… 25
いよいよ前日、遠足の前の日のような、しかも小学生くらいの頃の、限られた予算内でおやつを買って、みたいな何とも言えないワクワクした気持ちが今のわたしにはある。 “現実逃避” みたいなものなのかも知れない。
裕泰くんとは試験期間中だから遠慮をしてくれているのか、水曜に会った後はメールを数回やり取りをしただけに終わっている。ただ、さすがに明日の事は伝えておいた方が良いかとスマホを手にする。と同時くらいに裕泰くんからのメッセージが届いた。
『急だけど、明日天気良さそうだしどこか行かない?』
『すぐ帰すから』
毎月、アルバイトの予定が決まったら裕泰くんに知らせている。もちろん今月のものも年末に伝えてあるので明日、1月31日がお休みになっているのもわかっている。
今さら有陽ちゃん達と出掛けるとは言え
ない……違う、言えるんだけど、そっち
を優先したいっていう事が言い辛い……
こんなに悩むことは有るだろうかという位、頭を抱えてしまった。裕泰くんに会いたくないという気持ちは本当に今は無くて、だけど明日に限って言うと……。もっと早くに伝えておけばよかったと、今ごろになって後悔していた。と言っても迷っている場合では無くて、既読になっているのに返事が遅くなるのも怪しくなるし、突発的に『明日は友達と一緒に勉強をする約束をしてて……』と嘘をついてしまい、せっかく誘ってくれたのを断る形となった。
どうしよう……
これで良かったのかな……
きっと良いわけは無いのかも知れないけれど、裕泰くんの、
『わかった それじゃ仕方ないな』
で、どこか踏ん切りがついてしまい、心苦しさはあるもののそのままにしておいた。スマホを充電して置いたまま、なんとなく逃げるように1階へ下りるとママがサモサの散歩へ行こうとしていたので、玄関の細長いクローゼットに掛けてある薄手のコートを手にし、同行することにした。
散歩中にはこの間からの裕泰くんとの一連の流れをざっと話して、今は一応仲直りが出来ている状態だと伝えると、ママはとても喜んでくれて足取りも軽くなったようで、リードを引くスピードが少し上がり、わたしは小走りで付いていく。またゆっくり歩き出した頃に次は明日の予定を伝える、裕泰くんの誘いを断った事は伝えずに。
22時頃にパパが帰って来て、15分位たわいもないお喋りをしてから2階へ上がる。暗い部屋で着信ランプが点滅しているのを目にしたところでようやくスマホを置いたままにしてあった事を思い出す。
『明日行けなくなった……』
ごめんの後に沢山のヤギが “ごめぇ~ん” と鳴いているスタンプが並べられていく。急用が入って行けなくなったらしい。
実はこの時、有陽が考えに考え抜いて、二人だけで行かせるために予定が入ったと嘘をついている事など、加世子には知るよしもなかった。
『仕方無いよ またの機会にしよー☺』
と返信をすると、せっかく下井くんが言ってくれてるし、もう明日の事だから今回は二人で行けば良いと、おしてきてくれる。どうしようか迷った結果、卑怯なようだけれど、答えは下井くんに委ねることにした。
『明日 有陽ちゃんが行けなくなったから延期にしようか』
10分後くらいに来た返信の内容は、
『寺田さんが構わないなら二人でも良いけど。もう車借りたし』
だった。
車、借りたかぁ……。
迷う、迷いすぎる……自分でも少し優柔不断な性格だという認識はあるつもりだけれど、本当にどうすれば良いのだろう……。30分は経っただろうか、半日程度で、ただ遊びに行くだけだし、勉強という部分では嘘だけれど友達という面に偽りは無いし、という考えに及んで、予定通り進めてもらう事に決め、下井くんと有陽ちゃんに伝えた。
翌朝は9時30分に家の前まで迎えに来てもらう段取りになっている。ママには二人だけのお出かけに変わった事は言っておらず、この後有陽ちゃんを拾って3人になると信じているので、わたしのちょっとしたソワソワ感に気付くことも無く、出発の時間が迫っていく。
「パパが見ちゃうと事が大きくなりそうだから、ママがリビングで見張っている間に出てね」
キッチンのテーブル前に座って両手で湯飲みを抱えている時にそっと笑顔で言ってくれた。
お言葉に甘えて、5分前には外へ出られるようにと早々に靴を履いて準備に入る。スマホで時間を確認した時、運良くというかギリギリで追跡アプリが入っているのが頭に浮かび、アンインストールするのもおかしいし、
