第3-2話 手作りメロンパンは幸せの形(2/4)

 「全員揃ったので、今日の流れを説明しますね。レシピを見ながら、聞いてください。お茶を飲みながらで、いいですよ」

「まずは、昨日、私が準備しておいた中種を使って、本生地を作っていただきます。中種の作り方は、生地を一次発酵している間に説明しますね。

一次発酵後、本生地のベンチタイムの間に、クッキー生地を作っていただきます。

クッキー生地が出来たら、休めておいた本生地と合わせて成形していただきますね。

仕上げ発酵の後、170℃で12分焼成したらできあがりです」

 ひな子先生が、スラスラとなめらかに今日の作業の概略を話してくれた。一次発酵、ベンチタイム、仕上げ発酵・・・随所にパン作り特有の用語が散りばめられていて、早都の頭は、若干オーバーフロー気味だ。パン作り初挑戦の早都にとって、これらの用語は、馴染みない単語だ。1つ1つの単語の意味を確認しないと、ついていけない。例えば、「一次発酵=生地をこねた後、最初に行う発酵」というように…


 「これは、私が、本当に美味しいメロンパンを作りたい、と思って、興したレシピです。みなさんにも、気に入っていただけると思うので、頑張って作りましょう」


 早都が、このレッスンメニューを選んだのは、夫と2人の子どもが、メロンパン好きだからである。早都の子どもたちの味覚は、どちらかというと夫に近い。パン屋さんで選ぶのはクロワッサン、チョココロネ、クリームパン、そしてメロンパンだ。

 土・日のブランチにパンを食べることが多い原田家では、家から歩いて行ける距離にあった「ほの香」というパン屋さんのパンを、よく食べていた。残念ながら、「ほの香」は数年前に閉店してしまったのだが、そこで育まれた子どもたちのパン好みは、今も変わっていない。

 現在の原田家お気に入りメロンパンは、車を少し走らせた所にある「シュミネ」というパン屋さんのものだ。大ぶりで食べ応えのあるメロンパンは、3人にとって、味も食感もその大きさもすべてが最高のものらしい。お店でも、かなりの人気商品で、焼き上がりの時間を外してしまうと、売り切れてしまっていることも多い商品だ。

(メロンパンを食べるのを、楽しみに買いに行って、買えなかった時の、しゅんとした顔を見ると、こっちまで何だか悲しくなるんだよね。私が作れたら、そんなことも無くなるかな)

 という思いから、メロンパンレッスンの受講を希望したのだった。実際に作るかどうかは、ともかく……


 (どんなメロンパンが、我が家の味になるのかな?ひな子先生のメロンパン、とっても楽しみ~)

 受講を決めた時のその気持ちを思い出し、思考停止に陥った頭を、何とか再起動させた早都は、テーブルに置かれたレシピに、再び注目した。


 材料と本生地の作り方の説明があった後、

「それでは、作ってみましょう」

 というひな子先生の声掛けで、早都たちは、作業テーブルへ移動した。

 少しベトベトしている中種を、小さく千切って、粉の中へ落としていく。その後、ボウルの中で、キュッキュッと捏ねる。

「材料を軽く捏ねたら、叩きごねをします。まずは、デモを見てください。友利ちゃん、のし台を借りますね」

 と言って、ひな子先生は友利ちゃんの前ののし台に、打ち粉を撒いた。ひな子先生の撒いた打ち粉は、台の上に薄っすらと、きれいに広がっている。撒く手つきも、美しい。早都は、うっとりと見入ってしまった。

 「生地の端を持ち、バンと打ち付けて、手前の生地を向こう側に重ねる。今度は、こっち側の端を持って、バンっ。これを繰り返します。やってみてください」

 早都も、作業に取りかかった。まずは、打ち粉を撒いてみる。でも、きれいに広がらない。台の上に落ちた粉を、早都は、手の平で円を描くように広げた。

「バンっ」 「ペチっ」 「パンっ」

 教室に、生地を打ち付ける音が響く。

「生地の表面が滑らかになってきたら、一つにまとめてください。」

 叩き捏ねをする前の生地の表面は、銘菓「月界」のような感じで、滑らかさはない。それが、何度か叩き捏ねをすると、その表面が赤ちゃんの肌のようにつるんとしてくるから不思議だ。


 ひな子先生のデモンストレーションの中で、早都が、見惚れてしまった所が、もう一つある。それは、生地を持つひな子先生の手の優しさだ。水を掬うような丸い手の形を作り、生地に衝撃を与えないようにそっと包む。均一でないところはないか、なめらかでないところがないか。ひな子先生のパン生地に対する愛情が、手のひらを伝って注がれているようだ。生地を見ている眼差しも、もちろん温かい。


