『コドモハ旅ヲスル六帖線』

福岡辰弥

コドモハ旅ヲスル六帖線

 日常的に六帖線ろくじょうせんに乗らなければならない。六帖線に乗って古杖都こじょうと方面と神楽府かぐらふ方面を行き来して、私は仕事をする。何かを運んだり、何かを届けたり、何かを買いつけたり、何かを売りつけたりする。そうして手に入れるお金を生活費と六帖線の代金に換えて生活をする。それが私の日常であるから、私は日常的に六帖線に乗らなければならない。運転手の顔など知らぬし、運転手が存在しているのか、また決まった運転手が毎回の六帖線を運転しているのかすら分からないが、もしかすれば私はその運転手よりも六帖線の客席に関しては詳しいのかもしれないと錯覚出来るほどに、六帖線に乗っているのである。もし運転手が交代制であるのなら、当然そのはずだが、乗っている回数は、その運転手より多いかもしれない。いや、きっと多いことだろう。そのはずである。毎日一度、始発の六帖線に乗って古杖都から神楽府へおもむき、そして最終の六帖線に乗って神楽府から古杖都へ帰るのである。だからきっと、毎日六帖線に乗っている私の方が、運転手より乗車する回数は多いだろう。しかし、こうも毎日六帖線に乗っていると、毎日六帖線に乗っていると疲れたりはしないのですか? と訊かれることがあるのだが、生きることが毎日六帖線に乗ることと同じ意味である私だから、私は毎日六帖線に乗っていて、疲れる、などということがないのである。それは幼い頃の私が聞いたら驚く事柄であろうが、実際、経験してみれば、なんとかなってしまうものであると、断言することが出来る。

 私は今日も六帖線に乗っている。六帖線の客席は通路を挟んで二席ずつであり、全部で五十二席ある。六帖線そのものの車両は五つだ。乗車券を買うときに席の指定をすることも出来るが、私は毎日の六帖線の乗車賃を安くするために、自由に座れる切符を買っている。私が乗るのは始発と最終であるから、席がないということはほとんどないのであるが、大口の観光客がいる場合などは二時間ほど立ちっぱなしを強要されることもある。しかし毎日六帖線に乗っていれば、六帖線での移動時間の二時間など長くも感じなくなるものだ。往復四時間席がないとしても、車両連結部分で座り込んでいれば大丈夫だし、その場合も、人々が移動する際に邪魔にならないようにしていれば、文句をつけられることもないのである。であるからして、私はいつも自由席を購入する。指定したところで、指定席以外には動けないというのも悲しいのだ。指定席は指定席であって決して自由ではない。

 発車の十分前に私は六帖線の席に座った。今日も六帖線はいている。そもそも六帖線を利用してまで神楽府や古杖都に行き来する必要がないのである。私は仕事上乗る必要があるが、普通の人々はその町だけで生活は成り立つし、他の地方に行ってまですることは、その地方でしか見られない何かを見たり、誰かに会ったり、あとは普通に観光をするくらいなものである。だから特に、古杖都から神楽府に向かう際には観光客が多い。神楽府は観光地としてとても有名な場所であるからだ。そして帰りは逆の乗客が多くなる。つまり、私が乗ることになる古杖都発神楽府行の始発と、神楽府発古杖都行の最終は、その団体と乗り合わせる確率が高いということになるのだ。しかしそんな計算をしたところで今日のようにがらがらである場合もあるのだから、その日その日で判断をするのが一番であるように私は思う。手荷物の整理をして、前方に備え付けられたテーブルを倒して、私はその上に薄型のノートパソコンを展開した。

 今日の仕事は難しいことではない。あの手この手を使って手に入れた世にも珍しい羽の生えた猫を売りつけるというただそれだけの仕事である。元来猫という動物は野良で見つけることが至極困難である動物であり、最近ではもっぱら、私のような売人や、海猫うみねこの卵を譲ってもらうとかでしか手に入れることが出来ない状況にあるのだ。人が猫に住みにくい環境を作ったという考え方が出来るし、あるいは猫が家を持ったという考え方も出来るが、私のふところうるおうのであれば、そんなことはどっちでもいい。しかも今回私が手に入れたのは羽の生えた猫である。こいつを私が客に八十万円で売れば、六帖線の往復分の乗車券である三万円を差し引いて、七十七万円の儲けになる。確かに移動は面倒であるが、猫を宅配便などで配送することは禁止されているから、仕方がない。だから私のように、地道に六帖線に乗って動物を売る人間が重宝ちょうほうされ、また儲けられるのである。八十万円という値段もまた、法外ではない。私はこの猫を手に入れるために、移動費などで十万円ほどの財力を使っているのだ。結果的に私の儲けは六十七万円になる。日給六十七万円と考えると非常に良い感じもするが、たまにこうした美味い仕事をするためには何ヶ月も準備期間が必要だ。であるからして、今回の場合、実際のところは、二ヶ月で六十七万円。日給に換算すると、一万円と少し、といったところか。いやしかし、そういう仕事をする今日のような日でも、神楽府に行って他の仕事を取り付けたり、進行中の仕事の相談をしたりするのだから、考えようによっては、割に合わないのかもしれない。裕福ではあるが、満足はしていない。

 そんな仕事を割に合わせるのが、六帖線での往復四時間の移動時間である。この時間は私のプライベートと言っても過言ではない。私は開いたノートパソコンにヘッドホンのジャックを差し込んで、音楽プレイヤを起動し、音楽を流し始めた。そもそもは音楽を聴くことのみに特化した音楽プレイヤを使えばいいのだが、いつ仕事のメールが届くか分からないこの状況では、やはり、ノートパソコンを使う方が効率が良いのである。私はバッグの中から、六帖線の駅に来る前に早朝三時間だけ営業しているコンビニエンスストアで購入した朝食をノートパソコンの脇に並べ、ペットボトルをボトルホルダに設置した。メールの着信があればヘッドホンに着信音が流れる。画面の電源をオフにして、ノートパソコンを生かしたまま、その照明を消した。これであとは六帖線が発車するのを待つだけである。私は目をつむって、出発を待つことにした。

 しばらく待って、再生した音楽プレイヤが一曲目を終わらせると同時に、私の座席が揺れた。もう出発の時間だろうか、アナウンスは聞こえなかったが、と、薄目を開けると、隣に小さな子どもが座っていた。何故こんな席に子どもが? 想像するに、恐らくは客なのだろう。私が客であるように、この子どもも客である。だから自由席の乗車券を購入しているのであれば、どの席に座っても自由である。何しろこの車両は自由席であるのだ。指定されているわけではない。しかし、だからと言って、わざわざ私の隣に座るというのはどういった了見だろう? 席はまだいくらでも空いている。ふと見た背後の席も、誰かが座っている様子はない。しかし、どいてくれというのもどうかと思う。他人とは出来るだけ関わらないのが得策であるのだ。どんなに嫌なことが起きても、これから二時間座りっぱなしである。面倒事は起こしたくない。

 私はそっと目を瞑り、再び音楽に集中することにした。見たところこの子どもは小学生程度の年齢であるように見える。しかし両親が見当たらないところを見ると、一人旅なのかもしれない。もしそうなら、一人で座るのが不安なのか、あるいは、二つ席が空いているのに一人で座るのがいけないことだと思っているのだろうか。確かに私が座っている席は三号車の一番前の席である。基本的に前の席から詰めて座るという感覚や教えが備わっている子どもなら、それも納得のいく話だ。それに、私は毎日六帖線に乗るのである。こうして隣に誰かが座ることは、少なくない。こんなことで気を荒げるのはよくないと、私は冷静になることにした。

 ヘッドホン越しに聞こえる発車のベルで私は六帖線の発車を知る。後方に引っ張られる感覚とともに窓の外に見える景色が過去に置いていかれた。さてこれから二時間、ゆっくり休むことにしよう。私は発車を合図にノートパソコンの隣に置いた朝食に手を伸ばす。今日の朝食はおにぎりにしておいた。パンも良いが朝は米を食べる割合が格段に多い。恐らくこれは私が純然たる日本人であるからだろう。ペットボトルホルダにセットした日本茶を取り出して、まずはそちらで喉を潤す。そしてビニルテープを剥がして、おにぎりを作成し、口に運んだ。

 ふと隣から視線を感じてそちらを向くと、隣に乗った子どもが私を見ていた。お腹でも空いているんだろうか? しかしそれほどえた視線ではない。そもそも、この子どもは不相応ふそうおうなほど大きなリュックを膝の上に抱えていた。お菓子や朝食が入っていても不思議ではない。私はその視線を無視して食事を続け、再び目を閉じる。よくあることなのだ。隣に変な人間が乗り合わせてきたり、時には液体が乗り合わせていたり……よくあることだ。よくあることである。よくあることはつまるところ、動じるほどのことではないということだ。

 私がそうして食事を続け、浮摘ふづみ市の特産品である青色の辛子明太子が入ったおにぎりを食べ終え、日本茶で喉を潤しても、子どもはこちらを見ていた。一体どういうつもりなのだろう? しかしそこに敵意が感じられるわけでもなければ、嫌悪感や、憎しみも、ないのである。ただ呆然と純然と、私を見ている。私のような面白みのない人間は面白みがないだけあって、やはり見ていて面白いものではない。だからこの子どもが私を見て面白がっている可能性は非常に低いのである。果たして、それともこのヘッドホンが面白いのだろうか? しかし子どもの視線は私の目玉の中にある黒さを確実にとらえている。有り体に言ってしまってこの状況は見つめ合っていると言っても過言ではない。私は両耳を刺激する、『プラボージ』が唄う「闇嘘畑やみうそばたけの収穫祭」のベースラインに魅了されてかどうか、子どもから目を逸らすことが出来なくなってしまっていた。恐ろしい目力とでも言おうか、何か心の奥底、つまり、網膜の奥、水晶体そのものを見ているような、いや、もっと恐ろしいどこか遠く、頭蓋骨の穴の内側を観察するような視線であった。ここで目を逸らしたら、私はこの子どもから何かわざわいを受け取るのではと恐怖し、目を逸らせず、手に持っていたペットボトルをボトルホルダに返して、息を吐いた。そしてようやく、この言葉を子どもに言うことが出来るようになったのである。

「君はそうか、なるほど、何か、私に対して思うところがあって、その席に座り、私を見ているのかい? そうでないのなら、その、力強い視線を私に送るのは、是非ともやめて欲しいのだが……この願いは聞いてもらえるだろうか?」

 私は迫力負けをしてしまっていたので、小さな子ども相手に丁寧語で言った。しかし子どもは私から目を逸らすどころか、言葉も返さずに、リュックを抱えていた手を放して、自身の両耳に当てた。そこで私ははたと、自分がとんだ無礼を働いていることに気づく。が、次の瞬間には本来はこの子どもが始めた無礼だと思い返し、少し気を害したが、ヘッドホンは外して、ノートパソコンのキーボードの上に置くことにした。大人らしい対応である。

「これは失礼した。けれど、しかし、君が私を見ていることも失礼に値する。君のご両親がどんな方針で君をしつけているのかは知らないが、見ず知らずの人間をそうまじまじと見るものではない。これは、もし君のご両親がそう教えていたとしても、やめるべき事柄だ。私が不愉快なだけでなく、これを続けることで、将来の君にも不利益が降りかかるべきことである。分かるかな?」

