12:16 【Dual】後篇
(…私は、生きているのか)
虚ろな意識の最中、リートは目を開く。破壊力が込められたナイフが首に突き刺さっている。そんな状態で"よく生きていたな"と彼は自画自賛をした。
(あの女は…)
何とか身体を動かしながら、ルナの姿を探す。
(……何ということだ)
見つけるまで良かったのだが、その先には黒色の触手に拘束されたルナがいた。両脚に白色の液体を粘着させ、一本の触手が彼女の体内へと入り込んでいる。その瞳から生気など感じられず、声すら発していない。身体も抵抗することを諦めたか、成すがままにだらんと力尽きていた。
(非常に…まずいのか…)
しかも神通力がかなり弱まっている。嬲られ、戦う意志を失っていることで、身体が破壊力に浸食され始めていた。リートは自身の喉に突き刺さっているナイフをどうにか引き抜いて、遠くへ投げ捨てる。
(このままだと、あの女は死ぬな…)
あそこまでボロボロになってしまえば、自分には助けられない。彼はすぐに別の人物をこの場へ呼ぼうと、ルナから視線を逸らす。
「……」
本来ならば、そこで躊躇うことはなかった。リートは、自分には救えぬものを助ける必要などないという考えを持っていたからだ。勿論それはルナも例外ではない。
『私はリートのことを"信頼"してるから』
だがしかし、彼女は彼のことを"信頼"していると言っていた。その言葉が深くリートの脳内に残っているせいで、再び視線をルナへと向ける。
(私は、何を迷っている?)
ここで考えたところで、あの女は助からない。彼は片手で頭を押さえ、気の迷いを誤魔化そうとする。
(…私は、あの女に情でも湧いているのか?)
人々にお告げを与えるのが神。情を抱かず、時には残酷な選択をするのが神。リートは今までそう考えてきた。けれど、ルナから視線を逸らす度に迷いが必ず生じるのだ。
(何を考えている? あの女はもう救えないだろう)
何度もそう自分に言い聞かせ、視線を背けようとするリート。遠くからデュアルの耳障りな笑い声が聞こえてくる。ルナの声なんて聞こえてこない。それなのに彼女の助けを求める声が、彼の耳に聞こえてきた。
(他者の為に、自分の身を犠牲にする…か)
研究所で身を挺して先へと進ませた、サヨと名も無き研究員。デュアルを倒すために、重傷を負いながらも走り続けた妲己。リートは三人の最期を見届けてきた。その誰もが、必ず誰かの為になるよう自分を犠牲にする。彼はその行動原理を理解できずにいた。
自分を犠牲にしてまで、他者を思いやる必要などあるのか。他者よりも自分自身のことを優先的に考えるのが、至極真っ当なのではないか。様々な説が頭の中で提唱されていた。
(…聖書に頼るべきだな)
側に転がっている聖書を手に取る。迷いに迷った神である彼が、その選択を委ねようとしたのは適当に開いたページの言葉。
(……そうか)
そこに書かれていた一言を目にした彼は、開いていた聖書のページを閉じると、何かを決心してその場に立ち上がる。顔を向けた先は、ルナとデュアルのいる方向とは真逆。
(今まで、私はあまりにも無知だったようだ。あの女たちが、誰かの為に自らを犠牲にできたのは――)
彼は二人に背を向け、ゆっくりと歩き始める。一歩、二歩と進むリートが聖書で伝えられた言葉は、
「――それは"誰か"なのではなく、"友"だったということか」
"友のために自分の命を捨てることよりも大きな愛はない"。彼はその場で振り返り、顔に付けていた狐のお面を右手で投げ捨てる。
「その言葉、信じよう」
「あっれー? まだ生きてたんだ?」
狐の面が転がる音で、リートに気が付いたデュアルはその視線を彼に向けた。
「…わたしと戦うつもり?」
「そこにいる女は"友"だからな」
「どうやって? あなたに一体何ができるの?」
デュアルがリートの頭上に黒色の霧を漂わせると、真っ黒なナイフの雨を降り注がせる。
「一ノ禁忌、その力を戦に使うことなかれ」
「…!」
だが、彼が右手を挙げるとその無数のナイフは一瞬にして消滅してしまう。
「二ノ禁忌、その力を殺めることに使うことなかれ」
リートがその右手を振り下ろせば、背後から白色の光が照射され、黒色の霧やルナを拘束していた触手諸共、瞬く間に消え失せる。
「このッ!!」
デュアルはその隙に彼の背後へ立ち、手に持っていたナイフを突き刺そうとした。
「三ノ禁忌、その力を消滅させることに使うことなかれ」
「――なっ!?」
しかし背後に立っていた彼女は、元の位置へと戻されてしまう。デュアルは表情を険しくさせ、ナイフを他所に放り投げた。
「お前、何をした…!?」