「良いお天気で良かった」
「そうだな」
何ともない会話から始まって、有陽ちゃんが来られなくなって残念な話へと続く。千葉へ行くとは聞いているけれど具体的な場所は地名を言われてもピンと来なかったので、とりあえず楽しみにして到着までの道程を走り進む。
下井くんの運転する車に乗るのは、これでもう4回目にもなるのに、初めて “意外と安全運転をする人だ” と客観的に見られるようになっていた。きっとこれまでは運転がどうとかそんな事を考える余裕が無かったのだと思う。仕事でしょっちゅう運転をしているから、意外とというのも失礼に当たるのかも知れない。
裕泰くんに関しては初めの内は全然そんなことは無かったのに、半年位前から運転をすると気性が荒くなる面が目立ち出したように思っている。イライラしているというか、助手席にいてそんな風に感じる事が確実に増えていた。
そんな理由で、さっき高速に乗り込む時にゲートを通過してすぐ、突然横から車が割り込んで来た時、咄嗟にブレーキを踏むことになった下井くんが、
「悪ぃ」
と言って、前に若干傾いたわたしの身体を支えようとしてくれたのが新鮮で、ちょっとだけ嬉しくもなっていた。
同じような場面で、裕泰くんが「急に出てくんなよ」と怒っている所を見たことがあるし、それ以外にも「どっちに行きたいんだよ」とか独り言を言っているのを目の当たりにしているので、余計にこういうごく自然に出る優しさのようなものを目新しく感じたのかも知れない。
それは現地に着いてからも同じで、
「大丈夫?疲れてない?」
と、わたしはこの佐原という所までの1時間半近くの間、ただ座って会話もそこそこに、主としては流れていく景色に目を向けていただけなのに、「下井くんこそ疲れないですか」と言いたくなる気持ちを飲み込んだりしていた。
まず駐車場の入り口にお休み処があって、ジェラートの写真を見つけ、寒いんだけど変わったメニューに興味をそそられて見ていると、
「好きなの選びなよ。俺のも買ってきて」
そう言うと、窓口にいた女性に先に会計を済ませて、併設されている屋根付きで多少の風なら凌げるようなスペースに座って待っている。わたしは醤油味、下井くんには薬膳生姜味を選んで持って行った。
「何これ? なんか変わった味するけど」
「何でもいいって言ったじゃん」
裕泰くん相手なら、どんな味かちょっとちょうだいとお願いしている所だけれど、下井くんに言えるわけも無く「美味しいでしょ?」と言うに納まり、不思議そうな顔をして食べるのを餌にわたしも自分のをスプーンですくっていく。
食べ終えてそこを出ると、小川沿いに昔ながらの町並みが柳の木の枝の隙間から見え隠れしていて、高い建物も無く、くっきりと晴れた空を仰ぐ事が出来て、とても心地よい雰囲気を醸し出していた。
「うわぁ、こういう場所好きだわぁ」
「2階の出窓みたいな感じ、素敵」
「見て、あの船頭さんの後ろ姿、なんか可愛くない?」
気分上々で、思いついた事を次々と口にするわたしを下井くんは微笑んで聞いてくれている。
ひとつ目の橋の近くまで行くと、突然橋の下の隙間のような所から滝のように水が流れ落ちてきて、そこには船着き場がすぐ横にあったので、小さな橋を渡って乗り場への階段を少し下り、近くで眺める事が出来た。橋の両側から水が出ていて、短い時間だったけれどその音にも癒してもらえた。
「あ、伊能さんの旧宅だ」
興奮冷めやらぬ内、道へ上がると素敵な街灯の隣にその案内を見つけた。真向かいの敷地内からは見学し終えた人達が出て来られたので、このシンプルな外観の格好良いお宅がそうらしい。わたし達はそのまま川沿いを進んで行く。
次の橋には信号機が付けられていて、赤だったため橋を又反対側に渡る形で向こう側へ戻り、そこからは川を囲むように時計回りに散策を楽しむ。
相変わらずわたしは、お店に掲げてある看板や暖簾のデザイン等にいちいち反応しては、下井くんの「そうだな」を聞きながらゆっくりと歩いて行った。
「線路があるね」
「魚! 何の魚かな、かわいい!」
早くも隅っこの方らしい橋に辿り着いていて、跳び跳ねたような魚の石像が目に入ったので近くへ寄って撫でる。「鯉だね、たぶん」……
