………」





生唾をのみこみ、最大限の勇気を振り絞った。





「わたし、下井くんのこと、好きになっても良いのかな……」




ずっと顔を見つめたまま、発言してからもさらに5、6秒は我慢して返事を待った。





     ・


    


     ・ 


 




  返事が無い…… 曇ったような表情へと


  微妙に変化した……





「……そうだよね。ごめん、忘れて。今のは、無しで」




そう言ってすぐに後ろを向いた。




 





  消えたい……




  何てこと言ってしまったんだろう……







目を固く閉じて下を向いた後は、その場から逃げるように歩き出す。




「待って」




下井くんの声で背中を向けたまま立ち止まる。




  


  言葉は要らないから、早くこの場を立ち


  去らせて欲しい……




 


心からそう願っていると、耳を疑うフレーズに、心も身体もフリーズしてしまった。







「俺はもう好きになってるよ……寺田さんのこと」





氷から溶け出すように、スローモーションな動きで振り返ると、下井くんが接近して来て目の前で足を止め、その反動でわたしは少しだけ後退りした。




「好きになってる」




戸惑うわたしに間違いなく、改めてそう言った。




「でも、さっき迷惑そうな顔……」




「想定外な事言うから、驚いただけだよ」




「……えっ…………」




脈が速くなっているのがわかる。




「………………」




「何も言ってくんないの?」




口を開けたまま、わたしのフリーズ時間は終わってはいなかった。




「だって……想定外な事言うから……」




「それ、俺のセリフだろ」




魔法のようなものから解けたわたしはようやく笑顔になれて、下井くんも微笑んでくれる。




「送って行きたいけど、俺行かないと」




さっき来た方向を指差し、そこまでは一緒に戻り、この日は別れた。




短時間の内にどん底から地上に這い上がった気分で家路に就く。途中では帰りが遅いのを心配してメールをくれていたママに、有陽ちゃんと話をしていたと胸が痛いながらも嘘の返事をしてスマホを鞄にしまう。




眠る前には下井くんから『今度ゆっくり話そう』とメッセージが届いて、充電するはずのスマホを抱きしめて目を閉じた。








2015 6.7(日)




早速次の日曜日の午後、新宿で待ち合わせをした。お昼は一緒に食べる約束をしていたので駅近くのビル内にある、お好み焼き屋さんへ連れて行ってもらった。狭いエレベーターで上階へ上がる。




自分で焼くスタイルのお店らしく、下井くんはたこ焼きも焼けるテーブルを指定していた。




「面白そうだね。お好み焼きって久し振りだな」




今日来たのは3度目で、たこ焼きを焼いたのは1度しかないらしいけれど、生地を流して具材を入れて……と手際よく進めている。一緒に頼んだお好み焼きもわたしは「すごい」とか「上手だね」とか言いながら、完成するまでをただ楽しみに眺めているだけだった。




「ちょっと焦げたかな」




わたしにたこ焼きを差し出してくれる。ちょっと大きめなそれは熱々で美味しい。お世辞にも綺麗でおしゃれなお店とは言えなかったけれど、セルフで焼いたのと歌舞伎町の雰囲気も少し味わえて楽しかった。




お店を出ると全く予定はしていなかったけれど明治神宮へ向かい、参拝した後は代々木公園へと入って行く。ゆっくり歩いて色々と話をした。散歩に連れられている犬がその時だけの偶然かはわからないけれど、変わった犬種のあまりお目にかからないようなゴージャス系のワンコさんばかりだったので、そういうのも二人で楽しみながら会話した。そして噴水の回りに差し掛かっている時に、さっきまでとは違い、シリアスな顔をした下井くんから質問を受ける。




