第2-1話 皮から作る水餃子と占いと(1/4)
すっかり秋も深まった11月の第1土曜日の午前9時35分、
何度目かのレッスンで、「お教室に着くのはレッスン開始のおよそ8分前。それより早くには行かない」と決めた早都は、少し時間に余裕があることを確認すると、途中にあるカフェドトールで、Mサイズのカフェラテを購入してから、お教室へ向かった。
今日のレッスンは、これからの寒い季節にぴったりの「水餃子」だ。家では、焼き餃子オンリーの早都が、このメニューの受講を決めたのは、「点心は、皮を楽しむ料理でもあります」という
早都が、はじめてこの言葉に出会い、実感したのは、「点心教室 ICHIPAOBA」2回めのレッスン「大根餅と春巻き」で「春巻き」を試食した時のことだった。
レッスンを受講するまで、「揚げ物はお総菜を購入派」の早都は、春巻きを作った経験がほとんどなかった。そんな早都が、お総菜春巻きを購入する際の選択基準は、「具の美味しさ」と「具の量」だった。しっかりと味のついたお肉と野菜とビーフンが、たっぷりと巻かれた春巻きを好んで買い求めていた。外食先の中華料理店では、揚げたてパリパリの春巻きの皮の食感も楽しんだりしたが、お惣菜春巻きにそれを求めたことは一度もなかった。
それが、佐和先生の春巻きを食べて価値観が一変した。
「春巻きは、パリパリの皮を楽しむ料理。皮の食感を楽しめないと春巻きじゃない!」
お惣菜春巻きに皮のパリパリ感を求めるのは難しく、レッスン受講を機に、原田家の春巻きは「買うもの」から「作るもの」へと進化した。
春巻きで皮を楽しむことを知った早都は、「水餃子」のレッスンをリクエストした。「皮を楽しむ点心」と聞いて、真っ先に思い浮かんだのが「水餃子」だったからである。
早都にとっての水餃子と言えば、横浜中華街「さん東菜館」の水餃子。それを知るまで、水餃子は、家ではもちろん、外でも好んで食べるメニューではなかった。友人に誘われて行った「さん東菜館」の水餃子は、水餃子に対するイメージが変わるくらい、とても美味しかった。
10年ほど前のことである。仕事帰りに待ち合わせ、女性4人で「さん東菜館」へ向かった。待ち合わせ場所は、JR石川町駅の北口。中華街へは、駅舎を出て左側へ、すぐの「
中華街には、全部で10基の門(
「延平門」はその4基のうちの1つで、西を守っている。守護神は白虎神で、門柱の上に「白虎」の彫刻が施されている。門柱の色は白。平和と平安のやすらぎが末永く続くことを願って建てられた。
4人は、緑と白が印象的なこの門の先をさらに直進する。中国茶や中国食材のお店など中華街っぽい雰囲気が漂い始めたところで、中華街大通りの入り口にある「善隣門」をくぐる。
「善隣門」の先は、THE中華街。明かりが灯った看板や街灯、ランタンが、早都たちを迎えてくれた。夜の中華街は、きらびやかで、かなりエキゾチックだ。
(赤や黄色が溢れる中華街には、夜が似合うんだよね。昼間だったら、晴天の日。青空にも、華やかな色彩は映える。曇ってる空の元では、せっかくの色彩もくすんで見えちゃう……)
異国情緒あふれる街に、ちょっとした高揚感を味わいながら、歩みを進めた早都たちは、何本目かの路地を左に入ったところで、黄色い看板に「さん東菜館」の赤い文字を見つけた。
お店の中は、満席に近かった。会話や注文の声で、がやがやと騒がしい。それもまた中華街らしくて、わくわくする。早都たちが座る窓際の円卓に、水餃子が運ばれてきた。円卓の中央にドンと置かれた水餃子を初めて見た時は、分厚めの皮に少し戸惑いを覚えた早都だったが、食べてみてそのモッチリした食感と、皮と具のバランスに感動したのだった。そのままでも美味しかったが、特製タレとの相性も抜群だった。
佐和先生の「皮を楽しむ」という言葉がきっかけとなって、その時の記憶が蘇った。
(「皮を楽しむこと」を提案している佐和先生の水餃子は、皮もきっと美味しいに違いない。「さん東菜館」にも随分行っていないし、久しぶりに美味しい水餃子を食べてみたい。簡単だったら、家でも作ってみてもいいし……)
最早、レッスンの受講理由が、「作れるようになりたい」ではなく「食べてみたい」に変化しつつある。レッスンリクエストのメールをしながら、その事に気づいて、早都は苦笑したのだった。
ところが、その時期、「水餃子」のレッスンは休講期間中だった。
「点心教室 ICHIPAOBA」では、季節によってレッスンメニューが変わる。皮の特性によって、暑い季節の方が扱いやすい皮、逆に、寒い季節じゃないと扱いにくい皮があるからだ。点心のレッスンメニューは、寒い季節に開催されるものが多い。夏場は、スイーツ系のメニューが豊富だ。
佐和先生からは、「水餃子のレッスンが再開されたら、またリクエストしてくださいね」というメールが送られてきた。
(早く水餃子の季節にならないかな)
夏の間は「パイナップルケーキ」や「エッグタルト」のレッスンを満喫しながら、早都は水餃子レッスンの再開を心待ちにしていた。
(今日は誰とご一緒できるかな~?)