「分かります」

 子どもはそして、初めて口を利いた。その声はやはり子どもらしいたどたどしさと甲高さを持っていたが、冷静さも持ち合わせているようななんとも不思議な声色であった。少なくとも私がこの子どもと同じくらいの年齢のときには出来なかった喋り方である。私は少しだけ怒りを鎮めることが出来た。何故なら子どもは、私が忠告してすぐに私から視線を外したのである。

「どうもありがとう」

 私が言うと子どもは、「こちらこそすみません。ただ、この六帖線での片道二時間の移動があまりに暇であると予想したので、あなたに話し相手になっていただければと思ったのです。しかし、ヘッドホンをつけて、目を瞑っていたものですから、声をかけても聞こえないのではと思い、見つめることにしました。気分を害したのであれば、もう一度、謝ります」と、ひどく丁寧に、子どもとは思えぬ口調で言ったのである。私はそれに驚愕した。どうにもしつけは出来ているようだが、何か子どもとして持っていなければならないものが足りないようにも思える口調である。一体全体、この子どもはなんなのだろう? 私はつい先刻まで抱いていた怒りやそれに似た感情をほとんどてて、この子どもに対する興味を膨らませてしまっていた。

「なるほど。いや、君がそういう意図なら、私としても君と話をすることはやぶさかではないよ。二時間ずっと聞き飽きた音楽を聴いているというのも、味がない。君から質問をしてくれるようなら、それに答えるくらいのことは、なんでもないことだ」

「そうですか」子どもは一息ついてから、「ではまず自己紹介をさせてください。自分はユキグサと言います。漢字の名前ではありません。カタカナでユキグサと書きます。漢字では、冬に降る雪に、地面から生える草を当てています。お好きなように呼んでくださって構いませんし、君、と呼んでくださっても結構です」と、およそ子どもらしくない自己紹介をした。しかしユキグサとはまた珍しい名前である。どちらかと言えば苗字向きの名前であるが、苗字に漢字が当たらないということはないだろう。最近は子どもの名前も多様化しているというし、驚くほどのことでもないのかもしれない。

「それでは、特定の場合はユキグサ君、日常的には君と呼ばせてもらうことにするよ」と私は言った。話の流れで思わず私から何か話をしてしまいそうになったが、私から子どもに何かを尋ねる必要などないのだ。確かに半分興味は持っているが、半分は、まったく、興味など持っていないのだ。出来れば私はこのまま一言も喋らずに音楽を聴き続けていたいとも思っている。半分と半分である。九割と一割ではない。五割と五割。五分五分であるのだ。しかしそれでは一割になってしまうから、やはり五割五割の割合が一番である。

 子どもは一瞬を置いてから頷いて、「君づけで呼ばれるのも、悪くないものですね。初めての経験ですが……では、そのようにお願いします」と、丁寧に私に言ったのである。この子どもは、君づけで名前を呼ばれたことがないと言う。なんということだろう。恐ろしい子どもである。私はとんとこの子どものことが理解出来ずにいるのに、子どもはそんなことはお構いなしに続けて、「自分は両親に言われるがままに、この六帖線に乗っています。なんでも、可愛い子には旅をさせろという精神らしいのです。困った話でも、酷い話でも、ないのですが、しかし子どもにも子どもの都合というものはなくもないのです。なのに両親は、それが至高のものと信じて疑わないのです。子どもの否定は疑って、自分どもの信条を疑わないのです。そんな両親を、どうやって信じれば良いでしょう? しかし、そう険悪な雰囲気を作り出すのも得策ではないので、自分はこうして、六帖線に乗っています。しかし、あまりに急な出発だったので、六帖線での暇つぶしについて考えていなかったのです。お恥ずかしい限りですが」と言いながら、初めて子どもらしい恥じらいの表情を見せた。まったく無感情でまったく無感動でまったく無気力な子どもというわけでは、どうやらないようであった。これは助かることである。性格や気分のない人間を私は得意としないのである。名前や住所のない人間とも会話は出来るが、性格と気分のない人間だけは苦手な人種である。

「そんなご両親を持って、さぞかし大変だろう。しかし、小さい頃にしておく経験というものは、全て大人になって財産になる。言わば先行投資だ。分かるかい? 先行投資。例えば小さい頃に犬を食べたことがある人間は、大人になってそれを自分の子どもに伝えることが出来るし、お爺さんになってから孫に話すことも出来る。いや、犬を食べるという例はよくなかったかもしれない。しかし、そうだ、五陸ごりくミルクココアを飲んだことがあれば、それは貴重になるだろう。知っているかい? 五陸のミルクココアのことは」

「いえ。自分の出身は弓革区ゆがわくで、実はそこから出たことがありません。今日が初めての遠出です。弓革区で生まれ、弓革区で育ち、今日、初めて外界げかいに出ます。六帖線などという乗り物に乗るのも、今日が初めてです。しかしまあ、乗ってみればなんとかなるものでした。小さい頃の経験が財産になるというのは、両親も似たようなことを言っていましたが、そういう言い方の方がなるほど、説得力がありますね」子どもはそう言いながら、膝に抱えていた大きなリュックを開くと中から四角い箱を取りだした。私は反射的に、「それは?」と尋ねた。自分から話題を振るつもりはなかったがこれくらいは許容範囲だろう。

「これは母が作ってくれた朝食です」

 子どもは簡潔に答えた。そして箱を開いて、その中に詰まっている料理を見て、溜め息をつく。見るからにお弁当であって、それ以外の何ものでもなかった。マニュアル通りと言うべきだろうか。タコを模したウインナに、焦げ色をつけた卵を巻いた卵焼き。これは色合いから俗に虎焼きと呼ばれているようだ。私はまったく虎に関係しているようには思えないのだが、ショッピングモールやデパートやスーパなどが卵を売るために考えた名前なのだろうか? 白米の部分には桜でんぶが振りかけられて桜の木らしきものが描かれている。簡単に言ってこのお弁当は子どもが喜ぶアイテムを詰め合わせたお弁当であった。今の世の中は子どものことを考えずに一方的に子どもが喜ぶとしてこうしたお弁当を作る親が増えていると聞くが、現物を目にしたのは初めてであった。これは恐らく、母親が作りたいだけであって、自分にこんな腕があると、子どもを通じて誰かに自慢がしたいだけなのだろう。私は少しの同情を子どもにかけてしまったので、そのお弁当について何かコメントを残すことは出来なかった。

 子どもは意を決したように頷くと、箱の蓋についていた箸ケースから箸を取り出し、そのお弁当を食べ始めた。ふと時刻を見ると、午前七時である。恐らく午前七時に食べろと念を押されていたのだろう。それとも、朝食は午前七時以外には食べてはいけないと家で教わっているのだろうか? この子どもの生活について少々ながら不憫ふびんさを感じながらも、この子どもが黙々と朝食を食べ始めたので、私も残っていた山鮭のおにぎりを食べることにした。おにぎりが二つで、朝食は十分である。もしお腹が空いたときには、バッグの中に忍ばせている緊急用の菓子パンを食べればいい。

 子どもと私は会話をしないまま、一人ごとに朝食を行っていたが、流石に大人であるからか、それとも量が少ないからか、私の方が先に鮭のおにぎりを食べ終わった。子どものお弁当は、微妙な進行速度で食べられている。子どもというものは食事をするのが遅いのが常だが、それは何故だろうか? 食べるのが下手なのか、焦る必要がないからか。それとも食べることにまだ慣れていないからだろうか? 私はそんなことを考えながらも、ずっとそうして子どもを見ている行為が先ほど自分がされたことと同じであることに気づき、「ユキグサ君が食べ終わって、まだ私と話がしたいようだったら、話しかけてくれるか。私は音楽を聴いていようと思う。今度は肩を叩いてくれたらいい」と言って、ヘッドホンに手をかけると、「あの」と、子どもは焦ったように声を上げた。

「何?」

「肩?」

「え?」

「肩ですか?」

「肩が、どうかした?」

「肩を叩けって、そう言ったんですか?」

 子どもが何をそんなに肩について疑問視しているのか分からなかったが、「確かに、そう言った」と、私は肯定する他なかった。そして、子どもは食事をする手を止めたまま、しばらく考えて、呟くようにぼそりと、「何故、大人は肩を叩かれるのが好きなんでしょう……」と言って、眉間に皺を寄せた。私はそれでようやく子どもの疑問点に気づくことが出来たので、答えることにする。

「いや、そうではない。君がご両親にお願いされるような肩叩きとは違って、こう、呼びかけるように」と、私は実際に子どもの肩を叩いてみせた。「こうして叩けば、ヘッドホンによって音が届かなくとも、呼ばれていることに気づけるだろう? だからこれを、肩を叩くと言うんだ。確かに、肩叩きと同じ言葉だが、こういう場合には、こちらが優先されることを覚えていたほうがいい」

「はあ、確かに、ここも肩ですね」と、子どもは言って、視線を私から急に外した。先ほどの、人を見つめるのは失礼だということが、身に染みているのかもしれない。学習能力のある子どもだが、臨機応変ではないようだ。「それでは、食べ終わったら、肩を叩かせてもらいます。どうぞ、音楽というものを、聞いていてください」子どもは言って、また黙々と、朝食を食べ始めた。音楽というもの、という言い方に少々の違和感を覚えたが、私は何も言わずにヘッドホンを耳に装着した。すると、どうやら音楽が流れっぱなしになっていたようで、私の耳には『ノーガライズ』というロックバンドが歌う『パールナロック』という曲が流れていた。先刻、子どもと会話をする直前に聞いていた、『闇嘘畑の収穫祭』といい、最近の音楽シーンは、よく分からない題名をつけることが流行っているようで、それはバンド名にも言えることだった。私は音楽は聴くことが専門であるから、そこについて色々と講釈を垂れるつもりはないが、何というかこうしてつちかわれる最先端の音楽シーンも、いずれは廃れて過去の象徴となり栄光の軌跡になるのだと思うと、虚しい気持ちがしないでもない。似たようなヴォーカリストの声質に似通ったリズム、そして同じようなことを唄う歌詞。それが時代になりそれが過去になりそれが歴史の一ページになるのだろう。それはこの六帖線という五年前に最先端であった乗り物にしてみても同じことが言えるし、動物を売り買いする私のような職種にも、同じことが言えるのだ。いつの時代も変わらないものとは果たしてなんだろうか? それは人の心だとでも言うのか?

