… 34



「私、16時からバイトなんだ……」


「えっ? そうだったっけ?」


わたしがシフト表をカメラに収めた時点では有陽ちゃんもお休みになっていたので、変更があったとは気付きもせず、そうであれば、今すぐに解散になるのかと寂しさがよぎった。


「少しだけだけどお茶しようか?」


落胆の気持ちを拭うように、有陽ちゃんはかばんを左肩にかけ直し、誘いの言葉をくれたので、わたし達は新宿方面へと出向くことにした。新宿三丁目で下りて近くのチェーン系カフェへ手っ取り早く入る。1階のカウンター席はそこそこ埋まっていたので2階へ上がり、下井くんがわたし達の分も持ってきてくれるのを待つ。


わたし達がソイラテに決めると、下井くんも同じものをオーダーしていた。今日得た下井くんの新情報としては、 “コーヒーが苦手” という事だった。


思ったよりも長くお喋りが出来て、1時間位したら有陽ちゃんがバイトへ向かって行った。有陽ちゃんには「もう少しゆっくりしておけば?」と言われてお店に留まったけれど、結局15分程で1階へ下りた。反対側にも入り口があったらしく、そちらから入って来た、見た目には男性同士のカップルが仲良く何を頼むかを相談し合っている横を微笑ましく見ながらすり抜ける。


目の前はすぐ交差点で、ここへ来ればその存在を思い出す、遠くに見える百貨店の大きな看板を方角の目印に信号を渡る。シネマの前を通る時、ずっと裕泰くんとシリーズで観ていて、今回はまだ来れていない映画の最新版がもうすぐ終わりそうだったのを思い出した。


「上演、いつまでだっけな……」


広告紙を近くまで見に少し奥まった入口へ寄らせてもらうと、明後日月曜日までで記載は消えている。



  これで終わりかな……?



考えながらじっと眺めていると、


「観たい映画あるの?」


下井くんがそう尋ねて来て、


「あぁ……これなんだけど……」


と奥歯に物が挟まったような言い方で答えると、


「まだ早いし、観る?」


普通に優しく聞かれ、もう日も無いし、きっと観には行けないだろうと考えて、映画館へ入ろうと決めた。上がって確認をすると、丁度始まったばかりだったので、急いで席を選んでもぎりをしてもらう。まだ予告映像が流れている段階で本編は始まる前だったのでタイミングは良かった。上演終了間近でも、人気のある作品なので土曜日の午後ということもあって、割りと人は入っていて、出入口から遠い場所の後方へと回る。




一人で観てしまう事には、やっぱり後悔と罪悪感のようなものが生じて、集中して見られない場面もあったけれど、ハラハラドキドキの展開に助けてもらい、最後まで楽しんだ。


「付き合ってもらってごめんね。前のを観てなかったら登場人物とかよくわからなくて面白さが半減しちゃうね」


「あぁ、けど良かったよ」


最近は陽も随分と長くなってきて外に出るとまだ暗くはなっていない。とは言え、雰囲気は夕方から夜へと移り変わって行く過程を感じられ、この建物も入る時に比べて断然、外の階段へと華々しく明かりが目立つようになっていた。


新宿まで歩くつもりで、左方向に見える信号へ向かって道なりを自然と進もうとしたら、「あっちだろ?」と右の方を指差している。


「えっ? 新宿、こっちじゃなかったっけ?」

 

新宿からだと下井くんはすぐに京王線に乗れるし、わたしも乗り継ぎはあるけれど別に不便な帰り方にはならないので、そうするものだと思っていた。


「さっき降りた駅からの方が帰り易くない?」


新宿三丁目……確かに東横線と直通運行がされているので、乗り換えはしなくて済む。そんな事まで調べてくれていたのかなと、ちょっと感動していた時に、さらに思いがけない発言が耳に入る。