「別れられるの?」




下井くんの目の前で、裕泰くんに寄りかかった事もある。率直にそう思って当たり前だと思う。




「近いうちに話そうと思ってる」




それを聞いた下井くんは、静かに前方の地面を見て小さく「うん」と言っていた。







気付けば西門の出入り口へと近づいていて、下井くんは「ちょっと待ってて」と、右横に見える水飲み場へと小走りに行く。わたしは公園のこういったサービス?を利用した経験が無かったので、後に付いて下井くんの飲み方で学習し、いざ顔を近づける。




「キャーーッ」




蛇口を上手に調節出来なくて、恐ろしいほどの勢いで水が顔面に向かって飛び出して来た。




顔はもちろん髪までもがびしょ濡れな、わたしの醜態を見て、下井くんは助ける素振りは全く見せずにただ笑っていた。




「狙ってんの?」




「えー? 狙ってるって、何を?」




「ウケだよ」




「もー、そんなわけないじゃない。あぁ、もう嫌だぁ……」




滴る水を少しでも服にかからないように落とそうと、頭を下げた状態で何とかバッグからハンカチを取り出して前の方の髪と顔を拭く。




「確かにちょっと調節し辛かった」




「始めに言ってよぉ」




  


  メイク、どうなってるんだろう……




  一応は "初デート" なのに……





気分はだだ下がりで、見られるのも一緒にいるのも恥ずかしい。外れからさっきの道に戻っている下井くんに隠れてこそっと手鏡で確認をすると、パンダ目にはなっていないようなので、とりあえずはセーフとして下井くんの方に戻る。その後は、何とかたしなめなれて、けやき並木方面へ回り、渋谷公園通りまで来る頃には、ついさっきまで “帰りたい” くらいに思っていたわたしが、水を浴びた事など忘れかけていた程に、二人で過ごす時間が愉しかった。




周りの建物が目に映ると、1本左に入った通りで、主に裕泰くんの洋服を一緒にウインドーショッピングをした時の光景が浮かんできたりはしたけれど、下井くんの方へ向き直し、そういう思い出も消していかないと、と心の奥で思う。




「帰ろうか」




まだ17時半にもならない明るい時間だったけれど、下井家の食事時間の事もあるし、駅まで着いたら二人とも自然と帰る雰囲気になる。やっぱり送ってもらうのには、申し訳なさが先行するのだけれど、お言葉に甘えて同じ方面の電車に乗ってもらう。





「渋谷にナンパしに来たことってある?」




「無い」




「渋谷に限んない。そういうのは苦手だから」




嘘か本当か、見た目にそぐわない返事をする。         




どんな人がタイプなのだろうか……わたしの事を好きだと言ってもらったばかりだけれど、前に新宿で下井くんの先輩らしき方に、「女の子の趣味が変わったのか」とかどうとかを言われていたのを鮮烈に思い出して、今のわたしにはそれがかなり引っ掛かってくる。




電車に揺られながらチラチラと下井くんの顔を見てみるけれど、好きなタイプに関しては聞く勇気は無く、またの機会にしようと思う。




家に帰ってから、落ち着いて考えてみれば、よく渋谷でナンパをしたことがあるかなんて質問を簡単にしたなと自分自身の言動とはいえ、少し疑ってしまった。もし「ある」と答えられていたら、きっと聞いてしまった事を後悔しただろうし、そもそもあったとしても普通は無いと言うのではないかとか、こんな事、いや、 “こんな” 事なんかでは済ませたくはなくて、何というか、考え過ぎる内に頭の中はどんどん混乱して自ら悩みの種を生み出してしまった。




だけど「そういうのは苦手だから」の部分は信用が出来る気がして、わたしが好きだと思える人のことは信じる気持ちが大切かな、と自分に言い聞かせる意味も込めて考えを改める。




好きな人といえば裕泰くんの事……いつ、どのタイミングでどんな風に伝えれば良いのだろうと、無い知恵を絞って思い悩む。心底嫌いになった人なのであれば、手段なんてどうだっていいのかも知れないけれど、決してそうではなくて、裕泰くんに対してネガティブな感情を抱いている訳では全く無いので、その辺りにはこんなわたしでも気は遣う。







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