 私は音楽を聴く。やれ似たものだやれ独自性がないだやれ二番煎じだと言う割には、私はこれが嫌いではない。似ているということは自分の好みである音楽の新しい曲を短いスパンで何度も得ることが出来るということだし、独自性がないと嘆くのならば違うジャンルのものを聞けば良いだけであり、二番煎じは決して悪い意味ではないだろう。そのくらいが丁度良いと感じる人間だっているのだ。現に私がそうである。ポストに位置する、似ながらも独自性を追求しようとするミュージシャンの音楽が好きである。私はこの六帖線での移動四時間でしか音楽を聴かないが、それは私が六帖線で移動する間にする暇つぶしとして最も効率的であることと、私が乗り物に乗りながら長時間文字を眺めると酔うという性質から来ているものである。私は読書はしない。活字など読めない。元来私は読書という文化からかけはなれた位置に存在している人間なのである。それに、一方的に与えられる情報のほうが私は好きである。家ではテレビをつけっぱなしにしていたい。自分から労力を使ってまで何かを得ようという考えがそもそもバカげていると、私自身は考えている。

『極悪団シャトルミサイル』というパンクバンドの『ロケットヘッドバッドパン』なる耳に心地良い雑音が佳境かきょうに入ってきたところで、私の肩に振動が発生した。薄目を開けて横を見ると、子どもが食事を終えたらしく、既にリュックにしまったのだろう、四角い箱は存在していなかった。私は今度はノートパソコンに表示されている音楽プレイヤを停止させて、ヘッドホンをキーボードの上に置いた。

「食事が終わりました。お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」と子どもは何の変わりもなく言った。丁寧なのか、感情がないのか、それとも敬いの気持ちが感じられないからそう思うだけなのかバカにされているような気さえしながらも、私はあまり、そのことについて考えることをやめていたので、「構わないよ」と、返事をした。

「一人でいるのも、というか、厳密に言うと一人ではないですけれど、こうして黙々と食事をしている分には、そう暇である感じはしませんでした。しかし、やっぱりこれからあと一時間以上もある移動を一人で過ごすのは暇だと思いました。ご迷惑でなければ、お付き合いいただきたい次第です」

「お付き合いとは言っても、私はユキグサ君、君の話に応答するだけだ。だから、私からの自発的な質問とかはないけれど、それでも構わないかな? 私は案外、冷酷な人間なのだと思うよ。何が冷酷って、こうして君に付き合うそぶりを見せて、それを微塵みじんも楽しそうだと思っていないところや、突然話を切り上げたがることも考えられるところだ」私は子どもに対して言うセリフではないと思いつつも、この子どもなら理解出来るだろうと思い、言った。「まあ、そんな大人との会話でいいのなら、付き合おう。何でも質問してくれ。身勝手さは大人の特性だが、自分勝手さも子どもの特性であることを理解した上で」

 子どもはそして、しばらく考え始めた様子である。どんな話をするか、考えてからする、というのは既に、気楽な会話ではない。しかし子どもにとってはそれが当然であり普通なのだろう。私は特に言葉を挟むこともなく、ただぼんやりと思考の海にサーフボードを浮かべて、波にも乗らずにただサーフボードに乗ることにした。海は赤い。空は白い。声は青い。人は暗い。足は多い。月は遠い。夜は嫌い。朝は無い。嘘は愛。形は戻らない。答は築かない。涙は答えない。緑は流れない。だからサーフボードは流れない。私のサーフボードは緑色ではなかったけれど、海が赤い時点で、もうそれは決まりきっていることだったのだ。だから私は安心して思考の海で浮かんでいられる。気をつけなければならないのは、思考の海に駐在ちゅうざいするピラニアもどきたちが、そっと私のほぞをかみちぎったときに流れる血が、海の色と同じで気づけないときだ。ピラニアもどきの窃盗せっとうは素早く痛みもないから、私はきっと、臍がなくなってそこから宇宙が見えていても気づけないだろう。何故って私のサーフボードも赤いのだ。臍のあった部分から血が流れ始めたことに、気づけるはずがない。

 日常的に冷静でいなければならない。冷静であることがそのまま得に繋がるかと言えばそう結論づけることは難しいが、冷静であることで得になりそうな話かそうでないかを見極めることは別段難しいことではないであろうと私は思う。そういった観点から言えば、この子どもとの会話は私にとって得に働くとは考えにくく、あったとしても、この子どものご両親を相手に商売をする程度の計算しか思い浮かばなかったが、どうにもこの子どもが自分の両親について話したがるとは思えなかったし、見たところ邪推じゃすいではあるが両親との仲が良いようにはとても見えなかったので、私は損得勘定の一切を捨てて、この子どもとの会話を行うことにした。そしてついに子どもは、考えていた言葉を口に出して、初めて空気に触れさせることで、コトバニクスというとある科学者の発見した言葉の元素を言葉に変換しはじめたのである。

「自分は両親に期待されて育っているんです。あなたは頭の良い方に見えるので言うのですが、自分は年齢に対して異常などほどに頭脳が発達していると思います。普通の言い方をすれば、頭が良い、ですか。なので、両親はそんな自分に、期待を背負わせています。しかし、それを、決して重荷とは感じません。両親の立場になって考えれば、五歳でここまで発達した頭脳を持った子どもが生まれたら、期待するのは当然のことですから。重荷とも思わず、わずらわしいとも思いません。けれど、何を思っているのか、そんな自分が反発しないことを両親は不安に思っているようで、自分の思い通りに生きて欲しいと思っているようです。どうでしょう、少し、笑えますか? 自分はまったくこのことを鬱陶しいと思っているわけではないのに、両親は自分が鬱陶しいと思っている……と、勝手に思っています。そう思いこんだ人間に対しては、肯定することも、否定することも、難しい。だから自分は、両親の言われた通りに生きることが得策だと感じて、生きています」

 子どもは言った。私はそれに対してどんな返答をするべきか困惑したが、すぐに、これは質問でもなければ、問いかけでもないことに気づく。子どもは独白しているだけである。私が子どもに何か言う必要はないし、元気づける必要などもってのほかであった。というよりはそれは子どもに対して無礼にすら値するであろう。話を聞く限り、また、言葉を聞く限り、あるいは、音を聞く限りにおいて、この子どもは私から励まされることを望んでいないはずである。そして恐らくこの子どもを励ましたら、それを丁寧に受け取ることだろう。そうして私という大人を傷つけないすべを、五歳にして、持ち合わせているのだ。それは恐ろしさだろうか? あるいは魅力だ。それとも暗黒だろうか? 闇や暗黒というものはこうした際にようやく肉眼で確認出来るようになる。この子どもは暗黒や闇の具現化であるのだ。私はついにそのことに気づくことが出来た。まったく大人になると、当然のことに気づくまでに時間がかかる。

「ああ、失礼しました」子どもは言う。「意味のない発言をしました。愚痴、というやつでしょうか。いえ、愚痴などではない、という愚痴ですね。愚痴を言うような生活は送っていない、という愚痴です。つまりは愚痴ですが、しかし、そこに愚痴の悪さは備わっていないので、やはり愚痴ではないのでしょう。結果的には愚痴ですが、成分は愚痴ではありません。そう、しかし、そうした愚痴が内包された時点で、全ての話題は愚痴に繋がるのかもしれませんね。あなたは愚痴ってなんだと思いますか?」

 ここで初めて、私は子どもから話題を、というか、質問を、振られた。愚痴とはなんだと思うか? 愚痴は愚痴であってそれ以外のなにものでもなく、それ以上のなにものでもなく、それ以下のなにものでもなければ、それ以前にもそれ以降にも何も存在しないのである。しかしこの子どもはそんなような、毎朝ポストに届けられるポケットティッシュの裏側に書かれた広告の隅に記載されている常套句じょうとうくのような返答を求めているわけではないのである。だから私はたっぷり二秒考えて、「愚痴はおしゃべりの別名だ」と答える。小どもは一旦、バカを見るような目つきで私を見た直後、表情を変えて、「そうか」と一人呟いた。

「愚痴であるかないかというのは観測者によるということですね。なるほど。だとすれば、自分が愚痴だと思わずに言った言葉も全て、あなたにとっては愚痴に感じられるかもしれない。そして、そう感じられた時点であなたにとってはそれは愚痴で、あなたにとって愚痴であればそれはもう愚痴ではなくなれなくなるということですね。いや、確かに、その通りでした。あなたが頭脳明晰で助かりました。もう少しで自分は愚痴の大蛇だいじゃに頭を食べられるところでした」

「礼には及ばないよ」と私が言うと、それに呼応するかのようなタイミングで、私と子どもの乗っている席の左斜め前にある扉が開き、六帖線名物である飴玉を車内販売をする老婆が現れた。一袋に七粒入っているその飴玉は、一袋で五百三十二円する。私は毎日この老婆とすれ違っているのでこの老婆とは当然顔見知りであり、老婆は当然のように私に頭を下げた。私もこうべれたが、今日はそれ以外にも用事があったので、「お姉さん」と声をかけた。

「はい、何か?」と、きびきびした様子で老婆は応じる。声質だけを聞けばまさに二十代になったばかりの女性と言っても過言ではないのである。私は、「久しぶりに飴を食べたいのです。どうか、一袋くださいませんか」と老婆に頼んだ。老婆は非常に刺激的な声で、「五百三十二円になります」と言って、私に飴玉の入った袋を渡した。私はポケットから小銭を取り出して、六百円を払い、お釣りは老婆がそのままくすねてしまう。それは世の常であるので今更何を言うでもないのだが、なんというか、こういう現場に遭遇する度に、不思議な常であると思わずにはいられない。だから老婆の物売りは恐ろしいのである。しかし老婆はにこやかな笑顔を浮かべたまま、「またどうぞ」となまめかしい声で言ってから、乳母車うばぐるまを押して、私と子どもの横を通り過ぎていった。

「飴玉ですか」と、子どもは私の手に握られた袋を見て言う。「好きなんですか?」

「好きというほどのものではないが、今日は君がいるから試しに買ってみた。実を言うと今までに一度も、六帖線で飴玉を買ったことはない。だから今日は買ってみようと思った」私は自分でも言っている言葉の意味が通じているか不安になったが、構わず「君も食べなさい」と、袋を開けることにした。

「あなたが一度も食べたことがない飴玉を、自分が貰うわけにはいきません。なら、自分も買います。旅先でものを買う程度の小遣いは、両親がくれました。五百三十二円なら払えます」と子どもは言ったが、私は大人である。子どもと大人。それだけでこの贈呈ぞうていに不備はなくなる。「いいから食べなさい」と、私は瑠璃るり色をした飴玉を子どもの口の前に差し出した。子どもは観念した様子で、私の手から飴玉を口だけを器用に使って奪い取ると、口の中に含んだ。

「どうだい? その色の飴玉は、何の味がするのだろう」

「これは……」

「うん?」

「なんというか」

「うん」

「どこかで舐めたような」

「ほう」

「……」

「なんだい?」

「……」

「何の味だい?」

「分かりました。分かりました。ああ、これは、空の味です」

 子どもは言った。空の味? 瑠璃色はなるほど空の色だから、空の味であるようだった。市販の赤い飴玉が苺の味であるように、黄色い飴玉がバナナ味であるように、瑠璃色の飴玉は空の味であるようだった。それはさぞ爽快な味なのだろう。私は少しだけ、子どもに瑠璃色の飴玉をあげたことを後悔したが、帰りの六帖線でもう一袋買い、瑠璃色の飴玉を舐めることに決めた。しかし、瑠璃色か。確か英語ではラピスラズリである。ラピスラズリという言葉は、なるほど素晴らしい言葉であると思った。私はすっかり子どもに瑠璃色の飴玉をあげたことに満足しながら、さて自分も飴玉を舐めることにする。袋の中に手を入れ、ではこの飴玉はどうだろうと、残されたうちから、臙脂えんじ色の飴玉を取り出して、口に含む。そして口の中でころころと転がして舐めていると、ようやくこの飴玉が何味であるかに至った。