「送って行くよ、今日は」


新宿へ出れば下井くんにとっては確実に都合が良いという思いもあって、本気モードで断ろうとする。


「この間みたいに、気になるくらいだったら送り届けた方がスッキリして楽だから、送らせて。……迷惑じゃなければ、だけど」


言われて見れば、先週の日曜日に家に帰って間もない内に、下井くんから “着いたかメール” が届いて何気なく返していた記憶はあるけれど、そこまで心配をされているとは想像していなかった。


「本当に、良いの?」


「じゃ、決まりだな」


頻繁に降り立つわけではないものの、ごくたまに一人で新宿や特に渋谷なんかに来た時、キャッチの人とかに声を掛けられるのは本当に苦手で、駅から少し離れた所などではキョロキョロして街の様子を伺いたいのを我慢して、猫背がちに歩くようにしている。1度、本当に道を尋ねて来られたサラリーマン風の男性に対して、失礼な受け答えをしてしまった苦い経験もある。新宿三丁目付近の状況は良く知らないけれど、男性が一緒に歩いてくれるのは余計な事を考えずに済むし、心強い。


横断歩道の向こう側にはもう駅の入り口がどっしりと構えられていて、先の心配など不要なくらいの距離だった。信号が赤に変わりそうだったので急いで渡ると、下井くんを呼ぶ声が聞こえた。


「優斗?」


年齢は25、6才位で、ゴールドのネックレスをされている、がっちり体型の男性だった。すぐ立ち止まった下井くんはその人に頭を下げている。


「千葉に行く時、車貸してくれた人」


わたしに耳打ちするように教えてくれた。


「あ……こんにちは……」


一見怖そうなその人に若干尻込みしながら挨拶をする。


その人は下井くんの肩をさっと回り込むようにして組んで、


「優斗、女の子の趣味、変わったの?」


と冷やかすように言って、腕をポンポンと2度叩き、左手を軽く上げて去って行った。


  

  聞こえてますけど……



「見た目あんなだけど、めっちゃ良い人だから」


そう聞かされ、半歩遅れで目の前の階段を下りる。


案の定、電車に乗ると20分位で楽に帰ることが出来た。改札を出ると、少し遠回りにはなるのだけれど、熊野神社方面へ一度出てから横道を逸れて行く歩き方のほうが好きなので、そのように歩かせてもらう。陽は落ち、やや暗くなった家までの道程をふたりで歩く。


「今日は楽しかったなぁ。あっという間だったね」


「校舎のロビーで下井くんのこと見つけたのがついさっきみたいだもん」


「その格好、良く似合ってる。大学生っぽい。この間着てた黒のモコモコした上着も可愛いなって思ってたけど」


殆どわたし一人が喋っている内に、景色は家のほぼ前へと移っていた。


「上がって、何ならごはんでも食べて行ってもらいたいところなんだけど、パパがいるから……」


「良いよ、そんなつもりで送って来た訳じゃないし」


無意識に玄関の方を見ると、裕泰くんの車が停まっているのが目に飛び込んできた。下井くんは気付いていないようなので、そのままお礼を言って適度に見送り、中へ入る。






  見つかってないよね……



恐る恐るリビングへの扉を開けると、ママの「おかえり」の後、続けざまにパパが声を上げる。


「遅いなぁ。裕泰君を待たせるんじゃないよ」


側に腰かけている裕泰くんがその様子を微笑んで見ている。


「僕が内緒で来たので……」


「いつ……来たの?」


「17時過ぎだったかな? 加世子がなかなか帰って来ないからサモサの散歩ももう行ってくれたぞ」


どうも散歩からはさっき戻ったばかりらしい。ギリギリ見られなくてほっとして、洗面所に寄り部屋で着替えを済ませる。


一番楽しそうで満足げなパパを中心に夕食の食卓を囲み、和やかな時間を過ごす。食後、皆でテレビを見ている中、ママがテレビに向かって何か言ったり、パパが質問をしたりする事にもきちんと応対しながら、裕泰くんは参考書に目を通している。