平成七年に改修されたと書かれてあるのは見えたのだけれど、橋の名前がわからずにその回りを探り始めると、その様子を見ていた60代くらいの男性が「カイウンバシだよ」と教えてくださった。瞬時に浮かんだのは ‘海運橋’ で、どんな漢字なのかを考えている雰囲気を察知して、「運が開けるの、開運橋」とにこやかに続けられた。
それを聞いた途端、下井くんに「開運橋だって!何か良いことあるかな?!」と言い、中央まで渡って橋の上から歩いて来た方向を見返してみる。 ここからだと割に近代的な建物が目立つなぁ なんて思っていると、さっきのおじさまが、
「良かったら撮るよ?」
と、わたし達にサジェストしてくださり、観光客に慣れていらっしゃるのか、とてもスムースな流れで下井くんに「カメラどこ?」などと聞きつつスマホを手に取って指で支え、距離を開きながらベストアングルを確かめておられるようだった。
「車来るから早く早く」
躊躇して下井くんの顔を見ると、苦笑いを浮かべておじさんの方を向き、若干気だるそうではあるものの、手を後ろの欄干に乗せて立ち止まったので、わたしは小走りに近寄って
「OK」
御礼を言うと何も仰らずに下井くんにスマホを返し、爽やかな笑顔で左手を軽く2度縦に振る素振りを見せて去って行かれた。
「送るな。後で」
「あ、うん……ありがと」
「こっちに橋の名前、書いてあるわ」
橋を去る間際で下井くんに言われて見てみると、漢字でくっきりとその名前が浮き彫りにされているのがわかり、同じく上部には鯉が跳ねている。
わたしがまじまじと眺めていたからか、
「撮らないの?」と聞かれてスマホは家にあることを正直に伝えると、少しだけ場の空気がよどんだ気がした。
「そうなの? 興味無さ過ぎ」
冗談ぽく言ってくれてはいるけれど、ここは真面目に否定しておきたくなる。
「……ち、違うの、ちょっと
早くも歩き始めている下井くんの背中を追って必死に話し掛ける。
「今日、ここへ来るのに興味が無かったなんて事は絶対にないから……それに元々、写真とか上げるほうじゃないし……」
下井くんはわたしの顔を見て少しだけ
歴史を感じる外観はそのままの和食屋さんなんかがあったりしたんだけれど、学生のわたしには少しお値段の張る価格帯だったので、スルーしてさらに歩く。
「ここ、フランス料理屋なんだって」
商家に土蔵がくっついているような、そんな外観も入り口の暖簾も町並みを邪魔しないシックな感じで、言われるまでそうとは思えないでいた。
「入る?」
「ううん、やめておこう」
ちょっと贅沢で、やっぱり敷居が高く、何か温かいものを食べられるようなお店を探りつつ歩いては来たものの、お店に入るまでは至らない。そんな中、忠敬橋手前で鯛焼きを食べ歩きしている女性達に遭遇し、どこで買ったのか気になっていると、
「あっちから来たんじゃない?」
と橋の向こう側を指差して、誘導されながら一緒に歩いて行く。キョロキョロしながら進むと案外すぐの所で ‘古書’ とあったお店の軒先で、窓越しに鯛焼きを焼かれているお店を発見し、二つお願いすることにした。今回も支払いは下井くんがしてくれている。
「いまのとこ、甘いもんばっかだな」
「そうだね。けど皮がぱりぱりしててこれも美味しい」
「さっきの県道に ‘創業文化元年’って暖簾に書いてあるお店があった」
頬張りながら報告する。
「それって、いつ?」
「1804年だったと思う」
「そうなんだ、詳しいな」
「文化文政時代って覚えてない? ほら、比較的平穏で町人文化が栄えたって言われてる江戸後期の……」
「覚えてないというより、聞いた記憶がない……俺の記憶は室町まで」
「へぇ~! そっち派?!」
「どっちだよ」
聞いているのかいないのか加世子は「戦国~」とどちらかというと鯛焼きに夢中なまま、独り言のように呟いていた。
お店の横の路地を抜けて歩いてみると、伊能忠敬記念館へと出て来たので、大学で歴史学の分野に触れていることもあって、伊能さんの功績はやっぱり気になり、館内へ入る。
「すごいな」
「本当に。精度が高いよね……」
入口近くには当時の測量で作成されたものと現代の衛星写真で撮られた日本列島を重ね合わせて展示されていた所があり、聞いてはいたもののさすがに驚かされる。
景勝地をはじめ、地区毎の地図も展示されていたりして、想像以上の緻密さに、当時の御苦労と努力と工夫が垣間見えた。
「俺はこっちが良いな」
子供にもわかるよう伊能さんの歴史を簡潔にアニメにして上映しているコーナーで下井くんは立ち見を始め、わたしも隣で楽しむ。