「どうでしたか? 何味でしたか?」と、子どもは無邪気に尋ねてきた。私は思わず、「いや、君に瑠璃色の飴玉をあげてよかった。この飴玉を上げていたら、もしかすれば私は警察に捕まっていたかもしれない。どうやら私の舐めているこの臙脂色の飴玉は、ワインの味のようだ。私はワインに造詣ぞうけいが深くないので何年もののワインであるかは分からないけれど、赤ワインであるということだけは分かる。なるほど、いや、危ないところだったな」しかしアルコールは恐らく入っていないのだろう。何しろ飴玉である。飴玉にはアルコールが入らないと、先日の選挙カーからうぐいす嬢が言っていた。あの選挙カーでの演説を聴いていなければ、今頃私は酔っぱらってしまっていたことだろう。認識の力とは恐ろしいものだ。

 飴玉はすぐに消えた。私は残り五つの飴玉の処分に困ったが、このまま食べ続けると最後に一つ残ることに気がついたので、もう飴玉を舐めることは終わりにした。袋をバッグの中に入れて、「これで飴玉は終わりだ。どうだった?」と子どもに自発的に尋ねていた。私は先刻から非常に自発的である。改めなければならないだろう。子どもは「とても美味しかったです。ありがとうございました」とおよそ子どもらしくない、しかしこの子どもらしい、ユキグサという人物らしい発言をしていた。喜んでもらえたようで、私は嬉しかった。

「それでは話が戻りますが」と前置きをしてから、子どもは話し始める。「愚痴の話が解決したので、ただの世間話をしましょう。あるいはそれも愚痴ですね。しかし、世間話は得てして不満を内包するのだと思います。ですから、気分を害しても機嫌は害さないでいただきたいところです。それで、そうですね、自分の今回の旅の目的は、両親の言うがままに旅をするという、非常に受動的なものなのですが、あなたはどういった理由でこの六帖線に乗っているのか、出来れば教えていただけませんでしょうか? 普通の会話って、こういうものですよね? 普通の会話がお嫌いでしたら、さっきしたような会話をすることも、可能ですが、どうでしょう?」と、子どもは言うので、私は答えることにした。

「私がこの六帖線に乗っているのは、神楽駅に行くためだ。そして、神楽駅に行くのは、神楽府にある乱槐みだれえんじゅ町に用事があるからなのだよ。乱槐町は知っているかい? いやすまない、君はそう言えば、弓革区から出たことがなかったのだっけね。古杖都の弓革区と言えば、名前の通り弓の生産が多いね。そういう観点で言えば、乱槐町に特産というものはない。あるのは土地だけだ。広大な土地だね。まあ、この国の九分の一が神楽府の乱槐町なのだから、土地はあって当然か。まあ、そういうわけで、私はその乱槐町に行くために、この六帖線に乗っている。まあ、神楽駅についてからも、何度か電車に乗らなければ乱槐駅にはつかないのだけれど、神楽駅から乱槐町は二キロメートルしか離れていないから、歩いていけないこともない。人力車もあるしね。ああそうだ、君の目的地は神楽府であることは分かるが、そこで何をするのだろう。これは興味本位からの質問というよりは社交辞令に近い。答えるかどうかは君が決めるべきだ」

 私が言うと、子どもは「自分は神楽府駅で親戚が待っているということなので、それからのことはその人に聞けと両親に言われています。心配だからと携帯電話を持たされていますし、何かあったら連絡しろとも言われています。それに、不安なことがあったら遠慮なく電話をしろとも言われているので、今電話をすれば今後の展開は予想出来るのですが、そうすることの必然性は確認出来ませんし、流石に車内で電話をするのは失礼でしょう。ああ、そういえば、こんなに大声で会話をしていていいんでしょうか? 少し、控えめにしたほうが良さそうですね……。電車に乗るのも初めてですから、必然的に、電車の中で会話をすることも初めてなんです」と子どもが言うので私は少しだけ腰を上げて背後を見るが、今日の乗客のうち、半分は屍であるようだ。だからうるさくしても問題はないだろうし、残りはみな、先ほどの私と同じようにヘッドホンをしていた。液体はいない。つまり、もし私が屍と人間を見分ける観察眼を持ち得ない人間であったりしなければ、この場で多少大声を上げても失礼には値しないということである。しかし、子どもが電話をするつもりがないというのなら無理にさせる必要はないだろう。携帯電話もすぐではないがいつかは金がかかる。見ず知らずの、というのは今の時点では不適切だが、つまりあまり親しくない人物に金を使わせるというのはいくらなんでも不躾ぶしつけであろう。私は「まあ、気にすることはない」と言うにとどめておくことにした。結果的には何ごとも起こさないのが重要な生き方の手本である。

「大丈夫のようでしたら、安心しました。実を言うと、さっき、飴を売りにきたお婆さんを見てから、この六帖線に恐怖を覚えているんです。ええ、お婆さんなんて見るのは初めてですから」と、子どもは言ったあと、付け足すように、あるいは脚注でもつけるように、私に補足した。「あの、弓革区には老人がいないという話は、ご存じでしたでしょうか?」

「もちろん知っているよ」私は答える。「弓革区は老人は魔法使いや魔女であるという信仰がまだ根強いんだろう? 確かに古杖都はそういう節があるね。古い杖、なんて、名前からして魔法使いを意識している。でも、魔法使いは十年前に廃止されたからね。魔女は迫害を受けただけで廃止まではいってないけれど、法律で禁じられるのももうそろそろだろう。ああ、ということは、その親戚というのは、君の祖父母かもしれないね。なるほど、神楽府はその点おおらかな町だから、老人であっても受け入れてくれるだろう。特に乱槐町は無法地帯にほど近いからね。いや、君の親戚がいるのが乱槐町と決まったわけではないのか。しかし、神楽府の九十九パーセントが乱槐町であることを考えると、残りの一パーセントに満たない五つの市町村区に君の親戚が住んでいる確率は、まあ低くて当然か。しかし、九十九パーセントと一パーセントなんて、考え方次第では同じような確率なのかもしれないね。要するに、九十九パーセントか、一パーセントかの、二択なのだから。大きな目で見ればそれは五十パーセントだろう?」

「そうですね。ああ、あなたが物識りで助かります。自分は生まれてから今日までの五年間でほとんどの知識を蓄えましたが、やはり、あなたの言う通り、この小さい頃の経験を財産にするための大本となる経験が、自分にはないのです。だから恐らく、自分は今、六帖線に乗っているのですね。しかし、足りない知識も多くあります。自分は、両親から弓革区には老人がいないという話や、自分の祖父母にあたる人物も弓革区には住んでいないという話こそ聞きましたが、その理由は、知りませんでした。なるほど、それには魔法使いが関係していたのですね。それは、昔の日本人が外国人を鬼だと感じたことと、似ているのかもしれませんね。あるいは、最近よくテレビで見ますが、今の中年には、若者は皆恐怖の対象に映るようですね。それは、どういった現象なのでしょう? ご存じでしたら、教えていただきたいのですが」と、子どもは言って、突然リュックを開き、中からカッターナイフを取りだした。カッターナイフというのは簡単に言えば腕を切る道具である。紙も切ることが出来るが、基本的な用途は腕を切ることだろう。紙はハサミでも切れるが、ハサミで腕は切れないのだ。切れるのは指ぐらいなものだろう。しかしいつまで経っても子どもは腕を切るどころかカッターナイフの刃すら出さないのである。一体どういう了見なのだろう? 私は仕方なく、それはひとまず無視して、子どもの質問に答えることにした。

「要するところ、私たち人間は自分の理解を超えた人間を迫害する傾向にあるのだよ。鬼もそうだし、魔法使いや魔女もそうだ。そして若者が恐怖の対象に映るというのはつまり、意図的に大人が若者を迫害している象徴だろうね。あと百年もしないうちに、若者にもそれ相応の名前がつく」と私が言っている間に子どもはカッターナイフの刃をチキチキチキチキと出し始めた。「それはカッターナイフだね」私は質問にならないように気をつけながら、子どもに言う。

「これはカッターナイフですね。ええ、両親が、というか、厳密に言えば母親が持たせたものです。冷凍したカジキぐらいなら切断出来るようです。何故こんなものを出したのか、という質問が来てもおかしくない状況であると察知したので、言いますが、さっきから、私の頭上にある天井から何か物音がするので、危険ではないかと思い、カッターナイフを出しました。ええ、何か、何かがぶつかっているか、こすれているかだとは思うのですが、何しろ、六帖線に乗るのは初めてなものですから、こうして防衛策を取ったというわけです。こんなカッターナイフでも刃物ですから、気分を害したようであれば、謝ります」

「いや、謝ることはないけれども」私は子どもの手に触れてカッターナイフの刃をしまいながら言う。「この音は星が落ちてきている音だから、心配しなくていい。ああ、星と言っても、それは俗称で、つまりはひょうだ。雹は突然降るものなのだ。だから雹と言う。雨のように予告がない。だから私たちは雹が降るときは常に六帖線に乗っていたいと思う。君も六帖線に乗っていて運が良かったね。六帖線に乗っていれば、雹からは逃れることが出来るのだから」

 子どもはカッターナイフをリュックの中に入れると、安心したように溜め息をついた。「ああ、雹でしたか。話には聞いていました。ここを通過するときは必ず降るのですか?」と見当違いなことを言うので、私はそれを正すために、「いや、六帖線に乗っていると遭遇する機会は多いが、必ずしも遭遇するわけではないよ。まあ、中々、かれこれ、中腹辺りまで六帖線が進んだということだろう」と訂正をした。時計を見れば現在時刻は七時四十分である。もう発車してから五十分が経っていた。あと一時間と十分でこの六帖線は神楽駅に到着する。この子どもとも別れることになるが、それは寂しいことではない。むしろ、私にとっては仕事が本筋であるのだから、子どもと別れることでようやく現実に戻れるということになるだろう。

「そうか、雹か。あれは、雹であって、飴ではないんですね?」子どもは尋ねる。「先ほど舐めた飴玉をこの六帖線の窓にぶつけたら、あんな音がしそうな気もします。けれど、雹は飴玉ではない。飴玉ではないから雹であるわけですし、飴玉と雹は等号では結ばれませんね。雹、飴玉、全然似ていない。なのに物質は似ている。形は似ているのに名前が似ていないというのはおかしな話ですね。何故でしょう?」

「どちらの質問に答えればいいかな?」私は尋ねてみる。

「どちらの質問に答えてくれますか?」子どもは答える。

「どちらの質問にも答えよう」そして私はまず後者の質問に答える。問題は常に新しいものから解決されるべきである。「形が似ているのに名前が似ていないという顕著けんちょな例は双子だ。三つ子でもいいし四つ子でもいいし五つ子でもいい。その上は少々現実味に欠けるかもしれないね。七つ子はまたこれはこれで一般的だが、まあとにかく、彼らは似た名前でないケースが多い。何故だ? 同じ人間ではないからであるが、もっとも分かりやすいのは区別のためだ。似ているから区別をしなければならない。よって名前が似ていないのだ。これで納得出来るだろうか? 雨と涙は形や性質が似ているが別物で別の名前だし、雨と飴は同音異義語だが形はまったく違うものだ。まず性質が違う。そして涙と飴になると名前も性質も似ていない。しかしどちらも積極的に訳すとドロップだ。こういう因果関係で結ばれているのも素晴らしいことだが、特に大した意味はない。まあ、意味に意味なんてないし意味は意味なんて持たないのだろうね。意味で意味を煮詰めることも出来ない。意味は意味だ。意味があって意味にはならない。だから案外、形と名前が似ていないことは、区別のためでもなんでもなく、そういうものだから、というそれだけの理由なのかもしれないね」私は言った。自分の考えていることをちゃんと言葉に出来ていないことには気づいているがそれを直さなければならないというところまでは気づけていなかった。