「私は神としての座には戻れないが…。禁忌を犯せば、神としての力を振る舞うことが可能だ。だからお前の能力を消した」
物理的、空間的な攻撃をすべて無効化する第三キャパシティ
「時間と空間を操る力。それは厄介極まりない」
デュアルの第四キャパシティ
「ふざけたことを…!!」
リートは襲い掛かるデュアルを、光の球体をぶつけて吹き飛ばす。そして、その場に倒れているルナの元まで歩み寄った。
「友、生きているか」
「……」
返事がないのは精神的に汚されている影響で、喋るのもままならないから。彼はしゃがみ込んで、彼女の左手を強く握りしめる。
「よく聞け。私は最期の禁忌をここで犯す」
「…」
「それを犯せば、私はこの世界から姿を消すことだろう」
彼が犯しているものは神としての禁忌。一ノ禁忌、二ノ禁忌、三ノ禁忌…というように、それらを犯してはならない掟がある。リートはそれを上から順番に一つずつ、犯していた。その代償は一つ犯したごとに懲役が決まり、"無の空間"へと追放されるというもの。
「四ノ禁忌、その力を人に与えることなかれ」
「あれ…?」
リートが最期に犯そうとした禁忌。それは"神としての神通力を、人間へ与える"という四ノ禁忌。体内に神通力が流れ始め、ルナが少しずつ意識を取り返していく。
「すまない。お前が失ったものは、私には取り戻せない」
「リート、その身体…!」
淡い光を放つリートの身体。その理由を聞かずとも、彼が消滅していくことを示唆しているとルナは理解していた。
「デュアルの厄介な能力は消している。後はお前が、アイツを倒せ。私はここで限界だ」
「リート、あなたはどうなって…?」
「数千年、数万年…。いや、永遠に"無の空間"で過ごすことになるだろう。私はそれほどの禁忌を犯したのだから」
彼女はリートの手を、自身の手で包み込んだ。
「どうしてそこまで…! あなたは自己中心的な神様だったでしょ…!?」
「さぁ? 私にもよく分からない」
持てるだけの神通力をルナへとすべて託せば、リートの姿が徐々に薄れていく。
「この世界から神が"しばらく"消える。それが意味するのは、その間にどんな理不尽が降りかかっても、お前たち人間自身の力で乗り越えなければならないということだ」
「そんなのっ…どうでもいいよっ…」
「友よ、なぜ泣いている? 私が何か心にもないことを述べたか?」
彼女は泣いていた。憎たらしいほど嫌いだった神が、短い間だけでも共に過ごしてきた神が、そこでいなくなろうとしているからだろうか。リートはルナが涙を流す理由を理解できず、首を傾げていた。
「まぁいい。そろそろ時間だ」
「待ってリートっ…!」
しかしその理由は、前者でも後者でもない。ずっとそばで見守ってくれてきた相手が、そこからいなくなろうとしている感覚。それに等しい悲しさを感じていたからだ。リートは神様として、この世界を傍観と言えど何千年も見守ってきた存在。
「救いたいと想える初めての友が――お前で良かった」
そんな存在が最期にルナへとそう伝え、眩い光となり散ってしまった。その瞬間から、誰もが感じるであろう"誰かに見られている感覚"がどこか彼方へと消えてしまう。
「アッハハ!! あいつ消えたんだぁ!!」
「…デュアル」
まだ何も片付いていない。ルナは汚された身体を鼓舞させ、その場に立ち上がった。
「これでこの世界から神はいなくなった! 後はわたしが能力で支配をすれば、すべてが上手くいく!」
「…そんなこと、させない」
ルナは転がっている狐の仮面を右手で拾い上げ、黒の大鎌を左手で構える。すると、リートから託された神通力が、彼女の体内で溢れんばかりに込み上げてきた。
「この一撃で、あなたを葬り去ってみせる」
「アハッ、威勢がいいね…! また心をズタズタにしてあげるよ」
デュアルが黒色の霧を何百本の触手へと変貌させ、ルナへと襲い掛からせる。
「――
彼女が顔に狐の面を装着してから踏み出したその一歩が、触手の隙間を潜り抜け、デュアルの横を通り過ぎ、
「さようなら」
その身体を斜めに大きく斬り裂いた。赤黒い血液が派手に噴出すれば、デュアルはそのまま前方へと倒れていく。
「ぐぁ…あぅ…ぐあぁッ…!!」
「…」
「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"あ"ぁ"あ"あ"ぁ"―――ッッ!!!!」
神通力を限界まで込められた大鎌の一撃は、デュアルの体内にある"破壊力"を大きく浪費させた。うつ伏せに倒れた彼女は、足掻いて、足掻いて、耳を劈くほどの叫び声を上げる。