こじんまりした館内だけれど中身は充実していて、とても良いものを見させてもらったという余韻に浸りながら、駐車場へと戻り、別の場所を目指した。伊能忠敬のことを ‘ちゅうけいさん’ と親しみと尊敬の念を持って呼んでいた中学生の時の先生の気持ちが前よりもわかった気がする。
「温かいものな……行くか」
シートベルトを着けながら下井くんはそう言って車を出した。15分位走った所で、見た目レストランなのかわたしには一見よくわからない、道路沿いの大きな看板だけが目立つ建物の前に入って行く。駐車スペースは郊外だからか結構広めで大きなトラックも停められていた。
お世辞にも綺麗でお洒落とは言い難い外見の建物に後ろから着いていくと、中には普段目にすることの無い一見変わった種類の自動販売機がいくつか並んでいるのが見える。
「この辺りが良いんじゃない?」
お蕎麦やうどん、ラーメン等と一部手書きで書かれた紙が貼られた自販機の前で立ち止まってわたしの方を向く。
「見ててみ」
お金を入れてボタンを押してからあっという間に出来上がったおうどんを取り出してわたしに見せている。
斬新……
「何これ? 超面白い」
思わずはしゃいでしまっているわたしを見て近くのテーブルに座っていたおじさんが、
「インスタント麺より早いよ」
と教えてくれる。
わたしも早く自分でボタンを押したくなって、鞄から財布を出そうとした時にはもう下井くんが小銭を手に持っていて、ニコッとしながら選ぶものが決まったかどうかを確認して機械に投入した後、肝心のボタンはわたしに押させてくれた。
ご丁寧にもあと何秒で出来上がるかというカウントダウンまで表示されて、わたしとしてはちょっとしたアトラクションのようで、最後の5秒は声に出して数える程に楽しんでいた。
取り出し口から器をそっと手に取り、ロボットのような歩き方で空いているテーブルへと運ぶ。その姿が可笑しかったのか、下井くんが若干半笑いになりながら、薬味をテーブルの上に置き、お箸を手渡してくれる。
「いただきます」
わたしはお蕎麦を選んだ。かき揚げのようなものが上に乗っている。
「美味しい……」
下井くんにそう言って、食べ進むお箸が止まらない。
「良かった。こういうの嫌がるかなってちょっと思ってたから」
早くも食べ終わっている下井くんは容器を片付けに立ち上がる。
隣のテーブルには煙草を吸っている男性がいたので、戻って来た下井くんにタバコは吸わないのか尋ねてみた。
「おい、まだ未成年だぞ。見た目で決めんなよ」
「あ、そっか」
同い年ということはそういうことだ。何となく忘れていた。わたしの頭の中のイメージとしては、つまようじをくわえて分厚い漫画を読み、つまようじはいつしかタバコに変わっているような、下井くんにはそういうのを想像してしまう。
「何?」
そんな思いでじっと下井くんを見つめてしまった。バレてはいないだろうか……。
食べ終わったわたしの器も下井くんが返却しに行ってくれて、その後はもの珍しい空間の中を二人でうろうろする。おやつやトーストなんかも自販機で売られていて、隣には昔懐かしい感じのゲームコーナーまであった。
「そろそろ行こっか」
…………もう?
帰ろうかと言われてすぐ、率直にそう思ったけれど、あらかじめ試験期間中だから早めに帰ると伝えていたわたしたちの希望を聞いていてくれたからこその言葉だとわかるので、「うん」と答えてここを後にする。
座席シートの感じとか、中の装飾とか、良くみるとレンタカーではないような気がしたので聞いてみると「先輩に借りた」という返事だった。「その人はヤンキーの方ですか」と確認して見たかったのを我慢してやめておく。
海とか霞ヶ浦とか、寄ろうと思えばいくらでも選択肢が有りそうで勿体無い気もしながら、家路につく。午後になってもお天気は良くて、良い感じで陽射しが車の中に降り注ぐ中、下井くんの仕事の話や、そこで遭遇した面白かった話とか、わたしの学校の話まで行き道の何倍かは話している気がする。
「有陽ちゃん、何してるのかなぁ」
スマホを置いてきているのでメールを送ることが出来ず、もどかしい。携帯電話もシューズクローゼットの中に隠した方が良かったかな等とも考えていた。
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