「理解出来ました。つまり、あなたの考えでは、意味なんてないかもしれないけれど、しかしそれ以外の答えも用意されている、ということですね。あの、では、前の質問には答えていただけますか?」

「前の質問」私はすっかり前の質問を忘れてしまっていた。困ったことである。どちらの質問にも答える啖呵たんかを切った以上、それに答えなくてはならないのに。だから私は、平素からまったくといって言いほど手を出さない文庫本をバッグの中から取りだして、つい先刻私たちがした会話と同じ会話が書かれているページを開き、そこを読んだ。そこにはちゃんとさきほどの質問が書かれていたのだが、私は文字を読んだことで、二秒で酔ってしまったのだ。なんとか子どもからの質問を思い出すことは出来たが、今にも陽気になってしまいそうだった。乗り物酔いはアルコールよりも度数が高いと父が言っていた。私は急いでバッグから取り出した酔い止めの薬を口に含むと、日本茶と一緒に喉の奥へとしまい込んだ。「ふう」一息つく、とはまさにこのことである。

「大丈夫ですか」と、子どもは抑揚のない声で私に尋ねる。

 私はすぐにそれに答えることにした。「大丈夫。命に別状はない。ああそう、質問に対する答えは、雹は雹であって、飴ではない、ということだ。ひょうも豹であって、虎ではない。虎は飴である可能性もあるが、それについては気になったらまた質問をするべきだろう。うぷ」私は吐きそうになる臓器を気合いでなんとか持ちこたえる。こういうときには私の隣に座る子どもが警察官でなくて良かったと思う。彼らはもう一押しで吐きそうな人間がいればそれが罪人でなくとも全てを吐かせる生き物であるのだ。「なんとか大丈夫だ。呼吸をすれば酔いは治る。しばらく、会話は中止だ。すまない。命にかかわるものでね」

「命に別状はないのに命にかかわるのですか?」

「前述の命は赤い心臓のほうで、後述の命は青い心臓のほうだ」この子どものご両親は、雪斑ゆきまだら府の生まれの人間には四つ心臓があるという話をしなかったのだろうか? しかし私は子どもに自分が雪斑府の生まれであることを話していなかったことを思い出す。先に話しておくべきだった。四つの心臓のうち一つでも壊れてしまえば、私はついぞ雪斑府出身という名誉を失い、そして失った場所である六帖線の生まれになってしまう。しかし、私は毎日六帖線に乗っているのだから、六帖線の生まれとなってしまっても、そこまでの問題は発生しない気もする。ある意味ではとても似つかわしい出身地である。しかし六帖線は乗り物であるから、これで申請が通るのかははなはだ疑問である。私は一抹の不安を覚えて、先ほど老婆がくぐったドアの上部にある掲示板を見た。そこには、「現在、珀來はくらい駅を通過しました」と書かれていた。緊急自体だとは言え掲示板を見てしまったのだ。私は自分がここで心臓を壊したら、出身地を六帖線か珀來市にしなければならないということに五割だけ憂鬱になり、立ち上がって、掲示板に書かれた現在珀來駅を通過しましたという文字を黒板消しで消した。これが面倒だから私は掲示板を見たくないのだ。この六帖線の味と言えば味だが、早く電光掲示板かアナウンスのどちらかを搭載するべきだと私は切に願った。手書きの掲示板など今どき時代遅れである。

「立ち上がったりして、大丈夫ですか?」子どもは尋ねる。少しだけ心配そうな顔をしていた。心配には及ばない。乗り物酔いは最高でも三分しか長引かないのである。一点集中の攻撃なのだ。私はすっかり楽になって、「大丈夫だ。心臓は壊れていない」と説明した。これで子どもも心配する必要はなくなっただろう。私はすっかり機嫌を良くして、珍しく緊急用に取って置いたパンを食べることにした。バッグに手を伸ばし、中にあったあんパンを取り出して、紙包みを取り除いた。

「昼食ですか、朝食ですか、どちらでしょう?」子どもが尋ねるので、私は答える。「これは昼食でも朝食でもない、間食というものだ。食べ終わる方の完食ではないよ。間に食べると書いて間食だ。君の家では間食はしないのかな? きっとそうなのだろう、雰囲気からするに、そういう感じだ。うむ、今のは質問ではない。自己完結出来た」

「補足させていただくと、うちではそのような文化はありません。一日五食で足りていますから」なるほど、この子どもの家では一日五食が基本であるようだ。私の実家は一日三食が基本だったが、今は昼を抜く場合がほとんどで、空いた腹は間食で補うことが多い。だから、この子どもの家が一日五食を信条としていても、私がそれを変だという理屈はないのである。弓革区の人間は全員そうなのか少し気になったが、私は子どもに質問をしないと決めていた。「ああ、ということはつまり、朝食と昼食があるということは、あなたは日常的に三食を食べているのですか? つまり、最後に来る食事は、夕食、ということになりますよね。そうですか?」と、子どもは尋ねる。私に解答の機会を与えているつもりなのだろうか? しかし、私が質問をしないと決めている以上、この子どもと会話をするには、子どもが質問してくれるしかないのである。この子どもの選択が子どもらしくないものだとしても、しかし、この場を上手く流れさせるためには重要な選択である。

「私は確かに、三食だ。朝食、昼食、夕食となる。朝飯、昼飯、夕飯とも言う。アサメシであってアサハンではない。ヒルメシであってヒルハンではない。しかし、ユウメシではなくユウハンと言う。ユウメシと言う人もいるが、私はこの三つの中で、夕飯だけ特別視しているのかもしれない。何故だかは分からないが、やはり、朝食や昼食と違い、夕食は重要なものなのだろう」私はそう答えたが、しかし実際に夕食を重要なものかと思っているのかどうかは、謎であった。私は謎を謎のままにして言葉にすることが出来る。恐らく、コトバニクスを空気に触れさせる前に、コトバニクスとナゾリエンを融合させているからだろう。コツを掴めば、これは誰でも出来ることだ。科学者の免許も必要ない。まったくもって合法的な融合だ。

「自分の食事は、明食、朝食、昼食、夕食、宵食です。たまに夜食まで食べる人もいますが、夜食は体に悪いと言われています。だから自分も、夜食は食べたことがありません。あなたの日常でも、夜食は推奨されないものでしょうか? そもそも、夜食という概念はありますか?」

「夜食という概念はある」私は新しい質問に対してまず答えを出した。それが普通だ。「それに、夜食は推奨されていない。私も夜食は摂らないことにしている。基本的に、一日三食で十分なのだ。二食でも、我慢出来ないことはない。それに、あまり多く量は食べられないのだ。中学校に通っているころは部活に熱を出していたから、三人前の料理を一人で平らげることも出来たのだけれどね」そう言って、私はふと、自分が中学生だった頃のことを思い出した。

 中学校に通っていた頃、私はバスケットボール部に所属していた。五人と五人がコートの上でボールをカゴに入れ合うという、言葉にすると陳腐なスポーツであるが、私は、自分がそのプレイヤーだったことも加勢して、このスポーツが一般的なスポーツの中でもっとも瞬発力の必要なスポーツだと思っている。集中力はあまり必要ないし、運動神経も、あればあるでいいが、必須というものでもないだろう。つまりは必要なのは瞬発力と頭の良さだ。瞬発力。このスポーツは攻守の逆転をすぐに察知しなければならない。バレーボールや卓球やテニスのように、攻守がはっきりしていないし、野球などのように攻守がターン制ではない。一番似ているスポーツは、恐らくサッカーになるのだろうが、しかし、サッカーのように広大でもない。点数は恐ろしいほど入っていく。最終的なスコアが一点や二点ではない。何しろ、一回カゴにボールを入れるだけで二点貰えるのだから恐ろしいスポーツだ。なんというか、豪気なスポーツである。私の仕事も、是非羽の生えた猫を百六十万円で買って欲しいところだと思うが、しかし、そう上手くはいかないのが世界と六帖線なのである。

「中学校ですか。自分はまだ五歳であるので、義務教育は始まっていないのですが、小学校や中学校、それに高等学校や大学というところは面白いところなのでしょうか? 興味はありますが、何分、まだ五歳ですから」

「そうか、弓革区には飛び級という概念がないのか」私は確認しながら言った。弓革区は色んな意味で閉鎖的な町である。だからなのかは知らないが、新しい知識や概念、それに常識を受け入れようとしないのだ。古いものが至高とされ、新しいものは脆弱とされる。愚かしい町ではないか。それに、古い建築物や美しい古来より伝わった芸能が生きているのは、弓革区ではなく、神楽府の乱槐町である。弓革区のそれは、ただ頭が硬いだけだ。それを私はあまり、良いものとして考えていない。私の職種が弓革区では仕事としては認められていない、ということも加味しているのかもしれないが、古いものが良いのは認めても、新しいものが脆弱ぜいじゃくであるという考え方は捨てた方がいいと思う。どちらも仲良く住めばいい。型にはまらないものを受け入れられないのは、器の小ささに起因するのだ。だから老人は頭が硬い。いや、弓革区に老人はいないのだったか。

「飛び級という概念について説明するが、飛び級とはつまり、卒業しないまま次のステップへ行くことだ。この六帖線が目指している神楽府では、盛んにその飛び級が行われている。まあ、こう言ってはなんだが、少々軽すぎる感じもするがね……何しろ、その学年で習う教育課程が終わっていれば、つまり、最終試験に合格することが出来れば、飛び級が可能なのだ。自由ではあるが、同時に乱れているよ。おっと、これは、乱槐町との掛詞ではないけれどね。まあ、どうでもいいことだ。つまり、君は弓革区ではなく神楽府に住めば、簡単に飛び級をして、恐らくは大学、さらにはその上を目指すことも出来るだろう。しかし君は恐らく、大学の上を知らないのだろう」

「知りません」子どもは興味の眼差しで私を見た。「大学の上に、まだ学校のような機関が存在しているのですか? そうなのでしたら是非とも教えてください」それは知識欲を満たしたいがための質問であった。私はその地べたを這うような醜い懇願こんがんが嫌いではない。何しろ分かりやすいではないか。知りたいから教えて欲しい。欲の原型である。

「ほとんどの人間は大学を卒業したら仕事をする。大学を卒業しなくても仕事はする。仕事をしない人間もいる。私だって、仕事をしていない日は仕事をしない人間に分類されることだろう。しかし、中には大学の上にある学校に入る者もいる。正式の名称は非常に長く、また私が記憶していないので教えることが出来ないが、略称は桂天学舎けいてんがくしゃという。大学になぞらえて天学と呼ぶものもいるが、それは略しすぎていてあまりに品がないものだ。桂天学舎。分かるかい?」私はテーブルの上に乗っているノートパソコンのキーボードからヘッドホンを取り除き、画面の電源を入れて、ディスプレイの呼吸を再開させる。そして文章作成ソフトを起動して、そこに「桂天学舎」という文字を打った。「これが桂天学舎だ」