「ゆるっ…せないっ…!!」
「……」
「あなたたちもっ…この世界もぉっ…!!!」
涎を垂らしながら血塗れとなったデュアルへ、冷ややかな視線を送るルナ。彼女はデュアルが言葉を発することすら、おこがましく感じていた。
「あなたに慈悲なんて与えないよ。私は沢山あなたに苦しめられたんだから」
狐の面を顔から外して、そんな言葉を地面に這いつくばるデュアルへ吐き捨てる。
「…ルナ!」
正門から誰かに声を掛けられ、そちらの方向へと顔を向ければ、アウラとブライトの姿が見える。
「二人とも!」
「大丈夫だったかしら?」
彼女は駆け寄る二人に、いつもの明るい表情を浮かべた。
「ルナ、その髪型…」
「ああこれは…。ちょっと切られちゃってね~」
短く切られた髪型に、ブライトは目を丸くする。ルナは心配を掛けまいといつものように振る舞ってみせた。
「お前ら、無事だったんだな!」
「ルナちゃん!」
「ヴィルタスくんにファルサちゃんも…!」
後に続くようにして、ヴィルタスとファルサも合流する。
「みんなぁー!!」
「わりぃ、少し遅れちまった」
ステラと朧絢。この二人が合流すれば、そこからは次々と仲間たちが集まってきた。ルナの周囲で再会を喜び合う赤の果実。それを見た彼女は、鼻を啜った。
「…ノア!」
「ルナ、お前…」
最後に合流をしたのはノア。彼は髪型が短髪となったルナに驚きながらも、静かにその姿を観察し、何かを察したようで、
「ちょっ、ノア…!?」
ルナを黙って自分の元まで、片手で抱き寄せた。
「…大丈夫、お前はいつも通りだ」
「うん、うん…」
デュアルにどれだけ酷いことをされたのか。ノアはその悲劇を優しく包み込むように、そんな言葉を掛ける。ルナは泣きそうになりながらも、小さく何度も頷いていた。
「デュアルが敗北したようですね」
「あなたたち…!」
しばらく安らいでいれば、ローザ、エルピス、デコードの三人が正門の前に立つ。ルナはすぐに臨戦態勢に入ったが、
「落ち着けルナ。もうこの三人に戦う意思はない」
それをノアが静止させた。
「その通りだ。今は君たちと睨み合っている場合ではない。私たちはデュアルにトドメを刺しに来ただけだ」
「トドメって…。あなたたちは仲間なんじゃ…」
「今のデュアルは暴走する寸前。早い段階で殺しておかなければ、とんでもないことになる」
デコードが地面で足掻いているデュアルの元まで歩み寄り、一丁の拳銃を頭部に向ける。
「お前たちもっ…わたしを裏切るつもりなのかっ…!?」
「確かに君とは協定は結んだが、私たちを脅かす存在となるなら話は別だ」
デュアルはうつ伏せの状態で顔を上げて、ブライトへと助けを求めるような視線を送った。
「ブライトちゃん…わたしたち、友達だよね…?」
「……」
「一緒にショッピングして…親友だって…誓いあった…よね?」
彼女は最後の希望だと言わんばかりに、ブライトのことを見つめるが、
「違うよ」
「え…?」
「友達を傷つけるような最低な人なんて――親友でも、友達でもない」
真剣な眼差しでキッパリとその希望を絶った。デュアルはガクンッと首を落として、急に腹の底から笑い始める。
「デコード、早くデュアルを片付けましょう」
「……」
「…デコード?」
ローザが声を掛けるも、何の反応も示さないため、側まで近づいてその表情を窺がった。
「――!!」
血の気が引くほど、真っ青な顔。何かいけないものを見てしまった。それを訴えるかのような視線。
「まぬけだねっ…。未来を見たから、そうなるんだよ…」
「こいつ…!」
ローザが銀製の大剣をデュアルの首元に振り下ろして、代わりにトドメを刺そうと試みるのだが、
「――こんな世界、消してあげる…!!」
「ローザ様!」
「ちっ…!」
デュアルの身体から黒色の霧がガスのように噴出したことで、その狙いを大きく外してしまう。エルピスはローザを、ノアはデコードを抱きかかえて、そこから大きく離れる。
「第五キャパシティ――」
その場にいる者たち全員が、おぞましい"ナニカ"に凍り付いた。認識できないがそれを見れば、そこですべて終わる。誰一人として、身体を動かすことが不可能。
「――
空から"ナニカ"が降下してくる。動いているから生き物だ。目が付いているから生き物だ。うねうねと触手が蠢いているから生き物だ。そんな考え方すら、ノアたちには出来なかった。
「すべて、ここで、消えてしまえぇぇッ…!!」
デュアルの叫びと共に、巨大な生物のナニカの閉じていた目が開き――
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