 「もっと手早く扱ってください」

「タッキー、そろそろまとめて、大丈夫よ」

「他の人も、いい感じね。できた生地をボウルに入れて、一次発酵しますよ」

「作業が終わったら、手を洗って、ソファーに座ってくださいね」

 ひな子先生が、それぞれの生地が入ったボウルを発酵器に入れ、タイマーをセットする。


 「一次発酵を待っている間に、中種の作り方とこの後の工程について、説明しますね」

 レシピに書いてある中種の作り方に沿って、ひな子先生の説明が始まった。

「今回のレシピは、加糖中種法を用いています。この方法は、使うイーストが少量ですむのが、利点です。リッチな生地のパンを作る時に、応用が利く方法なので、マスターしておくといいですよ」

 説明が一段落したところで、ちょうどタイマーが鳴った。

「発酵の様子を見てきますね」

 ひな子先生が、席を立った。


 ひな子先生が、席を離れた途端、

「そう言えば、美佳ちゃん、仕事辞めることにしたって、ほんと?」

 友利ちゃんが、美佳ちゃんに問いかけた。

「そうなんです。今の勤務先は、今月末で退職することにしたんです。仲のよかった子が辞めてしまったり、職場の組織変更があったりで、何だか行き詰った感じがしてしまって…」

 と、美佳ちゃんが応えた。

 「パン教室 粉こな日和」で知り合った2人は、年齢も近く、レッスン前後にランチを一緒に食べに行く仲になっているそうだ。

 「美佳ちゃんは、公認会計士を目指してるんだよ」

 と、タッキーが、小声で教えてくれた。

「激務でなかなか勉強できない、って言っていたものね。小休止もいいよ~。」

「これで、試験勉強に専念できるね」

「そうそう。ステップアッブのためには、いい決断かもね」

 美佳ちゃんが、資格取得を目指していることを前提に、タッキーと友利ちゃんが、話をする。

「あの~、そうじゃないんです。最近は、資格の取得はどうでもいいかな、と思い始めていて、勉強も止めてしまっているんです」

「えっ、美佳ちゃん、そうなの?」

「ごめん、ごめん。心境の変化を知らなくて」

「ほんと、ごめんね」

 ほんの僅かな沈黙の後、美佳ちゃんが、口を開いた。

「とにかく、この閉塞感から抜け出したくて・・・それが、正解かどうかはわからないけど、環境を変えてみるのもいいような気がして、決断したんです」

「そういうことね」

「そう思ったのなら、それが正解よ。きっと」

「そうね~。新しい所には、幸せな出会いが、あるかもしれないし」

「そうそう」

「ですよね~。今の会社にいたんじゃ、これ以上の出会いもないし……」

 と、美佳ちゃん。

「美佳ちゃんは、顔を合わせる度に「婚活中です」と言っているのよ。かわいいから、引く手あまたのはずなのにね」

 タッキーが、また忍び声で教えてくれる。

「美佳ちゃんが辞めると知ってから、アプローチしてくる男性は、いなかった?」

 タッキーが、美佳ちゃんに問いかける。

「いませんよ。後輩のちょっとふわっとした男の子が、送別ランチに誘ってくれただけです」

「ふわっとした男の子って?」

「切れ者ではないというか、するどいタイプではないというか……。仕事のミスが、多いんですよ。経験が浅いから、しょうがないのかもしれませんけど、ちょっと使えない感じ?総務のおばさんに、いつも怒られています」

「あら、あら」

「ちょっと微妙な感じの子?」

「美佳ちゃんの眼中には無い、ってことね」

「そっかぁ」

「それなら、仕方がないわね」

 (ふわっとしている、って優しい雰囲気を持った子じゃないのかなあ?それだったら、それはそれでいいんじゃないかなぁ。仕事は、経験を積めば成長するものだし……)

 みんなの会話を聞きながら、早都はそう思った。

「その子が、ご飯に誘ってくれたのは、今回が初めて?」

「う~ん。そう言えば、前にも何度か。仕事終わりが一緒になった時に、誘われたことは、ありますが… 誘われるのはいつも残業上がりで、疲れているからって断ってばかり。一緒に行ったことは、一度もないかも、です」

「うん?何度も、誘われているの?」

「思い出せないけど、5回くらいは誘われているかな」

「え~っ」

 みんなの声が、揃った。

 (何度断られても誘ってくる男性なんて、世の中に、そんなにいる?美佳ちゃんは、かわいいから、そんな機会が多いのかもしれないけど、普通の人は、そんな経験ないよね。なんと言ったらいいのか…)

 早都が考えこんでいると、ひな子先生から、声がかかった。

 「発酵が終わったので、おしゃべりはそのくらいにして、作業を再開しましょう。分割して、成形して、ベンチタイムを取りますよ」

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