「なるほど、記憶しました」子どもは言ったあと、「話が一時的にズレますが、自分はそれが恐らくパーソナルコンピューターの一種であることを認識しています。ですから、パーソナルである以上、自分がその画面に表示されている桂天学舎という文字以外のものを見るのはルールに反すると思いますが、見えてしまったので、正直に告白します。それはもしかして、新着メールではありませんか?」と、私のノートパソコンの画面に表示されている便箋のアイコンに、エクスクラメーションマークが付随ふずいされているものを指差しながら言ったのである。

「失礼」私はそう言う。

「え?」子どもは問う。

「失礼、と言った。つまり、そう、君との会話を一時的に中断させて欲しい、という意志だ。私はこのメールに集中しなければならない。君へのお礼は、そのあとだ。分かるかい?」

「分かります」

「よろしい」

 いつもはヘッドホンで音楽を聴いているから気づくのが当然であるが、子どもと会話をしていて、尚かつ画面の電源を切っている状態でメールの受信に気づく術は、超能力を身につけるか、もしくは九官鳥きゅうかんちょうを飼う他に存在しないだろう。しかし生憎と私は九官鳥を飼っていない。だが、今更そんなことを嘆いても仕方がないだろう。私は便箋びんせんのアイコンをダブルクリックして、メールを開いた。差出人は、案の定、今日の取引相手である、松尾まつお呉肋ごすけであった。内容は以下の通りである。


 松尾呉肋です。電子メールで失礼いたします。

 本日の取引の確認をさせていただきたいと思います。

 本日正午、神楽府は乱槐町の湯浴飾ゆあみかざり駅におきまして、羽の生えた猫と、現金八十万円を交換する。この通りでよろしいでしょうか? 何か不備がありましたら、お知らせください。

 なお、当方、赤いマフラーと、緑色のサーフボードを目印に持って参ります。お声をかけてくだされば反応しますので、「取引の件で」と話しかけてください。

 では、快い取引を望んでおります。


 なんということだろう! 松尾呉助は緑色のサーフボードを持って取引に望むと言っているのである。つまりそれは、彼という男が暗いということの象徴であり、彼の足が通常よりも多いという暗喩でもあるのかもしれない。いや、あるいはただの偶然だろうか。そうだ、きっとそうなのだろう。赤いマフラーに大した関連性はないではないか。赤いのは海だけである。マフラーまで赤くなってしまったら、そこに緑色のサーフボードが介入する余地はない。私はすぐに、そのメールに対して、了解しました。と、句点を含めて計七文字のリプライをした。そしてすぐさま隣を向いて、「ありがとう」と口にした。約束を守ることは紳士のたしなみであるのだ。子どもにお礼をすると言った以上、しなければならない。

「礼には及びません」と、しかし子どもはおよそ子どもらしくない返答をした。それは同時に、この子どもらしくもある。「それと、失礼でなければ、そのメールの内容について、軽く教えていただけませんか? 実はもう、話すような話題が尽きてしまいました。質問ばかりというのも、辛いものです。すみません、自分からお願いしておいて」子どもはそう言って、しゅんとうなだれた。しかし私は、この子どものように思ったことを直接口にする人間が好ましく思う。人間は総じて、自分の持っているものと同じものを持っている人間を、好ましくは思わないのである。同族嫌悪というものだろう。そして、自分に持っていないものを持っている人間に対しては、好感を抱く。それは憧れだろうか? 恐らくそうだ。私はどうしても他人に合わせてしまう節があり、自らの中に自分を押し込めてしまうのである。それはよくないと思っていても、そうそう変えられるものではない。私は子どものその率直な行動に感動してしまい、仕事上秘密主義である情報を語ることにした。何しろ私は自営業であり自由業である。誰にも怒られる心配はないのだ。

「今のメールは、私の仕事の取引相手からのものだ。大した内容ではない。ただの確認だ。だが、この確認メールがもっとも大事だ。恋人同士の恋愛ごっこにおいて、最後の口付けがもっとも大事であるように、確認メールは大事だ。おっと、そういえば君はまだ五歳だったね。失礼。今の失礼は、君が五歳だったのに恋人関係について話したことではなく、君が五歳だから恋愛などしたことがないだろうと身勝手に考えたことに対する軽い謝罪だ。まあ、そう、君に分かりやすく言うと、生まれて産声を上げることが誕生において一番大事なことのように、確認メールは大事なのだ」例えるなら他にも食事において食器を洗うことが一番大事であったり、睡眠において起床することが一番大事であることと同じであるのだが、多すぎる例は逆に混乱を招くと私は五年前に知ったのである。だから私は無駄に多く例を出さない。

「分かるかい」これは日常的な口癖なのか?

「分かります」それは子どもの口癖なのか?

「まあ、つまりはそういうことだ。それ以上でもそれ以下でもない。人生などというものはそう言い切ることが出来る。つまり人生なんて確認メールであるということだ。人生と書いて確認メールとルビを振ろう。それでいい。世の中は不思議なことだらけだな」私はそう言って、久しぶりにペットボトルホルダからペットボトルを掴んで取り、水分を補給した。喋りすぎて喉が渇いたのかもしれないし、ただ間を埋めたかっただけかもしれない。

「よく分かりました。しかし、メールの内容は、自分が参加出来るほど話題として盛り上がりはしませんでした。あなたのお話は自分にはとても刺激的です。ですので、よければ面白い話をしていただけませんか? そして、そのお話に、勝手に言葉を挟む権限を自分に下さいませんか? お願いします」子どもがそう言った瞬間に私はすわ何事かと困惑した。何とこの子どもが頭を下げたのである。この子どもが頭を下げるのは、おそらく足下に五億円が落ちているときだけだろう。それ以外では、目の前にいる人間がひれ伏すのを見下すときのみだと思っていた。しかしなんということだ、この子どもはそんな心の腐った人間ではなかったのである。私はその頭の垂れ方に感銘を受けて、面白い話をすることと、それに対して子どもが勝手に言葉を挟むことについて「分かった」と気づけば口にしていた。

「では面白い話をしよう」私はそして語り始める。「質問の話だ。質問とは愚かしい行為だと私は思っている。だから私は自分から誰かに質問をすることを、あまりよろしく思っていない。何しろ質問とは、文字だけを見れば問い質すことと同じようではないか。問い質すなど、相手に対して失礼極まりない。そうは思わないか? と尋ねるのは、これは同意を求めることである。しかし、君は何故そうは思わないのか? と尋ねれば、これは立派な質問だ。しかしこれだけではこの話は面白くはない。質問の話で一番面白いのは、一番最後に私が言う言葉だ」私がそこまで言うと子どもはまったく構わず言葉を挟んだ。「それは今はお聞き出来ないのですか?」

「最後まで待ちなさい」

「待てません」

「待てないことはない。現に君は今この時間解答を待っているだろう? 待てないなどと軽々しく口にするのはご両親の教えか、それとも君に元来備わったものだろうか。後者なら今すぐやめたほうがいい」私はそこまで言って話を続けることにした。「さて質問とは基本的にものを知らない人間がものを知っている人間にするものだ。質問者は解答を求め、回答者は解答を与える。しかしときには知らないもの同士が質問をする場合もある。こうしたとき、回答者は自分が知らないことに対して、あやふやな回答をする場合がある。それを正解としてしまえば、質問者は間違った認識をしてしまう。これでは問題だ。だから私は質問などというものをしたくない。質問をして、自分の思惑通りの答えが返ってこない場合は多く存在しているし、それは頭が良くなれば頻繁に起こる。さらに言えば、質問をしてその答えに満足がいかない場合もある。一足す一の答えを尋ねて三と答えられて満足出来る人間がどれくらいいるだろうか。そうした場合も想定出来るから、やはり私は、質問という行為を愚かな行為だと思っている。だからといって質問をまったくしないわけではない。人には質問をする能力が初めから備わっているのだ。さて、これで質問の話は終わりだ。何か質問はあるかな?」私は言ってやった。これは私が持つ小話の中でもっとも整ったな冗句であった。子どもを見ながら返答を待つと、子どもは「面白いです」と抑揚のない声で言った。正直者との会話ほど分かりやすい会話はない。正直者は表情で嘘をつかない。言葉でも嘘をつかない。だから、抑揚のない声であっても、その言葉は嘘偽りがないのである。

「しかしこの場合の面白いは、いわゆるギャグやジョーク、つまり笑うほうの面白いではありませんでしたね。むしろ感心しました。ということは、笑いの境界線というものはどこにあるのでしょう? 何故その話題で自分は笑えなかったのでしょう? そして、自分がこうして語尾にクエスチョンマークを付随させてしまうのは、自分にまだ知識が足りないからでしょうか?」という子どもの問いかけに対し、私は端然と、「君に足りないのは経験だ、それと……」と答えて、黙ってしまった。

 そして私は子どもに対して何か言う言葉を失ってしまっていた。もう、私のとっておきとも言える冗句を言い終えてしまったので、もう面白い話をする気も、もっと言えば、この子どもと会話をすることにも、飽きてしまっていたのだ。これが大人の身勝手さである。飽きるのが早いのだ。常々、私は大人になると飽きやすくなると思っている。それは大人ではなく、成長すると、とでも言い換えることが出来るかもしれない。だからおそらく、平均寿命に近づいていくにつれ、人生に飽きが来て、そろそろ死んでもいいだろう、というような誘惑に勝てなくなるのだろう。私の友人が死神に転職したがっていたが、老人たちがみなそうした心境であるのなら、確かに死神という仕事は楽そうである。私がしているような、所謂いわゆる運び屋と呼ばれる仕事に比べれば、楽なはずだ。何故なら、死神になったら人間とは会話が出来ないから、私のように六帖線に乗って五歳の子どもと会話をする必要はないのである。

「あの」子どもは私が黙ったからだろう、突然声を上げた。「それと、何でしょうか? 気になっているのですが」

「何の話だったか忘れてしまった。申し訳ないが、さっきの話はもう終わりにしよう。興味がなくなってしまった。これが大人の身勝手さなのだ。それを子どもの君に適応させようとするのも、また大人の身勝手さだ。そして、大人の身勝手さという言葉で全てを煙に巻こうとするのが、そもそも身勝手なのだ。だから子どもはそれに対抗するべく、自分勝手さを発揮したらいい。しかし、それに答えるかどうかはまた私の身勝手な部分にるだろうね」本心から私は言っていた。ここまで自分が他人との会話に急速に飽きるという経験を、今まであまりしたことがなかったのである。これはいつ以来の経験だろう? おそらく、恋人が私にキスを迫ってきたときに、恋愛においてのキスの重要性を熱弁してきたとき以来かもしれない。あのときの恋人は元気だろうか? 生きているなら、そろそろ成人しているかもしれない。無論、私はキスをしなかったのだが。

「そうですか。飽きてしまったのなら、しかたありません」子どもは何でもないように言った。「飽きるような展開に持ち込んだことに、自分にも少なからず責任があると思います。では、話題を変えましょう。桂天学舎とは、なんですか?」それはなるほど、飽きる可能性があるかどうか微妙なラインではあるが、今の段階で嫌気が差すような話題ではない。少なくとも、四時四十四分を毎日見る男の話よりは、興味があった。