そんなことを考えながらお教室に到着した早都は、佐和先生の「どうぞ」の声に促され、お教室の玄関へ入った。並んでいるスリッパの数から見て、今日は1番乗りのようだ。色とりどりのアジアンスリッパの中からオレンジ色系のスリッパを選んで、ゆっくりと控え室へと向い、身支度を整えていると、インターホンが鳴った。
「おはようございま~す」
やってきたのは、最近レッスンでよく一緒になる内村さんだった。「ウッチー」という愛称で呼ばれている30歳代前半のハツラツとした女性、今日の挨拶にも、チャキチャキ感が漂っている。長袖の白いシャツにGパンというラフな服装だが、大きめのピアスとしっかりと施したナチュラルメイクが、元百貨店勤務という経歴を彷彿とさせる華やかさだ。
「点心教室 ICHIPAOBA」のレッスンメニューは、単発レッスンが中心だ。一部のレッスンを除き、どのレッスンから受講を始めてもいいことになっている。受講するメニューも、受講のペースも、人それぞれだ。様々なレッスンが揃う中、佐和先生が「基本の点心」と呼んでいるメニューは、ほとんどの人が受講する、人気のレッスンとなっている。レッスンは、平日~土日祝まで、午前・午後・夜の3つの時間帯で、随時開催されている。受講可能な曜日と時間帯は、個々の都合で限定されてくる。同じ頃に通い始めた受講生同志は、「基本の点心」のレッスン時など、お教室で何度か顔を合わせることになる。
「ピンポ~ン」
次の受講生が、やってきた。
「おはようございます」
控え室に入ってきたその人を見た時、早都は、「あっ、貴婦人さんだ」と思わず声をあげそうになった。初めて会ったその人は、すーっと伸びた背筋と顔の角度、シックな黒髪、上質な素材で作られた肌の露出が少ないワンピース、声のトーン……すべてが貴婦人の気品オーラに包まれているようだった。
早都は、実際に貴婦人に会ったことはないが、早都が「貴婦人さん」と名付けた人は、何人かいる。街で時々すれ違う人だったり、どこかで一度だけ見かけた人だったり。いずれも、ついつい目が行ってしまう方々だ。早都がイメージするのは、ブルグミュラーの「貴婦人の乗馬」というピアノ練習曲の中の「貴婦人」(もしかしたら、それは、教則本の挿絵から想像しただけなのかもしれない)やLLADROのポーセリン人形の「貴婦人」。その佇まいが感じられる人を、早都は「貴婦人さん」と呼んでいる。
「ピンポ~ン」
「よろしくお願いします」
「お願いします」
残り2人の受講生も、続けてやってきた。
「岡田さん、はじめまして」
佐和先生が、そのうちの一人を玄関で出迎え、お教室の案内をし始めた。その岡田さんとほぼ同時にやってきたのは、早都が最初に受講した「小籠包レッスン」でご一緒した人だった。
「お久しぶりです。よろしくお願いします」
その人に挨拶をしながらも、早都の頭の中には、メモリ検索のタスクが走っていた。
(お名前は、何さんだったかしら?北島さんタイプさんだったと思うけど、名前が思い出せないっ。え~っと……)
早都が、控え室からレッスンルームへ向かう途中ですれ違った岡田さんは、今日が初レッスンだからなのだろう、少し表情が硬めだった。早都は、自分の初回レッスン時のドキドキを思い出し、
(早く緊張がほぐれてくれるといいな~)
と願った。
岡田さんの表情を見て、一瞬メモリ検索のタスク負荷が軽減された早都の頭の中だったが、岡田さんに挨拶をした後は、再び、北島さんタイプさんの名前検索の負荷で、頭の中がいっぱいになった。
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