「裕泰くん、明日日曜だし、泊まっていけば良いよ」


やたら上機嫌のパパは遂にそんな事を言い出した。


「いや……でも……」


流石にちょっと驚いて、戸惑い顔を見せる。


「効率的にもこのままもう少しここで勉強をして、明日早めに帰れば良いんじゃないか?」


「じゃあ、お言葉に甘えて……」





早速パパはソファに腰掛けたまま、おじさまの携帯電話を鳴らして、裕泰くんが今晩うちに泊まると伝えている。相手が裕泰くんと言えど、わたしがお泊まりをしに行く事には抵抗があるのか未だ認めていないパパは、裕泰くんがお泊まりをしに来るのは良いのだろうか。こういう事は意外と今日が初めてだ。


お風呂は最後で良いと言うのをパパが認めるわけも無く、“二番”風呂に入り、暫くリビングで勉強した後は、わたしの部屋へと場所を移す。順番はママが先で、わたしを最後にしてもらった。部屋では裕泰くんが勉強をしているので、いつも以上にゆっくりと湯船に浸かって今日を振り返り、お風呂を洗ってから出る。


髪を乾かし、1時前に部屋へ上がった。タブレットを凝視する真剣な横顔がこの時間、この場所に在ることが不思議な感覚になりながら、なるべく音を立てずにそっと見守る。


少しして、ぐっと大きく伸びをした裕泰くんは、「今日は終わり」と言って、ベッドに腰掛けてスマホを触っていたわたしになだれかかるようにして座り、目元を片方の手で押さえている。今日はジャージで遊びに来ていて、久し振りに見るその姿は新鮮で結構好きだ。中にはパパのTシャツを着ている。


「疲れたでしょ? 集中して、すごいね」


「確かに目は疲れるな。目薬が欠かせない」


「少し明かり、落とそうか」


すっぴんはメイクをしていなかった高校生時代、存分に見られているのでそこはあまり気にならないけれど、寝る前はこの方が目が楽になるかなと思って、リモコンを操作する。部屋の中が暗めのオレンジ色っぽくなると、そっと抱き寄せられ、暫くの間、寝てしまうんじゃないかと思うくらい、じっとして過ごす。ジャージの上着をつまんでいると、何故か落ち着いた。


「こういうの着ていつも寝るの?」


もたれ掛かったまま、わたしのパシャマ兼部屋着の袖部分に触れている。


「今の俺には酷だわ。そんな可愛い格好されたら」


私自身も実はこの服というかパジャマは気に入っていて、肌触りの良いタオル地の上下で、下はハーフパンツ、そして色は淡いピンク×白の2色使いとなった、正に女の子らしい出で立ちと言えばそうなるのかも知れない。ママと一緒に百貨店へ行った時に買ってもらったもので、冬用のフワフワとしたものもいつかは欲しいなと思っている。


この暗さ、この距離、何だかムードは上々な感じになっていく雰囲気はあったものの、「このままこうしてたいけど……」と言い、裕泰くんは部屋を出ようと立ち上がった。裕泰くんが他で眠るならわたしがそうしようと、制止してみてもすぐに「大丈夫だから。おやすみ」と薄暗い中ニッコリ微笑んで振り返り、


「明日は映画観に行こうよ。終わっちゃうから」


そう言い残して、そっとドアを閉めて下りていく。そして翌日はアルバイトの前に、2日連続で同じ映画を観に行くことになった、もちろん初めて観る振りをして。




 

  シフト変更のOKさえ出さなかった

  ら……



加世子達と別れた後の電車の中、自転車に乗りながら、バイト中、家に帰ってから……ずっと加世子と下井があの後二人でどうしたのかが、有陽は気になってしょうがなかった。


  

  どうして、あそこで解散って言えなかっ

  たのかな…… 



寝る前のやり取りで、加世子が家まで送ってもらったと知り、何となく、自分の出番はもう無いのかなと諦めの気持ちは膨らんでいく。




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