「桂天学舎とは、さっきも言ったように、簡単に言えば大学の上位学校だ。しかし学校ではなく学舎と呼ぶ。これはおそらく理由があるのだろうが、私はその理由を知らない。そして学ぶのは、主に生き方だ。はっきりと言って、金を出してまで行くところではない。これは覚えておいた方がいい」

「何故ですか?」子どもは尋ねる。「自分の両親は、自分が良い大学へ入ることを当面の目標としている節があります。というよりは、恐らく、良い大学に入らなければ自分は実の子どもとして認められないでしょう。それほどまでに執着しています。そして、自分は良い大学へ入る必要性を両親から聞いているので、それについて納得しています。大学での生活環境や生活態度に関係なく、入学と卒業をすれば学歴という要素が付随するからなのですよね? そうした話から察するに、大学の上位学校であるところの桂天学舎に入学と卒業をすれば、さぞ素晴らしい学歴が手に入ると思うのですが、違うのでしょうか?」その子どもの質問はもっともだった。私にもそう思っていた時代と時期があった。今となってはもはや過去の記憶である。当然記憶などというものは過去のものである。未来の私には記憶などない。

「桂天学舎に卒業の概念はない」それは真実だった。卒業に準じたものはあるが、それは一般的に退学と呼ばれるものである。「桂天学舎は誰でも入学が出来る。しかしそれなりに試験はある。違いは、大学が高校卒業かあるいはそれに準じた資格を持っていないと入学は愚か受験が出来ないところにあるが、桂天学舎は二十歳を超えれば誰でも受験することが出来るのだ。科目は三つ、数学とデッサンとボードゲームだ。その三つで全て満点を取れば入学出来る。簡単な話だ」実際にそれは簡単だ。数学なんて勉強をすれば誰でも理解出来、試験において満点を取りやすい優しい学問であるし、デッサンも同様に観察力や画力などというものがなくとも物の構造を理解すれば簡単にすることが出来る。最後のボードゲームにしてみたところで、こんなものは頭を使えばクリア出来る。だから私は桂天学舎などには行く利点がないと、今の時点では考えている。

「ボードゲームとは、しかし、一口に言ってもたくさんありますね」子どもは言う。「どんなゲームですか?」

「面倒な説明は省くが、駒が四つある。対戦相手と合わせて八つだ。そのうち、最後まで駒が残った方が負けというボードゲームだ。盤は五かける五。配置は自由だが、自分側の縦二かける横五のマスにしか配置出来ない。そして、駒は自分の番になると一つを二マスか、二つを一マスずつ進められる。そして、最終的に最後まで駒が残ったら負けになる。これで勝てば一点、負ければ零点。数学もデッサンも全て一点。計三点取れば、桂天学舎の試験は合格だ。実に簡単だろう? あくびが出る試験だ」

「あなたはその試験を受けたことがあるのですか?」

「私は桂天学舎の学徒だ」私は言った。桂天学舎に卒業の概念がない以上、社会人であろうと、入学してしまえばもう桂天学舎の学徒なのである。「残念ながら、退学しなければならないような悪事を働くか、または退学金を支払わなければ、私は死ぬまで桂天学舎の学徒ということになる」

「しかし、自分は学校という機関が、新たな生徒から入学金や授業料を略奪するために、一定期間で生徒を卒業させると聞いています。そんなに生徒、ではなく、学徒ですか。それが増えたら、桂天学舎はパンクするのではありませんか?」

「桂天学舎の学徒は今のところ八人しかいない。だからパンクする恐れはないだろうと思われるよ。私を含めて八人、だ。面白いものではない。私は、何故こんなに学徒数が少ないかという現象について、みな頭が良いから桂天学舎には入学しないのだろうと考えている」実際、こんな馬鹿げた学舎に入るなんて頭の悪い人間のすることだ。そして私は頭の悪い人間なので、高校にも、大学にも、桂天学舎にも入学してしまった。これは桂天学舎でも非常に稀なケースであるらしい。何しろ、学徒のうち五人は、大学は愚か高校受験すらしていないものばかりなのである。しかし私に比べればいくらか合理的な人間たちだ。「今一度言うが、君には勧めない。君はせっかく頭が良く生まれたのだ」

「しかし、あなたの話を聞く限りでは、非常に興味が沸いてきました。桂天学舎では、その、飛び級というものは受け入れていないのでしょうか?」

「飛び級? 桂天学舎には飛び越す級がないので無理だろう。それに、何故桂天学舎の入学基準が二十歳以上かと言えば、入学式で飲酒の儀があるからだ。それ以外に理由はない。つまり入学式の時点で二十歳になる予定の人間であれば、十九歳での受験も可能だ。もっとも、予定通り二十歳になれる人間なんて、ほんの一握り。ほとんどの人間は、大体十九歳を三年ほど繰り返すのだ」事実、私も二年ほど十九歳を繰り返している。だから実年齢と公称の年齢には、二歳の差があるが、繰り返しても十九歳であることには変わりがないのだから、実年齢と言っても、間違いではないのだろう。そもそも年齢などというものに大した効果はない。そこにあるのは数字だけだ。

「では、少なくともあと十五年は受験が出来ないわけですね。非常に残念です」

「そう残念がる必要はない。むしろ喜べばいい。君は桂天学舎に入学する必要はない」

「そもそも、桂天学舎とは何をするところなのでしょう?」

「入学をするところだ」

「そうではなくて」

「登校はあまりしないところだね。年に二度、七月三日と、十一月一日に登校する。そして七月十日と、十一月八日に下校する。そこで一週間、みっちり生き方について勉強をする。教師は三人いるが、みなバカばかりだ。そしてクラスメートもバカばかり。当然私もバカだ。まあ、こんなところに惹かれてはいけない。気持ちは分かるがね。私も惹かれたから桂天学舎に入学した口だ。しかし利点はない。こうして地道に仕事をしていた方が、よっぽど建設的だろう。まあ、桂天学舎で手にしたコネクションが仕事で役に立ったことも過去に二度だけあったけれど、それは桂天学舎に入らなくても手に入れることが出来たコネクションかもしれない。だから君は行っても大学までにするといい。本当に頭がいいなら、中学まで行って卒業と同時に仕事をするべきだ。学歴というものは、優れた頭脳を持たない人間を表す言葉だということを知っておいた方がいい」もし六帖線に高校生や大学生や、まさかいないとは思うが桂天学舎の学徒が乗っていたら非難を浴びるかもしれないと思ったが、そういえば屍とヘッドホンしかいないのであった。いるとしても、あとは見えない液体ぐらいか。私はそのことを思い出して安心する。

「しかし、その理論で行くと小学校や中学校にも行く必要はないのでは?」子どもは素直に尋ねてきた。この素直さは評価に値すると私は感動する。しかし私の答えは子どもの質問への否定であった。

 私は言う。「小学校と中学校は義務教育であるから行くべきだ。それが賢い選択であるだろう。法に屈して普通に生きて苦労をせず普通に死ぬことを、頭の良い生き方と言う。生活出来るだけの金を得て生活をしてただ死ぬ。それが最高の選択だ。娯楽や嗜好品というものは、つまり辛い日常があるから素晴らしく感じるのであって、毎日が平凡であればそんなものは必要ない。余計な出費をしない。毎日同じ時間に起き、毎日同じものを食べ、毎日同じ生活をして、毎日同じ時間に寝る。そうして死ぬのが恐らく正解だ。つまり、桂天学舎ではこういうことを学ぶ。だから私は、毎日六帖線に乗っているのだ」私はしかし、それを正解と判断することを出来ていないのだが、正誤を判別するために、毎日同じような人生を送っていると言ってもいい。まず毎日六帖線に乗る。これを課題にしている。毎日同じ行動をすることは不可能である。それは私の職種に関係する。毎日同じ動物を仕入れ、毎日六帖線に乗り、毎日同じ顧客に売りつけることが出来ればそれが一番だが、生活とはそう簡単に割り切れるものではないのだ。

「でも、それなら死んでしまえば良いのでは?」子どもは尋ねる。「自分は五年間生きてきましたが、既に生きることに対して、良いイメージを抱いていません。だからと言って死ぬこともないとは思っていますが、ただ何の変化もない毎日を送って最終的に死ぬのなら、最初から死ぬのが一番賢いのではないですか? そういうところに、自分は疑問を持ちます。最近、巷では自殺が流行しているようですが、自殺をする人たちはみな頭が良いということなのですか? 自分も何度か自殺について考えたことはありますが」

「自殺するやつはバカだ!」

「!」

「自殺なんて私は許さん! 自分で自分の命を始末するなんてバカげてる! 断じて認めん! 人は生きろ! 私が話しているのは頭の良い生き方だ! 死に方ではない! 話題を間違えるな!」

 私は激昂した。そして見れば、隣で子どもは泣いていた。しかし仕方がない。こんなことを言った子どもに問題がある。死ぬなんて愚かしいことを言うのだ。それは怒らねばならない。生きることに良いイメージを抱いていないことは、まったく問題ではない。問題は自殺などという考えを持ったことに起因する。まったく、馬鹿げている。せっかく手に入れた命を無駄にするとは。いくら私が雪斑府の出身であるとは言え、赤、青、黒、紫の四つの心臓は、一つが欠けても生命として活動は出来るが、出血多量で死んだり、窒息などをすれば死ぬのだから、自殺など簡単に言葉にしていいものではないのだ。私にしてみても、他の出身者より心臓が多いだけで、命は一つである。その命を失おうとするなんて、馬鹿げている。愚かしい。まったく、ふざけた話だ。「ごめん……なさい……ご……めん……なさい……」子どもはまだ泣き続けている。私が大声を出したことがこたえたらしい。しかしここはじっと我慢しなければならない。私に謝る道理はない。私は、良い行いをした。自殺などという野蛮な思考を持った人間を叱ることは、それが年下であれ年上であれ、五歳児であれ、必要なことだ。

「……はぁ、はぁっ、はぁ」呼吸を荒くしながら、両目から雫を垂らして真っ赤にしながら、子どもは私の方を向いた。「ごめんなさい、ごめんなさい。そんな考えを持つのは、金輪際やめにします。少しおかしくなっていたのです。許してください」

「安心したまえ、君は許す。私が許さないのは、自殺などという愚かしいことをしでかすバカモノだ。しかし自殺をした人々はこの世から消えるから、罰を与えることも出来ない。そこが卑屈だ。卑怯である。逃避である。はらわたが煮えくりかえるところだ。まったく、はぁ」

 私はそれから、憮然ぶぜんとした表情を続けていたことだろう。子どもの呼吸はまだ荒いままで、整うところを知らない。もしかしたらこの子どもは初めて泣いたのではないだろうか? と思うほど、涙の止め方を知らぬようだった。しかし手を貸してはならない。ここでちゃんと叱ることが、教育であり、躾だ。いくら他人様の子どもであるとは言え、悪いことをした子どもは叱らねばならない。それで私が警察にご厄介になったり、ご両親に訴えられたりしたとしても、妥協してはいけないことだ。それこそが愛だ。私は子どもを愛する。愛するが故に、仕付けなければならない。

 しかしてこの子どものご両親は、この子どもに自殺が悪いことだと教えなかったのだろうか? 私の両親などは、私が死ぬなどという言葉を口走った途端に滂沱ぼうだの涙を流し、二度とそんなことは言わないでくれと懇願してきたものだ。それが出来ないほどこの子どものご両親は、ユキグサという人間を愛していないのだろうか? 足りないのが愛であれば、この世に争いは絶えないだろう。実に嘆かわしい。人を殺すことと自分を殺すことだけはしてはならないと、三歳のときに教えねばならない。物心がついて真っ先に教えなければならないことはそれだ。事実私がそうだった。もし私に子どもが出来たら、胎児である段階で教えるつもりである。自分の子どもが人を殺したら、子どもを殺して私自身も死ぬ程度の覚悟もなくて何が人間だ。恥を知るがいい。私は気づけばこの子どものご両親に対して憎しみを抱いていた。まったく、なんというか、この子どものご両親も、いわゆる現代の親なのである。これだから最近の中年は困るのだ。

「はぁ、はぁ。落ち着きました」と、子どもは袖口で涙を拭いながら私に言った。「自分はもう、そのようなことは口にしません。ごめんなさい」

「謝ることはないのだ。君は何も悪いことを終えてしまったのではない。始めるそぶりを見せたから声を荒げただけだ。安心するがいいのだ。君はまだ、安心するがいいよ」私は心からそう言った。なるほど、子どもを叱る機会などなかったからついぞ失念していたが、今のは桂天学舎で学んだやりとりに似ているかもしれない。実は私は今日の日のために桂天学舎に入学し、勉学に励んできたのだろうか。きっとそうに違いないであろう。まったく、こんなところで桂天学舎に感謝するとは、私もついぞ落ちぶれたものである。

 それからは少しだけ気まずい空気が流れた。この子どもが五歳児でありながらにして素晴らしい頭脳を持っているとは言え、突然大人に叱られて涙を流した直後にのうのうと会話が出来るほど人間が出来ているとは思えない。私にしてみても、そんな子どもの心情をよそにべらべらと会話をするつもりはなかった。さてどうするべきだろう。と私が考えたときに、私はようやく、あんパンを取り出してそのままテーブルの上に置きっぱなしにしておいたことに気づいたのである。まったく、ついつい忘れてしまっていた。あんパンとはそういう食べ物である。食べようとしてすぐに話題が逸れる。食べ物としての機能にはまったく問題がないのであるが、副作用が恐ろしい。だから二ヶ月バッグの中に入れておいても、このあんパンはかびたりしないのだが、しばらくの間テーブルの上に置きっぱなしておいたあんパンは、二ヶ月バッグに入れておいたことよりも、少しだけ、味を落とす可能性があった。しかし食べ物を粗末にすることは他人の臓器をそっと盗むことと同じくらい非道なことである。私は子どもが完全に落ち着くまで、あんパンを食べることで時間をつぶすことにした。一口食べて、中に入っているクリームに舌鼓したづつみを打つ。ああ、これはどうやら、クリームあんパンであるようだった。つまりクリームがあんに包まれているのである。ここまで来るともはやパンがないので、クリーム入りあんこと表現するべきだと思うが、最近ではこういう現象が多く起こっている。そのうちあんパンの本当の形をみんな忘れてしまうのではないかと危惧しているが、私はあんパン屋ではなく運び屋であるので、危惧する必要はないのかもしれない。

「あの」子どもの声がした。「すみません、落ち着きました。さきほどは失礼なことを言いました。反省しています」もうすっかり落ち着いていたようである。私はそっと一口だけ食べたあんパンの半分をちぎって、子どもにあげることにした。

「これを食べなさい。それに、君はもう謝らなくていい」子どもはおずおずとしていたが、私は強引に、あんパンの半分を子どもに手渡した。「間食という文化はないのだったね? それじゃあ、今日覚えるといい。推奨されないことは、別に、してはいけないことではないのだ。しかし、君のご両親には秘密だ」

「秘密ですか」子どもは少しだけ笑ったような気がした。完全にまったく屈託くったくのない笑顔かと言えばそうでもなかったが、しかし及第点である笑顔だった。私はその笑顔に触れ、少しだけ、心が温かくなった。

「美味しいですね」と、子どもは言う。「これはなんですか? 見たところ、というか、食べたところ、あんこのようですが……中に何か入っているようですし。ああ、クリーム……ですか?」なるほど、あんことクリームは食べたことがあったようだ。私はすかさず、「それはあんパンという食べものだ。が、パンの要素はない。最近はそういうものが多い。つまり名前に反しているのだね。まあ、これも時代の流れだろう」と言った。日本語の誤用にも同じことが言えるのかもしれない。認められてしまったものが、正解なのである。判断は難しいが、しかし、悩むほどの判断ではない。着の身着のままに生きていれば、あまり考えずに済む問題なのだ。

 ふと気になって私は時計を見た。するとなんということだろう、もう時刻は八時四十分だった。いつの間にこんなに時間が経ったのかと不思議に思ったけれど、それは別段不思議でもなんでもなかった。つまり、私がこの子どもとの会話を楽しいものと感じてしまったからだ。その時間が楽しいと感じれば、一瞬のうちに朝は夜になる。気をつけた方がいい。少しでも人生を楽しいと感じると、一瞬のうちに赤子は老人になる。子どもだって、大人になる。本当に、それは絶対的なものだ。急激なものだ。私にもよく経験がある。小学校の頃に仲の良かった友達が、夏休みが明けてから突然大人っぽくなったのだ。これは驚くべき現象だった。その後子どもは私とは違う中学を受験をしてまで行くと言いだし、それ以来同じ学校に通ったことはない。今でも友人だ。最近は死神になりたいと言っている。私も大層変わった人間だが、あの友人も相当変わっている。

「美味しかったです」子どもは言った。どうやらあんパンを食べ終えたようであった。私はまだ手にあんパンを持っていたが、子どもはもう食べ終えたのである。気をつけなければならない。何事かを楽しいと思うのは、辛いことをしているときだけにしたほうがいい。そして、楽しいことをしているときは、自分は今辛いことをしていると思いこむべきだ。それば良い人生の過ごし方だと、私は桂天学舎であれほど習ったではないか。

「口にあったようで何よりだ」私は言いながら、あんパンを一口かじる。今が八時四十分ということは、多く見積もっても、あと十分で六帖線は神楽駅に到着してしまうということだ。ならばあと十分のうちにあんパンを食べ終えなければならない。六帖線の外で食べるあんパンはまさに死の味だ。「少々待っていてくれ。今あんパンを食べ終える」

「ではその間、お話をさせてください」珍しいことに、子どもは自分から話をすると言ったのだ。子どもも大人になったということだろうか。「お話というよりは、お礼かもしれません。自分はこれから、神楽駅で降りて、そこの改札口で親戚と落ち合います。それから先に何をするかは分かりませんが、きっと楽しくないことでしょう。自分の人生はあまり、楽しいものではありませんでした。きっとこれからもそうです。しかし、この六帖線での出来事は、恐らく面白い出来事でした。自分はこれからの人生、あなたと過ごしたこの二時間を、きっと忘れないでしょう。本当に、ありがとうございました。瑠璃色の飴玉と、あんパン、ごちそうさまでした。それに、様々なお話、してくださってありがとうございました。これからの人生、つまらないことばかりであったとしても、自分はきっと、あなたとのこの思い出を思い出すことでしょう。なんて、少々嘘くさい言い方になりましたが、あなたと過ごした時間が面白かったことは、本当のことです。どうか、出来ることなら、自分のことも覚えていてください。ユキグサという名前を、忘れないでください」

 子どもはそう言うなり、しとしとと、涙を生産しはじめたのである。恐らくは泣き方を覚えたばかりですぐに実行してみたくなったのであろうが、しかし、なんということか、私はそうして泣き出す子どもを見て、少しだけ、変な気持ちになってしまっていた。変な気持ちというのは決して変な意味ではない。心臓に生えた毛をしごかれる感じとでも言うべきだろうか? とにかく不思議な感覚なのである。幼稚園でも小学校でも中学校でも高等学校でも大学でも桂天学舎でも、私はこの謎について教えてもらったことはない。けれど、これに類似した感情は、どこかで習ったことがあった。

 寂しい。

 なんだかそんな気持ちだったのかもしれない。それは私にしてみれば愚かしい感情だっただろう。しかし残念なことに、その感情の殺し方は教わったことがなかった。私は教育機関に一切の責任を押しつけて、残りのあんパンを口の中に押し込み、悲しみと一緒に飲み込んだのだ。

「何も泣くことはない。そう、泣くことはないのだ。生きている。私たちは生きているではないか。また会える。生きていれば、私たちは、必ず会える。君が、ユキグサ君がこの時間を楽しいと感じ、ユキグサ君がまた私に会いたいと願えば、その願いはきっと叶うだろう。そう、臭いことを言っているようだが、それは真理だ。だから私は願う。君は死ぬな。それだけだ。よほどつまらない世界に絶望したとしても、死なずに生きてまた私と会おう。ほら、リュックを開けなさい」私は言いながら、自分のバッグの中から、二年間ずっと使っていなかった携帯電話を取りだした。「私もうっかりと、楽しさと寂しさを感じていた。恐らく君との出会いが素晴らしいものだと、私の心が認識したのだろう。だから君が持たされた携帯電話の電話番号とメールアドレスを教え合おう。しかし、頻繁に利用してはいけない。繋がっていると感じるために、私と君は、連絡先を教え合う。さあ」

 私が催促すると、子どもはリュックの中から最新型の携帯電話を取りだした。そしててきぱきと操作をすると、私に電話番号とメールアドレスを教えた。私はそれを携帯電話に登録すると、子どもがしたのと同じように、電話番号とメールアドレスを教えた。交換の儀式は簡単に終わる。こんなに簡単に、私たちは繋がりあえるとでも言うのだろうか?

「ありがとうございます」子どもは言った。「まさか、親に言われるがままに乗った六帖線で、こんなに素敵な出会いをするとは、思っていませんでした。これが人生というものなのでしょうか。五年間ですが、生きていて良かった。心から自分は、そう思います。ありがとうございます」

「私たちはもう友人である。確かに目上への尊敬は必要であると思うが、感謝の意は、一度でいいだろう。さあ、こうして君との会話を楽しんでいるうちに、すっかり六帖線は神楽府に突入してしまったようだ。まだまだ話したりないことがあると感じるかい? まだまだ聞きたいことがあると感じるかい? しかし六帖線とはそういうものだ。いつも何かが足りない。だからもう一度乗らなければならなくなる。ここに置き忘れた何かをもう一度確認して、それをまた置き忘れるために、何度も乗ることになる。君が一度とは言え六帖線に乗ってしまったのなら、もう二度と六帖線のことを忘れることは出来ないだろう。そして私は六帖線に取り憑かれた哀れな乗客の一人だ。だから私は毎日、六帖線に乗る」

 私はそう言って、静かにヘッドホンのジャックをノートパソコンから外し、ノートパソコンを畳み、それらをバッグにしまうと、ペットボトルホルダのペットボトルを手に持って、すっと立ち上がった。停車と同時に、私は下車する。この子どもはそれを知らないだろう。しかし今覚えればいい。真の学習とは常に唐突だ。私は子どもの膝の上にあるリュックを大股で飛び越えると、走っている六帖線の中でバランスを保ちながら、爽快に言った。

「それでは、また会おう!」

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